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2015年7月10日 (金)

國民主権・主権在民論は、祭祀主日本天皇を君主と仰ぐ君民一体のわが國體を隠蔽し破壊する思想である

世界各地の神話では、人類最初の男女神は人間を生んでゐる。しかし、日本神話では始源の男女二神たる伊耶那岐命・伊耶那美命はまず國を生んでゐる。ここに日本神話の大いなる特質がある。日本神話においては神が最初に生んだものが國なのである。しかも創造したのではなく生んだのである。また人は神の子孫であるとされてゐる。神と國・神と君主・神と民とは親子関係にあるのである。故に、日本國においては神と國と民とがその根源において一体なのである。そして神と國と民とを精神的に統合し一体化する御存在が天照大神の生みの御子であり、君主であり、祭り主であらせられる日本天皇なのである。

 

ところがキリスト教の神話においては神が最初に創造したものが人間であるとされてゐる。「創造する」といふことは創造者と被創造者との間は絶対的に隔絶しているといふことである。しかも神によって創造された人間は原罪を背負ふ。神と隔絶し原罪を背負った罪人である人間同士が契約を結び、かつその罪人である人間の中で武力・権力が優越してゐる者が君主となって國を治めるといふのである。故に、國家は人工的な存在であり本来罪を背負ってゐる。また本来罪人である國民同士の信頼関係は希薄である。君主も國民を力で強制することによって國家を治めるのである。

 

このキリスト教の國家観・人間観が西洋國家法思想・法思想の根幹となってゐる。だから国家と国民、君主と国民は契約を結ばねばならない。その契約書、言ひ換へると「権力の制限規範」が「憲法」といふことになるのである。『現行占領憲法』かかる思想が基盤になってゐるのである。

 

このやうに日本と外國との國家観・君主観の違いは大変大きい。そのことを端的に示したのが、北畠親房の『神皇正統記』冒頭の「大日本は、神國なり。天祖始めて基を開き、日神長く統を傳へ給ふ。我が國のみ此の事あり。異朝には其の類無し。此の故に神國といふなり。」といふ文章である。

 

日本天皇の御本質そして日本國の本質とは全く異なる西洋から発した思想を基本原理としてゐるのが『現行憲法』なのである。國民主権・主権在民論は、祭祀主日本天皇を君主と仰ぐ君民一体のわが國體を隠蔽し破壊する規定である。つまり『現行占領憲法』は國家の存立の基本を破壊もしくは否定せんしてゐるのである。 

 

今日において成文憲法を無くすことが不可能であるならば、一日も早く『現行占領憲法』の無効を確認し、日本國體に則った正しき憲法を回復すべきである。憲法を正しくすれば萬事が解決するといふわけではないが、正しき憲法の回復が日本國の政治と文化など全ての面の混迷を救ふ大きな道である。天皇を祭祀主と仰ぐ清浄なる道義國家たる我が國の姿こそ「國體」なのである。この國體の眞姿を回復して現状の日本の「悪」「穢れ」を祓ひ清めることが復古即革新即ち維新である。

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