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2015年7月 4日 (土)

「國體」について

やまと言葉の「クニ」には、支配者と被支配者とが、相対立し従属と従属の関係にある「権力機構としての國家」といふ意味はなかった。祭祀主たる「すめらみこと」を君主と仰ぐ信仰共同体、祭祀國家が日本國の本来の國體である。権力機構としての國家の姿形を「政体」と言ふ。

 

村尾次郎氏は、「祖國(father land)と國家(state)とのニ語は全然違った意味で…祖國は字の示す通り過去につながる言葉であって、自分の心の中に生きている歴史的國家、つまり精神的な観念である。これに反して國家は、現在の政治や経済に関係する一種の権力関係を抽象的に表した言葉である。…我々の心に宿っている國家は、幾千年という永い年月にわたって活き続けてきた過去の一切の價値の高い文化の綜合統一である。」(『運命の学としての歴史学』)と論じてゐる。

 

村尾氏の言う「祖國」「我々の心に宿っている國家」は、「天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體」と言い換えても誤りではないと思う。

 

「國體」といふ言葉について吉田松陰は、「國俗と國體とは自ら別なり。大抵、國自然の俗あり。聖人起りて其の義を采り、其の悪を濯(あら)ひ、一箇の体格を成す時は、これを國體と云ふ。」と論じてゐる。

 

松陰は、「國體」とは単に國の風習・風俗のことを言ふのではなく、聖なる人を君主と仰ぎ、道義精神を確立して、悪を除去し、一つの道義國家としての品格が成立している姿を「國體」と言ふ、と論じてゐるのだと思ふ。

 

天皇を祭祀主と仰ぐ清浄なる道義國家たる我が國の姿こそ「國體」なのである。この國體の眞姿を回復して現状の日本の「悪」「穢れ」を祓い清めることが復古即革新即ち維新である。

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