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2015年7月20日 (月)

高乗正臣平成国際大学名誉教授による「三潴憲法学の神髄」と題する講演内容

四月二十六日に開催された『第五十九回主権回復記念国民大会』における高乗正臣平成国際大学名誉教授による「三潴憲法学の神髄」と題する講演内容は次の通り。

 

「三潴信吾先生が始められた『憲法懇話会』は今年四月で一二二回になる。二月に一回開かれ、二十四年を超える。三潴氏の学問を受け継ぎ研鑽を積んでいる。若い人に伝える。難解な文章を分かり易くすることが使命。若手学者の育成。三潴憲法学の中心は國體論である。三潴氏から宮務法・政務法・統帥権・家族法の宿題をのこされた。有権者は水の流れのように入れ替わる。我々の祖先の意思を無視して今の有権者のみで決めることができるというのは誤り。過去現在未来を貫く国民の総意がある。国民主権とは歴史的共同体のこと。日本青年会議所の改憲案の前文はなかなかのもの。宮沢俊義は『ポツダム宣言』受諾後に変節する。『八月革命説』を書いた。天皇主権から国民主権に移ったと説いた。わが国に主権がなかったのに民主主権も国民主権もない。マッカーサーに主権があった。最終的に決定する権力はマッカーサーにあった。それを占領下という。宮沢の本を読まなければ高級官僚の試験に受からない。日本がおかしくなるのは当たり前。高乗家は朝廷・御所に仕えた武士の末裔。

 

國體は発見するものであり、構築するものではない。わが國の伝統の中に『見えない憲法』が存在している。この『見えない憲法』こそ國體であり、この國體を、与えられた歴史的条件の中で、文字にしなければならない部分だけを文字にするのが憲法制定であり、憲法改正である。

 

三潴信吾氏は『日本憲法要論』において『成文憲法を構成する要素には、成文憲法の拠って立つべき不文憲法としての立国法を明示しあるいは宣言する条項(宣言的規定、確認的規定)と、その憲法の条規の制定によってはじめて創設される各種の統治権力機関の組織や権限などを規定する条項(創設的規定という)とがある』。

『憲法改正の手続きを以てしても、宣言的規定、確認的規定に属する内容、即ち立国法を変革する事はできない。如何に、形式的手続きにおいては憲法上の改正手続きをとったとしても、憲法制定以前から憲法成立のための不動の根拠となっている立国法の変更、即ち國體の変更を行うことはできない』。

『立国法は、その国の立国と同時にその成立事実と不可分に存立するものであって、立国の精神的又は道徳的根幹として、その国の最も基本的な伝統的秩序を樹立するものである。この国家の成立事実の中心は、元首の立ち方である。立国法は立国の理想目的とその具体的表現人格たる元首の立ち方とを示すものである』と論じている。

 

國體とは各国それぞれ保有する本質であり、その国々の成立事実によって決定せられる。故にこの成立事実の変革が國體の変革でありこれを革命という。『憲法の基盤となる立国法とは、國體法とも称されるが、不文憲法として、成文憲法のある場合にも、必ずその基礎をなすものである。

 

元首とは国家(nation)という自主的普遍我の人格を全体として表現する人格。この地位はその国民の立国以来の伝統的意思に立脚して決定されるが、その具体的決定の方法は各国の立国以来の伝統によってそれぞれ異なる。即ち各国の國體によって異なる。

 

憲法の意義は権力制限規範としての性質にある。しかし現代の民主化された福祉国家の時代では国家権力の危険性のみを強調し憲法の権力制限規範としての側面だけを論ずることでは済まされない。

 

『國を相手に訴訟を起こし』という場合国家は権力支配組織(state)としての国家であり、『國のために命を捧げる』という場合の国家とは国民共同体(nation)としての国家である。Nationnature(自然、本性)あるいはnatives(原住民)natio(生まれ)と語源を同じくする。さらにnationという語はカントリ-(故郷・祖国)stateを包含するとも言われる。Nationとしての国は共通の祖先、文化、言語などを持つと信じている人々が作り出した集団であり、現在生きてゐる個人の集合体ではなく、過去から現在そして未来に生まれてくる国民を含む永続的な生命の共同体ということになる。

 

こう考えると、憲法とは権力の制限規範であると同時に、国民共同体としての国家の独自性を明示する規定を置くことにも意味があろう。

 

統治機構の枠組みである憲法に対して、これを超越してその憲法を憲法たらしめる根本的な建国の政治理念が存在する。

 

我国が他国と異なるのは、歴史を通じて皇室が精神的統合の中心として存在し、皇室と国民との間に対立の歴史がなく、天皇が常に国民の幸福と社会の安寧を祈り、国民が天皇を慕う姿勢を持ち続けてきた点にある。

 

西欧中世の国王たちは国民を私有財産と同様に考えてきた。多義的な主権概念はそのような政治的土壌の中から出て来たものである。その意味から主権の概念はわが国の皇室のありように馴染むはずのないものであった。

 

幕府政治確立後の天皇のありようは、ヨーロッパ諸国の君主制とは似ても似つかない。政治的権限は幕府に、文化的機能は朝廷に保持されるという二元主義に立っていた。主権者という観念自体がわが国の統治体制に適合するものであったかきわめい怪しい。宮沢俊義氏が戦後主張した『天皇主権から国民主権への以降』という事は歴史上の実態として有りもしなかった。

 

わが国固有の伝統文化に根差した天皇の在り方を西洋近代出自の立憲主義憲法の『鋳型』にはめ込むことがそもそも困難であった。天皇を、その本質を全くことにするemperorと訳し、シラス、シロシメスというわが国固有の概念が西欧型の憲法概念に存在しないことがその証左である。

 

天皇のありように限らず、伝統・文化・国民感情・道徳意識などの精神領域の事柄を政治的法規範である憲法で定めることには困難が伴う。もし、それらが法令で規定されたり改廃されたりしたなら、最早それらは伝統ではなくなり、単なる政治的操作の対象になってしまう危険があるからである。

 

日本青年会議所の『憲法試案』は次のように述べる。

『日本国は…万世一系の天皇を日本国民統合の象徴として仰ぎ、国民が一体と

して成り立ってきた悠久の歴史と伝統を有する類まれな誇りある国家である。我々日本国民は、和を貴び、他者を慮り、公の義を重んじ、礼節を兼ね備え、多様な思想や文化を認め、独自の伝統文化に昇華させ、豊かな社会を築き上げてきた。日本国は、自主自立の主権国家としての権利を行使するとともに、責務を全うし、互敬の精神をもとに日本を含む地球上のあらゆる地域から貧困と殺戮をなくし、全世界の平和に貢献すると同時に、国際社会を率先して牽引すべき国家であると確信する。我々日本国民は、国の主権者として、悠久の歴史と誇りある伝統を受け継ぎ、現在及び未来へ向け発展・継承させるために、五箇条の御誓文以来、大日本帝国憲法及び日本国憲法に連なる立憲主義の精神に

基づき、ここに自主的に新日本国憲法を制定する』。

 

歴代の天皇が常に国民の幸福と社会の安寧を祈り、国民が天皇を慕う姿勢を持ち続けて来たという歴的事実、天皇が国家や国民と一体であるという国民感情を、政治的な力(国会議員と有権者の多数意思)によって改廃できる憲法という法規範の中に、どう規定するのが妥当であろうか。精神文化に対する政治の優位を避けるためには慎重な配慮が求められる。『大日本帝国憲法』という成文憲法以前から存在する天皇、皇室の在り方を含む不文憲法の価値を再確認する必要があろう」。

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