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2015年7月 8日 (水)

「聖帝」について

 『古事記』には、仁徳天皇の世を聖帝の世と言ふと記されてゐる。仁徳天皇は、高い山に登って四方の国をご覧になり、「国の内に炊煙が立たないのは国民が貧しいからだ。これから三年間国民から税金を取るのをやめよう」と仰せられた天皇で、「聖帝」と讃へられた。

 

『日本思想体系・古事記』の「補注」において佐伯有清氏は、「(聖帝の注)『聖』とは、耳と呈(貞即ち正)から成り、耳聡く聞き分ける人、神秘的な洞察力のある人物。農耕社会では時候の推移を洞察して農事を指導することが、対立する主張を聴取して調整することと共に、王たるべき者の責務であるから、聖と王とは結びつきやすい」と論じてゐる。また『角川当用漢字字源辞典』(加藤常賢・山田勝美著)によれば、「意味を表わす『耳』と『口』と、音を表す『壬』とからなる形声字。…耳の穴がよく開いていて普通人の耳に聞こえない神の声の聞こえる意。…古代社会においては、普通人の聞きえない神の声を聞き分けうる人を『聖』と呼んだものであろう」と言ふ。

 

一般人が聞きえないことを聞く人といふのは、聴覚器官が普通の人より発達している人といふことではなく、神霊の声を聞く人といふことであり、祭り主といふことである。神の声を聞いて民に伝、民の声を聞いて神に申し上げるといふ神と人とをつなぐ役目を果たされる祭り主が天皇のなのである。

 

また、<やまとことば>の「ひじり」(漢字では「聖」と書く)とは、「日を知る人」の意である。日とは文字通り太陽のことであり、天体の運行に通暁してゐる人のことである。天体の運行即ち暦は農業にとってきはめて重要である。これを知ってゐる人が農耕国家の君主たる資格を持つ。また「日」は「霊」であり、「ひじり」は「霊力を有する神聖な存在」といふ意味でもある。 

 

本居宣長は、「日知り」を「日の如くして天下を知らしめすといふ意なるべし」としている。「日の神・太陽の神の如くわけへだて無く天下を統治される天皇の御代」を「日知りの御代」と言ったのである。

 

ともかく、日本伝統の「ひじり」についての考へと支那の「聖」といふ字の意義とが結合して「聖帝」といふ考へが生まれたのである。民の心を知りたまひ(しろしめす)聞きたまふ(きこしめす)ことが天皇の国家統治の基本なのである。 

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