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2015年7月23日 (木)

大東亜戦争は、どう考へても、侵略戦争ではない

日本は、米英が東亜諸民族を侵略支配してゐる状況を掃攘するために宣戦を布告したのである。大東亜戦争は、どう考へても、侵略戦争ではない。その目的においても実際の戦争においてもそして結果においても、自存自衛の戦ひであり、東亜解放の戦ひであった。

 

わが国は何故米英に宣戦を布告したのか。それは米英本国に日本が攻め入り、彼の国を占領支配せんとしたためではない。米英が百年来、東亜諸国諸民族を侵略支配してゐる状況を掃攘するために宣戦を布告したである。即ち、明治維新の攘夷の戦ひをアジア的規模で遂行せんとしたのである。

 

一四九二年にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、一四九七年にヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を廻って以来、ヨーロッパ諸國=白色人種によるアジア侵略・植民地化は休みなく進み、十九世紀には、トルコから支那大陸に至るまで、アジアのほぼ全体が、欧米諸國の植民地支配下にあった。

 

十九世紀半ばになると、わが國にも、西からはアメリカ、北からはロシア、西からはイギリスといふやうに西欧列強の侵略の手はひしひしと迫ってゐた。日本もやがて植民地化の運命を辿ると思はれた。

 

しかし、われわれの父祖は、さうした外圧のさなかにあって、大変革を断行して國内体制を整へ、民族の独立を維持した。それが明治維新である。明治維新は、西欧列強の日本侵略の危機と徳川幕府の皇室軽視・封建支配といふ内憂外患を打開するため「尊皇攘夷」を基本理念として断行された大変革であった。

わが国は、明治維新断行以後、憲法を公布し、議会を開設し、近代国家への道を歩んだ。「富国強兵・殖産興業」を合言葉にして、軍事面経済面でも大発展を遂げた。

 

日露戦争の勝利は、米英をはじめとした西欧列・白色人種に虐げられてゐたアジア・アフリカなどの有色人種に大きな希望をもたらした。アジアの中でよく独立を維持しさらに近代化を遂げ、発展した唯一の国である日本は、欧米列強の植民地支配からアジア諸国諸民族を守る大きな盾となったのである。

 

アメリカは日本の強大化を恐れ、日露戦争直後の明治三十七年に、対日戦争計画たる『オレンジ計画』を立てた。アメリカといふ國は、開拓精神にも得た人々によって建国されたといはれてゐるが、この『開拓精神』とは他人の土地に入って行ってそこを占拠し自分たちのものにするといふことである。北米大陸そのものがもともと先住民族(いはゆるインディアン)のものだっのである。そしてハワイ・グァム・フィリッピンと西に進み、シナ大陸に入り込もうとした。ところが、その前に立ちはだかったのが日本だったのである。

 

わが国は、米英及びソ連によって戦争に追ひ込まれたのである。日本を戦争へと追ひ込んだのはソ連である。名目上は世界の共産化、実際には自国の権益の拡大・領土拡張を目指し、さらには日露戦争の仇を討ちたいソ連は、日本を取り潰す策謀を展開した。

 

曽野明氏(元外交官)は、「昭和七年(一九三二年)八月~九月のコミンテルン第一二回総會が行なった…決議には…米英仏日独といった『帝國主義列強』を互いに対立させ、戦争に追い込め、という戦略指令であった。日本について言えば、①日本を米國との戦争へ追い込め、②日本がソ連を攻撃するのを阻止せよ、ということであった。ソ連共産党の謀略機関も、ソ連政府の外交機関も、この目標に向けて一斉に活動した。ゾルゲ機関は、日本の政治中枢や軍部へ浸透をはかり(当時の青年将校の思想は、いわば『天皇制共産主義であった』であった)、米國との対決路線に追い込み、また、マスコミにも、國粋主義、排外主義(『鬼畜米英』)を吹き込んだ。一方、米國内では、排日機運の盛り上げが工作されていた。…『中立条約』の締結があったので、日本國民は『北辺の安寧』が保障されたと安心した。かくて、日本軍部の進路は米()との対決以外になくなったし、したがって日本がナチスドイツと呼応してソ連を挟撃する恐れもなくなった。ゾルゲ機関を駆使したソ連共産党の謀略は完全に成功したのである」と書いてゐる。

 

倉前盛通氏は、「尾崎秀実が対中国強硬論者の一人であったこと、対米開戦を最も叫んだ人間であったことは、戦後、故意にもみ消されて、あたかも平和の使者であったかのごとく、全く逆の宣伝が行われている。…日本が大陸にのめりこんで、国家の大方針を誤ったのは、①陸軍が、一九二〇年頃からドイツ型大陸地政学にかぶれ、大陸政策に深入りしたこと。②日本の目を大陸に向けさせ、海軍力の充実に回す予算を少なくさせようという米国の陰謀が裏にあったこと。この二つに大きな原因を見出すことができよう。…二・二六事件によって、『蒋介石と和解し、対ソ作戦の準備に力を入れよう』と主張する人々のほとんどが陸軍内部から排除され『シナ大陸への侵攻』を考えるグループによって陸軍の主導権が握られた…ここにも日中を戦わせようとする米ソ双方の巧妙きわまる陰謀工作が伏在していた」(『悪の論理』)と論じてゐる。

 

ソルゲと尾崎などのコミンテルンのエージェントたちは、当時わが國内で澎湃と湧き起こって来てゐた「國家革新」「東亜解放」といふ正義の主張をたくみに利用して、日本がソ連よりもアメリカ・イギリスを主敵とし、ソ連と戦ふよりも「米英を撃つべし」といふ世論を煽った。『革命の祖國・ソ連』を守る為に日本を「北進」させてはならず、そのために「南進論」を煽ったのである。また、日本と蒋介石政権の和平を図る動きを妨害したのもゾルゲと尾崎である。

 

尾崎を側近にした近衛文麿氏は、社会主義に共感を覚えてゐた人であり、マルクス主義経済学者である河上肇を慕って東京帝大哲学科から京都帝大法科に移ったといふ経歴の持ち主である。近衛氏は、「防共反ソ」よりも「英米駆逐」に力を入れ南進論を主導した。わが國と蒋介石政権が全面戦争に突入した原因である西安事件も蘆溝橋事件も、ソ連と中共の謀略であったことは今日明らかになってゐる。

 

かくて、日本軍部の進路は米英との対決以外になくなり、日本がナチスドイツと呼応してソ連を挟撃する恐れもなくなった。ゾルゲ機関を駆使したソ連共産党の謀略は完全に成功したのである。

 

つまり、わが国は米英とソ連とによって挟撃される事態となった。勿論、日本に全く誤りはなかった、国家エゴはなかったとは言へない。しかし、大局的に見れば、わが国は、米英及びソ連によって戦争に追ひ込まれたのである。

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