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2015年7月31日 (金)

天皇は民族の独自性・求心力の核であったが、同時に開放性・変革性の中心でもあった

 倉前盛通氏は日本文化の独自性の保持能力のことを『情報制御装置』と表現して次のように論じておられる。「国家も生物と同じように、自動制御装置なしには生き残れない。日本において、このような自動制御装置の源泉になったものは、…日本民族固有の高度化された“自然祭祀”であった…何でも新しいものに飛びつく新しがり屋であり、何でも外国のものを崇拝する外国かぶれの癖があり、…外国の単語を会話の端にはさんで喜んでいるような、まるで自主性のない民族に見えながら、日本人ほど古代からの共同体祭祀を守り続けてきた民族はない」(『艶の発想』)。

 

 この信仰共同体の祭り主が天皇であらせられる。外来の文化も思想も、日本の独自性・日本の伝統信仰が厳然としてあるがゆえに寛容に包容したのである。日本の独自性を保守し伝統を大切にすることが、外国から新しいものを取り入れる素地だったのである。日本伝統精神はあくまでも護り抜くという自主精神が、如何なる外来文化をも受入れそれを包摂・融合する拠り所となっていたのである。その自主精神の体現者が天皇であらせられる。

 

 日本の独自性を保守し伝統を大切にすることの中心点に千古一貫して皇室の存在があった。日本の最も古き伝統の保持者たる皇室が新しき外来文化文明を消化したのである。

 

 三世紀に大陸から多くの文明が渡来した。それはまず皇室にもたらされ、やがて全国に普及した仏教がその最もよい例である。天武天皇は、天武天皇二年(六七三)に、壬申の乱の戦没者慰霊のため、飛鳥の川原寺において一切経の写経をなさしめた。天武天皇は、『古事記』の編纂を命じられ、日本伝統神道を基本にした国家体制の整備を行われた。しかし一方でこうして外来宗教たる仏教も重んじられた。以後、朝廷においては儒教・仏教という外来宗教・思想そしてそれに基づく様々な制度を用いるようになった。

 

 とりわけ仏教は、皇室によって全国に普及した。持統天皇の御代(西暦六八六~六九六)に全国に六四八の寺院がつくられた。天平十三年(七四一)には、聖武天皇により全国に国分寺・国分尼寺建立の勅命が下された。また東大寺大仏の造立も行われた。このように仏教は日本伝統信仰の祭祀主である天皇によって公認され全国に広められた。

 

 天皇及び皇室は、日本の保守の中心であるとともに革新の中心でもあったのである。明治以後の近代化も、『五箇条の御誓文』を拝しても明らかなように日本文化の保守の中心である天皇の大号令によって行われた。日本的変革即ち維新の原理が<復古即革新>とされるのは実にこういうことなのである。そして大化の改新・明治維新を見れば明らかな通り、日本の変革のすなわち維新の原点には常に天皇がいましたのである。

 

 日本の文化伝統は決して偏狭なものではなく、大らかにして開放的、そして革新の気に満ちたものである。そして日本天皇は民族の独自性・求心力の核であったが、それと同時に世界性・開放性・変革性の中心でもあったのである。

  

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千駄木庵日乗七月三十一日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など

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2015年7月30日 (木)

日本文化の包摂性と皇室

 日本民族が異文化との交流を持つ以前の時代の精神、即ち純日本精神ともいうべき精神は、異文化との交流が活発になり日本民族が異文化の影響を強く受けるようになっても決して消滅することはなかった。消滅するどころかますます強靱になっていった。

 

 日本は多くの外来思想を摂取したが、決して無批判取り入れたのではない。むしろ日本の主体性・独自性を高めるために外来思想を借用したといってもいいくらいである。

 

 日本の農耕文化を基底にした信仰共同体の祭り主・日本天皇が、日本の文化的・宗教的中心に存在したという尊い事実が、日本が実に積極的に次々と大陸から外来文化を受け入れても、日本の独自性を喪失しなかった最も大きな原因である。天皇及び皇室が日本文化の独自性の核として不動に存在していたがゆえに、外来文化を積極的に受入れ融合しても日本の独自性を喪失することはなかったのである。

 

 山口悌治氏は「主体性と開放性を両面に持った日本民族の精神構造。…その構造の『核』となってゐるものが、日本民族の神話なのである。…特殊性と普遍性といってもいいし、…ナショナルなものとインターナショナルなものとの関係ともいへる。…これらは次元を異にして互ひに矛盾してゐるものではない。本来一つのものが二つに分れて機能し、二つの機能が一つに作用し合って生々発展の無限の契機を生み出すのである」「(日本人が・注)仏教を生きるとは、インドをおのれの祖先と感ずることではなくて、仏法をこの国に実現して仏国土となすことだったのである。儒学を骨肉とするとはシナをおのれの祖先と感ずることではなくて、王道国家をこの国に現成するといふことだったのである。」(萬葉の世界と精神)と論じておられる。

 

 この主体性と開放性を両面に持った日本民族の精神構造の『核』となってゐる日本民族の<神話>とは、『古事記』『日本書紀』という文献にのこされている神話のみではなく、今日に生きている神話である<祭祀>とりわけ<天皇の祭祀>でもある。信仰共同体日本の祭り主・日本天皇の御存在が、特殊性と普遍性、ナショナルなものとインターナショナルなものを統一し包み込む中心であり、日本文化の包摂性の原点である。

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千駄木庵日乗七月三十日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、書状執筆、原稿執筆、資料の整理など。

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この頃詠みし歌

 

やすらぎて眠らんとすれど冷蔵庫の音が響きて妨げにけり

 

パチンコ屋より出で来し老婆の険しき眼 一体いくら損したと言ふか

 

錻力屋といふ看板をめづらしみ見つつ谷中の夕暮をゆく

 

牧水の白鳥の歌を朗々と吟ぜし人は今すでに亡き

 

根岸なる子規庵に来て藤の花の歌思ひつつ庭を眺むる

 

實朝の悲しき歌を口ずさみ八幡宮の石段をのぼる

 

あかね雲夕暮の空に広がりて束の間に夜の帳下りたり

 

台風が近づく日の午後 青空がほの見えてなほぞ心騒立つ

 

坂をのぼり来たれる床屋で鬱陶しく伸びし毛髪を刈りてもらへり

 

夏の日は髪の毛を短く刈り上げて さはやかに過ごすを喜びとする

 

インクとか萬年筆との縁が切れただひたすらにキーを叩きゐる

 

靖國のみやしろに人々多く来て御霊拝ろがむことの尊さ

 

我もまた尊き命を国のため捧げし人々を拝ろがまつる

 

靖國の宮居のベンチで支那人が語り合ひゐるをいぶかしみ見る

 

昭和といふ時代に生きし人々の歌懐かしみ今宵讀みゐる

 

過ぎゆきし時を思へり三十年前の短歌雑誌の歌を讀みつつ

 

歌讀めば面影浮かぶ懐かしさ 逝きにし人の魂(たま)の訴へ

 

坂道を下れは根津の街となり酒場の灯りが我を誘へり

 

巷といふ言葉の似合ふ根津の街 夕暮時の人の賑はひ

 

久しぶりに満員電車に揺られをり大手町駅より千駄木の間

 

蒸し暑き日に降り出せし雨に濡れ シャワーを浴びたる心地するなり

 

苦しみて往きにし父の写し絵に真向かへば今更に悲しみ深し

 

安らかに眠りたまへと祈りつつ苦しみし父の遺影を拝む

 

老人医療のむごき現実を身にしみて知りたり父母の老いと病で

 

胃瘻などせぬ方が良かったと今さら悔いても詮方も無し

 

胃瘻せし父を偲べり苦しみを延ばせしのみかと悔いる心に

 

白衣の天使といふ言葉などは嘘なりと思ふことありしこの十年間

 

老舗なるとんかつ屋に一人座りつつ肥満を恐れず食しゐるなり

 

忘却とは忘れ去る事なりといふ言葉この頃妙に浮かび来るなり

 

心こめ手紙を書きたりこの國を憂ひゐる人への返り言として

 

一杯のビール飲み干しさてこれからうまき物をば食さんと思ふ

 

バス待てばやがて来たれるものなれば人々は列をなして待ちゐる

 

似非憲法護りて国を滅ぼさんとする輩あり「九条の会」

 

政治スローガンの如き歌は好まねど怒りの心から出づる言葉か

 

泣き叫ぶ辻元某女日本の女性の恥と自らを知れ

 

政治家の質の低下といふ言葉この頃しみじみとうべなひてゐる

 

とくとくと政府攻撃する議員の醜き顔がテレビに映る

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千駄木庵日乗七月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆。

この後、施設に赴き母に付き添う。

午後六時半より、赤坂にて、三人の同志と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2015年7月29日 (水)

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十七年八月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。
 

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

 

購読料
年間 12000
半年 6000

 

平成二十七年八月号(平成二十七年七月二十日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

『記紀萬葉』に示された「日本國體精神」と「近代成文憲法」

 

『古事記』に示された國體精神

 

『日本書紀』に示された國體精神

 

『萬葉集』に歌はれた日本國體精神

 

『大日本帝國憲法』に示された國體精神

 

『現行占領憲法』の「天皇条項」について

 

この頃詠みし歌

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2015年7月28日 (火)

黒田勝弘産経新聞ソウル駐在特別記者兼論説委員による「国交正常化五〇年ー日韓関係の過去・現在・未来」と題する講演内容

五月九日に行われた『アジア問題懇話会』における黒田勝弘産経新聞ソウル駐在特別記者兼論説委員による「国交正常化五〇年ー日韓関係の過去・現在・未来」と題する講演内容は次の通り。

 

「『韓国は疲れるよね』という事らしいのである。反韓・厭韓感情がそうさせる。私が韓国に行って三十数年になる。私は昭和十六年生まれなので今年七十三歳。韓国に毎日住んでいる。朝から晩まで韓国のテレビ・新聞の日本批判ばかり見ている。二十四時間韓国にいるだけに反日だけではない情報もある。セオウル号事故の時も『日本ではこういう事は起きない。日本の経験を参考にして、自分たちもこうすべきだ』という報道や情報も沢山流されている。経済問題でも然り。そういう部分で癒される。日本を先進国と見ている。日本を乗り越えたとは思っていない。日常生活では『日本に学べ』というところがある。

 

韓国の『反日』の反作用で日本は『厭韓・嫌韓』になっている。メディアやネットの反日情報が日本の主な韓国イメージになっている。だから『韓国は疲れる』ということになる。これは仕方がないしどうにもならない。韓国人は日本に疲れていない。韓国人は『日本は誤った歴史認識を持って世界で大きな顔をしている』と思っている。

 

慰安婦問題の誤報の原因は『朝日新聞』の過剰な贖罪意識にある。朝日新聞の植村隆記者が慰安婦第一号の金学順という老婦人のことを最初に報道。金学順はピョンヤンのキーセン検番に売られた。十八歳になって養父に中国に連れて行かれ、売られた。そして客を取った。その客がたまたま日本兵だったということ。三か月でやめてコリアンの男性と結婚。これを従軍慰安婦として日本が何処までも責任を持つべきなのか。養父が中国に連れて行って売ってしまったという事は書かない。

 

私が韓国に関心を持ったきっかけは一九七一年八月に最初に韓国に行ったこと。過剰な贖罪意識では見えないところがある。従軍慰安婦問題は韓国人の業者が騙して連れて行ったというのが圧倒的。『日本軍が管理しているから大丈夫』と言って連れて行った。贖罪史観ではそういう事は出てこない。誇張される部分がある。対中・対韓外交に影響を及ぼす。

 

韓国は『日本の良心的勢力と連帯する』と言うが『良心的勢力』とは『朝日新聞』。昔は『産経』が良心的メディアだったが今は『朝日』が良心的メディア。加藤君(注・産経新聞の加藤達也前ソウル支局長)の事件は、韓国政府は国内メティアとは喧嘩できないが、日本メティアはいじめやすいから起きた。欧米メディアとも喧嘩できない。加藤君をスケープゴートにして国内メディアに警告した。日本のメディアが韓国に最も影響力が大きい。日本メディアの報道が逆流して韓国に伝えられる。韓国社会に対して日本の影響力は強い。

 

朴槿惠大統領が理事をしていた団体と同じビルに産経の支局があり、エレベーターで挨拶もしたし付き合いもあった。しかし彼女は人間嫌い。とくに政治家を信用しない。朴正煕が亡くなった後、取り巻き連中から裏切られた。彼らが朴正煕時代を否定・批判しバスを乗り換えようとしたことが朴槿恵のトラウマになった。権力に近づいて来る人を信用しない。人を信用しないために孤独。部下の報告も書面で上げさせる。直接会わない。世間も狭く人材の幅も狭い。子供の頃は大統領官邸で生活。首脳会談や国際会議に出ると最高。語学が出来て物怖じしない。堂々としている。名誉大統領ならいい。しかし、実際の政治はできない。政治的リーダーとしては今一。就任後二年半たっても何の業績も無い。朴槿恵は中国経由で北を動かしたい。

 

日韓関係五十年で日本が韓国の発展に如何に寄与したかを日本側が主張しなければならない。韓国の教科書で日本の貢献を書いているのは一冊のみ。それも一行だけ。その教科書を採用した高校は全国で三校のみ。韓国の教科書も左翼的。だから日本側から言ってやらねばならない。南北の経済力格差は二十対一。南北格差は、日本との関係の違い。北は日本との関係を拒否。韓国は早くから日本と協力関係。

 

韓国は中国に呑みこまれつつある。地政学的・歴史的に韓国は身過ぎ世過ぎで中国に挨拶をせざるを得ない。利の為にそうせざるを得ない。一般国民は中国が嫌い。中国人も韓国が嫌い。韓国の中華料理はまずい。韓国人は中国文化を評価していない。中国への関心・憧れは少ない。しかし中国のパワーを見ると恭順の姿勢を示さねばならない。引っ越しできない相手なのだから新しい価値を見つけて付き合うべし」。

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千駄木庵日乗七月二十八日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、原稿執筆。

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『伝説の洋画家たち 二科100年展』参観記

七月十九日に参観した東京都美術館で開催中の『伝説の洋画家たち 二科100年展』は、「本展覧会は、1914(大正3)年に結成された二科会主催の美術展覧会「二科展」が、2015年に第100回目を迎えるのを記念し、開催するものです。本展は東北から九州まで70を超える日本全国の美術館や所蔵家が所蔵する名品を集めました。日本近現代美術史に名を残す作家の名作を一度に鑑賞できる貴重なチャンスです。約100人の傑作をお楽しみください。安井曾太郎、東郷青児、小出楢重、林武、村井正誠、吉原治良、吉井淳二、織田廣喜、鶴岡義雄など…名だたる画家たちも二科展からスタートしました。画家として認められるべく研鑽した時期の巨匠の画壇デビュー作が一堂に会します。今回の展覧会で紹介する作品は、すべて二科展出品作です。戦争による焼失、行方不明などにより、出品作を探し出す作業は困難を極めましたが、本展では二科展出品作にこだわり、100年間続く二科展の気風を再現しました」(案内書)との趣旨で開催された。

 

 二科展の母体となる二科会は、日本洋画の革新と創造を目指し大正3年、文部省美術展覧会(文展、現・日展)から分離し、在野の美術団体として結成され、有島生馬、石井柏亭(はくてい)、坂本繁二郎、梅原龍三郎ら若き気鋭の画家によって同年スタートした二科展は、多くの才能ある作家の発表の舞台となったという。

 

東郷青児《超現実派の散歩》《ピエロ》 岡本太郎《重工業》 古賀春江《素朴な月夜》 国枝金三《 栴檀の木の家》 鍋井克之《春の浜辺》 有島生馬《鬼》 林武《本を持てる婦人像》 淀井敏夫《聖マントヒヒ》 藤田嗣治《メキシコに於けるマドレーヌ》 中原實《モリジアニの美しき家婦》 佐伯祐三《リュ・プランシオン》《新聞屋》 石井柏亭《麻雀》 長谷川利行《酒売場》 岸田劉生《静物》 清水刀根《黒衣の女》 安井曽太郎《玉蟲先生像》などが印象に残った。

 

藤田嗣治と佐伯祐三の作品にどうしても注目してしまう。それだけ迫力がある。私は東郷青児の絵はあまり好きではなかった。ある化粧品メーカーの包装紙のデザインが印象に残っているためか、絵画というよりも模様・デザインのように思っていた。しかし今回鑑賞した『ピエロ』という作品は哀愁が感じられ訴えるものがあった。二科展は文部省美術展覧会であった日展から分離して結成されたというだけあって、在野の精神というか、自由で奇抜な作品が多いように思えた。

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「天神地祇」について

 天の神と地の神のことを「天神地祇」と申し上げる。わが國の神は天の神・地の神、陽の神・陰の神に系統が分かれてゐる。『古事記』冒頭に「天地の初発の時、高天原になりませる神の御名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ) 。次に神産巣日神(かみむすびのかみ)」と記されてゐる。この三神を造化の三神といふ。天地宇宙の根源の神であり生成の神である宇宙大生命の神といってもよい。高御産巣日神は陽の神であり、神産巣日神である。

 

 そして、國土生成の神であられる伊耶那岐命・伊耶那美命は、伊耶那岐命が男性神・陽の神であり、伊耶那美命が女性神・陰の神である。伊耶那岐命が筑紫の日向の小門の阿波岐原で身禊をされた左の目を洗はれた時になりませる神が天照大神である。鼻を洗はれた時になりませる神が須佐之男命である。

 

 天照大神の系統の神様が天の神である。天照大神の御孫であらせられ、地上に天降られて地上を統治される神が、皇室の御祖先である邇邇藝命である。また、天照大神の弟君である須佐之男命の系統の神様が地の神である。須佐之男命の子孫の神が國土の神であり邇邇藝命に「國譲り」をされた大國主命である。そして、神武天皇をはじめとした御歴代の天皇は、天の神・地の神の霊威を身に帯びられて國家を統治されて来てゐる。

 

 全國各地に、天照大神をお祀りした神社、須佐之男命をお祀りした神社があるやうに、わが國民は、天の神・地の神即ち天神地祇を共に敬って来た。農耕生活を営む上において、天の恵み(太陽)と地の恵み(土と水)は欠かすことができないので、わが國の祖先は天神地祇を篤く信仰したのであらう。

 

 日本人は、天の神・地の神を対立して考へず、一体のものとしてとらへた。天の神・地の神として全てを包み込んでしまひ、漏れ落ちることがないといふのが日本人の伝統信仰である。

 

 地の神である須佐之男命も、天の神である天照大神の弟神であられる。天の神も地の神も根源的には姉と弟であり「はらから」なのである。そして、須佐之男命は、天照大神に反抗して高天原で大暴れするけれども、出雲の國に天降ると、豊饒の神となって、民を助ける。日本人は「天と地」・「善と悪」を厳しく峻別するといふ考へ方はなく、「悪」も見直し・聞き直しをすれば「善」となるといふ寛容にして大らかな精神を持ってゐる。

 

 

 キリスト教などの一神教では天と地とは隔絶した存在であり、人間がこの世から天國へ行くのは簡単ではない。イエス・キリストを神の一人子として受け容れ、信仰し、他の宗教を捨て、原罪を悔い改めなければならない。

 

 わが國の伝統信仰においては、前述したやうに、天と地とは隔絶した存在ではないととらへてきた。それはわが國が四方を海に囲まれてゐて、水平線をよく見ることができる。水平線の彼方は海(天)と空とが一体になっている。ゆえに空のことも「天(アマ)」といひ、海のことも「アマ」といふ。日本人は、天地は一如であると観察してゐたのである。

 

 天の神・地の神(天神地祇)は截然と区別できるわけではない。三輪山にも葛城山にも神様がおられる。山の神は本来地神であるが、三輪山は大和地方における太陽信仰の山であり、その麓には元伊勢と呼ばれる天照大神をお祀りした檜原神社がある。この神社のあるところは、天照大神が伊勢に鎮まります前にお祀りされてゐたところといはれてゐる。

 

 日本民族の神観は柔軟であり、幅が広く奥行が深い。悪神が善神になる。そこが日本伝統信仰の特徴で、とらはれないし硬直した考へ方ではない。日本の神の定義について本居宣長は、「尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(カシコ) きものを神とは云ふなり」と述べてゐる。

 

 キリスト教の神と日本の神との大きな違ひは、キリスト教の神は天地の創造主として人間を造るのであるが、日本の神は國土や人間を生むのである。そしてキリスト教の唯一絶対神は「天にまします我らの父」であって、普通の状態では人間は神に近づき難い存在であり隔絶した存在である。また地上と天國も隔絶してゐて、地上から簡単に天國に行くことはできない。

 

 ところが、日本の神は、國土や人と血族関係にある。天地に遍満したもうのが日本の神である。また、今の代と神代、地上と高天原は互ひに交流してゐる。それどころか、「今即神代」即ちこの世がそのまま神代であるといふ信仰がある。神も単に天におられるのではなく、地上にもおられるのである。

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千駄木庵日乗七月二十七日

午前は、諸雑務。

昼は、母校二松学舎大学の後輩と懇談。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2015年7月27日 (月)

日本武尊と太刀・剣の神聖性

 日本武尊は、御父君・景行天皇の御命令で東夷の反乱を水火の難を冒して平定し給ひ、その御東征の帰途、尾張で結ばれた美夜受姫(みやずひめ)のもとに、草薙の剣を置いて出発される。そして、伊服岐山(いぶきやま)の神を平定されようとするのだが、剣を置いてきたことが命の運命を悲劇にする。そして、能煩野(のぼの・今日の三重県鈴鹿郡)で病となられ薨じられる時、

                     

孃子(をとめ)の 床の辺()に 吾()が置きし つるぎの大刀(たち) その大刀はや   

 

 といふ歌を詠まれた。「乙女の床のそばに私の置いてきた太刀、あの太刀よ」といふほどの意。その草薙の剣を美夜受姫は永く祭られる。その神社が熱田神宮である。

 

 日本武尊のこの御歌について、萩原朔太郎氏は、「ホーマー的ヒロイックな叙事詩(英雄詩)の情操と、ハイネ的スヰートな叙情詩(恋愛詩)の詩操と、二つの對蹠的な詩情が、一つに結合融和して現はれてゐる。そしてこの一つの精神こそ、所謂『戰にも強く戀に持つ良い』天孫大和民族の原質的な民族性で、奈良朝以後に於ける日本武士道の本源となってゐる。」(朔太郎遺稿)と論じ、保田與重郎氏は、「武人としてのその名顕な日本武尊の辞世にむしろ耐へがたい至情を味ふのである。わが神典期の最後の第一人者、この薄命の武人、光栄の詩人に於ては、完全に神典の自然な神人同一意識と、古典の血統意識とが混沌してゐた。」(戴冠詩人の御一人者)と論じてゐる。                      

 

 須佐之男命も日本武尊もわが國の武人の典型であられると共に、わが國の詩人の典型であらせられた。まさしく「剣魂歌心」がわが國の伝統なのである。そしてその心は皇室によって継承されてきたのである。大伴家持もこのやうなわが國の武人・詩人の伝統を継承した。

 

 わが國の武士は太刀を「力と勇気と名誉と忠誠の表徴」として尊んだ。そればかりでなく太刀は神聖なものとして尊ばれた。太刀を御神体とする神社もある。日本武尊が「床の辺に 吾が置きし つるぎの大刀」と歌っておられるやうに、太刀は床の間に置かれた。太刀に対する侮辱はその太刀の持ち主に対する侮辱とされた。刀鍛冶は単なる工人ではなく、神聖なる職に従事するものであった。刀鍛冶は斎戒沐浴して工を始めた。太刀を作ることは神聖な宗教的行事とされた。

 

 太刀(タチ)の語源は、「断ち」であり、「顕()ち・現()ち」である。罪穢を断つと共に、罪穢を断った後に善き事を顕現せしめるといふ言霊である。罪穢を祓い清めた後、神威を発動せしめる意である。太刀によって邪悪を滅ぼし、穢れを清め、本来の清らかさを顕現せしめるのである。

 

 太刀は「幾振り」と数へられるやうに、魂ふり(人の魂をふるい立たせ活力を与へ霊力を増殖させる行事)のための呪具でもあった。日本の剣は人の命を絶つための道具ではなく、人の命を生かす道具なのである。まさに「活人剣」なのである。

 

 太刀・剣には魂が籠ってゐると信じられ、太刀を授受することは精神的・魂的な信頼関係が成立したことを意味する。敗者から勝者へ太刀・剣が奉られるのは、恭順の意を表する象徴的行事である。小野田寛郎氏がそれを行ったことは多くの人が記憶してゐるところである。小野田氏がルパング島で発見された後、当時のフィリッピンのマルコス大統領に軍刀を差し出した。軍人の魂であるところの軍刀を差し出すといふことは恭順の意を表するといふことである。小野田氏は昭和の御代において武人の伝統を継承した人物だったのである。

 

 さらにいへば、「タチ」は「タツ」と同じ語源であり、それは「龍(タツ)」である。龍神は水の神であるから、水のよく出る山奥には龍神の祭った神社が多い。蛇を祭った社(やしろ)も水の神である。道を歩いてゐて、蛇を見ると光ってるやうに見える。「龍」や「蛇」は長くて光る動物であるので、「刀」とよく似てゐる。ゆえに「刀」は「龍・蛇」を連想させる。また、雷が鳴ると必ず雨が降る。だから水の神と雷神とも近い関係にあると考へられた。雷の稲妻は、光を放つので太刀を連想した。このやうに、「刀」「龍」「蛇」「水の神」「雷神」はきはめて近い関係にあるものと信じられた。

 

 須佐之男命が八俣の大蛇を退治した時、大蛇の尻尾から出て来たのが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・後の草薙の剣)である。八俣の大蛇は出雲の國を流れる斐伊川のことだとされ、大蛇が暴れるのは斐伊川の氾濫であり、大蛇に食べられそうになり須佐之男命に助けられた稲田姫とは稲田の人格化といふ説がある。

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千駄木庵日乗七月二十六日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

午後六時より、春日の文京シビックセンターにて、『第五十三回 日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会国民儀礼の後、。渡邊昇氏が主催者挨拶。小生が「戦後はまだ終わらないのかー大東亜戦争侵略論の払拭と現代の変革」と堕して講演。活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、書状執筆など。

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2015年7月26日 (日)

 「名を惜しむ心」と「清明心」が日本人の倫理の基本 

「名を惜しむ心」「名誉を尊ぶ心」は日本人の重要な倫理観である。日本民族は名誉を重んじ名がすたることを恥じる心が強い。そして恥辱を嫌ふ。人の子と生まれて来た者は家の名・祖先の名を尊ぶ。家の名・祖先の名を汚されることを最も嫌ふ。それは武士に限ったことではない。一般庶民もしかりである。家名を重んじたのは武士だけではない。だから日本文化は「名と恥の文化」といはれる。『仰げば尊し』といふ歌には、「身を立て名をあげやよ励めよ」とある。 

 

さらに日本人の重余蘊倫理観は、「清らかさ」「清浄さ」を大切にする心である。これを「清明心」(清く明るい心)といふ。天照大神が天の岩戸からお出になられた時、八百萬の神々は一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へたと伝へられてゐる。明るく、さはやかに、清らかに生きるのが、わが日本人の理想だったのである。

 

天武天皇十四年(西暦六八五)に定められた冠位の制(官人の位階)では、「明位」「浄位」が上位に置かれた。御歴代の天皇の『宣命』(漢文体で書かれた詔勅に対して、宣命体で書かれた詔勅のこと。宣命体とは、体言や用言の語幹は漢字で大きく、用言の語尾や助詞などは万葉仮名で小さく書いた)には、「明」と「浄」という言葉がことにしばしば使われてゐる。

 

このやうに、わが國は伝統的に「明らかさ・清らかさ」が最高の美徳とされてゐた。平田篤胤は、「そもそもわが皇神のおもむきは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)」ふと論じてゐる(『玉襷』)。

 

政治家に対して清廉潔白さが求められるのは、東洋においてはわが國が最も厳しい。ただしそれは、本来、堅苦しい窮屈な道徳観念ではなく、明るくさはやかな心でなければならなかった。

 

日本人は、清いことは善いことであり、汚いことは悪いことであると考へて来た。日本人は人間の価値基準を「善悪」といふ道徳観念には置かず、「浄穢」といふ美的価値に置いたともいへるのである。日本人は、「きたない」といふことに罪を感じた。

 

故に、神道では「罪穢(つみけがれ)」といって、道徳上・法律上の「罪」を「穢」と一緒に考へた。神道では、罪穢を祓ひ清めることが重要な行事なのである。禊祓ひをすることが神を祭る重要な前提である。身を清らかにしなければ神を迎へることはできないのである。人類の中でお風呂に入るのが好きな民族は日本民族が一番であらう。

 

実際、日本人にとって、「あいつはきたない奴だ」「やり方がきたない」と言はれることは、「あいつは悪人だ」と言はれるよりも大きな悲しみであり恥辱である。また、「あなたは善人だ」と言はれるよりも、「あなたの心は美しい」「身の処し方がきれいだ」と言はれる方に喜びを感じる。

 

徳川家康や吉良上野介があまり日本人に好かれないのは、「やり方がきたない」といふイメージが定着してゐるからであらう。

 

悪人とか善人といふのは場合によって転倒する可能性がある。といふよりも、わが國の祖先は徹底的な悪人・悪魔といふ存在を考へることをしなかったのである。日本神話には西洋のやうな悪魔は存在しない。日本民族は本来清らかな民族なのである。

       

以上述べてきた如く、日本人の道徳・倫理観には名を惜しむ心と清明心が大きな位置を占めてゐる。そしてその二つの倫理観の根底にあるのは、天皇に仕へまつる「赤誠心」である。

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千駄木庵日乗七月十八日

午前は、諸雑務。

午後は、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

この後、隅田川花火鑑賞。

帰宅後も、講演の準備。

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2015年7月25日 (土)

第五十三回日本の心を学ぶ会

大東亜戦争の意義と戦後七十年を考える



本年は、戦後七十年という節目の年です。七十年という歳月の長さは、大東亜戦争の時代を実際に生きた方々、大東亜戦争を体験的に語れる方々が減少し、大東亜戦争の意義と真実が正しく継承されなくなるおそれがあります。


日本国民の多くが、大東亜戦争の意義と真実ついて正しく認識できなくなった原因は、終戦直後のGHQによる意図的な工作の結果であります。


GHQ
はマスメディアの事前検閲を行い、三十項目にも及ぶ検閲項目の中には「連合国への批判」や「戦争の擁護」の禁止など大東亜戦争の意義に関わるものが入っています。さらに「大東亜戦争」の語はすべて「太平洋戦争」 と書き換え、「真相はかうだ」「真相箱」などラジオ番組を通じた日本国民への洗脳工作を行いました。


このような日本人への「精神的武装解除」を目的としたGHQによる洗脳工作は成功し、戦後70年たった現在も自虐史観、反日思想という形で強い影響力を残しております、そして我々は未だにこのような精神の占領政策を克服できておりません。


そこで今回の勉強会では大東亜戦争の意義と戦後七十年について考えてみたいと思います。


天皇陛下は宮内庁より発表された新年にあたってのご感想について
「本年は終戦から七十年という節目の年にあたります。多くの人が亡くなった戦争でした。各戦場でなくなった人々、広島長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などによりなくなった人々の数 は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び今後の日本のあり方を考えていくことが、今きわめて大切なことだと思っています」と仰せになっております。


戦後七十年を経過し、日本の周辺の脅威はかつて無いほど高まっております、安保法制の議論が騒がしく今後の日本のありかたが問われている今こそ、大東亜戦争と戦後70年について考えることは有意義であると思います。
多くの方々のご参加をお願いします。


【日 時】平 成27年7月26日(日)午後600分より

 

【場 所】文京シビックセンター 三階 会議室C

東京都文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1
JR
総武線水道橋駅(東口)徒歩9

【講 演】

「『戦後』は何故終らないのか? 『大東亜戦争侵略論』の払拭と現代の変革」四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

          〇

 

この案内文は、主催者が作成したものです。

 

 

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大東亜戦争は自存自衛のための戦ひ・大東亜民族の独立を達成した戦ひであった

 

昭和天皇は、わが國が戦争に追ひ込まれて行った原因について、「原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに十分な物である。」「総理になった東條は、九月六日の午前会議の決定を白紙に還すべく、連日連絡会議を開いて一週間、寝ずに研究したが、問題の重点は油であった。…実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追込んだものである。かくなつた以上は、万一の僥倖に期しても戦った方が良いといふ考が決定的になったのは自然の勢と云はねばならぬ」(『昭和天皇独白録』)と仰せになってゐる。

 

鈴木貞一氏はテレビで、「資源が無いのに何故アメリカと戦争をしたのですか」との質問に対し「資源が無いから戦争をはじめたのだ」と答へてゐたと記憶する。

 

開戦前のアメリカによるわが国への圧迫は、①対日通商條約の一方的破棄(昭和十四年七月)②航空燃料の輸出禁止(昭和十五年七月)③屑鉄の輸出禁止(同年五月)④在米全日本資産の凍結(昭和十六年七月)⑤石油の全面禁輸(同年八月)といふものであり、まさに真綿で首を絞めるやうなことをして来たのである。

 

さらに、昭和十六年十一月二十六日、わが軍の仏印・支那大陸からの撤退、王精衛の南京国民政府及び満州国の否認、日独伊三国同盟の死文化を求める米国務長官コーデル・ハルの最後通牒=「ハル・ノート」を突き付けてきた。この「ハル・ノート」をについてパル判事は、「同じような通牒を受け取った場合、モナコ王国やルクセンブルグ大公国でさえも合衆国に対して戈をとって起ちあがったであろう」(『パル判決書』)と書いてゐる。

 

アメリカはわが国に対し真綿で首を絞めるやうなことをして来たのであり、わが国は、まさに「開戦の詔勅」に示されてゐる通り「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ頻セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」といふ状況に立たされたのである。

 

佐藤優氏は、「日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。日本は当時の国際社会のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に追い込まれていったのである。あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないか」(『日米開戦の真実』)と論じてゐる。

 

対米英戦争がわが國の自存自衛の戦ひであったことは、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、米上院外交合同委員会で、一九五一年五月三日、「原料の供給を断ち切られたら、一千万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」と証言したことによっても明らかである。

 

東條英機元総理はその「遺言」において、「英米諸国人ニ告グ…諸君ノ勝利ハ力ノ勝利ニシテ、正理公道ノ勝利ニアラズ。…大東亜戦争ハ彼ヨリ挑発セラレタルモノニシテ、我ハ国家生存、国民自衛ノ為、已ムヲ得ズ起チタルノミ。コノ経緯ハ昭和十六年十二月八日宣戦ノ大詔ニ特筆大暑セラレ、炳乎トシテ天日ノ如シ。故ニ若シ世界ノ公論ガ、戦争責任者ヲ追求セント欲セバ、其ノ責任者ハ我ニ在ラズシテ彼ニ在リ、乃チ彼国人中ニモ亦往々斯ク明言スルモノアリ。」と切言してゐる。

 

『大東亜共同宣言』に示された日本の戦争理念

 

大東亜戦争開戦当初、日本軍が連合国軍を打ち破り破竹の進撃を続け欧米列強を駆逐したことは、長い間,欧米の植民地支配に喘いでいたアジア・アフリカの人々を勇気づけた。日本軍の捕虜となったイギリス軍インド人兵士の中からインド国民軍が結成された。そしてインド独立を達成すべく、日本軍と協力して「進めデリーへ」の合言葉のもとインドに向けて進撃した。インドネシアやビルマでも,日本の指導・援助で独立を目指す軍隊組織がつくられた。

 

 日本の指導者の中には,戦争遂行のためには占領した地域を日本の軍政下に置いておく方が良いといふ考へも強かった。しかしこれらの地域の人々が日本に寄せる期待にこたへるため,日本は昭和十八年,ビルマ,フィリピンを独立させ,また,自由インド仮政府を承認した。

 

 日本はアジア諸国家に大東亜戦争への協力を求め,あはせてその結束を示すため、昭和十八年十一月六日、アジア諸国代表(日本・中華民国・満州国・タイ・フィリピン・ビルマの六カ国および自由インド仮政府)を東京に集めて「大東亜会議」を開催した。

 

会議では,各国の自主独立,各国の提携による経済発展,人種差別撤廃をうたう『大東亜共同宣言』が発せられ、日本の戦争理念が明らかにされた。署名した各国代表は、大日本帝国の東條英機総理、満州国の張景恵総理、中華民国南京政府の汪精衛行政院長、タイ国のワンワイタヤコーン殿下、フィリッピンのホセ・ぺ・ラウレル大統領、ビルマのバー・モウ首相、そしてチャンドラ・ボース自由インド仮政府首班であった。この宣言は,連合国の『大西洋憲章』に対抗することを目指してゐた。

 

『大東亜共同宣言』には、各国が相提携して戦争を完遂し,大東亜をアメリカ・イギリスから解放して道義にもとづく共存共栄の秩序を建設し,大東亜の安定をはかるといふ理念がうたはれてゐた。

 

「            大東亞共同宣言

昭和十八年十一月六日「大東亜会議」にて採択

抑々世界各國ガ各其ノ所ヲ得相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ

然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス

大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス

一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス

一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス

一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス

一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス

一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス        」

 

終戦後しばらくして東南アジアの国々の殆どが独立を達成した。戦前より独立に向けた動きがあったが、その中で日本軍の南方進出は、アジア諸国が独立を早めるきっかけとなった。

 

日本が敗戦によって撤退したのち,インドネシアには,オランダが植民地支配を再開しやうとして復帰してきた。これに対し,戦時中,日本によって訓練されたインドネシアの軍隊が中心となって独立戦争を開始し,1949年独立を達成した。

 

 インドでは,日本軍と協力したインド国民軍の兵士をイギリスが裁判にかけたことに対して,はげしい民衆の抗議運動などもおきた。こうして,長く続いていた独立への気運がさらに高まり,インドは一九四七年,イギリスから独立した。そのほかにも,ビルマは戦後,植民地支配を再開したイギリスから改めて一九四八年に独立を勝ち取った。

 

かうした事実は、大東亜戦争においてわが国が戦争目的としたことが実現したことに外ならない。勝った國である米英ソよりも、日本の方が倫理的に高かったといふことである。

 

 深田佑介氏は、「極東国際軍事裁判による歴史観を見直すべき時期が到来している…この裁判においては、『民主主義対ファシズム』という対立図式を硬直的、教条的に適用し、戦時における日本の行動は全てファシズムによる悪と断罪した。この裁判に基く歴史観に戦後日本が支配されてきたのは、まことに不幸であった…大東亜会議は『アジアの傀儡を集めた茶番劇』では決してなかったのである。戦後、バー・モウは『歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、或いは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない』(『ビルマの夜明け』)で述べる。

 

この誤解している諸国民の中に『日本国民』自身も含まれているところに、戦後日本の悲劇がある」(『黎明の世紀』)と論じてゐる。正しい歴史観を持ってゐる政治家として期待されてきた安倍晋三総理が、かうした「誤解」を抱いてゐるはずはないと思ふ。であれば尚更、今回の答弁は残念であった。

 

終戦時の関東軍作戦参謀・草地貞吾氏は、「十二月八日、いよいよ、大東亜戦争の発動となり、…赫々たる緒戦の戦果が、眠れる東亜諸人種・諸民族に与えた感作・影響は甚大なるものがあった。…大きな一撃が西欧の實力を破砕すると共に東亜全域の民心を覚醒した。…大東亜三十余國の独立は、この時成ったというも過言ではない。」「戦後半世紀の間に、新しく百二十を超える独立國が出現した。しかもその多くは大戦終わって間もなくの頃である。…壮大雄渾なる大東亜戦争の発動と、それに誘発奮起したアジア・アフリカ人種・民族の自決闘争総合の結果と言える。」「これほどすばらしい、これほど美しい歴史的行為・行動は、三千年の日本歴史上に無い。また、五千年の世界史上にも無い。實に大東亜戦争は、神武天皇以来、八紘一宇の皇謨による不可避の天命的大戦争であった。われらは今こそ、護國の礎となった靖國の英霊に無限の感謝を捧げると共に、挙國一致敢闘努力した、大東亜戦争の栄光を末長く伝えなければならない。」(『大東亜戦争大観論』)と論じてをられる。

 

大東亜戦争は、決して我が国の一方的な侵略戦争ではなかった。自存自衛のための戦ひであった。そして大東亜民族の独立を達成した戦ひであった。

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千駄木庵日乗七月二十四日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

午後五時半より、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2015年7月24日 (金)

日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である

 日本天皇が日本國の君主であらせられ、日本の文化と歴史継承の中心者であらせられるということは、天皇が行われる「祭祀」と不可分の関係にある。

 

 ところが、「現行占領憲法」では「政教分離規定」との関係で、皇室祭祀は天皇の私的行為とされている。そして「天皇の祭祀」と「國」(この場合の國とは権力機構としての國のことでる)との関わり合いの問題が常に憲法論争になってきた。しかしながら「天皇の祭祀」は個人の幸福を祈る私的なものでは微塵もなく、あくまで國家國民の平和と安定を祈念されるのであり、権力行為ではない。天皇の國家統治の精神そのものである。即ち信仰共同体・祭祀国家として国と一体である。「祭祀」は天皇の最も大切な「御使命」である。

 

 天皇の國家的、文化的統合者としての御使命の基礎には、祭祀や歌会始などの伝統的な國家儀式にある。天皇と世俗的権力との関わりは時代によって異なり、積極的に関わった時もあれば、そうでない時もあって様々である。しかし歴史的に見て、一貫して変わらなかったのは「祭祀」である。その意味で天皇中心の日本國體(不文憲法)を考える時、もっとも大切な行事は祭祀であった。

 

 また、天皇は日本の「君主」「統治者」即ち國家的に最高の御位にあられる以上、國民の表敬の対象となることは当然である。また、天皇は日本國の永続性および日本國民の統合の中心であり、神聖不可侵の御存在である。

 

 したがって、天皇の神聖性・尊厳性を侵してはならないという規定を憲法に明記すべきである。ところが、「現行占領憲法」には、神聖性・尊厳性についての条文がない。しかも天皇に対する名誉毀損や侮辱に対しては、内閣総理大臣が告訴することになっているものの(刑法二三二条二項)、実際には告訴権は行使されず、このため天皇の尊厳性・神聖性は隠蔽され、破壊されていると言っても言い過ぎではない。それどころか「天皇・皇族は国民ではないから人権はない」などという意見もあり、一般國民並みの保護さえなされていない。週刊誌などがどんなに天皇皇后両陛下をはじめ皇族方に対し奉り、その尊厳性を傷つける報道を行っても、何ら罰せられることはない。

 

國體破壊勢力は皇室の尊厳性・神聖性を失わしめる陰湿にして巧妙な画策を活発化している。大東亜戦争の敗北後、占領軍によって行われたいわゆる「民主化」そしてその後続けられた共産主義革命勢力による國家破壊策謀は、今日の日本の國を亡國への道を歩ましめている。その最大のものが、「天皇の尊厳性の破壊」という策謀である。

 日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず真の國家の危機である。

 

 信仰共同體・祭祀國家日本の祭祀主であられる天皇は、その本質が神秘的御存在なのである。日本國民は天皇を神聖なる御存在と仰いできた。これを<現御神信仰>という。そしてこの信仰は、日本伝統信仰の中核である。

 

 何故、天皇は神聖なる御存在であるのか、それは天皇が、天照大神の地上に於ける御代理であらせられるという「神話の精神」によるのである。また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは天皇が、天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられるという「神話の精神」によるのである。それ以外に理由はないのである。このことをまず以て確認しなければならない。古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変わることはないのである。

 

 「神話の精神」と言うと非科學的だとか歴史的事実ではないと主張してこれを否定する人がいる。しかし、神話は荒唐無稽な伝承ではない。神話において語られているのは、一切のものごとの生成の根源であり古代人の英知の結晶であり、神話的真実なのである。神話には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られているのである。そして「日本神話の精神」は、は西洋科学技術文明及び排他独善の一神教を淵源とする闘争的な西洋政治思想の行きづまりが原因となった全世界的危機を打開する力を持っている。

 

 しかも日本民族の「神話の精神」はただ単に『古事記』『日本書紀』『萬葉集』といった文献だけでなく、「天皇の祭祀」という「生きた行事」によって今日まで継承されているのである。

 

 「神話」には時間を超えた永遠の価値がある。日本民族の伝統的思想精神の結晶である「神話への回帰」こそが現代の混迷を打開する方途である。

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千駄木庵日乗七月二十三日

午前は、諸雑務。

昼、若き友人と懇談。意見交換。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理。

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2015年7月23日 (木)

大東亜戦争は、どう考へても、侵略戦争ではない

日本は、米英が東亜諸民族を侵略支配してゐる状況を掃攘するために宣戦を布告したのである。大東亜戦争は、どう考へても、侵略戦争ではない。その目的においても実際の戦争においてもそして結果においても、自存自衛の戦ひであり、東亜解放の戦ひであった。

 

わが国は何故米英に宣戦を布告したのか。それは米英本国に日本が攻め入り、彼の国を占領支配せんとしたためではない。米英が百年来、東亜諸国諸民族を侵略支配してゐる状況を掃攘するために宣戦を布告したである。即ち、明治維新の攘夷の戦ひをアジア的規模で遂行せんとしたのである。

 

一四九二年にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、一四九七年にヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を廻って以来、ヨーロッパ諸國=白色人種によるアジア侵略・植民地化は休みなく進み、十九世紀には、トルコから支那大陸に至るまで、アジアのほぼ全体が、欧米諸國の植民地支配下にあった。

 

十九世紀半ばになると、わが國にも、西からはアメリカ、北からはロシア、西からはイギリスといふやうに西欧列強の侵略の手はひしひしと迫ってゐた。日本もやがて植民地化の運命を辿ると思はれた。

 

しかし、われわれの父祖は、さうした外圧のさなかにあって、大変革を断行して國内体制を整へ、民族の独立を維持した。それが明治維新である。明治維新は、西欧列強の日本侵略の危機と徳川幕府の皇室軽視・封建支配といふ内憂外患を打開するため「尊皇攘夷」を基本理念として断行された大変革であった。

わが国は、明治維新断行以後、憲法を公布し、議会を開設し、近代国家への道を歩んだ。「富国強兵・殖産興業」を合言葉にして、軍事面経済面でも大発展を遂げた。

 

日露戦争の勝利は、米英をはじめとした西欧列・白色人種に虐げられてゐたアジア・アフリカなどの有色人種に大きな希望をもたらした。アジアの中でよく独立を維持しさらに近代化を遂げ、発展した唯一の国である日本は、欧米列強の植民地支配からアジア諸国諸民族を守る大きな盾となったのである。

 

アメリカは日本の強大化を恐れ、日露戦争直後の明治三十七年に、対日戦争計画たる『オレンジ計画』を立てた。アメリカといふ國は、開拓精神にも得た人々によって建国されたといはれてゐるが、この『開拓精神』とは他人の土地に入って行ってそこを占拠し自分たちのものにするといふことである。北米大陸そのものがもともと先住民族(いはゆるインディアン)のものだっのである。そしてハワイ・グァム・フィリッピンと西に進み、シナ大陸に入り込もうとした。ところが、その前に立ちはだかったのが日本だったのである。

 

わが国は、米英及びソ連によって戦争に追ひ込まれたのである。日本を戦争へと追ひ込んだのはソ連である。名目上は世界の共産化、実際には自国の権益の拡大・領土拡張を目指し、さらには日露戦争の仇を討ちたいソ連は、日本を取り潰す策謀を展開した。

 

曽野明氏(元外交官)は、「昭和七年(一九三二年)八月~九月のコミンテルン第一二回総會が行なった…決議には…米英仏日独といった『帝國主義列強』を互いに対立させ、戦争に追い込め、という戦略指令であった。日本について言えば、①日本を米國との戦争へ追い込め、②日本がソ連を攻撃するのを阻止せよ、ということであった。ソ連共産党の謀略機関も、ソ連政府の外交機関も、この目標に向けて一斉に活動した。ゾルゲ機関は、日本の政治中枢や軍部へ浸透をはかり(当時の青年将校の思想は、いわば『天皇制共産主義であった』であった)、米國との対決路線に追い込み、また、マスコミにも、國粋主義、排外主義(『鬼畜米英』)を吹き込んだ。一方、米國内では、排日機運の盛り上げが工作されていた。…『中立条約』の締結があったので、日本國民は『北辺の安寧』が保障されたと安心した。かくて、日本軍部の進路は米()との対決以外になくなったし、したがって日本がナチスドイツと呼応してソ連を挟撃する恐れもなくなった。ゾルゲ機関を駆使したソ連共産党の謀略は完全に成功したのである」と書いてゐる。

 

倉前盛通氏は、「尾崎秀実が対中国強硬論者の一人であったこと、対米開戦を最も叫んだ人間であったことは、戦後、故意にもみ消されて、あたかも平和の使者であったかのごとく、全く逆の宣伝が行われている。…日本が大陸にのめりこんで、国家の大方針を誤ったのは、①陸軍が、一九二〇年頃からドイツ型大陸地政学にかぶれ、大陸政策に深入りしたこと。②日本の目を大陸に向けさせ、海軍力の充実に回す予算を少なくさせようという米国の陰謀が裏にあったこと。この二つに大きな原因を見出すことができよう。…二・二六事件によって、『蒋介石と和解し、対ソ作戦の準備に力を入れよう』と主張する人々のほとんどが陸軍内部から排除され『シナ大陸への侵攻』を考えるグループによって陸軍の主導権が握られた…ここにも日中を戦わせようとする米ソ双方の巧妙きわまる陰謀工作が伏在していた」(『悪の論理』)と論じてゐる。

 

ソルゲと尾崎などのコミンテルンのエージェントたちは、当時わが國内で澎湃と湧き起こって来てゐた「國家革新」「東亜解放」といふ正義の主張をたくみに利用して、日本がソ連よりもアメリカ・イギリスを主敵とし、ソ連と戦ふよりも「米英を撃つべし」といふ世論を煽った。『革命の祖國・ソ連』を守る為に日本を「北進」させてはならず、そのために「南進論」を煽ったのである。また、日本と蒋介石政権の和平を図る動きを妨害したのもゾルゲと尾崎である。

 

尾崎を側近にした近衛文麿氏は、社会主義に共感を覚えてゐた人であり、マルクス主義経済学者である河上肇を慕って東京帝大哲学科から京都帝大法科に移ったといふ経歴の持ち主である。近衛氏は、「防共反ソ」よりも「英米駆逐」に力を入れ南進論を主導した。わが國と蒋介石政権が全面戦争に突入した原因である西安事件も蘆溝橋事件も、ソ連と中共の謀略であったことは今日明らかになってゐる。

 

かくて、日本軍部の進路は米英との対決以外になくなり、日本がナチスドイツと呼応してソ連を挟撃する恐れもなくなった。ゾルゲ機関を駆使したソ連共産党の謀略は完全に成功したのである。

 

つまり、わが国は米英とソ連とによって挟撃される事態となった。勿論、日本に全く誤りはなかった、国家エゴはなかったとは言へない。しかし、大局的に見れば、わが国は、米英及びソ連によって戦争に追ひ込まれたのである。

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千駄木庵日乗七月二十二日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、湯島にて、地元の先輩と懇談。

帰宅後も、資料の整理。

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2015年7月22日 (水)

現御神信仰について

 萬葉人は、天皇の統治される御代のことを「日知りの御代」と歌った。「日知り」とは第一義的には、日の神の御子として日本の國をしらしめす(統治される)御方、日の神の如く統治される御方といふ意である。

 

 また、「日知り」とは太陽の運行を知る、即ち暦を知ることでもある。暦を知ることは古代の君主として非常に大事な権能であった。なぜなら農耕國家では、暦・四季のめぐりが生活にとって殊の外大事であったからである。従って太陽の運行・四季の変化のことをよく知ってゐる人が君主としての資格を持った。

 

 この「日知り」を漢字の「聖」にあてはめた。「聖」の字源は、意味を表す「耳」と、音を表す「壬」とからなる形声字。「壬」の音の表す意味は、「通」(通る意)、あるいは「聴」(聞く意)である。耳の口がよく開いてゐて普通人の耳に聞こえない神の声がよく聞こえる意。支那古代においては、普通人の聞き得ない神の声を聞き得る人を「聖」と呼んだのであらう。日と月などの天体の動きや季節の移り変り即ち暦を知ってゐる人の意である。

 

 つまり、「聖」といふ漢字の原義は、天体の運行を通暁してゐる人のことである。農業生活にとって重要な暦を見立てる事ができる人が村や部落という共同体の長(おさ)になる。それがもっと精神的なものに昇華し、徳や知恵の優れた人を「聖」といふやうになった。それに儒教の聖人思想・有徳王君主思想が加わって意味が拡大し、天子(天の子)として國家に君臨する君主を「聖」といふやうになった。このやうに「聖」という言葉は古代農耕生活と非常に密接に関はってゐる。

 

 日本の暦は、稲などの植物の生育と栽培の知識から生まれた。温帯に位置してゐるわが國の風土は、穏やかで、四季の変化がはっきりしてゐる。さうした風土の中で稲作生活を主なる生業とすることによって民族を形成してきた日本人は、季節の変化を、稲の生育に伴ふ自然の有り様や生活の営みの中で捉へてきた。    

             

 日本人は、規則正しい季節の移り変りとそれに伴ふ自然の変化が、生活の基本であるといふことを農耕生活の中で体得してきた。それが<暦の思想>である。かかる生活を営んできた日本人は、<自然の道・摂理・道理>は生活と共にあり、自然の摂理がそのまま人生の規則であるとする日本民族特有の哲學といふか思想精神を身に付けた。

 

 わが國には「月読命」といふ神様がおられる。夜見の國から帰った伊耶那岐命が、禊祓をされた折、右の御目を洗れた時に生まれた神である(左の御目を洗はれた時に生まれた神が天照大神)。「読む」は数へる意味で暦から発生した言葉であるから、月読も月齢による暦を意味するとされてゐる。月読命は農耕に是非必要な手段であった月を数へるといふ生活の知恵をあらはす神名とする説がある。もっとも「月読命」の「読」を「夜見」と解して「隠り世」(あの世)の神とする説もある。

 

 ただし、日本における「日知り」とは、天体の運行をよく知るといふやうな限られた一種の超能力のやうな事を意味するのではない。「日の神の生みの子としてやすらけくたいらけく天の下をしろしめす」といふ意味である。

 

「天津日嗣」とは高天原の天津神からずっと継承されてきた天皇の國家統治即ち日の神の霊統を継ぎ続ける<中心の位>のことである。「日」は「霊」もしくは「太陽」の意である。「天津日嗣」とは、最も大いなる<日>即ち天照大神から命令され継承された日の神の霊統を継ぎ続ける<中心の位>といふ意である。

 

天皇は日の神の生みの御子、即ち現御神・現人神であらせられるといふ信仰である。天皇は神を祭祀される。神を祭るといふ事は自分を無にして神に仕へるといふ事である。そして神人合一し現御神となられる。神と合一された尊い御方が現御神日本天皇なのである。

 

 

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千駄木庵日乗七月二十一日

午前は、専門家が来宅して、パソコンのメンテナンス。おかげで正常な状態に復した。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、資料の整理、原稿執筆。

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2015年7月21日 (火)

深谷隆司氏の正論を紹介します。

620回「道理を通すことが大事」

 

 深谷隆司の言いたい放題第620

 

 「道理を通すことが大事」

 

集団的自衛権の限定行使を含む安全保障法案が16日衆議院において可決された。

 

その後の内閣支持率や安倍総理に対する支持率は急落し、支持しないに逆転された。しかし、私は世論調査の結果は想定内のことと思っている。

 

はっきりいって安全保障問題は人気取りの政策ではなく、逆に国民の反発を受けやすいテーマだ。しかし、「今そこにある危機」から政治は決して目をそらしてはいけない。たとえ当面国民の批判を浴びても為すべきことを果たすのが政治家の使命なのである。

 

おそらく安倍総理の心の中には、祖父岸信介元首相が昭和26年安保関連法案を通した時の光景が鮮明に浮かんでいたのではないか。

 

あの頃、若かった私は何度も目前に広がる革命を思わせる大衆デモを固唾を呑んで見つめていた。国会周辺は連日20万人を超える群集で埋まり、今にも国会に乱入するかのようなすさまじい状況で、女子大生の死まであった。

 

あの時の怒号やシュプレヒコールも「戦争反対」一色で今回と変わらない。あれから長い年月が経つが日本は一度も戦争に巻き込まれていない。彼らの主張がうそ偽りであったことは歴史の事実が証明しているのである。

 

 

審議時間は116時間を越えている、この種の法案としては十分だ。野党も本会議場に入って討論もしている、これでは強行採決とはいわない。与党の自民党、公明党のほか次世代の党も賛成し、衆議院の3分の2を超えている、採決に瑕疵はない。

 

拙速と野党は言うが、私から見れば彼等の方に問題意識と危機意識が決定的に足りなかったからだと思っている。

 

テレビを見ていると、どの局も反対者を繰り出して「戦争反対」「孫や子を戦争に狩り出すな」など、およそピント離れな主張一色だ。これでは世論が批判多数になって当然ではなか。

 

 

中国は軍事拡張、軍事的台頭をつづけ、南シナ海で7つの人工島を作り、東シナ海でも日中中間線に沿って海洋プラットホーム建設を進めている。国際的非難などどこ吹く風である。北朝鮮は核・ミサイル開発を継続し、その上国内の混乱を考えれば明らかな脅威だ。一方で世界の警察官であったアメリカは、その役割をオバマ大統領が言うように(20139)完全に後退させ、防衛費も削減して頼りない。

 

こうした中、一国のみで自国の安全を守れる国はなく、日本としても米国をはじめとする友好国との理解を深め、共同であらゆる事態に対処する必要がある。

 

09年に政権を得た民主党も集団的自衛権容認を模索したことがあった。鳩山政権で見直しの検討に乗り出し、菅政権では集団的自衛権行使が出来ないとする従来の憲法解釈を批判、野田首相は旧来の制度慣習の見直しを通じて、安全保障協力手段の拡充を図るべきだと提言している。自衛隊のリスクをめぐる情緒論を軸に危険性をあおり、政治不信を起こさせてきた岡田代表も、平成262月の予算委員会で「集団的自衛権を認める余地があってもいい」と発言している。野党になったらくるくる内容が変わる政治家など信用できない。

 

国民の理解が足りないと言うが、まさにこれから良識の府(?)と言われる参議院での審議が始まる。

 

野党だからと言って、やたらと世論に迎合し感情論を振り回していてはならない。真剣に国の守りに資する議論をしてもらいたい。安倍総理も国民の理解を求めてさらに真摯に、臆することなく語り続けて欲しい。

 

 「それが道理を通す」ということなのである。

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2015年7月20日 (月)

高乗正臣平成国際大学名誉教授による「三潴憲法学の神髄」と題する講演内容

四月二十六日に開催された『第五十九回主権回復記念国民大会』における高乗正臣平成国際大学名誉教授による「三潴憲法学の神髄」と題する講演内容は次の通り。

 

「三潴信吾先生が始められた『憲法懇話会』は今年四月で一二二回になる。二月に一回開かれ、二十四年を超える。三潴氏の学問を受け継ぎ研鑽を積んでいる。若い人に伝える。難解な文章を分かり易くすることが使命。若手学者の育成。三潴憲法学の中心は國體論である。三潴氏から宮務法・政務法・統帥権・家族法の宿題をのこされた。有権者は水の流れのように入れ替わる。我々の祖先の意思を無視して今の有権者のみで決めることができるというのは誤り。過去現在未来を貫く国民の総意がある。国民主権とは歴史的共同体のこと。日本青年会議所の改憲案の前文はなかなかのもの。宮沢俊義は『ポツダム宣言』受諾後に変節する。『八月革命説』を書いた。天皇主権から国民主権に移ったと説いた。わが国に主権がなかったのに民主主権も国民主権もない。マッカーサーに主権があった。最終的に決定する権力はマッカーサーにあった。それを占領下という。宮沢の本を読まなければ高級官僚の試験に受からない。日本がおかしくなるのは当たり前。高乗家は朝廷・御所に仕えた武士の末裔。

 

國體は発見するものであり、構築するものではない。わが國の伝統の中に『見えない憲法』が存在している。この『見えない憲法』こそ國體であり、この國體を、与えられた歴史的条件の中で、文字にしなければならない部分だけを文字にするのが憲法制定であり、憲法改正である。

 

三潴信吾氏は『日本憲法要論』において『成文憲法を構成する要素には、成文憲法の拠って立つべき不文憲法としての立国法を明示しあるいは宣言する条項(宣言的規定、確認的規定)と、その憲法の条規の制定によってはじめて創設される各種の統治権力機関の組織や権限などを規定する条項(創設的規定という)とがある』。

『憲法改正の手続きを以てしても、宣言的規定、確認的規定に属する内容、即ち立国法を変革する事はできない。如何に、形式的手続きにおいては憲法上の改正手続きをとったとしても、憲法制定以前から憲法成立のための不動の根拠となっている立国法の変更、即ち國體の変更を行うことはできない』。

『立国法は、その国の立国と同時にその成立事実と不可分に存立するものであって、立国の精神的又は道徳的根幹として、その国の最も基本的な伝統的秩序を樹立するものである。この国家の成立事実の中心は、元首の立ち方である。立国法は立国の理想目的とその具体的表現人格たる元首の立ち方とを示すものである』と論じている。

 

國體とは各国それぞれ保有する本質であり、その国々の成立事実によって決定せられる。故にこの成立事実の変革が國體の変革でありこれを革命という。『憲法の基盤となる立国法とは、國體法とも称されるが、不文憲法として、成文憲法のある場合にも、必ずその基礎をなすものである。

 

元首とは国家(nation)という自主的普遍我の人格を全体として表現する人格。この地位はその国民の立国以来の伝統的意思に立脚して決定されるが、その具体的決定の方法は各国の立国以来の伝統によってそれぞれ異なる。即ち各国の國體によって異なる。

 

憲法の意義は権力制限規範としての性質にある。しかし現代の民主化された福祉国家の時代では国家権力の危険性のみを強調し憲法の権力制限規範としての側面だけを論ずることでは済まされない。

 

『國を相手に訴訟を起こし』という場合国家は権力支配組織(state)としての国家であり、『國のために命を捧げる』という場合の国家とは国民共同体(nation)としての国家である。Nationnature(自然、本性)あるいはnatives(原住民)natio(生まれ)と語源を同じくする。さらにnationという語はカントリ-(故郷・祖国)stateを包含するとも言われる。Nationとしての国は共通の祖先、文化、言語などを持つと信じている人々が作り出した集団であり、現在生きてゐる個人の集合体ではなく、過去から現在そして未来に生まれてくる国民を含む永続的な生命の共同体ということになる。

 

こう考えると、憲法とは権力の制限規範であると同時に、国民共同体としての国家の独自性を明示する規定を置くことにも意味があろう。

 

統治機構の枠組みである憲法に対して、これを超越してその憲法を憲法たらしめる根本的な建国の政治理念が存在する。

 

我国が他国と異なるのは、歴史を通じて皇室が精神的統合の中心として存在し、皇室と国民との間に対立の歴史がなく、天皇が常に国民の幸福と社会の安寧を祈り、国民が天皇を慕う姿勢を持ち続けてきた点にある。

 

西欧中世の国王たちは国民を私有財産と同様に考えてきた。多義的な主権概念はそのような政治的土壌の中から出て来たものである。その意味から主権の概念はわが国の皇室のありように馴染むはずのないものであった。

 

幕府政治確立後の天皇のありようは、ヨーロッパ諸国の君主制とは似ても似つかない。政治的権限は幕府に、文化的機能は朝廷に保持されるという二元主義に立っていた。主権者という観念自体がわが国の統治体制に適合するものであったかきわめい怪しい。宮沢俊義氏が戦後主張した『天皇主権から国民主権への以降』という事は歴史上の実態として有りもしなかった。

 

わが国固有の伝統文化に根差した天皇の在り方を西洋近代出自の立憲主義憲法の『鋳型』にはめ込むことがそもそも困難であった。天皇を、その本質を全くことにするemperorと訳し、シラス、シロシメスというわが国固有の概念が西欧型の憲法概念に存在しないことがその証左である。

 

天皇のありように限らず、伝統・文化・国民感情・道徳意識などの精神領域の事柄を政治的法規範である憲法で定めることには困難が伴う。もし、それらが法令で規定されたり改廃されたりしたなら、最早それらは伝統ではなくなり、単なる政治的操作の対象になってしまう危険があるからである。

 

日本青年会議所の『憲法試案』は次のように述べる。

『日本国は…万世一系の天皇を日本国民統合の象徴として仰ぎ、国民が一体と

して成り立ってきた悠久の歴史と伝統を有する類まれな誇りある国家である。我々日本国民は、和を貴び、他者を慮り、公の義を重んじ、礼節を兼ね備え、多様な思想や文化を認め、独自の伝統文化に昇華させ、豊かな社会を築き上げてきた。日本国は、自主自立の主権国家としての権利を行使するとともに、責務を全うし、互敬の精神をもとに日本を含む地球上のあらゆる地域から貧困と殺戮をなくし、全世界の平和に貢献すると同時に、国際社会を率先して牽引すべき国家であると確信する。我々日本国民は、国の主権者として、悠久の歴史と誇りある伝統を受け継ぎ、現在及び未来へ向け発展・継承させるために、五箇条の御誓文以来、大日本帝国憲法及び日本国憲法に連なる立憲主義の精神に

基づき、ここに自主的に新日本国憲法を制定する』。

 

歴代の天皇が常に国民の幸福と社会の安寧を祈り、国民が天皇を慕う姿勢を持ち続けて来たという歴的事実、天皇が国家や国民と一体であるという国民感情を、政治的な力(国会議員と有権者の多数意思)によって改廃できる憲法という法規範の中に、どう規定するのが妥当であろうか。精神文化に対する政治の優位を避けるためには慎重な配慮が求められる。『大日本帝国憲法』という成文憲法以前から存在する天皇、皇室の在り方を含む不文憲法の価値を再確認する必要があろう」。

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千駄木庵日乗七月十九日

午前は、諸雑務。

午後は、上野公園の東京都美術館にて開催中の『二科一〇〇年展・伝説の洋画家たち』鑑賞。帰途、上野桜木、谷中寺町、根津の街を汗をかきつつ散策。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2015年7月19日 (日)

足立昌勝関東学院大学名誉教授による「取調べの可視化・通信傍受について」の講演内容

四月七日に開催された『日本の司法を正す会』における足立昌勝関東学院大学名誉教授による「取調べの可視化・通信傍受について」の講演内容は次の通り。

 

「治安立法強化には基本的に反対。詐欺接頭犯罪に盗聴法を拡大するのには日弁連は賛成。冤罪を無くすためには日本の刑事手続きを変えるというのが原点だった。『録音をさせるのは被疑者に新たな武器を与えることになる』と検査・警察は言う。だから我々にも新たの武器をよこせという議論になった。捜査機関の焼け太り。警察を百%信用することはできない。『盗聴はオレオレ詐欺に有効』と警察は言っている。機械任せは駄目。取り調べの可視化と盗聴法とは水と油なのに一体化した。刑事訴訟法改正案は全面可視化には程遠い。百%可視化すべし。検察警察は『捜査は正しくしている。人権侵害はしていない』という筋を通すべし。役所のシナリオ通りになっている。警察権限が無限に拡大する。警察の判断だけで出来る。警察の戦略勝ちになっている。殆ど全ての犯罪の盗聴ができる。通信業者も介在しない。検察警察へのチェック機構を確立すべし。立法府は追認機関。法務大臣の位は一番、力は最低」。

             ◎

犯罪の悪質化、巧妙化に対して有効な防止策を講じるのは当然である。しかし、検察警察権力が肥大化するのも困る。どうバランスを保つかが問題である。交通取り締まりの実態を見ると、違反の防止よりも警察の実績作りが優先していることは事実である。川路利良初代警視総監ですら「行政警察は予防を以て本質とす」と言ったことを忘れてはならない。

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千駄木庵日乗七月十九日

午前は、諸雑務。

午後は、パソコンと対峙し悪戦苦闘。パソコンの具合が悪く困っています。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰途、谷中にて遠来の友と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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一神教の宗教戦争とわが国伝統信仰

一神教の対立と闘争の歴史は人類の歴史に計り知れない惨禍と殺戮をもたらした

 

 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という三大一神教の対立と闘争の歴史は、人類の歴史に計り知れない惨禍と殺戮をもたらした。

 

 欧米社会で行われ来たユダヤ人差別と迫害は、キリスト教のドグマによる。キリスト教国で反ユダヤ感情の無い国は無いと言っていい。それはキリストを神の一人子として受け入れないユダヤ人に対するイエス・キリストの「あなたがたは……悪魔から出てきた者であってその父の欲望どおりを行おうと思っている。彼らははじめから人殺しであって、真理に立つ者ではない。」(『聖書・ヨハネ伝』八章四四節)という宣告に基づくのである。『聖書』こそが反ユダヤ思想の基礎文献なのだ。

 

 イスラム教のユダヤ教及びキリスト教に対する排撃思想は、イスラム教の聖典『コーラン』(マホメットが唯一神アラーから受けた啓示を集録したもの)に次のように記されている。「信ずる人々よ、ユダヤ教徒やキリスト教徒を友としてはならない。彼らはお互い同士だけが友である。お前たちの中で彼らを友とする者がいれば、その者は彼らの同類である。神が無法の民を導きたもうことはない」。さらにコーランには、「命には命、目には目、鼻には鼻、耳には耳、歯には歯、受けた傷は同じ仕返しを」と書かれている。

 

 まさに今日の宗教戦争は、「目には目、歯には歯」の報復戦争なのである

 

 ユダヤ教は、紀元前四世紀頃から発達し、ユダヤ(イスラエル)の砂漠で遊牧民の間に信じられたエホバ神(ヤーヴェ)が、多くの苦難を経て、モーゼという預言者によって「唯一最高絶対の神」とされた宗教であり、ユダヤ人を神に選ばれた選民と自覚する。

 

 キリスト教は、ユダヤ教の「唯一最高絶対の神」を信じ、さらにイエス・キリストを「神の一人子」=救世主と仰ぎ、エホバ神をユダヤの民族神から世界的な普遍神とし、さらにギリシャを経てローマに入り、ゲルマンの狩猟民に信じられ、今日の天地の創造主・世界人類の唯一絶対神たるゴッドの地位を確立したと言われる。

 

 イスラム教もまた、「唯一最高絶対の神たるアラー」を信じる一神教である。西暦六一〇年にマホメットによって創唱された。マホメットこそが唯一絶対神のもっとも偉大に使徒であり預言者と仰ぎ、ユダヤ教の教師を否定し、イエス・キリストを「神の一人子」とは認めない。

 

 つまり、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、砂漠の遊牧民に信じられた「唯一絶対神」を信じるということでは全く共通している。しかし、お互いに異端・異教徒として排撃し反目して来たのがこれまでの長い歴史であった。

一神教とは排他独善的にして残虐な側面をもつ宗教である

 

 砂漠の宗教たる一神教は、「血」による贖い(罪滅ぼし)を求める。「血を流すこと無しには罪の許しはあり得ない」とする。ユダヤ教もイスラム教も神の祭壇に羊を供える。ユダヤ教の祭司たちは動物を裂き、その血を流して罪をあがなってきた。

 

 イエス・キリストも自分の血を流すことによって人類の罪の許しを神に乞うた。だからイエスキリストは「神の子羊」といわれるのだ。キリスト教徒が神に捧げるパンと葡萄酒はイエスキリストの肉と血の象徴である。

 

 キリスト教国であるアメリカでは十七世紀に、マサチューセッツ州で清教徒による専制政治が行われ、「異端者」(非キリスト教徒)を絞首刑にしたり、「魔女」(民間信仰のシャーマン)を火炙り(焚刑・ふんけい)にした。

 

 一神教の神は、その意志に反する者を、全能の力を以て処罰し抑圧し征服する。そして、その神を信じ、救いを求める者のみを救済する。この排他性によってお互いに攻撃し合っている。

 

 この三つの宗教の中で、キリスト教を信じた欧米社会が、高度な文明を築き上げ、地球上の他民族を征服して、植民地として隷属させた。その歴史の過程において様々な侵略や戦争が繰り広げられた。

 

生命の永遠の循環と共同体の相互扶助を身を以て体験する日本民族

 

 一神教同士の対立と抗争がどれだけ多くの人々を殺し、人類に生き地獄の苦しみに落とし込んだか。宗教とは人々に安心立命・真の幸福とやすらぎを与えるものであるはずなのだが、一神教の歴史は逆に人類に不幸と殺戮を与えている。

 繰り返されるテロ攻撃とそれへの報復戦争は、まさにそういう一神教の歴史が根底にある。つまり、三つ大きな一神教の大戦争が今行われていると言える。

 

わが国の伝統信仰たる神道は、太陽の神であられる天照大神を最尊・最貴の神と仰ぎ、皇室の御祖先神として崇めている。日本神話を拝すれば明らかなように、天照大神は、唯一絶対・全知全能を誇る神ではない。八百万の神といわれる日本の神々の使命・性格を生かし高める神である。一神教の神のような裁きの神、妬みの神、復讐の神ではない。

 

 日本神話では天地自然や人間は唯一絶対神によって造られた存在ではない。人も国土も君主も伊耶那岐命・伊耶那美命二神から生まれ出た存在である。

 

 さらに神の御命令によって地上に天降られた邇邇藝命の最大の御使命は、地上を瑞穂の国すなわちみずみずしい稲の穂が稔る国にするというきわめて平和的な信仰である。邇邇藝命という御名には、稲穂のにぎにぎしさを讃え稲穂に籠る霊への信仰が内包されている。

 

 生命の永遠の循環と共同体の相互扶助を身を以て体験する稲作生活から生まれた規範を大切にする日本民族の祭祀に、言葉の真の意味における平和の姿を見出すことができる。

 

 それは日本神話の言葉を以て言えば、「高天原を地上に実現する」ということである。この精神を発展させて、全世界を農作の栄える国とするという使命を日本が果たすべき時が来たといえる。お互いの神を排斥合うのではなく、同じ天地の神として尊重し合う精神を持たなければ宗教戦争は終焉を迎えない。日本伝統信仰の自然崇拝の精神が、一神教同士の闘争に終止符を打つために大きな役割を果たすと思う。 

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千駄木庵日乗七月十八日

午前は、『政治文化情報』発送作業。

午後、靖国神社参拝。

午後二時より、靖国神社啓照館にて『第十六回・先哲に学ぶ会』開催。日本学協会理事の永江太郎氏が「多くの人々から信頼された維新の英傑と西郷隆盛」と題して講演。質疑応答。

帰宅後、『政治文化情報』発送完了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると存じます。

この後、資料の整理など。

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2015年7月18日 (土)

『松下政経塾憲法フォーラム・未来の日本を考える―憲法を国民に手へ―』における登壇者の発言

三月十五日に開催された『松下政経塾憲法フォーラム・未来の日本を考える憲法を国民に手へ』における登壇者の発言は次の通り。

渡辺利夫拓殖大学総長「理想的な憲法を目指さねばならない。西修氏は『日本国憲法は世界最古の憲法』と言っていた。一字一句改正していない。『個』に対する過剰な観念が日本文明を衰退させていないか。家庭崩壊・地域崩壊が起きている。中国と韓国が改憲に猛烈に反発するのは織り込み済み。アジアは中華文明圏とマレーポリネシア系とははっきり分けて考えるべし。前者は日本に攻勢を仕掛けてくる。日米関係にくさびを打ち込んで太平洋に覇権を立てるのが中国の目的。九条改正に反撃して来る。しかし東南アジア・インド・ニュージーランドは、『日米安保』は地域を守るフィロソフィとして評価している。中国韓国とそれ以外とは異質である。中国への抑止力を強めるべし。集団的であれ個別的であれ自衛権はある。何を守るかを議論すべし。生命と財産を守るのは当たり前。それプラス何を守るのかを議論すべし。國體という言葉をGHQは禁句にした。国柄を明らかにしなければならない。言語・宗教の同質性と歴史の連続性が国柄。歴史の連続性・民族の永続性は皇室と伊勢神宮に象徴される。これが日本人の名誉。その国柄を守る」。

 

平沢勝栄自民党衆院議員「憲法の素人というのは大切。憲法は憲法学者のものではない。憲法は国民のもの。憲法があって国があるのではなく、国があって憲法がある。憲法学者の一部は憲法至上主義。『天皇制』に反対する政党が『護憲』を言うのは欺瞞。憲法は国のあるべき姿が書いてある。同性婚がどんどん進んでいくと人口が少なくなってしまう。日本はインテリジェンスを持っていない。一番の歯止めはインテリジェンス。ドイツはインテリジェンスを持っている。ドイツが持っているような情報機関を持つべし。国会は八から九か月開かれている。国会が閉じられると霞が関はじっくりと仕事ができる」。

小林節慶應義塾大学名誉教授「国民の生命・財産・領土・主権と共に名誉を守ることが大切。個人主義が日本を駄目にしたのか。『明治憲法』の時代が今の時代より良かったとどうして言えるのか。統帥権の時代、治安維持法の時代が良かったのか。全体主義より自由主義・個人主義の方が良い。今まで日本政府はアメリカの覚悟を決めた要請を拒否したことはない。中東で気の良い商売人だった日本人が、イスラムの人たちから『この野郎』と言われる。国際社会の意志として国連安保理事会の許可がないところに海外派兵すべきではない」。

 

前川清成民主党参院議員「憲法は国家権力を制限する。自由や平等を守る。私たちは主権者としてこの国を作る。お金がかかるから納税の義務がある。勤労の義務・教育の義務がある。七十年経っている憲法をこれからも指一本触れないで良いとは思わない。衆参両院で合意を作らねばならない」。

          ◎

申すまでもないが、渡辺利夫氏の主張が最も正しい。国内に巣食う共産支那の手先となっている勢力を徹底的に糾弾すべきである。

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千駄木庵日乗七月十七日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母と過ごす。

帰宅後は、原稿執筆。

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2015年7月17日 (金)

天皇国日本の素晴らしさ

古代民族信仰が今日ただ今も脈々と生き続けてゐるのは日本のみである。

 

 天皇が天下を統治されるところを「都」といふ。天皇は祭祀主として神を祭り、國民の幸福・國家の平安・五穀の豊饒を祈られた。それを「まつりごと」といふ。そして、政治と祭祀は一体であった。天皇の祭祀が行われる宮のあるところであるから、「みやこ」といふ。

 

 天武天皇の御代までは「一代一宮の遷宮」といって、御代替りごとに皇居も新しく造営された。新たなる祭り主たる天皇が御即位になったら、宮も作り替えなければならなかった。新しき宮に新しき神霊が天降ると信じたからである。しかし、原則的には奈良盆地の東南すなわち大和地方の中に皇居が造営された。

 

 この習慣は、伊勢の神宮の式年遷宮に受け継がれてゐる。日本の伝統信仰・民族信仰の中心神殿たる伊勢の神宮は、二十年毎に式年遷宮が行はれ、神殿を新しく作り替え、御装束・神宝が新調される。式年遷宮を大神嘗祭といふ。神嘗祭とは、その年にできたお米を伊勢の大神にお供へする行事である。新しい宮を造ることによって、祭られてゐる神の威力が更新し増大すると信じられてゐる。

 

 神宮は決して過去の遺物として残ってゐるのではない。わが國の古代民族信仰は今日ただ今も脈々と生き続けてゐる。他の國の古代民族信仰は、キリスト教や回教に滅ぼされて、神殿は過去の遺物となってゐるが、日本伝統信仰は、今日ただ今も日本人の生活の中に生きており、全國各地でお祭りが行はれてゐる。最新の技術を用いた建物などを建設する時も、地鎮祭や上棟祭が行われる。國家元首が伝統信仰のまつりごとを行はれるといふのもわが日本だけである。

 

 アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓をする。イギリス國王はキリスト教會で即位式を行ふ。しかしそれらは民族信仰・古代からの伝統信仰に基づく行事ではない。日本天皇は、御自身が古代以来の日本伝統信仰・民族宗教の祭り主であらせられ、しかも今日においても日本国の君主であらせられる。このやうに國はわが國だけであらう。だからこそわが國の國體を万邦無比といふのである。

 

日本國の中心地にして四方を山に囲まれてゐることが皇都の大原則であった。

 

 天武天皇の御代になると、國家の運営や外國との関係、宮殿の規模や官僚機構の肥大化などにより、「一代一宮」の制度は、事実上困難になった。また大化改新の後、唐の政治法律制度を見習ったので、唐の都を模した都を建設することとなった。そして、天武天皇は、都を御一代毎に遷都するのではなく、恒常的な新京造営を計画された。持統天皇はその御遺志を継がれて藤原京を御造営あそばされたのである。藤原京の造営によって「一代一宮制」は廃止になった。

 

 藤原遷都は、持統天皇八年(六九四)十二月である。藤原京は奈良県橿原市高殿町一帯を中心として九百二十メートル四方。東西二・一キロメートル。南北三・一キロメートル。中央に内裏がある。大内裏・朝堂院・大極殿を中心に中央政府の官庁が造られた。そして官僚の家族の住む家ができ、一万人位の官僚およびその家族が住んでゐた。その周りに一般の人々が住む家ができた。藤原京は、元明天皇の御代の和銅三年(七一〇)に奈良に遷都されるまで十六年間続いた。

 

 藤原京は、今日は無くなってゐる。しかし、藤原京跡地には大極殿跡が残ってゐる。そこに立つと今でも萬葉時代と同じ眺めすなわち大和三山と吉野の山々を眺めることができる。

 

 持統天皇は、藤原京において、

 

「春過ぎて 夏來たるらし 白たへの 衣(ころも) ほしたり 天の香具山」

 

といふ御歌を詠まれた。 

 

 神武天皇が日向から東に歩を進められて、大和橿原の地に都を開かれたのは、海路の神であられる鹽土老翁(しほつちのをぢ、別名・住吉大神) の「東に美(うま)き地(くに)あり、青き山四方にめぐれり。……蓋し六合(くに)の中心(もなか) か。……都つくるべし」といふ御託宣に基づくのである。日本國の中心地にして四方山に囲まれてゐることが皇都の大原則であった。

 

 藤原京はその原則・御託宣にかなった地である。長歌に歌はれてゐる通り、四方の山々すなわち北側の耳成山、東側の天香具山、西側の畝傍山、遥か南の吉野山は、すべて神聖にして美しい神奈備山(神のゐます美しい山)である。東西南北を神聖なる山で囲まれることによって、藤原京はそれらの神奈備山の神々によって護られるといふことである。日の神の御子である天皇がまつりごとをされる宮殿は、神聖な山に囲まれて、東から昇る太陽が西に沈むその中心地にある。

 

 大和國の別名を大倭日高見國(おほやまとひだかみのくに)といふ。太陽が天空高く見える國といふ意である。神武天皇は日向國(日に向かふ國)からどんどん太陽に向かって東へ東へと進まれて日本國の中心であり四方を山に囲まれた大和に来られ、都を開かれた。そこで日の神であられ皇室の御祖先神であらせられる天照大神を祭られたのである。

 

 持統天皇は、このやうな歴史と伝統に基づいて、天皇を中心とする神の國であるわが國の都として藤原京を造営されたのである。

 

 天智天皇・天武天皇・持統天皇の御代は、「天皇を中心とする神の國」たるわが國肇國以来の國體を正しく國家体制として実現した時代である。『古事記』『日本書紀』の編纂もこの時代であり、大嘗祭が初めて行はれたのも、伊勢の神宮の式年遷宮が初めて行われたのも、大宝律令が制定されたのも、この時代である。

 

 古代日本人の思想・信仰・美的感覚が最も大らかに直截的に表白された初期の萬葉歌はこの時代に詠まれた。つまり、天智天皇から持統天皇の御代はわが國にとってきはめて重要な時代であったといへるのである。           

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千駄木庵日乗七月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿校正。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。

帰宅後は、原稿執筆、脱稿、送付。

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2015年7月16日 (木)

『安保法制』に反対している勢力が社民・共産・民主党左派という亡国政治勢力そして偏向メディアであるという事実は、この「安保法制』が正しいものであることを証明する

『安保関連法制』への理解が進んでいないのに採決したと大騒ぎだが、自民党政権の中枢にいて安保政策に携わった栁澤協二が反対論をぶち上げ、民主党政権で防衛大臣をつとめた森本敏氏が賛成している。まさに専門家中の専門家の意見が分かれている。こういう状況下で、一般国民が『安保法制』についてまともにそして詳細に理解することはできないのは当たり前だ。しかも、「朝日新聞」などの偏向マスコミは国民の不安を煽る一方的な報道しかしない。

 

小難しい理屈はともかく、『安保関連法制』に反対している勢力が社民・共産・民主党左派という亡国政治勢力そして偏向メディアであるという事実は、この「安保法制」が正しいものであることを証明する。何故なら、これまで社民・共産・民主党左派(この中に旧社会党勢力のふくまれる)という亡国政治勢力そして偏向メディアが主張し実行して来たことは全て国家に害悪になることばかりだったからである。彼等は戦後一貫して「平和」を唱えながら、わが國が共産支那・旧ソ連の属国になる策謀を行ってきたのだ。この事こそ我々国民は正しく理解しなければならない。

 

支那、ロシア、北朝鮮は軍事力によって自国の野望を成し遂げようとしている。日本は今日、国防上、安保上の危機を迎えていることは厳然たる事実である。「似非憲法」で手足を縛られている日本、核武装も出来ない日本は、自分で自分の国を守ることができない。従ってアメリカと同盟関係を強化する以外に道はない。「安保関連法制」は日本の独立と自由と繁栄を維持するために必要である。

 

ともかく、社民・共産・民主党左派という亡国政治勢力・偏向メディアそしてそれに踊らされている人々は自覚するとしないとの関わらず、外敵の手先である。このことを正しく理解し認識すれば、『安保関連法制』に反対することは日本の平和・独立・自由・繁栄を根底から破壊する行為である。今『護憲』を叫ぶ連中は、まさに憲法を護って国を滅ぼそうとしているのだ。

 

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千駄木庵日乗七月十五日

午前は、諸雑務。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、原稿執筆。『政治文化情報』発送準備。

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2015年7月15日 (水)

高山彦九郎の歌について

高山彦九郎の歌

 

東山 のぼりてみれば あはれなり 手のひらほどの大宮處(おほみやどころ)

 

高山彦九郎(たかやま ひこくろう)は、延享四年(一七四七)五月八日に、上野国新田郡細谷村(現群馬県太田市)に生まれた。寛政五年(一七九三)この世を去る。林子平蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」と称される。名は正之。先祖は平姓秩父氏族である高山氏出身で、新田十六騎の一人である高山重栄といふ。

十三歳の時に『太平記』を読み、尊皇の志を持ち、十八歳の時に家を出て、各地を遊歴して「勤皇論」を説く。前野良沢・大槻玄沢・林子平・藤田幽谷・上杉鷹山・広瀬淡窓・蒲池崑山など多くの人々と交友した。

 

寛政三年(一七九一)、光格天皇の御代の歌で、彦九郎が四十五歳の作と推測される。

 

歌意は、「東山に登ってみると悲しく思はれることである。手のひらほどに小さい御所(を拝すると)」といふ意。

 

「一天万乗の聖天子」「上御一人」の住まはれるにしては、あまりにも質素で小さい京都御所を拝しての実感であり、彦九郎の「尊皇精神」がひしひし伝はって来る名歌である。光格天皇の御代には、「天明の大飢饉」や「皇居焼失」などの事があり、光格天皇は大変に苦労をされたと承る。さういふことへの嘆きもこの歌には含まれてゐると思ふ。

 

高山彦九郎は、この年、岩倉具選(江戸時代中期・後期の日本の公卿。岩倉家七世の祖。篆刻を善くした。公卿としては主に後桜町上皇に仕へ、その院別当などを務めた)宅に寄留し、奇瑞の亀を献上したことにより、光格天皇に拝謁した。

 

川田順氏は、「如何にして彦九郎が天顔に咫尺し奉るを得たか。…寛政三年春、近江國高島郡の一漁師が、湖水で緑毛龜を生捕った。大變な評判になったが、たまたま彦九郎も衆と共にこれを一見し、知人の志水南涯をして飼養せしめ、清原宣條(のぶえだ)等の公卿を經て、遂に叡覽に呈するに至った。龜に毛のあるものは文治の瑞兆なるが故である。かやうな機縁にて、匹夫の彦九郎は、窃に天顔を拝するを得たのであった」(『幕末愛國歌』)と記してゐる。

 

高山彦九郎が、光格天皇の龍顔を拝する栄に浴した感激を詠んだ次の歌は、『愛国百人一首』にもとられており、名高い。

 

「われをわれと しろしめすかや すべらぎの 玉の御聲の かかるうれしさ」

 

「わたくしをわたくしとお知りになるであらうか、天皇陛下の玉の御声を拝聴するうれしさはかぎりない」といふほどの意である。  

 

この歌も、「東山 のぼりてみれば あはれなり」の歌と共に草莽の臣の上御一人に対し奉る恋闕の情を歌った絶唱である。

 

高山彦九郎は、京の都に入るや、三条大橋の上に至り、「草莽の臣高山彦九郎」と名乗って号泣し、遥かに内裏(皇居)を跪いて伏し拝んだ。今、三条大橋東詰(三条京阪駅前)に「高山彦九郎皇居望拝之像」が建てられてゐる。昭和三年に建設されたが,昭和十九年に金属供出のため撤去されたが、昭和三十六年に再建された。

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千駄木庵日乗七月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、菩提寺に参詣。四宮家の墓を掃苔。ご先祖の御霊に拝礼。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2015年7月14日 (火)

 明治維新の思想的基盤としての国学

 明治維新の思想的基盤である近世国学は、それまでの日本で重んじられていた儒教や仏教という外来思想に抗して、それとは別なる日本独自の「道」を主張した。そこに近世国学の特質があった。

 

 日本独自の道とは、日本民族が古来より持ち続けている信仰精神である。国学とは、古代日本精神の復興による当時の時代思潮への批判思想である。

 

 そして国学は政治思想という狭い範疇に属するものではなく、文献学であり、和歌の学問であり、国語学・国文学であり、神道学である。

 

 そして外来の思想や文化を「からごころ」(からとは支那のことであり支那を通して日本に伝来した思想や学問そしてそれをもととした思考のこと)批判を展開した。

 

 十九世紀後半当時の世界情勢を見ると、東アジア西洋列強の侵略支配の危機に瀕していた。そしてそれに抗して、民族独立運動・植民地化への抵抗運動が起こっていた。そうした状況下にあって、アジア諸地域において、民族の覚醒を促す思想運動が起こっていた。

 

 日本も勿論その例外ではなく、日本の国の歴史を探求し、日本独自の思想・信仰を進化させんとする運動が起こったのである。それが近世国学運動の思想である。

 

 したがって、国学運動は決して偏狭な排外主義や、単なる時間的過去への郷愁の思想ではなく、世界情勢に対してかなり積極的に目を開き、それに呼応した運動であった。

 

 キリスト教や、欧米の歴史や現状についてもかなり詳しく研究し、海外の政治情勢についても情報収集につとめたうえでの学問であり思想運動であった。

 

 国学は幕末期の日本に対する悲憤慷慨の学問と言ってもいい。危機的状況を迎えんとしていた日本に対して、このままではいけない、何とかしなければならないという精神が国学運動を起こしたのである。

 

 そしてその底流にあったのは、日本をこのままにしておいたら、先人たちや祖先に対して申しわけない、相済まないという悲憤慷慨の思いであった。

 

 そういう思いは、次に挙げる国学者たちの歌に表れている。

 

 最も早い時期の国学者であり、国学の始祖といわれる荷田春滿(京都の人。古典・故実・国史・歌道の研究者)は、

 

「ふみわけよ 大和にはあらぬ 唐鳥の 跡を見るのみ 人の道かは」 

 

と詠んでいる。「よく道を踏みわきまえて間違わないようにせよ。日本ではない唐(支那)の鳥の足跡のみを見つめて歩くのが、日本人たるものの道ではないぞ」というほどの意。唐鳥の跡とは、漢籍・漢字のこと。

 

 八代将軍・徳川吉宗は、各国の古書を集めたが、その真偽玉石の鑑定を春滿依頼した。その徳川将軍家の学問は儒教であった。林羅山・中江藤樹・荻生徂徠・新井白石・伊藤仁齋等々江戸時代の中期までの学者の殆どは儒教・漢学の系統であった。そうしたことを悲憤慷慨して詠んだ歌がこの春滿の歌である。

 

 また、鹿持雅澄(幕末土佐の国学者・萬葉集を中心として古典を研究。『萬葉集古義』の著者)は、

 

「神國の 道ふみそけて 横さらふ いづくにいたる 汝が名のらさね」

 

 と詠んでいる。「わが神国の正しき道を踏みそらして、蟹のように横這いの道を歩む者共よ、お前の名は何と言うのか、名乗ってみろ」というほどの意。 この歌が歌われた時期は蘭学が盛んになり、日本に英船米艦露艦がしばしば渡来した。雅澄は日本の伝統思想に目もくれず外来の蘭学に現を抜かしいる者たちに対して憤慨しているのである。日本伝統精神に対する雅澄の態度精神を昂然と歌い上げているのである。

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千駄木庵日乗七月十三日

午前は、諸雑務。

 

午後は、資料整理。

 

午後三時半より、赤坂の日本財団ビルにて、笹川平和財団主催パネルディスカッション「AIIB設立協定に見る日本の取るべき道」開催。伊藤 隆敏氏(コロンビア大学教授 (兼)政策研究大学院大学教授)、河合 正弘氏(東京大学公共政策大学院特任教授)、ユン・スン氏(米スティムソンセンター シニアアソシエイト)、フィリップ・リプシー氏(スタンフォード大学 アシスタント・プロフェッサー)が講演。モデレーターは滝田洋一氏(日本経済新聞編集委員)がつとめた。

 

帰宅後は、呉竹会機関紙『青年運動』連載原稿執筆。

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2015年7月13日 (月)

明治維新における「七生報国」の精神

「七生報国」の楠公精神は、後世においてきはめて大きな影響を与へた。明治維新で活躍した多くの志士は、殆ど例外なく楠公に対する感激と崇敬とを抱いてゐた。維新の志士たちの楠公仰慕の心は非常に強いものがあった。明治維新の戦ひにおいて、楠公精神・七生報国の精神は志士たちによって継承され、且つ、実践された。楠公仰慕心、「七生報国」の精神の継承が、明治維新は成就の一大原動力であった。楠公の絶対尊皇精神が、明治維新の戦ひに挺身した志士たちの精神的基盤であったと言っても過言ではない。

 

歌人であり国学者でもあった橘曙覽は次の歌をのこした。

 

「湊川 御墓の文字は 知らぬ子も 膝をりふせて 嗚呼といふめり」

 

楠公の墓が荒廃してゐたのを嘆いた義公・水戸光圀が、元禄五年(一六九二)、佐々助三郎宗淳を湊川に派遣して石碑を建て、「嗚呼忠臣楠子之墓」と自筆で題した。その楠公のお墓に刻まれた文字を仰げば、子供といへども感激して墓前に屈んで「嗚呼」と唱へるであらうといふ意。

 

吉田松陰は、安政三年(一八五六)『七生説』を書いて、正成が七度人間と生まれて國賊を滅ぼすことを誓ったことについて、「楠公兄弟は、徒(たゞ)に七生のみにあらず、初めより未だ嘗て死せざるなり。是より其の後、忠孝節義の人、楠公を観て興起せざる者は無ければ、則ち楠公の後復た楠公を生ずる者、固より計り数ふべからざるなり。何ぞ独り七たびのみならんや」と論じた。

また、吉田松陰の『留魂録』には次の歌がある。

 

「七たひも 生かえりつゝ 夷をそ 攘はんこゝろ 吾忘れめや」

 

楠公の崇拝者として知られ『今楠公』といはれたといふ真木和泉守保臣は、天保十年、二十七歳の時、次の歌を詠んだ。

 

「すめる世も 濁れる世にも 湊川 絶えぬ流れの 水や汲ままし」

 

さらに、西郷隆盛は次のやうな漢詩をのこしてゐる。

 

「楠公題図(楠公の図に題す) 

奇策明籌不可謨(奇策の明籌、謨(はか)るべからず)

正勤王事是真儒(正に王事に勤る、是真儒)

懐君一子七生語(懐(おも)ふ、君が一子七生の語)

抱此忠魂今在無(この忠魂を抱くもの、今在りや無しや)」。

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千駄木庵日乗七月十二日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備、資料検索。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。

帰宅後は、原稿執筆、資料の整理。

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第五十三回日本の心を学ぶ会

第五十三回日本の心を学ぶ会

大東亜戦争の意義と戦後七十年を考える。

本年は、戦後七十年という節目の年です。七十年という歳月の長さは、大東亜戦争の時代を実際に生きた方々、大東亜戦争を体験的に語れる方々が減少し、大東亜戦争の意義と真実が正しく継承されなくなるおそれがあります。
日本国民の多くが、大東亜戦争の意義と真実ついて正しく認識できなくなった原因は、終戦直後のGHQによる意図的な工作の結果であります。
GHQ
はマスメディアの事前検閲を行い、三十項目にも及ぶ検閲項目の中には「連合国への批判」や「戦争の擁護」の禁止など大東亜戦争の意義に関わるものが入っています。さらに「大東亜戦争」の語はすべて 「太平洋戦 争」と書き換え、「真相はかうだ」「真相箱」など
ラジオ番組を通じた日本国民への洗脳工作を行いました。
このような日本人への「精神的武装解除」を目的としたGHQによる洗脳工作は成功し、戦後70年たった現在も自虐史観、反日思想という形で強い影響力を残しております、そして我々は未だにこのような精神の占領政策を克服できておりません。
そこで今回の勉強会では大東亜戦争の意義と戦後七十年について考えてみたいと思います。
天皇陛下は宮内庁より発表された新年にあたってのご感想について
「本年は終戦から七十年という節目の年にあたります。多くの人が亡くなった戦争でした。各戦場でなくなった人々、広島長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などによりなくなった 人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変
に始まるこの戦争の歴史を十分に学び今後の日本のあり方を考えていくことが、今きわめて大切なことだと思っています」と仰せになっております。
戦後七十年を経過し、日本の周辺の脅威はかつて無いほど高まっております、安保法制の議論が騒がしく今後の日本のありかたが問われている今こそ、大東亜戦争と戦後70年について考えることは有意義であると思います。
多くの方々のご参加をお願いします。

 

【日 時】平成27年7月26日(日)午後600分より

【場 所】文京シビックセンター 三階 会議室C

東京都文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1
JR
総武線水道橋駅(東口)徒歩9

【講 演】
「『戦後』は何故終らないのか? 『大東亜戦争侵略論』の払拭と現代の変革」四宮正貴氏 四宮政治文化研究所

「第二次世界大戦との視点から歴史を検証する」せと弘幸氏 せと弘幸Blog「日本よ何処へ」

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

          〇

 

この案内文は、主催者が作成したものです。

 

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2015年7月11日 (土)

「國見」は天皇統治において重大意味を持つ祭祀である

天皇が行はせられる「國見」とはただ単に景色を眺めるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する行事である。

 

 「目は口ほどにものを言ひ」といふ言葉もあるごとく「見る」といふのは対象物を認識する上で大切な行為である。天皇統治の事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)といふ。荒木博之氏は、「上代人にとって<見る>とは『対象物の神性に感応し、その対象物を飽かず見ることによって、その神性をその清浄さをおのれが本性にとりこむこと」(『日本人の心情論理』)と解した。この論を引用して大原康男氏は「<見る>は…単に空間とかかわる視覚に尽きるものではなく、そこには鎮魂儀礼の要素が含まれている…」と論じられてゐる。(『現御神考試論』)

 

 舒明天皇が神聖なる天香具山に登られて「國見」をされたことは、天皇が行はれる國土讃嘆の農耕儀礼・祭祀である。新しい年の始まりを知らせる「春のことぶれ」(春が来たことを広く知らせること)・天地一新の行事である。祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が國が始まった時の若々しい命の姿に復元し新生し豊かな稔が約束されるのである。天皇が「國見」をされることによって國土の新生と五穀豊饒が實現する。

 

 つまり、「國見」は「大嘗祭」と同一の意義があり、天の神の地上における御代理即ち現御神(あきつみかみ)たる天皇が、國土に稲穂を豊かに實らせるといふ天の神から命じられた最大の御使命を實現するといふ天皇の統治にとって重大意味を持つ祭祀なのである。

           

 昭和五十四年十二月四日、先帝昭和天皇は奈良県に御行幸あらせられた。翌四日、萬葉學者・犬養孝氏の御案内で、高市郡明日香村の甘橿丘にお登りになり、大和盆地を双眼鏡で一望された。この時、犬養氏は、この舒明天皇の御製など五首を朗詠した。犬養氏の「昭和の國見ですね」とふ言葉に、先帝陛下は声を立ててお笑ひになったと承る。そして、次のやうな御製を詠ませられた。

 

 「丘に立ち 歌をききつつ 遠つおやの しろしめしたる 世をししのびぬ」

 

 昭和五十九年十二月、再び奈良県に御行幸になり、翌昭和六十年の新年歌會始に「旅」といふ御題で賜った御歌が、

 

 「遠つおやの しろしめしたる 大和路の 歴史をしのび けふも旅ゆく」

 

である。

 

 農業國家・稲作國家であった古代日本は、國民生活は旱魃や洪水などの自然環境によって大きく支配される。したがって、集団の統率者は常に祭りを行って、自然の恵みを願ひ感謝しそして自然災害が起こらないやうに神に祈る祭祀を行ふことが大きな使命であった。ゆゑに、祭祀は、天皇の重要な御使命であった。日本においては宗教と政治、祭祀と政治は一体であるべきである。これを<祭政一致>といふ。

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千駄木庵日乗七月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母と過ごす。

午後六時より、新宿の京王百貨店内太新楼にて、「7・28台湾ロケ激励と壮行そして決意表明の集い』開催。長谷川光良・根本善順両氏が決意表明。加瀬英明・大場俊賢・王明理・池内ひろ美の各氏などが祝辞を述べた。数多くの同志・友人が出席した。本当に久しぶりにお会いした方もいた。盛大にして活気あれる会合であった。

帰宅後は、原稿執筆。

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三輪山信仰とは

 三輪山は奈良県桜井市にある。大和盆地の東南にある山。麓に古道・山辺の道が通ってゐる。海抜四六七㍍。周囲十六㎞。紡錘形の美しい山。麓に大物主神を祭る日本最古といはれる大神(おほみわ)神社が鎮座する。この神社の御神体が三輪山である。したがって大神神社には神殿は無い。大物主神は三輪山の御神霊である。大物主命は出雲に祭られてゐる大國主命の和魂であり別名とされてゐる。大國主命は皇孫命が大和に都を遷されることを知り、御自らの和魂を大物主と名前を変えて大和の神奈備(注・地域社会・共同体ごとに信仰の対象になる神の山)である三輪山に鎮まられたとされる。

 

 三輪山にはつぎのやうな古来からの伝承がある。崇神天皇の御代に悪疫が流行した時、大物主神が、倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト・孝霊天皇皇女)に神憑りし、また、崇神天皇の夢枕にあらはれ、「意富多多泥古命(大田田根子命とも書く・オホタタネコノミコト)に私を祭らせなさい」といはれたので、天皇がそれを実行されると悪疫はなくなったといふ神話がある。

 また、意富多多泥古命の三代の祖の活玉依姫(イクタマヨリヒメ)が、男性が通って来た様子もないのに妊娠した。両親が「どうして子供を身ごもったのか」と聞いたところ、夜、夢の中に眉目秀麗な若者が訪ねて来ると答へた。そこで両親はその男の身許を知るために男の衣服の裾に麻糸を通した針を付けさせた。朝になってその親子が男が帰って行った跡を、糸でたどって追って行くと三輪山に着いた。そこでその男は三輪山の神であることが分かった。                

 

 御神体になってゐる山には必ず磐座(イハクラ)がある。京都の岩倉にも磐座があり神社がある。巨石信仰は世界共通である。巨石信仰を英語ではストーンサークルといふ。大きな石を幾つか置いてそこに神が降って来るといふ信仰である。

 

 三輪山には頂上・中腹・三号目の三ヵ所に石群が山を取り巻く輪になってるゐる磐座がある。だから三輪山と名付けられたといふ説もある。

 

 三輪山はわが國の原始信仰が今日において生きてゐる山である。わが國には地域社會・共同体ごとに信仰の対象になる神の山があった。これを神奈備(かむなび)信仰といふ。そして神奈備山には磐座といはれる巨石がある。特に大和盆地の東南に美しい形で横たはってゐる三輪山を大和地方の人々はの姿を毎日仰ぎながら生活して来た、そして、神奈備とし古くから崇めて来た。大和地方の人たちにとって三輪山は信仰の対象なのである。

              

 わが國は三輪山信仰などの太古からの信仰が今日唯今も生きてゐる。それも現代生活と隔絶した地域で生きてゐるのではなく、今日唯今の生活の中に生きてる。これが日本伝統信仰のすばらしさである。世界でも類ひ稀なことである。 

 

三輪山が大和地方の神奈備であるといふことは、三輪山はその地に都を置いてゐた大和朝廷の権威の象徴でもあったわけである。だから、敏達天皇の御代に、蝦夷の反乱を討伐して蝦夷の酋長を大和に連れて来た時、泊瀬川(はつせがわ)で体を清めさせて、三輪山の神の御前で大和朝廷への服従を誓はせたといふ。

 

 なぜ三輪山が大和の神奈備になったのかといふと、山の姿そのものが美しかったことにもよるが、それと共に大和盆地の東南に位置する三輪山の方角から太陽が昇って来たからである。そして大和盆地の上を太陽が渡って二上山の方角に沈んだ。故に太陽信仰・日の神信仰の象徴として三輪山が仰がれた。三輪山信仰は、山そのものを御神体として拝むと共に、三輪山の背後から昇って来る日の神への信仰・太陽信仰でもあったのである。

 

 三輪山の麓には檜原神社がある。ここは大和笠縫邑(ヤマトカサヌイノムラ)といはれ伊勢の神宮に祭られる前に天照大神が祭られた場所である。だから檜原神社を元伊勢と申し上げる。天照大神は最初に三輪山の麓に祭られた後、各地を経巡られて、最後に大和盆地の直線上東方に位置する伊勢の地に鎮まられたのである。

 

 また、三輪山の麓から真直ぐ西に行ったところに天皇御陵のやうに大きな大きな箸墓といふ古墳がある。倭迹々日百襲姫命の墓といはれてゐる。『書紀』には、この倭迹々日百襲姫命に大物主神が神懸りしたと伝へられてゐる。つまりこの墓は三輪山の神を祭った巫女の墓といふことである。

 

 邪馬台國畿内説をとる人は、この古墳は太陽神を祭った祭祀王である卑弥呼(ヒミコ)の墓であると言ってゐる。卑弥呼(ヒミコ)とは支那人が日本を蔑視してこのやうな漢字をあてたのであって、正しくは「日の御子」である。邪馬台國(ヤマタイコク)はいふまでもなく「大和の國」である。

                     

 何故、日本最尊・最貴の神であられ、御皇室の御祖先神であり太陽神であられる天照大神が女性神であられるかといふと、太陽神を祭る祭り主が女性であったから、祭る神が祭られる神になったからであるといふ。太陽神が祭り主と合体合一したのである。

 

 大和盆地をはさんで三輪山の向かひ側(即ち大和盆地の西方)にある二上山には、刑死された大津皇子(天武天皇の第三皇子)の御陵がある。二上山の麓には当麻寺といふ寺がある。この寺はわが國最初の浄土信仰の寺であり、浄土を描いた有名な『当麻曼荼羅』がある。つまり二上山は夕陽が入る山であるので他界(西方極楽浄土)の入り口と考へられたのである。

 

 そして二上山のを越した向かふ側には天皇御陵が数多く鎮まってゐる。さらに西へ真っ直ぐに直線を伸ばすと、國生みの神であられる伊耶那岐命・伊耶那美命を祭った神社がある淡路島に至る。

 

 伊勢の神宮起源の地といはれる伊勢の齋宮から、大和盆地の三輪山・檜原神社(元伊勢)・倭迹々日百襲姫命墓・二上山を経て、仁徳天皇御陵などの天皇御陵の鎮まる大阪府堺市百舌鳥、そして國生みの神を祭る淡路島に至るまで、東西に走る直線で結ばれる、まことに不思議な事実がある。これは太陽の移動する線と共に神々を祭る地があるといふことである。この線は北緯三四度三二分である。

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千駄木庵日乗七月十日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、原稿執筆の準備、資料検索、書状執筆など。

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2015年7月10日 (金)

國民主権・主権在民論は、祭祀主日本天皇を君主と仰ぐ君民一体のわが國體を隠蔽し破壊する思想である

世界各地の神話では、人類最初の男女神は人間を生んでゐる。しかし、日本神話では始源の男女二神たる伊耶那岐命・伊耶那美命はまず國を生んでゐる。ここに日本神話の大いなる特質がある。日本神話においては神が最初に生んだものが國なのである。しかも創造したのではなく生んだのである。また人は神の子孫であるとされてゐる。神と國・神と君主・神と民とは親子関係にあるのである。故に、日本國においては神と國と民とがその根源において一体なのである。そして神と國と民とを精神的に統合し一体化する御存在が天照大神の生みの御子であり、君主であり、祭り主であらせられる日本天皇なのである。

 

ところがキリスト教の神話においては神が最初に創造したものが人間であるとされてゐる。「創造する」といふことは創造者と被創造者との間は絶対的に隔絶しているといふことである。しかも神によって創造された人間は原罪を背負ふ。神と隔絶し原罪を背負った罪人である人間同士が契約を結び、かつその罪人である人間の中で武力・権力が優越してゐる者が君主となって國を治めるといふのである。故に、國家は人工的な存在であり本来罪を背負ってゐる。また本来罪人である國民同士の信頼関係は希薄である。君主も國民を力で強制することによって國家を治めるのである。

 

このキリスト教の國家観・人間観が西洋國家法思想・法思想の根幹となってゐる。だから国家と国民、君主と国民は契約を結ばねばならない。その契約書、言ひ換へると「権力の制限規範」が「憲法」といふことになるのである。『現行占領憲法』かかる思想が基盤になってゐるのである。

 

このやうに日本と外國との國家観・君主観の違いは大変大きい。そのことを端的に示したのが、北畠親房の『神皇正統記』冒頭の「大日本は、神國なり。天祖始めて基を開き、日神長く統を傳へ給ふ。我が國のみ此の事あり。異朝には其の類無し。此の故に神國といふなり。」といふ文章である。

 

日本天皇の御本質そして日本國の本質とは全く異なる西洋から発した思想を基本原理としてゐるのが『現行憲法』なのである。國民主権・主権在民論は、祭祀主日本天皇を君主と仰ぐ君民一体のわが國體を隠蔽し破壊する規定である。つまり『現行占領憲法』は國家の存立の基本を破壊もしくは否定せんしてゐるのである。 

 

今日において成文憲法を無くすことが不可能であるならば、一日も早く『現行占領憲法』の無効を確認し、日本國體に則った正しき憲法を回復すべきである。憲法を正しくすれば萬事が解決するといふわけではないが、正しき憲法の回復が日本國の政治と文化など全ての面の混迷を救ふ大きな道である。天皇を祭祀主と仰ぐ清浄なる道義國家たる我が國の姿こそ「國體」なのである。この國體の眞姿を回復して現状の日本の「悪」「穢れ」を祓ひ清めることが復古即革新即ち維新である。

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千駄木庵日乗七月九日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

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2015年7月 8日 (水)

この頃詠みし歌

言論の自由を叫ぶ奴原は偏向報道を繰り返すのみ

 

思ふ人天降り来るを待ち望み見上げる空に三日月浮かぶ

 

三日月と言へば市川右太衛門天下御免の向ふ傷なり

 

外敵に組する輩が大声で吠えまくりゐるがくやしかりけり

 

内外(うちそと)の醜き輩を討ち滅ぼし日の本の光を輝かさむかな

 

朝空に白雲なびきさやけくも今日の一日(ひとひ)を生き行かむとす

 

生きてゐませば百十八歳となりたまふ中河与一師を偲ぶ初夏の夜

 

懐かしき師の写真見て遠き日に共に旅せし下北を思ふ

 

上高地のウェストン祭で師と共に雨に濡れつつ山道を行きぬ

 

この国の初発(はじめ)のことが語られし国生み神話の面白さかな

 

「あなにやし、えをとめを」と宣りたまひ国生みませし日の本の神

 

警察官が多く立ちゐる梅雨の夜わが町千駄木に事件起りたり

 

今日もまた母の笑顔を見てうれし幼子の如くになりたる母の

 

たらちねの母は元気に大声で我を叱咤する施設の小部屋

 

わが母の元気な声に励まされ我はこれからも生きてゆくなり

 

和光前で待ち合はせたる老人は足取りたしかに銀座を歩く

 

久しぶりに越前そばを食したり越前の国に生まれし人と

 

越前そばともに食しつつ春嶽公橋本左内のこと語り合ふ

 

露に濡れし木々をくぐりて詣でける観音堂は静かなりけり

 

雨に濡れし緑の木々の葉の光 命の力漲りてをり

 

去り行きし人一人ゐてさみしくも思ひ出しをりその温顔を

 

 

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千駄木庵日乗七月八日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、南大塚地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。小生が、大伴旅人・大伴家持の歌を講義。

帰途、参加者の方と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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「聖帝」について

 『古事記』には、仁徳天皇の世を聖帝の世と言ふと記されてゐる。仁徳天皇は、高い山に登って四方の国をご覧になり、「国の内に炊煙が立たないのは国民が貧しいからだ。これから三年間国民から税金を取るのをやめよう」と仰せられた天皇で、「聖帝」と讃へられた。

 

『日本思想体系・古事記』の「補注」において佐伯有清氏は、「(聖帝の注)『聖』とは、耳と呈(貞即ち正)から成り、耳聡く聞き分ける人、神秘的な洞察力のある人物。農耕社会では時候の推移を洞察して農事を指導することが、対立する主張を聴取して調整することと共に、王たるべき者の責務であるから、聖と王とは結びつきやすい」と論じてゐる。また『角川当用漢字字源辞典』(加藤常賢・山田勝美著)によれば、「意味を表わす『耳』と『口』と、音を表す『壬』とからなる形声字。…耳の穴がよく開いていて普通人の耳に聞こえない神の声の聞こえる意。…古代社会においては、普通人の聞きえない神の声を聞き分けうる人を『聖』と呼んだものであろう」と言ふ。

 

一般人が聞きえないことを聞く人といふのは、聴覚器官が普通の人より発達している人といふことではなく、神霊の声を聞く人といふことであり、祭り主といふことである。神の声を聞いて民に伝、民の声を聞いて神に申し上げるといふ神と人とをつなぐ役目を果たされる祭り主が天皇のなのである。

 

また、<やまとことば>の「ひじり」(漢字では「聖」と書く)とは、「日を知る人」の意である。日とは文字通り太陽のことであり、天体の運行に通暁してゐる人のことである。天体の運行即ち暦は農業にとってきはめて重要である。これを知ってゐる人が農耕国家の君主たる資格を持つ。また「日」は「霊」であり、「ひじり」は「霊力を有する神聖な存在」といふ意味でもある。 

 

本居宣長は、「日知り」を「日の如くして天下を知らしめすといふ意なるべし」としている。「日の神・太陽の神の如くわけへだて無く天下を統治される天皇の御代」を「日知りの御代」と言ったのである。

 

ともかく、日本伝統の「ひじり」についての考へと支那の「聖」といふ字の意義とが結合して「聖帝」といふ考へが生まれたのである。民の心を知りたまひ(しろしめす)聞きたまふ(きこしめす)ことが天皇の国家統治の基本なのである。 

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千駄木庵日乗七月七日

午前は、諸雑務。

午後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2015年7月 7日 (火)

天皇の国家統治とは

天皇の国家統治の御事を「しらす」「しろしめす」と申し上げる。「やまとことば」の「しろしめす」は「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」といふ敬意を添へる語を付けた言葉である。「知る」とは「関係する」「司る」といふ意味である。「しらす」「しろしめす」とは単に知識を持ってゐるといふ意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するといふほどの意であろう。今日でも「そんなことは知りません」といふのは、単に知識として知らないといふ意味以上に、「私には関係がない」といふ意味も含まれる。

 

『續日本紀』に収められてゐる文武天皇の宣命には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代」と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読む。

 

文武天皇の宣命にはさらに「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されてゐる。

 

また『萬葉集』巻十八所収の大伴家持の長歌に「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代…」とある。

 

「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)といふ、きはめて宗教的・信仰的な意義がある。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 

<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。天下の一切の物事を「お知りになる」といふことは、<無私>の境地であられるといふことであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれてゐるといふことである。

 

先帝昭和天皇陛下が、よく「あっそう」といふお言葉をお発しになられたのは、まさに無私と慈愛の心で相手の言ふ事をお聞きになられお知りになったといふことである。有難き限りである。

 

天皇の國家統治のことを「しらしめす」と申し上げるのは、天皇が無私と慈愛の御心で天の下の全てを認識されることである。それは、天皇が鏡の如く「無私」の御存在であるから可能になるのである。天皇が鏡の如く全てを映し出す「無私の御存在」であればこそ、全てを領知され認識され司られることができるのである。天皇國家統治の「みしるし」である三種の神器の一つが「鏡」であるのはそのことをあらはしてゐる。天皇は自己を鏡となして一切のものごとを映し出される御存在である。

 

近代日本の哲學者・西田幾太郎は、「知と愛とは同一の精神作用である。それで物を知るにはこれを愛せねばならず、物を愛するのはこれを知らねばならぬ」と言ったといふ。

 

知ることと愛することは一体である。愛とは捨身無我である。自分を相手のために捧げるのが愛の極致である。自分を無にしなければ本当に相手を知ることは出来ないし、愛することもできないのである。天皇陛下の國家統治もご自分を無にされて天下萬民を愛されることなのである。

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千駄木庵日乗七月六日

午前は、諸雑務。

午後は、平河天満宮に参拝。

この後、平河町の先輩の事務所訪問。懇談。

午後六時より、赤坂の日本財団ビルにて開催された『第九五回東京財団フォーラム歴史和解は可能かー日中・日韓路日米の視座から』開催。川島真東京大学大学院総合文化研究科教授、西野純也慶応義塾大学法学部准教授、細谷雄一慶応義塾大学法学部教授、渡部恒雄東京財団上席研究員が討論。質疑応答。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2015年7月 6日 (月)

萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 七月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区南大塚地域文化創造館

 

東京都豊島区南大塚二-三六-一 〇三-三九四六-四三〇一 「東京メトロ 丸ノ内線 新大塚駅」一番出口より徒歩八分。JR山手線 大塚駅」(南口)より徒歩五分。「都電荒川線 大塚駅前駅」より徒歩五分。都バス「大塚駅」停留所より徒歩五分 (都〇二、上六〇)

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

 

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

 

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國體と政体について

筧泰彦氏は次のように論じてゐる。「英語のネイションといふ語は元ラテン語のntioの複数形であるntionesに由来してゐます。それは『生まれたもの』を意味してゐますが、しかし西欧ではそうしたネイションはステイト(State)とは別物であります。ステイトは『国家』と訳されていますが、これは権力団体であります。これは全く人為的に作り上げたものにすぎません。日本国家はさうした人為を基にしたものではなく自然に生れ出たものであます。日本の国家は、同一の血縁とその意識が土台になってゐますが、家や氏族といふ様な狭い血縁のみの共同体ではなく、同一の土地や、同一の言語、同一の風俗習慣など、特に歴史的・文化的伝統を一つにする人々の一体であります。さうした大生命の具現たる國の上に、それに基づいて権力的・統一的な組織たるステイトが構築されている国家で、大生命を具現している国家なのであります。現在の歴史世界が始まって以来、その自然の一大生命を枯らすことなく保持して来ました。」(『日本語と日本人の発想』)と。

 

三島由紀夫氏は次のように論じてゐる。「私は統治的国家と祭祀的国家とあると考えて、近代政治学の考えるネーションというのは統治的国家だけれども、この統治的国家のために死ぬということはぼくはむずかしいと思う…もう一つネーションというものは祭祀的な国家というものが本源的にあって、これは管理的機能あるいは統治機能と全然関係がないものだ。ここにネーションというものの根拠を求めなければ、私は将来守ることはできないのだという考えを持っている。それと文化、これはごく簡単に考えればラショナル(注・合理的、理性的)な機能を統治国家が代表して、イラショナル(注・非理性的、非合理的)なイロジカル(注・非論理的)な機能はこの祭祀国家が代表している。ほくの考えるよき国家というのは、この二つのイロジカルな国家とロジカル(注・論理的)な国家が表裏一体になることがぼくの考えるいい国なんですよ。…天皇でなければだめなんです。どうしても祭祀国家の大神官いがいなくちゃならんですね。」(村上一郎氏との対談『尚武の心と憤怒の抒情』所収)と。

 

この二つの文章には、「ステイト」「ネイション」といふ言葉についての捉え方に違いがある。しかし、日本国の「祭祀共同体としての国家」と「権力機構としての国家」との関係が論じられてゐる。

 

『大日本帝国憲法』は第一条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」という条文は、祭祀国家・自然に生まれ出た国家としての日本のことが書かれている。第四条の「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」という条文は、筧氏の言う「権力団体としての国家」、三島氏の言う「統治国家」における天皇の権能が書かれているのである。ただし、『大日本帝国憲法』第一條の「統治ス」とは、権力行為ではなく、三島氏の言う大神官即ち祭祀国家日本の祭祀主としての権能のことである。

 

祭祀共同体としての国家は國體であり、権力機構としての国家は政体であると理解して良いと思われる。『大日本帝国憲法』は、國體と政体を正しく分けて、第一條から三條は「國體」が書かれ、第條以下は「政体」が書かれている。まことに理想的な憲法である。

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千駄木庵日乗七月五日

午前は、諸雑務

午後一時より、銀座にて、遠来の先輩の懇談。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2015年7月 5日 (日)

千駄木庵日乗七月四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

午後五時より、初台の新国立劇場で行われた『明るすぎる劇団東州第六回定期公演』鑑賞。深見東州氏が懐かしい歌の数々を熱唱。

帰宅後も、原稿執筆の準備。憲法論を書こうと思っております。

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わが国は、馬英九国民党外来政権打倒・台湾独立達成の戦いを支援すべし

「抗日戦争勝利七十周年」だと?。馬鹿なことを言うな!。日本は国民党軍に負けなんていない。大陸では日本は国民党軍に勝っていた。終戦後、台湾を不法不当に占拠したのが国民党軍だ。今年は国民党軍の台湾侵略七十周年である。わが国は、馬英九国民党外来政権打倒・台湾独立達成の戦いを支援すべし。

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2015年7月 4日 (土)

「國體」について

やまと言葉の「クニ」には、支配者と被支配者とが、相対立し従属と従属の関係にある「権力機構としての國家」といふ意味はなかった。祭祀主たる「すめらみこと」を君主と仰ぐ信仰共同体、祭祀國家が日本國の本来の國體である。権力機構としての國家の姿形を「政体」と言ふ。

 

村尾次郎氏は、「祖國(father land)と國家(state)とのニ語は全然違った意味で…祖國は字の示す通り過去につながる言葉であって、自分の心の中に生きている歴史的國家、つまり精神的な観念である。これに反して國家は、現在の政治や経済に関係する一種の権力関係を抽象的に表した言葉である。…我々の心に宿っている國家は、幾千年という永い年月にわたって活き続けてきた過去の一切の價値の高い文化の綜合統一である。」(『運命の学としての歴史学』)と論じてゐる。

 

村尾氏の言う「祖國」「我々の心に宿っている國家」は、「天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體」と言い換えても誤りではないと思う。

 

「國體」といふ言葉について吉田松陰は、「國俗と國體とは自ら別なり。大抵、國自然の俗あり。聖人起りて其の義を采り、其の悪を濯(あら)ひ、一箇の体格を成す時は、これを國體と云ふ。」と論じてゐる。

 

松陰は、「國體」とは単に國の風習・風俗のことを言ふのではなく、聖なる人を君主と仰ぎ、道義精神を確立して、悪を除去し、一つの道義國家としての品格が成立している姿を「國體」と言ふ、と論じてゐるのだと思ふ。

 

天皇を祭祀主と仰ぐ清浄なる道義國家たる我が國の姿こそ「國體」なのである。この國體の眞姿を回復して現状の日本の「悪」「穢れ」を祓い清めることが復古即革新即ち維新である。

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千駄木庵日乗七月三日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

夕刻、西日暮里にて、友人と懇談。

帰宅後も、原稿執筆の準備など。

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2015年7月 3日 (金)

祭祀国家日本国は、君主たる天皇と、国民と、国が生命的に一体の関係にある

世界各地の神話は、神は人間を創造し天地を造っている。日本神話においては、伊耶那岐命・伊耶那美命の二神は、國を生んでいる。日本神話は、日本という国の生成が語られている。すめらみこと・日本天皇を祭祀主とする祭祀国家日本の成立の物語が日本神話なのである。神話の初めより、伊耶那岐命・伊耶那美命の「むすび」によって大八島といふ日本の国土が生まれてゐる。さらに、伊耶那岐命・伊耶那美命は、八百万の神々をお生みになり、さらに天照大神をお生みになった。日本国土も、八百万の神々も、天照大神も、伊耶那岐命・伊耶那美命から生まれた「はらから」なのである。

 

 

村岡典嗣氏はこのことについて、「日本國家を形成せる國土(即ち大八島)と元首(天照大神)と、而してまた國民(諸神)とが、同じ祖神からの、神的また血的起源であるといふことである」(『日本思想史研究四』)と論じてゐる。村岡氏は「元首」といふ言葉を使っているが、「元首」は「head of state(権力機構の頭首)という意味であり、天皇の御本質とはく異なる。従って「君主」あるいは「すめらみこと」と言うべきである。

 

祭祀国家日本国は、君主たる天皇と、国民と、国が生命的に一体の関係にあるといふことである。現代的に言ひ直すと、国家成立の三要素たる君主・国民・国土が一体の関係にあるということである。国家・君主・国土は相対立する関係ではないし、況や、君主と国民はあい対立して国家権力を争奪する関係でもないのである。

 

日本は契約国家でもないし、権力国家でもない。日本は祭祀国家であり、天皇を祭り主と仰ぐ信仰共同体である。それが日本国家成立以来今日まで変わることなく続いて来ているのである。これを万邦無比の日本國體と言ふ。

 

日本民族は国家観は、西欧近代の国家観とは全く異なる。西洋国家観に基づく「現行占領憲法」は、祭祀共同体としての日本国の國體を隠蔽している。いちいちも早く、「現行憲法」は否定されなければならない。

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千駄木庵日乗七月二日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、原稿校正、原稿執筆の準備、資料の整理など。

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2015年7月 2日 (木)

「偏向メディア」「亡国野党」による「言論の自由」抑圧を許すな!

自民党・大西英男衆院議員が「安保法制について全く事実無根の、戦争に導くあるいは徴兵制、全く関係ないじゃない、そう報道している一部マスコミがある。こういうことを懲らしめなければいけない。そういった誤った報道をするようなマスコミに対して、私は広告なんかは自粛するべきじゃないかなと個人的には思いますよ」と言ったのは正論である。虚偽報道に対してこれを懲らしめるのは当然すぎるほど当然である。

 

今回の大西英男議員の正論に対して、自民党の二階総務会長は「そこはやっぱり、言いたい放題をね、言って歩いたらいいというもんじゃない」と述べた。

民主党の安住国対委員長代理は「特に政権政党であれば、絶対使っちゃいけない。一言で言えば、放送禁止用語みたいなものですよ」と述べた。


民主党の安住国対委員長代理が「放送禁止用語みたいなもの」という発言こそ言論抑圧だ。自分たちの気に入らない発言を「放送禁止用語だ」などと言うこと自体が「言論の自由」の抑圧そのものである。こんな政治家はまさに懲らしめなければならない。

 

自民党の二階総務会長は「そこはやっぱり、言いたい放題をね、言って歩いたらいいというもんじゃない」と述べたが、「言いたい放題を言って歩くことを「言論の自由」と言う。これを抑圧するのはまさに「憲法違反」である。偏向メディアの「言いたい放題」はほっておいて、自民党政治家の発言を「言いたい放題」と批判するのはおかしい。二階氏も懲らしめねばならない。

 

松沢成文・次世代の党幹事長の次の発言はほぼ正しいのではないか。

 

「自民党の若手勉強会での発言について、評論家である百田(尚樹)さんがどこで何を言おうと、これは評論家の表現の自由だから当然だ。ただ、自民党の国会議員は政権与党で権力を行使できる立場にいる。そういう方々が、自分たちの政策がうまくいっていないことをメディアに責任転嫁するのは、言語道断であり本末転倒だ。とはいえ、この件について総理が謝罪することはないと思う。(自民党)青年局長の木原(稔)さんを更迭するというのもちょっとやりすぎだ。事前に幹事長室に届けていたのに、内容が悪いから更迭というのはちょっと行き過ぎだと思う。今回、自民党の若手議員の発言で、安全保障関連法案の審議時間が費やされている。野党がこういう問題に触れないとは言わないが、こういう問題に時間を費やすのではなく、法案の中身に対する議論を徹底してやっていきたい。こういう問題で審議の時間を長く使うべきではない。」

 

今回の一連の事態は、偏向メデイァ・亡国野党に対する批判を封じ込める大策謀が始まったと見るべきだ。これこそまさにメディアという第四権力・野党という権力集団による理不尽な「言論の自由」抑圧である。それにしても自民党の弱腰は困ったものだ。自民党は弱腰にならず毅然として立ち向かい反撃すべきだ。自民党は反転攻勢をかけてメディアの偏向報道を糾弾すべきだ。謝ってばかりいてはますます窮地に陥る。

 

「大江健三郎・福島瑞穂・志位和夫を国家反逆罪で逮捕せよ」「朝日新聞を焼き討ちせよ」と言うのも「言論の自由」、「テレビ朝日・朝日新聞をぶっ潰せ」「辻元清美、瀬戸内寂聴を北朝鮮の政治犯収容所に送り込め」と言っても、それは「言論の自由」である。

 

自民党内の会合での出席者の発言を盗み聞きして非難攻撃している亡国野党・偏向メディアこそ言論の自由を抑圧している。自民党議員が何を言おうとそれこそ言論の自由である。偏向メディアは自分たちにとって気に入らない主張や議論を封殺し、都合の悪い事実は報道して来なかった。これこそ言論の自由の封殺、国民の知る権利の封殺である。

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日本神話に示されている日本人の神観・国家観を正しく回復しなければならない

『古事記』に示されてゐる日本人の神観・国家観を正しく回復しなければならない。

 

造化三神→伊邪那美命・伊邪那美命→天照大御神→邇邇藝命→神武天皇→歴代天皇、といふ神聖なる霊的系譜(神統・皇統)を正しく開顕しなければならない。

 

 わが国は、信仰的・祭祀的統一によって形成された国家である。そしてその祭祀主が天皇であらせられるのである。祭祀国家として約三千年の時間的連続・歴史を有してきたことが最も大切な日本国の本質であり、日本國體の尊厳性なのである。わが國體が万邦無比と言われる所以もここにある。

 

 日本国は、國家の意思を最終的に決定する權力たる主権を持つ国民の意思によって形成された国家、すなわち権力国家・統治システムとしての国家ではない。 

 

 日本国家の生成は「記紀神話」に伝えられている。『記紀』によると、国家成立の三要素たる国土・君主・国民は、伊耶那岐命・伊耶那美命二神から生まれ出た存在であり、命の源を一つにする「はらから」である。天皇と国民と国土は霊的・魂的に一体の関係にある

 

神話とは、現実の歴史を反映し理想化して描いた物語であり伝承である。日本国の祭祀的統一の歴史が、神話において物語られた。君主と国民とは対立関係にあるのではないし国家と国民も対立関係にあるのではないことは、日本神話に示されてゐる。

 

『萬葉集』は古代日本人の國體精神を歌ひあげた歌が数多く収められてゐる。『記紀』『萬葉』はわが国の真の意味の古典であり、決して単にる「文学」ではない。神社界でも神典として『古事記』『日本書紀』『古後拾遺』『宣命』『令義解』『律』『延喜式』『新撰姓氏録』『風土記』『萬葉集』は「神典」として尊ばれてゐる。

 

日本國は神の生みたまひし国である。日本国の肇国・建国・生成は、決して武力や権力による統一・結合そして支配被支配関係の確立ではない。伊耶那岐命・伊耶那美命は、自然神であると共に、人格神であらせられた。

 

岐美二神はお互ひに「あなにやし、えをとめを」「あなにやし、えをとこを」(『本当にいい女ですね』『本当にいい女ですね』)と唱和されて、国生みを行はれた。二神の「むすび」「愛」によって国土が生成されたのである。国土ばかりではなく、日本国民の祖たる八百萬の神々もそして自然物も全て岐美二神の「むすび」よって生まれたのである。

 

国土も自然も人も全てが神の命のあらはれであり、神霊的に一体なのである。これが我が国太古からの国土観・人間観・自然観である。

 

日本神話においては、天地が神によって創造されたのではなく、二柱の神の「愛・むすび」によって国土が生まれた。つまり神と国土・自然・人間は相対立し支配被支配の関係にあるのではなく、神霊的に一体の関係にあるのである。ここに日本神話の深い意義がある。神と人とが契約を結び、神は天地を創造し支配するといふユダヤ神話とここが全く異なる。

 

伊耶那岐命が伊耶那美命に「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。故(かれ。だから・註)この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はぬ処に、刺し塞ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまふた。伊耶那岐命が「国土を生みなさむ」と申されてゐるところに日本神話の素晴らしさがある。

 

中西進氏は、「(世界各地の神話は・註)人類最初の男女神は、人間を生んでいる。國を生むのではない。ところが、日本神話ではそれが國生みに結び付けられ、国土創造の話に転換されている。これは日本神話の特色で…」(『天つ神の世界』)と論じられてゐる。

 

岐美二神は、単に大地の創造されたのではなく、国土の生成されたのである。太古の日本人は劫初から、国家意識が確立してゐたのである。

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千駄木庵日乗七月一日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿の校正など。

この後、施設に赴き根母に付き添う。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆。

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2015年7月 1日 (水)

『特別展 錦絵誕生250年 春信一番! 写楽二番! フィラデルフィア美術館浮世絵名品展』を参観して

今日参観した『特別展 錦絵誕生250年 春信一番! 写楽二番! フィラデルフィア美術館浮世絵名品展』は、「今から250年前の江戸中期に登場した、色鮮やかで錦のように美しいことから『錦絵』と呼ばれる多色摺の浮世絵展である。錦絵の登場は、人々の暮らしにゆとりが生まれ、様々な町人文化が花開いた江戸という時代に起きた色の革命である。実はこのことは、カラーの印刷物をふつうに庶民が楽しむという、世界を見渡しても類を見ない奇跡的な出来事でした。浮世絵は、現在、世界各地の美術館に所蔵されているが、なかでもアメリカ北東部にある全米屈指の美術館であるフィラデルフィア美術館には、4000点以上の浮世絵コレクションがあります。しかしながら、これまでほんの一部の作品が里帰りしただけで、その全体像が日本に紹介されたことはなかった。。今回、三井記念美術館で開催される「春信一番!写楽二番!」展では、フィラデルフィア美術館が誇る浮世絵のコレクションから、150点の名品を厳選し日本で初公開します」との趣旨で開催された。

 

錦絵誕生以前の鳥居派の役者絵などの初期浮世絵からはじまり、錦絵草創期の鈴木春信(はるのぶ)の作品を中心に、黄金期の鳥居清長(きよなが)、喜多川歌麿(うたまろ)、そして希少な東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)の大首絵までを展観。加えて葛飾北斎、歌川広重の風景画から上方浮世絵が展示されていた。

 

初代鳥居清信「二代目市川団十郎の鳴神上人と中村竹三郎の雲の絶間姫」、鈴木春信「やつし芦葉達磨」、初代喜多川歌麿「歌撰恋之部 稀ニ逢恋」、東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」、葛飾北斎「富嶽三十六景 凱風快晴」、流光斎如圭「初代尾上新七の一色結城守」、歌川国芳「かごのとりすゞめいろどき」が素晴らしかった。

 

絵画彫刻などの美術作品は時代が下ると共にすぐれた作品になるとは限らない。むしろ古い時代の方が良き作品が多い。しかし、錦絵は時代が下がるにしたがって、作品が見事になっている。新しい分野の芸術だからであろうか。

 

喜多川歌麿・葛飾北斎・東洲斎写楽の作品がやはり印象に残った。歌麿の美人画、北斎の風景画、写楽の役者絵はやはり見事であった。武家の生まれた人が絵師になることが多いようだった。やはり泰平の世であったからだろう。

 

錦絵は江戸期の庶民に愛された芸術であり、且つ、今日に於いてもその芸術的価値を失わないどころか、益々高くなっていることに驚きを感じざるを得ない。しかし、何故海外にかくも多くの作品が流出してしまったのか、不思議である。

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千駄木庵日乗六月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、日本橋室町の三井記念美術館にて開催中の『特別展 錦絵誕生250年 春信一番! 写楽二番! フィラデルフィア美術館浮世絵名品展』参観。

帰宅後は、『月刊日本』連載中の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。資料の整理。

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