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2015年6月25日 (木)

宗教というものの怖さとについて

キリスト教やユダヤ教に関する本を読んでつくづく思いますのは、宗教というものの怖さということです。ユダヤ教・キリスト教・回教は同根であるにもかかわらず、二千年近くにわたって激しい宗教戦争を繰り返し、今日に至っております。一神教のみならず、仏教系の教団でも、宗派争いや内部抗争は凄まじいものがあります。日蓮正宗と創価学会の争いがその典型です。「ポア」とか言って殺人を肯定したオウム真理教というのもありました。

 一体、宗教戦争・宗教対立でこれまでどれ程の人が犠牲になってきたでしょうか。これに共産主義思想というのを加えますと、人類を幸せにすると広言する思想や宗教がかえって人類を闘争と殺戮に駆り立てといっても決して過言ではありません。そしてこのことは、今日唯今の現実なのであります。

 

私も、高校時代大学時代に生長の家という宗教団体に所属して、活動をしていましたので、自分の信ずる宗教教団そしてその教祖を絶対視する精神構造・心理状態というものを経験しました。反対者に対する憎悪というか、反発心というものが非常に強くなるのです。特に同じ教団に所属していたにもかかわらず違う生き方をするようになった人への憎悪はより激しいものとなります。近親憎悪であり、裏切り者・背教者への憎悪です。愛を説き、慈悲を説く宗教教団が、全くその逆の憎悪・排撃の心を駆り立てるのです。私の所属していた教団は、教祖の孫で三代目を継いだ人が、教祖の教義を改竄し隠蔽し、そのことを批判する人々はたとえ兄弟と雖も教団から追放しました。

 

「灯台もと暗し」という言葉がある。灯台のすぐ下は光に照らされないので暗いという意味でしょう。「他人のことばかり批判して自分のことを顧みない」「坊主の不信心」「医者の不養生」「論語讀みの論語知らず」と同じ意味で用いられる言葉です。生長の家の創始者谷口雅春師は、「七つの灯台の点燈者の神示」という神示を神から受けたとされています。その灯台は人類を救う光という意味が込められています。

ところが谷口雅春師の実の孫にして教団の三代目を継いだ谷口雅宣氏は、生長の家の教えの根本であり、その「七つの灯台の点燈者の神示」に示されている「天地一切のものと和解せよ」「汝の父母に感謝せよ」「汝の兄弟と和解せよ」ということが全く実践できないのであります。三人の実の兄弟そしてその配偶者を教団から追い出し、裁判沙汰にまでなり、最近は、実の母親即ち谷口雅春師の一人娘の方まで、四国の次女のもとに去られたといいます。

 

根本的教義を全く実践できない人が教団の後継者となっているのです。こうしたことを「灯台もと暗し」と言うのです。一教団のことではあますが、かつては愛国運動を活発に繰り広げていた教団であり、小生がかつて熱心に活動していた教団であるのであえて書かせていただきました。

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