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2015年6月20日 (土)

天皇と民の心をつなぐものが「やまとうた」

天皇は、神の御心のままに國を治められると共に、臣下・民の心を良くお知りになり、お聞きになって、この國を統治あそばされるのである。そして、天皇と民の心をつなぐものが「やまとうた」=和歌である。

 

天皇は御製によってその御心を民に示したまひ、民もまた歌を捧げることによって民の心を天皇にお知りいただくのである。その傳統は、毎年行はれる「新年歌會始」に継承されてゐる。

 

したがって、天皇の國家統治とやまとうたは切り離し難く一体である。君民一体の國柄は和歌によって保たれて来た。神代より、今日に至るまで、高下貴賎の区別なく継承されて歌はれて来た日本代表文藝が和歌である。このやうな優雅にして清らかなる君民一体の國柄は他の國には見られない。

 

小田村寅二郎氏は、「遠い遠いところに居られるやうに感じてゐた御歴代の天皇がたが、御歌を拝読するわれわれの目の前に、身近にお姿を現され、お聲をかけてくださるやうな気さへしてくる。『詩歌』とはまことに不思議なものであり、とくに『和歌』を介しての作者と読者とは、時空の隔たりを超えて心一つに通ひ合ふことができさうである。」(『歴代天皇の御歌』はしがき)と論じてゐる。

 

わが民族は、「やまとことば」とりわけ和歌には靈力がこもってゐると信じて来た。これを言靈信仰といふ。日本文藝の発生は、神への祝詞・唱へ言である。わが國の文藝(歌・物語)の起源は祭りにおいて神に奏上する詞から発生した。「やまとうた」や物語は、祭りから発生し、その本質は藝術といふよりも、祭祀に於ける「唱へごと」としての存在であった。神への「訴へ」が歌であり、神への「語りかけ」が物語の起源である。

 

歌に籠る言靈を神に捧げることが祭祀において最も大切な行事である。神にものごとを訴へ祈る人間のひたすらなる営為が、和歌を発生させたのである。

 

和歌は宮廷を中心として継承されて来た。日本國民は和歌の正調は宮廷の歌にあると考へ、「宮廷ぶり」「みやび」を大切にして来た。和歌に限らず、日本文藝そして日本文化全体の軸が、天皇・皇室である。

 

阿部正路氏は、「日本の和歌が、世界でもっとも長く美しい傳統に輝き得たのは…勅撰集に明らかに見ることのできる、一系の天皇の、和歌に対するゆるぎない信頼の中においてこそ悠久の世界を具体化し得たのであった。」(「和歌文学発生史論」)と論じてゐる。

 

大化改新の後の「萬葉集」編纂、平安時代の國風文化再興としての「古今和歌集」編纂、後鳥羽上皇の國體明徴化の戦ひの時の「新古今和歌集」編纂と同じやうに、明治維新においても「勅撰和歌集」が編纂されるべきであった。それが為されなかったのは、いはゆる欧化・文明開化の風潮が時代を覆ったためと思はれる。ここに近代日本の大きな欠陥があった。

 

ただし、明治天皇さまが十萬首に近い御製をお詠みになったことは、いかなる時代にあっても日本の傳統文化は、天皇・皇室によって正しく継承されることを証ししてゐる。皇室におかせられては、今日も、祭祀と和歌といふ日本伝統の核となるものを正しく継承されてゐる。

 

近世以後今日に至るまで、「勅撰和歌集」が編纂されなくなってゐるのは、わが國の國柄が正しく開顕せず、和歌文藝の道統が衰微してゐるといふことである。混迷する今日においてこそ、「勅撰和歌集」の撰進が行はれるべきである。

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