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2015年6月30日 (火)

日本伝統信仰と一神教

イスラム教徒にとって理想郷とは、川が流れ泉があり緑のある所である。エデンの園とはさういふ所である。『コーラン』には次のやうに記されてゐる。「神は、男の信者にも女の信者にも、下を河川が流れ、そこに永遠にとどまるべき楽園と、エデンの園の中のよき住まいとを約束したもうたのである」「楽園には木々が生い繁る。…流れ出る泉が共にある。…深緑に包まれている」「神を懼るる人々に供えらるるは安き場所、緑したたる果樹園とたわわに實る葡萄園」。

 

泉が涌き、川が流れ、緑滴る楽園、それはまさに「緑の日本列島」である。日本のやうな気候風土の國こそ、砂漠の宗教にとって「楽園」であり「天國」なのである。

 

時に地震や津波に襲われ年に何回かは台風がやって来るが、中東の砂漠地帯と比較すると穏やかな風土の緑豊かな地に生まれた日本伝統信仰の神々は、自然と一体であり自然の中に宿る。不毛な風土の砂漠地帯に生まれた一神教の神は、自然と対立しこれを支配し征服する神である。日本伝統信仰は、自然を「神のいのち」として拝ろがむ精神を持ってゐるが、一神教の自然観は、人間は神の命令により自然を征服し支配し改造する権利を与へられてゐるといふ信仰があるので、庭造りにしても、自然を改造して美しさを作り出すのである。

 

『創世記』には、「神いひ給ひけるは、『我等に象(かたど)りて、我等の像(かたち)のごとくに我等人を造り、之に海の魚と、空の鳥と、家畜と全地と地に匍ふ處の諸(すべ)ての昆蟲(はふむし)を治めしめんと。』…『生めよ殖えよ、地に滿てよ、地を從がはせよ。又海の魚と空の鳥と地に動く所の諸(すべ)ての生き物を治めよ、…』」と記されてゐる。

 

この神の命令により、神の形の如く造られた人間は、自然を征服し支配し改造し操作し利用する権利があるとされる。これが西洋における自然改造の手段としての科学技術や機械の発展の精神的基礎であると言へる。近代科学技術はこのような自然観を基礎として発達し、それによって人間は便利な生活を享受したが、反面、そのために自然を破壊しつつあることも事實である。

 

宗教には、救済宗教と祭祀宗教の二つがあるといはれる。そしてキリスト教が救済宗教で、神道は祭祀宗教であるといふ。しかし、祭祀は自己の罪穢れを祓ひ清め神と一體となる行事であるから、救済宗教の性格も持ってゐる。自然は人間と対立するものではないといふ信仰即ち自然を神と拝ろがむ日本の傳統的信仰精神が自然破壊を防ぐ。「祭祀」が、自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となると考へる。

 

「祭祀」および「直會」は、神と人との一體感を自覚する行事であると共に、それに参加する人々同士の一體感も實感する行事である。〈神と人との合一〉〈罪の意識の浄化〉を最高形態としてゐる信仰は、日本伝統信仰・神ながらの道である。お互ひに神と一體となりお互ひが一體となる「まつりの精神」が世界に広まれば世界は平和になるとと思ふ。

 

日本伝統信仰が、世界宗教になり得るか否かといふのは難しい問題である。「まつり」を基礎とした魂的信仰的一體感が、世界人類の交流と共存の基盤となる。「まつり」が世界で行はれるやうになれば世界は平和になるのではあるまいか。ただし、今日の日本の荒廃した状況を見ると、まずもって日本人自身が、日本傳統信仰に回帰しなければならない。

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