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2015年6月28日 (日)

「その宗教が本ものかどうかを見分ける方法」について

曽野綾子さんによると、その宗教が本ものかどうかを見分ける方法は、次の通りであるという。

 

「(一)教祖、指導者が質素な慎ましい祈りの生活をしているかどうか。

(二)自分が生き神さまだとか、仏の生まれ代わりだとか言わないかどうか。

(三)宗教の名を借りて金銭を集めることを強要しないかどうか。

(四)宗教団体の名で、選挙と政治を動かすような指令を出さないかどうか。

 

この四つが正しく守られていれば、それは恐らくまともな宗教であろう」(曽野綾子氏著『自分の顔、相手の顔』)

           ○

この四つの尺度を厳しくあてはめれば、今日の日本の新宗教・新新宗教の殆どは「本物の宗教」「まともな宗教」ではないということになろう。

 

戦前・戦後・そして現代にかけてわが国に一体何人の救世主・生き神・生き仏が出現した事か。そしてその多くの教祖たちは一般庶民と比較するとはるかに裕福な生活をしていた。全く選挙運動をしなかった教団は少ないし、強制的に金品を収奪する教団も多い。

 

それでも、入信し、活動している人々がそれで満足し、幸福感を味わっているのなら、それでいいのかもしれない。しかし、曽野氏の言う四つの事が余りにも度が過ぎている宗教、国家社会に害毒を及ぼす宗教はやはり良くない。

 

私は、信仰心・宗教心とは、敬神崇祖の心が基本であると思う。日本伝統信仰たる神道そして先祖伝来の宗教を信仰することが大切であると思う。具体的に言えば、地域の産土の神社と先祖代々の菩提寺に眠る祖霊への感謝・報恩の心が基本であると思う。その上で。多くの宗教家の説いていることを学び、生活に生かすべきであると思う。ある特定の教団の教義や教祖・指導者を絶対視することは危険であるし、それが今日までの宗教戦争の根源にあるものだと思う。

 

日本国民のみならず今日の人類の危機的状況は相当深刻だ。これまでの科学技術・物質文明に偏した考え方を改めて、人間の精神性の復活・内面から発する情念の正しき統御が大事である。

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