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2015年6月 2日 (火)

東條英機元総理の「辞世」について

東條英機元総理は、昭和二十三年十二月二十三日、東京巣鴨にて、「絞首刑」に処せられ殉難された時、

 

「たとへ身は 千々にさくとも 及ばじな 栄えし御世を 堕せし罪は」

 

「続くものを 信じて散りし 男の子らに 何と答へん 言の葉もなし」

 

「さらばいざ 苔の下にて われまたむ 大和島根に はなかをるとき」

 

「苔の下 待たるる 菊の花ざかり」

 

といふ歌と句を遺された。

 

どの歌もすでに身を国に捧げつつも死してなお国家(御世・大和島根)の行く末を思ふ真心が切々と歌はれてゐる。

 

歴代総理の中で、東條英機氏ほど憎まれ、嫌はれた人は他にゐないのではないだらうか。負ける戦さを始めた張本人、憲兵を使って恐怖政治を行った、意に沿はぬ人を懲罰召集として激戦他に追いやった、中野正剛氏を死地に追ひやった等々、極悪非道の人として弾劾されることが多い。保守の立場の人、大東亜戦争の意義を認める人の中にも、「東條だけは許せない」と主張する人もゐる。東条氏を最大の「戦争犯罪人」として、靖国神社にお祀りすることすらこ否定する人が外国のみならず日本国内にも多くゐる。

 

東條氏のこの辞世を読むと、『論語』「泰伯」篇の「人の将に死なんとする其の言や善し」(人間は、死に際には善き言葉を発する、と言ふほどの意)といふ言葉を想起する。人が死ぬ直前に発する言葉、とりわけ辞世の歌や句には利害・かけひきがなく、真心の表白である。東條氏の辞世はその典型で、読む度に胸が迫る。

 

東條氏は大東亜戦争遂行時の国家指導者として深く責任を感じてゐたことは、これらの辞世を読めば明らかである。ただそれは「侵略戦争遂行の責任」を感じてゐたのではない。戦争・敗戦といふ大国難そしてそれに伴ふ国民の苦難に対して大きな責任を感じたのである。

 

東京国際軍事裁判において東條氏はキーナン検事の「あなたは一九四一年十二月の真珠湾ならびに米英の諸領土に対する攻撃について、主に責任を取る一人であることを認めますか」との尋問に対し「認めます。私の責任であります」述べたが、キーナンの「首相として戦争を起こしたことを、道徳的にも法律的にも間違ったことをしていなかったと考えるのですか」との尋問に対して東条氏は、「間違っていない。正しいことをしたと思う」と答へた事によってそれは明らかである。

 

 東條氏は「遺書」において「開戦当初の責任者として敗戦のあとを見ると、実に断腸の思いがする。今回の刑死は、個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は死を以て償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。ただ、力の前に屈伏した。自分としては国民に対する責任を負って、満足して刑場に行く。ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者まで刑が及んだことは実に残念である。天皇陛下に対し、また国民に対しても申しわけないことで、深く謝罪する」と書いた。

 

東条英機氏はさらに東京国際軍氏裁判の陳述において要旨次のように述べた。「日本は米、英、オランダ三国によって戦争の挑発に追いつめられ自衛のため開戦に至った。天皇陛下には何ら責任はない。その理由は、天皇陛下は輔弼の上奏に対して、拒否権を発動されぬ立場であるために、実際政治とは具体的な関係がなかった。日本の大東亜政策を侵略と決めつけているが、世界におけるアジア大陸の侵略者こそ米英など白人であり、これを日本が解放せずして、誰が行えたであろう。対米開戦は、謀略的かつ侵略的目的のために、長年かかって計画したのではない。昭和十七年十二月一日の御前会議において、やむなく開戦を、初めて決定したのである」と。 

 

大東亜戦争の開戦は、アメリカの理不尽なる圧迫が原因となった実に以てやむを得ざる選択であって、東条英機首相が、昭和天皇の大御心を無視し国民の声も聞き入れず戦争に突っ走ったなどといふことは絶対にない。むしろ日米開戦を一億国民が双手を挙げて歓迎し歓喜したといふのが歴史の真実である。

 

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