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2015年6月30日 (火)

日本伝統信仰と一神教

イスラム教徒にとって理想郷とは、川が流れ泉があり緑のある所である。エデンの園とはさういふ所である。『コーラン』には次のやうに記されてゐる。「神は、男の信者にも女の信者にも、下を河川が流れ、そこに永遠にとどまるべき楽園と、エデンの園の中のよき住まいとを約束したもうたのである」「楽園には木々が生い繁る。…流れ出る泉が共にある。…深緑に包まれている」「神を懼るる人々に供えらるるは安き場所、緑したたる果樹園とたわわに實る葡萄園」。

 

泉が涌き、川が流れ、緑滴る楽園、それはまさに「緑の日本列島」である。日本のやうな気候風土の國こそ、砂漠の宗教にとって「楽園」であり「天國」なのである。

 

時に地震や津波に襲われ年に何回かは台風がやって来るが、中東の砂漠地帯と比較すると穏やかな風土の緑豊かな地に生まれた日本伝統信仰の神々は、自然と一体であり自然の中に宿る。不毛な風土の砂漠地帯に生まれた一神教の神は、自然と対立しこれを支配し征服する神である。日本伝統信仰は、自然を「神のいのち」として拝ろがむ精神を持ってゐるが、一神教の自然観は、人間は神の命令により自然を征服し支配し改造する権利を与へられてゐるといふ信仰があるので、庭造りにしても、自然を改造して美しさを作り出すのである。

 

『創世記』には、「神いひ給ひけるは、『我等に象(かたど)りて、我等の像(かたち)のごとくに我等人を造り、之に海の魚と、空の鳥と、家畜と全地と地に匍ふ處の諸(すべ)ての昆蟲(はふむし)を治めしめんと。』…『生めよ殖えよ、地に滿てよ、地を從がはせよ。又海の魚と空の鳥と地に動く所の諸(すべ)ての生き物を治めよ、…』」と記されてゐる。

 

この神の命令により、神の形の如く造られた人間は、自然を征服し支配し改造し操作し利用する権利があるとされる。これが西洋における自然改造の手段としての科学技術や機械の発展の精神的基礎であると言へる。近代科学技術はこのような自然観を基礎として発達し、それによって人間は便利な生活を享受したが、反面、そのために自然を破壊しつつあることも事實である。

 

宗教には、救済宗教と祭祀宗教の二つがあるといはれる。そしてキリスト教が救済宗教で、神道は祭祀宗教であるといふ。しかし、祭祀は自己の罪穢れを祓ひ清め神と一體となる行事であるから、救済宗教の性格も持ってゐる。自然は人間と対立するものではないといふ信仰即ち自然を神と拝ろがむ日本の傳統的信仰精神が自然破壊を防ぐ。「祭祀」が、自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となると考へる。

 

「祭祀」および「直會」は、神と人との一體感を自覚する行事であると共に、それに参加する人々同士の一體感も實感する行事である。〈神と人との合一〉〈罪の意識の浄化〉を最高形態としてゐる信仰は、日本伝統信仰・神ながらの道である。お互ひに神と一體となりお互ひが一體となる「まつりの精神」が世界に広まれば世界は平和になるとと思ふ。

 

日本伝統信仰が、世界宗教になり得るか否かといふのは難しい問題である。「まつり」を基礎とした魂的信仰的一體感が、世界人類の交流と共存の基盤となる。「まつり」が世界で行はれるやうになれば世界は平和になるのではあるまいか。ただし、今日の日本の荒廃した状況を見ると、まずもって日本人自身が、日本傳統信仰に回帰しなければならない。

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千駄木庵日乗六月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、資料の整理など。

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2015年6月28日 (日)

「その宗教が本ものかどうかを見分ける方法」について

曽野綾子さんによると、その宗教が本ものかどうかを見分ける方法は、次の通りであるという。

 

「(一)教祖、指導者が質素な慎ましい祈りの生活をしているかどうか。

(二)自分が生き神さまだとか、仏の生まれ代わりだとか言わないかどうか。

(三)宗教の名を借りて金銭を集めることを強要しないかどうか。

(四)宗教団体の名で、選挙と政治を動かすような指令を出さないかどうか。

 

この四つが正しく守られていれば、それは恐らくまともな宗教であろう」(曽野綾子氏著『自分の顔、相手の顔』)

           ○

この四つの尺度を厳しくあてはめれば、今日の日本の新宗教・新新宗教の殆どは「本物の宗教」「まともな宗教」ではないということになろう。

 

戦前・戦後・そして現代にかけてわが国に一体何人の救世主・生き神・生き仏が出現した事か。そしてその多くの教祖たちは一般庶民と比較するとはるかに裕福な生活をしていた。全く選挙運動をしなかった教団は少ないし、強制的に金品を収奪する教団も多い。

 

それでも、入信し、活動している人々がそれで満足し、幸福感を味わっているのなら、それでいいのかもしれない。しかし、曽野氏の言う四つの事が余りにも度が過ぎている宗教、国家社会に害毒を及ぼす宗教はやはり良くない。

 

私は、信仰心・宗教心とは、敬神崇祖の心が基本であると思う。日本伝統信仰たる神道そして先祖伝来の宗教を信仰することが大切であると思う。具体的に言えば、地域の産土の神社と先祖代々の菩提寺に眠る祖霊への感謝・報恩の心が基本であると思う。その上で。多くの宗教家の説いていることを学び、生活に生かすべきであると思う。ある特定の教団の教義や教祖・指導者を絶対視することは危険であるし、それが今日までの宗教戦争の根源にあるものだと思う。

 

日本国民のみならず今日の人類の危機的状況は相当深刻だ。これまでの科学技術・物質文明に偏した考え方を改めて、人間の精神性の復活・内面から発する情念の正しき統御が大事である。

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千駄木庵日乗六月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、本日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備。

午後六時より、春日の文京シビックセンターにて、『第五十二回日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏がスピーチ。山村明義氏が「朝鮮カルトによる神社・寺毀損事件を考えると題して講演。そして小生が「日本伝統信仰と外来宗教」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。最後に瀬戸弘幸氏が結語を述べた。

帰宅後は、原稿執筆。

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政治と宗教

 宗教と政治が、人類の生活を守り救済して来たといわれる。確かにそういうことは言えるであろう。しかし、これまで「正義」を主張し、「世紀末的危機」「終末」を煽り、そして「救済・革命」を説いてきた宗教運動や政治運動が、かえって闘争と殺戮を生んできた側面がある。

 

政治面では、スターリンも毛沢東も金日成もポルポトも自分の主義主張が「正義」と称し、國民全体にこれを強制し、自由を奪い、そして何百万何千万という人々を大量虐殺した。宗教面では、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の対立は、テロや戦争を生んでいる。九・一一同時多発テロ以後、『國家なき敵との宣戦布告なき戦争の時代』に入ったという。その後、こうしたテロは絶えることはない。最近起こっている凄惨なるテロの根底には、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の対立がある事は言うまでもない。

 

 オスカー・ワイルド(一八五四~一九〇〇。イギリスの劇作家・小説家。世紀末文学の代表的作家で、芸術至上主義者。代表作に戯曲『サロメ』がある)に、「もっとも害を与える人は、もっとも善いことをしようと努めている人だ」という言葉がある。「自分の行っていることが正義だ」と信じ込み実行する勢力や個人が、殺戮を行い、世の中を暗黒にし、独裁政治を生み、國民から自由と繁栄を奪うという意味であろう。

 

自由で幸福な世の中とは、公正(フェア)な世の中ではあっても、ある人の唱える「正義」を絶対のものとして民衆に押しつける世の中ではない。独裁者は必ず「正義」を旗印として独裁政権を手に入れる。レーニン、スターリン、ヒトラー、毛沢東、カストロなどは皆そうだった。

 

 真に正義を尊重し正義の実現を目指す人は、そしてそれが権力を持つ人であればなおさら、自由で柔軟で大らかな精神を持っていなければならない。正義や人間の幸福は法律や権力のみによって実現されるものではない。法律や権力のみによって実現された正義の世の中とはロボットが動く世の中と同じである。

 

 「正義」の呪文を唱えながら、自由を否定する狂気は暗黒と専制の世の中をもたらす。それが一七八九年革命直後のロベスピエール独裁下のフランスであり、革命後の旧ソ連であり、共産支那であり、南北分断後の北朝鮮である。誤った宗教教義や政治思想の教条に支配されることなく、自然に國民を正しき道を歩ましめることが必要である。その原基となるのが、わが国においては「神ながらの道」であり、「天皇の祭祀」である。

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千駄木庵日乗六月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き母に付き添う。

午後六時より、神田神保町の神田学士会館にて『憲法懇話会』開催。高乗正臣平成国際大学名誉教授が座長。村松伸治日本文化大学教授が司会。小生が「『記紀萬葉」に示された日本國體精神と近代成文憲法」と題して発表。活発な質疑が行われた。

帰宅後は、原稿執筆。

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2015年6月27日 (土)

この頃詠みし歌

わが顔を美形なりと言ひし人ありて 家に帰りて鏡見つめる

 

イケメンとスリムといふ言葉には縁なき衆生の我にしあるか

 

秀吉の黄金の茶室が目の前にあれど栄華は夢のまた夢(熱海救世美術館)

 

先代の林家三平が大声で「よし子さん」と叫びし寄席の懐かし

 

寝不足の顔して千代田線に乗りて来し立川談志師の懐かしきかな

 

青山の霊園の緑さはやけく日に照らされて目にしみるなり

 

大き墓が並ぶ霊園 この国の近代を築きし人眠りゐる

 

女の人ばかりの店にパスタ食す 真向ひに立つは男の主(あるじ)

 

大声で話す女性の顔が見えずどんな美人かと気になる隣席

 

よく話す人の隣で黙々と焼き鳥食し時を過ごしぬ

 

我もまた酔ひが回ればよくしゃべる男となりてカウンターに坐す

 

壊されし家の跡には夏草がぼうぼうと生えて命漲る

 

夏草が取り払はれていよいよに轟音立てて機械が動く

 

新しきマンションが建ちあな悲し ベランダよりの眺めまた狭くなる

 

富士見坂より富士か見えなくなりにけり次から次へとマンションが建ち

 

吉井勇の歌は悲しき歌多く讀むに耐へ難く歌集閉じたり

 

懐かしき師の歌を讀み胸迫る逝きませしより幾歳経ても

 

夫を支へ子らを育てて歌を詠み力強く生きし中河幹子師

 

二日ぶりに会ひたる母は喜びに満ちた顔して明るく語る

 

湯島なる古き酒房の主殿(あるじどの)と語らひにつつ酌む酒うまし

 

鮎の塩焼き食しつつ酌む酒うまし湯島天神下の古き酒房で

 

安物の傘を持つべし必ずや何処かに置き忘れるが習ひなりせば

 

母と会ひ別れ来にける夕暮の空に三日月ほのぼのと浮かぶ

 

夏至の日の夕べほのかに浮かびゐる三日月仰ぐ心地良さかな

 

樹木少なき街歩み施設に入り行けば大きな造花が飾られてをり

 

谷中寺町 露に濡れつつ歩み行けば 幼馴染みが手を振りてをり

 

数寄屋橋の交差点を渡りつつ この地で獅子吼せし人をし偲ぶ

 

晴れし朝に洗濯物を干してをり 清められたきは衣服のみならず

 

激しくも我の怒りは燃えたぎる護憲叫びて敵利する輩に

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千駄木庵日乗六月二十六日

午前は、諸雑務。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、書状執筆、明日の「憲法懇話会」における発表の準備、原稿執筆。

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2015年6月25日 (木)

宗教というものの怖さとについて

キリスト教やユダヤ教に関する本を読んでつくづく思いますのは、宗教というものの怖さということです。ユダヤ教・キリスト教・回教は同根であるにもかかわらず、二千年近くにわたって激しい宗教戦争を繰り返し、今日に至っております。一神教のみならず、仏教系の教団でも、宗派争いや内部抗争は凄まじいものがあります。日蓮正宗と創価学会の争いがその典型です。「ポア」とか言って殺人を肯定したオウム真理教というのもありました。

 一体、宗教戦争・宗教対立でこれまでどれ程の人が犠牲になってきたでしょうか。これに共産主義思想というのを加えますと、人類を幸せにすると広言する思想や宗教がかえって人類を闘争と殺戮に駆り立てといっても決して過言ではありません。そしてこのことは、今日唯今の現実なのであります。

 

私も、高校時代大学時代に生長の家という宗教団体に所属して、活動をしていましたので、自分の信ずる宗教教団そしてその教祖を絶対視する精神構造・心理状態というものを経験しました。反対者に対する憎悪というか、反発心というものが非常に強くなるのです。特に同じ教団に所属していたにもかかわらず違う生き方をするようになった人への憎悪はより激しいものとなります。近親憎悪であり、裏切り者・背教者への憎悪です。愛を説き、慈悲を説く宗教教団が、全くその逆の憎悪・排撃の心を駆り立てるのです。私の所属していた教団は、教祖の孫で三代目を継いだ人が、教祖の教義を改竄し隠蔽し、そのことを批判する人々はたとえ兄弟と雖も教団から追放しました。

 

「灯台もと暗し」という言葉がある。灯台のすぐ下は光に照らされないので暗いという意味でしょう。「他人のことばかり批判して自分のことを顧みない」「坊主の不信心」「医者の不養生」「論語讀みの論語知らず」と同じ意味で用いられる言葉です。生長の家の創始者谷口雅春師は、「七つの灯台の点燈者の神示」という神示を神から受けたとされています。その灯台は人類を救う光という意味が込められています。

ところが谷口雅春師の実の孫にして教団の三代目を継いだ谷口雅宣氏は、生長の家の教えの根本であり、その「七つの灯台の点燈者の神示」に示されている「天地一切のものと和解せよ」「汝の父母に感謝せよ」「汝の兄弟と和解せよ」ということが全く実践できないのであります。三人の実の兄弟そしてその配偶者を教団から追い出し、裁判沙汰にまでなり、最近は、実の母親即ち谷口雅春師の一人娘の方まで、四国の次女のもとに去られたといいます。

 

根本的教義を全く実践できない人が教団の後継者となっているのです。こうしたことを「灯台もと暗し」と言うのです。一教団のことではあますが、かつては愛国運動を活発に繰り広げていた教団であり、小生がかつて熱心に活動していた教団であるのであえて書かせていただきました。

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千駄木庵日乗六月二十五日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。大変顔色も良く、食欲もあり、元気なので安心する。施設の方々のお世話に感謝する。

帰宅後は、二十八日に開催される『日本の心を学ぶ会』における講演の準備、資料の整理。

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第五十二回日本の心を学ぶ会

第五十二回日本の心を学ぶ会

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> 神社仏閣油被害事件を考える。

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> 今年四月以降、全国の神社仏閣へ油のような液体が撒かれ米国に在住する日本国籍の男に逮捕状が出されるという事件が起こりました。

>  この男が過去に韓国系キリスト教会に所属していた韓国系帰化人であり、日本の伝統文化に対して強い敵意を持った発言を繰り返たこと、

> 主宰する教団に百人以上の信者存在することが報道され、多くの人々に驚きと不安を持って知られることとなりました。

>  カルト問題に詳しい弁護士は「この男の背後に本国の団体がいて、そこから活動資金が出ている可能性もある、仏像に油をまくという行為がこの男の独断なのかそれとも別の意思が働いているのか気になる」とコメントしており、事件の全容解明が求められております。

> そこで今回は昨年五月に創価学会について講演していただいたジャーナリストの山村明義先生をお迎えして、この寺社油被害事件と

> その深層について講演していただきます。

>  わが国は本来、包容力ゆたかな国にですが、近年において外国から入ってくる宗教は常に警戒心をもって見られてきました。

> 布教とは単に信仰の伝播にとどまらず新しい知識や思想をも広げ、時には外国の侵略の先兵としての役割を担うことがあったからです。

> 逆説的にいうとその国の伝統的な宗教を弱体させることで共同体の団結にほころびを生じさせ侵略の糸口をつくることも可能です。

> GHQによる神道指令や水面下で進められた日本皇室のキリスト教への改宗工作もまた、日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇の神聖性を貶め、国体精神を弱体化させることで、日本国民が天皇のもとで団結できなくなるようにするための戦勝国による工作の一環といえるでしょう。

> さまざまな韓国系キリスト教会が国内に入り込み活動が活発化しつつあるいまこそ寺社油被害事件が我々に突き付けた課題につい考えてみましょう。

> また、日本の伝統的な宗教風土と外来宗教の受容について、「日本伝統信仰と外来宗教」というテーマで四宮正貴先生にお話しいただきます。

>

> 【日 時】平 27年6月28日(日)午後600分より

>

> 【場 所】文京シビックセンター 三階 会議室C

> 東京都文京区春日1-16-21 

> 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1

> 都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1

> JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

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> 【講 演】

> 「日本伝統信仰と外来宗教」 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所

>  

山村明義氏の演題は現在調整中です。

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> 【司会者】林大悟

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> 【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

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> 【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

             〇

 

この案内文は主催者が作成したものでございます。

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『現行占領憲法』第一条の規定は、天皇の歴史的連続性・伝統性を否定し、天皇の尊厳性を隠蔽している。

『現行占領憲法』の「第一条」には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれている。

 

「象徴」という言葉は、天皇の空間的統一性・統合性をある程度表現してはいるが、天皇の時間的連続性・伝統性は全く表現されていない。言い換えると、「象徴」という表現は何ゆえ天皇は国家国民を統合される御存在であるのかという理由が示されていない。

 

天皇は、日本國及び日本国民の歴史と傳統、そして日本国民の普遍意志=過去・現在・将来にわたる日本国民の伝統的な普遍意思を体現されるご存在である。天皇が日本国の本来の統治者・君主として仰がれてきたという事実と、天皇が日本国の歴史と傳統そして国民の普遍意志の体現者である事実とは、不可分の関係にある。

 

『現行憲法』の「天皇は象徴である」という規定は、この不可分の関係を無視し、あわせて日本伝統信仰の最高祭祀主としての天皇の地位と権能を否定し去っている、「天皇の御地位」は果たして何を根拠としているのかが明示されていない。

 

『現行占領憲法』は経過的暫定の制度として、天皇制を承認し、やがてはこれが廃止を理想とした米国占領軍の意図を反映したものだからこういう規定になったのである。

 

三島由紀夫氏は、「天皇のご本質」について「天皇は、われわれの歴史的連続性、文化的統一性、民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴」(『反革命宣言』)「われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すもの」(『反革命宣言補註』)「国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇」(『文化防衛論』)と論じている。

 

天皇が、日本国及び日本国民を統合される御存在であるのは、天皇が歴史的伝統性・時間的連続性を継承され体現される御存在であるからである。「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」といふ規定は、天皇のご本質の半面しか表現してゐない。天皇の空間的統一性は表現されてゐるが、歴史的伝統性・時間的連続性が表現されてゐない。『現行占領憲法』第一条の規定は、天皇の歴史的連続性・伝統性を否定し、天皇の尊厳性を隠蔽している。

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千駄木庵日乗六月二十四日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、原稿執筆。二十八日に行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備など。

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2015年6月24日 (水)

「むすび」の精神と日本国家

「むすび」の精神と日本国家

 

日本という国家は、人の魂が結び合って生まれてきた生命体なのである。日本民族の農耕を中心とする伝統的生活のから培われた信仰(自然信仰と祖霊崇拝・自然と祖霊を神として拝む心)が根幹となって生まれてきた生命体が日本国なのである。そしてその〈むすび〉の中核が日本伝統信仰の祭祀主である天皇である。これが三島由紀夫氏の言う「祭祀的国家」としての日本なのである。

 

「むすび」の語源は、「生()す」である。「草が生す」「苔が生す」といわれる通りである。つまり命が生まれることである。故に男女の「むすび」によって生まれた男の子を「むすこ」(生す子)といい、女の子を「むすめ」(生す女)というのである。

 

「むすび」とは命と命が一体となり緊密に結合するということである。米のご飯を固く結合させたものが「おむすび」である。そして日本伝統信仰ではその米のご飯には生命・魂が宿っていると信じてきた。

 

「庵を結ぶ」という言葉があるが、日本家屋は様々な材木や草木を寄せ集めこれらを結び合わせて作られた。結婚も男と女の結びである。故にそのきっかけを作った人を「結びの神」という。そして男女の〈むすび〉によって新たなる生命が生まれる。日本の家庭も〈むすび〉によって成立しているのである。日本国土は、伊邪那岐命と伊邪那美命との「むすび」によって生成されたのである。

 

我々はまず以て以上のような傳統的「国家観」を正しく回復しなければならない。日本と欧米とは歴史・文化・宗教・社会構造・人間関係を異にしているのだから、日本国の成文憲法は近代西欧流の国家法人説・国家暴力装置説などの「国家観」を基礎にしてはならない。

 

『現行占領憲法』は以上のような日本の伝統的国家観を全く無視し、欧米の『契約国家論』が基となっているのである。『現行占領憲法』には全く正統性がないのである。

 

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千駄木庵日乗六月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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2015年6月23日 (火)

後藤田正晴について

「安保法制」に関連して、偏向メデイァは後藤田正晴が高く評価している。これは全くおかしい。昨年三月五日の「朝日新聞」の報道によると、警視庁の外郭団体「自警会」が平成十七年に発注した東京警察病院(東京都中野区、415床)の建設工事の入札に絡み、後藤田正晴元警察庁長官と村井仁元国家公安委員長のそれぞれの秘書が、落札した西松建設(本社・東京都港区)から計2千万円の裏金を受け取っていた疑いのあることが分かった。秘書2人が西松側の依頼で自警会に口利きをした謝礼だったという。口利きを受けた自警会事務局長(当時)も、数十万円分のビール券を受領した疑いがある。

 

典型的な政官財の癒着である。たまたま露見したのであって、氷山の一角であろう。汚職という違法行為を取り締まるべき警察機構でこのようなことがあるということは重大である。国家公安委員長は、警察に対する指揮命令権は無く、お飾りに過ぎないと言われているが、こういうことでは力を持っているというのだからおかしな話だ。

 

特に後藤田の秘書が「いろいろ面倒を見た」と怒った様子で謝礼を要求したというのは重大である。後藤田事務所は、警察署など警察関係の箱モノの建設の発注に大きな影響力があったという。

 

戦後の官僚の最高位に昇りつめた故後藤田正晴は、「国務大臣などの政治家は天皇の臣下ではない」という意識の持ち主であった。後藤田は平成十二年十二月五日号の「日本経済新聞」で、中央省庁の再編に関するインタビューに答えて、「まず大臣という名前を変へたらどうか。誰の臣下ですか?。行政の長なんだから『長官』でいい」と述べた。

これは、天皇を君主と仰ぐ建国以来のわが国國體を否定し、現行占領憲法体制下においてもわが国は立憲君主制であるという自明の理を否定する許し難い発言である。社民党・共産党・極左分子がこのような発言をするのならまだしも、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し、官僚・政治家の頂点、即ち政治権力の頂点に立ったと言っていい人物が、このような発言をするのは許し難い。後藤田には尊皇心のかけらもなかったのだ。

後藤田正晴は、町村金吾氏亡き後、警察官僚のボス的存在であった。宮内庁は、長官・総務課長という中枢が旧内務省系官庁(厚生労働省・警察庁など)からの出向である。宮内庁首脳の人事などへの後藤田氏の影響力は強かった。國體否定とは言わないまでも國體に対する正しい理解を欠いていた人物が宮内庁に大きな影響力を持っていたのである。こうしたことが、「天皇の祭祀」の軽視、政治家による皇室の政治利用など、近年の皇室に関はる様々の憂へるべき事象の大きな原因の一つであると考える。

尊皇精神は、日本人の道義の基本である。尊皇精神が篤い人ほど道義感覚が篤い。逆もまた真なりで、尊皇精神が希薄な人物ほど、道義心が希薄である。後藤田正晴はその典型であった。

最近ある神道家の方から「四宮さんの故郷はどこですか」と聞かれたので、「私は東京ですが、父の故郷は徳島です」と答えた。その方は、「徳島選出の政治家にはどういう人がいますか」と聞かれたので、「三木武夫、後藤田正晴、仙谷由人です」と答えた。その方は、「相当御祓いをしなければなりませんね」と言われた。

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國體と「大日本帝国憲法」

中川剛氏は「君主主権も不敬罪もヨーロッパ大陸の産物である。憲法を持つこと時代が、英米にはじまるものである。明治憲法はじつは極端なほど欧化政策の結果であった。明治憲法下の天皇制はむしろ伝統をねじ曲げるものだった。近代国家としての体裁を整えるための、たてまえとしての性格の強かった明治憲法であるから、憲法が制定されたからといってただちに、天皇が西欧の絶対君主なみの統治権を掌握したわけではなかった。天皇は制度とは別に、依然として国民的つながりの中心としての文化的存在でありつづけた。政治的天皇と文化的天皇の二重性をそこに認めることができる。」(『憲法を読む』)と論じている。

 

 ただ、『大日本帝国憲法』は、ただ単に西洋立憲制度を模倣したというのではなく日本の伝統信仰の体現者として国家を統治される天皇の御本質を成文法によって明文化しようと努力したものといえる。

 

 葦津珍彦氏は「帝国憲法制定の歴史について、これを伊藤博文とか、井上毅等の官僚政治家が、西欧(とくにドイツ、プロシャ、バイエルンなど)の憲法をまねて起案し制定したもののように解釈する学者が多い。しかしそれは非常に浅い皮相の見解であって、全く日本国民の政治思想史を無視したものといわねばならない。この近代憲法ができるまでの歴史条件としては、少なくとも弘化・嘉永ころからの激しい政治思想の展開を見なければならない。黒船が日本に対して開国をせまって来たころから、徳川幕府がそれまでの独裁専決の政治原則に自信を失って、外交政策については『会議』によって国是を固めようとすることになってきた。この会議政治の思想が生じてきたことは、そののちの政治思想に決定的な波紋を生じた。」(近代民主主義の終末)と論じておられる。

 

 『大日本帝国憲法』の起草に当たった井上毅は「御国の天日嗣の大御業の源は皇祖の御心の鏡持て天か下の民草をしろしめすという意義より成立したるものなり。かゝれば御国の国家成立の原理は、君民の約束のあらずして一の君徳なり。国家の始は君徳に基づくといふ一句は日本国家学の開巻第一に説くべき定論にこそあるなれ」「わが国の憲法は欧羅巴の憲法の写しにあらずして即遠つ御祖の不文憲法の今日に発達したるなり」(『梧陰存稿』)と論じている。

 

 君主と民とは相対立しており国家は君と民、あるいは民同士の契約によって成立するなどという西洋法思想・国家観は、日本の国体観念・天皇観とは全く異質なものであると井上毅は説いているのである。

 

 ただ、井上はここで「君徳」と言っているが、日本天皇は人としての「徳」よりももっと深い「祭り主としての神聖権威」日本伝統信仰の言葉で言えば「御稜威」(みいつ)によって国家を統治したもうのである。御稜威とは天皇の有される神霊の威力というべきものである。

 

 折口信夫氏は「御稜威」について、「みいつといふ語の語根いつといふ語は、稜威といふ字をあてる…いつのちわき・いつのをたけびなどといふ風につかってゐます…天子に傳り、これが内にある時は、その威力が完全に発現するところの権威の原動力なる魂の名でありました。」(神々と民俗)「天子には天皇霊といふべき偉大な霊魂が必要であって、これが這入ると、天子としての立派な徳を表されるものと考へられてゐました。その徳をみいつといふ語で表してゐます。…これは天皇靈の信仰上の名稱でした。」(鳥の聲)と論じておられる。そしてその御稜威(天皇靈)は大嘗祭において新しき天皇のお体に入るとされる。

 

 歴代天皇には「人」としての徳がいかにあられようと歴聖一如の「御稜威」によって国家を統治したまうのである。今上天皇におかせられても、大嘗祭を執行されて現御神となられ御稜威を保持されていることはいうまでもない。昭和天皇もしかりである。つまり『昭和二十一年元旦の詔書』において、天皇が神格を否定され「人間宣言」をされたなどということは、「みまつり」という厳粛なる事実によって否定されるのである。

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千駄木庵日乗六月二十二日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。『憲法懇話会』における発表の準備など。

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2015年6月22日 (月)

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十七年七月号のお知らせ

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。
 

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

 

購読料
年間 12000
半年 6000

 

平成二十七年七月号(平成二十六年六月二十日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

『脱亜論』と『大アジア主義』の今日的意義

福澤諭吉の「脱亜論」とは

 

福澤諭吉は「夷を以て夷を制する」ことによって祖國日本の「独立自尊」を守りぬかんとした

 

福澤諭吉自身も強烈なる「大アジア主義者」だった

 

「大アジア主義」と「脱亜論」は二者択一ではない

 

今日において、「脱亜論」と「大アジア主義」の二つの思想をどう學ぶべきか

 

日韓関係と「事大主義」

 

今後、わが國は朝鮮半島に対して如何に向き合ひ、どう対処すべきか

 

千駄木庵日乗

宮内庁宮内公文書館・明治神宮共催展示『宮中の和歌―明治天皇の時代』展拝観

 

楊伯江氏(中國社会科學院日本研究所副所長)戦後復興している。中國に対して寛容に見てもらいたい」

 

呉懐中氏(中國社会科學院日本研究所政治室主任)「外交には強硬な面とソフトな面がある。長期的な関係悪化は双方の利益にならない」

 

加茂具樹氏(慶應義塾大學総合政策學部准教授)「日中間の問題点をあいまいにして議論を先に進めることは避けよう」

 

王春光氏(中國社会科學院社会科學研究所社会政策室主任)「今、中國は模索している段階だから誤りもある。今日、法治を大切にしている。法によって言論をマネージしている。日本からの批判を歓迎する」

 

胡澎氏(中國社会科學院日本研究所日本社会研究室主任)「日本は素晴らしい経済ベースがある。國民は豊か。中國は発展途上國。そこに認識の違いがある」

 

張明氏(中国社会科学院世界経済政治研究所国際投資研究室主任)「経済成長は消費牽引型になる。経済構造がサービス業にシフトしている。人件費が上がっている。日本の投資が貢献した」

 

徐梅(中國社会科學院日本研究所研究員、経済研究室主任)「環境問題で、日本の技術と経験が本当に必要。省エネ型の住宅も必要」

 

小嶋華津子氏(慶應義塾大學法學部准教授)「私は『友好』という言葉で日中関係を括ることに懐疑的。空虚な友好は要らない。中國の暴走を食い止めること。合理的判断が出来る環境を日中の民間がつくるべし」

 

千駄木庵主人曰く「共産支那が、様々な面でわが國の協力を得たいのなら、まず以てわが國への軍事的圧迫、侵略策謀、そして歴史問題での理不尽な謝罪要求・反日教育を止めるべきである。それが大前提である」

 

この頃詠みし歌

 

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天皇の国家統治について

 日本天皇は、『朕は国家なり』というような国家国民を私物化する西洋的な絶対専制君主とは全くその本質を異にする。日本天皇は天津神の御委任により、神の御命令を奉じて日本国に君臨されているである。故に天皇は常に無私の心で統治されるのである。無私の心とは神の御心のままということである。さらに御歴代の天皇の踏み行われた道を継承されることを心がけられるのである。そのことがそのまま億兆の民にその所を得さしめる事即ち国民の幸福実現となるのである。

 

 明治天皇の外祖父中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇国は天照皇大神の御国で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といえども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上したという。日本天皇の無私の精神および神聖なる権威はかかる御精神から発生するのである。天皇の国家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではないのである。

 

 支那においては、天を以て帝権の象徴とし、地を以て民衆に擬し、天と地とは相対立する相対的関係のあるととらえ、天子たる皇帝はは民衆を上から見下ろし支配すると考えている。しかしわが国においては、天子たる天皇は天の神の御子として地上に天降られ、国民もまた神々の子孫であり、天皇は一大家族国家の中心であると考えている。簡単に言えば支那においては、天子は権力と武力によって国民を支配し、日本においては天皇の信仰的権威によって国民を慈しむのである。 

 

 天皇が日本伝統信仰的中心者として君臨するということは、現実政治に全く関わりを持たれないということではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が国家の中心にいまし、常に国家の平安と国民の幸福を神に祈る祭祀を続けられているということが、政治のみならず日本国のあらゆる物事の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の国家統治そのものなのである。混迷の極にある現代日本を救うには、統治者としての天皇の御本姿を回復することが大切であると考える。復古即革新=維新とはそういうことを言うのである。 

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千駄木庵日乗六月二十一日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き母に付き添う。

帰宅後は、二十七日に開かれる『憲法懇話会』における小生の発表の準備。

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2015年6月21日 (日)

『シンポジウム・これでいいのか日本』における登壇者の発言

三月十一日に行われた『シンポジウム・これでいいのか日本』における登壇者の発言は次の通り。

 

亀井静香衆院議員「村上正邦氏は五百%冤罪。ものつくり大学に予算をつけさせたのは私。特捜はバッチを挙げることが自分たちの使命。どうしてもバッチが欲しい。無罪になったら裁判所が悪い。自分たちは正義。古関忠男さんは検察の言いなりになった。拘禁性ノイローゼになった。人間の弱さ。代表質問で『ものつくり大学は必要』と言っただけで村上氏を捕まえた。再審と言うのは非常に難しい。村上さんは権力の頂点にいたところから地獄に落とされた。普通なら國を恨む。しかし村上先生はこの国のために頑張っている。村山さんは社会党左派におられたが自民党と手を握った。未来のため日本のためどうなるかを考えようというご決断をしていただいて自民党と手を握っていただいた。阪神淡路大震災の時、私は運輸大臣。村山総理は『法律は関係ない。人の命、復興の為に何でもやってくれ。責任は俺が持つ』と言われた。各閣僚はまなじりを決して取り組んだ。兵庫県が自衛隊出動を要請しなかった。村山総理は発生と同時に自衛隊を機能させた。兵庫県は重い腰を上げて出動要請をした。函館ハイジャックでは微動だにしなかった。村山さんは最高の総理だった。今のマスコミは権力の走狗。自主規制する。今の日本は戦前とどこが違うか。大政翼賛会。朝日新聞は戦争礼賛記事を書いた。今の日本の権力は総理の周りにいる連中が握っている。議員は投票マシン。自然災害は人間の力で発生を防止することはできない。戦争は人間が起こしている。人間の努力で起さなくすることは出来る。殺し合うことはしない事が大前提。放射能が垂れ流されている中にあって民主党でさえ原発に対するきちっとした態度を示すことができない。アメリカの極東戦略の基地の島が日本。アメリカがやってくれといえばやらざるを得なくなる状況にしている。イスラム国のことで一挙にアメリカと同じ立場に立たされた。日本は別扱いにさせておけば良かった。『日本も機雷掃海をしてくれ』と言っている。日本は現地で戦争状態に入って行かざるを得ない。戦争は小競り合いから始まる。自衛隊を派遣させない努力しかない。警察が緩んでいる。日本かテロの対象になる国になってしまった。」

 

 

 

村山富市元総理「阪神淡路大震災で初動の指示が遅かったという批判を受けた。充分な備えがなかった。国土庁も当直もいなければ何もない。通信網も途絶えた。災害は忘れた頃にやって来るというが、何時の間にか忘れている。国民全体が心がけを持って災害に対応できる備えが必要。『総理になれ』と言われた時、『官邸に行ったこともないし、与党になったこともないから駄目だ』と言った。総理になった時、亀井さんから『天命だ。腹をくくってくれ』と言われた。官邸に単身赴任。七十数名の社会党の委員長が、水と油の対立をしていた自民党と組んだ。戦後五十年の節目で私が総理になった必然性はあった。外交内政で未解決の問題を解決しようと思った。国会は議会制民主主義の機能を果たしていない。主権在民の国だから国民の意見が反映されなければ日本は危ない。昭和十九年に軍隊に入った。内地勤務。家は焼かれ、大分市は廃墟になった。戦争はしてはいけないと感じた。こういう誤りの原因は、軍が統帥権を乱用したからだ。集団的自衛権は間違いを起こす。私が社会党委員長になった時、後藤田正晴さんから昼食に誘われた。後藤田さんは『アリの一穴という言葉がある。これは危ないと思った時には勇気を以て止めなければならない』と言った。私と一致した。集団的自衛権はそういう危険がある。『平和憲法』七十年間、一回も戦争をしなかった。平和と繁栄があった。戦争は人殺しと破壊。それが手柄になる。平和が大事。総理の時、アセアン諸国を回ったが、中国・韓国と違って私を歓迎してくれた。『日本民族は素晴らしい。日本の援助でわが國の開発が進んだ』と言われた。イラクで六千人の米軍兵が死んだ。その結果イラクは収拾がつかなくなっている。核を持っていても使えない時代。戦争は人間を狂わす。世界に我が国の憲法の精神を説いていくべし。」

 

西部邁氏「七百年、千年に一回の自然災害が来るのは当たり前。東日本大震災の時、八十数歳の老婆が『こんな災害はあの戦争の記憶と比べたら何ほどのこともない。空襲で十万人焼き殺された。』と言った。計画的に東京都民十万人を焼殺した。そんなことをした国が『テロ反対』と言うのの後にくっ付いて行く日本はどうかしている。戦後アメリカ軍が入って来た。アメリカ軍の戦車に石をぶつけた私に、アメリカ軍の戦車は砲身をぐるっと回して狙いをつけた。そのおばあさんは『私の息子とその嫁も流された。一人残された私はこれ以上長生きして何の意味があるのか』と言っていた。人間の生死と家族の問題は密接につながっている。漁師である中年男性は『魚を獲るために大津波に向かって突進する』と言っていた。立派な漁師。『国よ助けてくれ』と言う前に、一人一人の人間が自分の生死をかけて突進するしかない。言葉として『危険』とか『危機』があるが、それを知らずして日本人は戦後を生きて来た。『何年かに一回の地獄は想定しておくべきだ』と言うべきだった。日本人は何もかも数字で予測できると考えている。軍事的予測で動くのが軍隊。日本は精神的におかしくなった。未来が確率的に予測できるのはほんのわずか。アメリカという歴史のない国は全てを計算し数量化しようとしている。モダンを近代と訳したのが間違い。モダンとは模型・モデルの意味。数量化の時代を近代と言う。危険と危機とは違う。危機は予測できない。親米愛国は駄目。『日本国憲法』はアメリカに逆らわせないために作ったもの。とくに九条は然り。『戦力を持たない。交戦権を保持しない』というのはマハトマ・ガンジーの言った事。しかしガンジーは不服従の精神。日本は服従の精神。講和とは平定のこと。強い者が弱い者を平定するとことが講和。歴史は『対支二十一カ条の要求』から始まったわけではない。東亜百年は欧米の侵略の歴史。長い歴史のスパンで見るべし。大東亜戦争はアメリカが日本を叩き潰したいために始まった戦争。アメリカが日本を戦争に引きずり込んだ。日本の自存自衛の戦争。アメリカの日本に対する侵略戦争。近代は、アメリカという強力な軍事大国との戦いの歴史。侵略出来る国が一等国で、侵略出来ない国が二等国の時代だった。歴史は百年のスパンで見るべし。」

 

         〇

村山富市氏の議論は旧態依然たる「反戦平和思想」。論ずるに値しない。「現行憲法が戦後の平和を守った」などというのは全くお笑いである。こういう思想が日本の平和と安全を危うくする。戦後日本の平和と独立を守ることができたのは、自衛隊と日米安保があったからだ。亀井静香氏は自民党権力の中枢から外された後、思想的に大きく変化したと思う。権力の中枢にいた人が反権力を唱えるようになった。西部邁氏の主張にはほぼ同感する。

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千駄木庵日乗六月二十日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』発送作業。

午後二時より、赤坂の乃木神社にて、『中央乃木會主催講演会』開催。阿南惟正氏が『終戦の御聖断と父・阿南惟幾」と題して講演。質疑応答。多くの先輩・同志とお会いする。

帰宅後は、『政治文化情報』発送完了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると思います。

この後、原稿執筆、『伝統と革新』編集の仕事。

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2015年6月20日 (土)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 七月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区南大塚地域文化創造館

東京都豊島区南大塚二-三六-一 ☎〇三-三九四六-四三〇一 「東京メトロ 丸ノ内線 新大塚駅」一番出口より徒歩八分。JR山手線 大塚駅」(南口)より徒歩五分。「都電荒川線 大塚駅前駅」より徒歩五分。都バス「大塚駅」停留所より徒歩五分 (都〇二、上六〇)

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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天皇と民の心をつなぐものが「やまとうた」

天皇は、神の御心のままに國を治められると共に、臣下・民の心を良くお知りになり、お聞きになって、この國を統治あそばされるのである。そして、天皇と民の心をつなぐものが「やまとうた」=和歌である。

 

天皇は御製によってその御心を民に示したまひ、民もまた歌を捧げることによって民の心を天皇にお知りいただくのである。その傳統は、毎年行はれる「新年歌會始」に継承されてゐる。

 

したがって、天皇の國家統治とやまとうたは切り離し難く一体である。君民一体の國柄は和歌によって保たれて来た。神代より、今日に至るまで、高下貴賎の区別なく継承されて歌はれて来た日本代表文藝が和歌である。このやうな優雅にして清らかなる君民一体の國柄は他の國には見られない。

 

小田村寅二郎氏は、「遠い遠いところに居られるやうに感じてゐた御歴代の天皇がたが、御歌を拝読するわれわれの目の前に、身近にお姿を現され、お聲をかけてくださるやうな気さへしてくる。『詩歌』とはまことに不思議なものであり、とくに『和歌』を介しての作者と読者とは、時空の隔たりを超えて心一つに通ひ合ふことができさうである。」(『歴代天皇の御歌』はしがき)と論じてゐる。

 

わが民族は、「やまとことば」とりわけ和歌には靈力がこもってゐると信じて来た。これを言靈信仰といふ。日本文藝の発生は、神への祝詞・唱へ言である。わが國の文藝(歌・物語)の起源は祭りにおいて神に奏上する詞から発生した。「やまとうた」や物語は、祭りから発生し、その本質は藝術といふよりも、祭祀に於ける「唱へごと」としての存在であった。神への「訴へ」が歌であり、神への「語りかけ」が物語の起源である。

 

歌に籠る言靈を神に捧げることが祭祀において最も大切な行事である。神にものごとを訴へ祈る人間のひたすらなる営為が、和歌を発生させたのである。

 

和歌は宮廷を中心として継承されて来た。日本國民は和歌の正調は宮廷の歌にあると考へ、「宮廷ぶり」「みやび」を大切にして来た。和歌に限らず、日本文藝そして日本文化全体の軸が、天皇・皇室である。

 

阿部正路氏は、「日本の和歌が、世界でもっとも長く美しい傳統に輝き得たのは…勅撰集に明らかに見ることのできる、一系の天皇の、和歌に対するゆるぎない信頼の中においてこそ悠久の世界を具体化し得たのであった。」(「和歌文学発生史論」)と論じてゐる。

 

大化改新の後の「萬葉集」編纂、平安時代の國風文化再興としての「古今和歌集」編纂、後鳥羽上皇の國體明徴化の戦ひの時の「新古今和歌集」編纂と同じやうに、明治維新においても「勅撰和歌集」が編纂されるべきであった。それが為されなかったのは、いはゆる欧化・文明開化の風潮が時代を覆ったためと思はれる。ここに近代日本の大きな欠陥があった。

 

ただし、明治天皇さまが十萬首に近い御製をお詠みになったことは、いかなる時代にあっても日本の傳統文化は、天皇・皇室によって正しく継承されることを証ししてゐる。皇室におかせられては、今日も、祭祀と和歌といふ日本伝統の核となるものを正しく継承されてゐる。

 

近世以後今日に至るまで、「勅撰和歌集」が編纂されなくなってゐるのは、わが國の國柄が正しく開顕せず、和歌文藝の道統が衰微してゐるといふことである。混迷する今日においてこそ、「勅撰和歌集」の撰進が行はれるべきである。

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千駄木庵日乗六月十九日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き母に付き添う。食欲があり元気なので安心する。

帰途、湯島にて、先輩と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。

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2015年6月19日 (金)

対米自立とは核武装と同義語である

「憲法」に自衛権を明記するのは当然のことである。自分の國は自分で守るというのはまさに国家・国民の権利であり義務である。よその国に守ってもらうというのは本来間違っている。「現行占領憲法」を守る限り日本は自分の国を自分で守ることはできない。まさに「憲法護って國滅ぶ」である。「憲法護って國滅ぶ」と言った人は、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案について声高に「憲法違反である」と言っている憲法学者である。国家の存亡にかかわる緊急の問題に関しては、「現行占領憲法」の亡国条項は一切無視すべきである。そうしなければ本当に「憲法護って國滅ぶ」という事態になる。

 

「対米自立」というのは基本的に正しい。「対米自立」とは、防衛・安保の面では、アメリカの核の傘に入っている状況を正すということだ。共産支那のわが国への侵略策謀そしてアジアにおける軍事的覇権確立が益々活発化してきている今日、日本の安全と独立をアメリカの助けを借りないで守るためには、日本は核武装しなければならない。わが国が中華帝国主義・アメリカ覇権主義と対峙するには、軍事面では、核武装が不可欠である。

 

いつまでもアメリカの従属国のままでいいはずがないし、国際情勢はそれを許さなくなっている。その上、共産支那による軍事的脅威が高まっている。「天は自ら助くる者を助く」という言葉がある。祖国日本の回復、日本の道統の回復、日本国家・日本民族の総合的力量の回復が断行されねばならない。軍事面で、わが国の核武装なくしてそれは実現しない。

 

支那の覇権拡大を防ぎアジアの平和を守るためにも、そして対米自立を実現するためにも、日本は核武装すべきと思う。そのためには日本国民の意識変革が必要である。対米自立とは核武装と同義語である。

 

集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案について声高に「憲法違反である」と言っている連中はその覚悟があるのか。その覚悟なくしてそんなことを言っている連中は自覚しているとしていないとにかかわらず敵性国家の手先である。

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千駄木庵日乗六月十八日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、資料の整理。原稿執筆。

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2015年6月18日 (木)

『台湾二・二八時局講演会』における登壇者の発言内容

三月八日に開催された『台湾二・二八時局講演会』における登壇者の発言内容は次の通り。

 

 

 

王明理台湾独立建国聯盟日本本部委員長「今年は、二・二八事件から六十八年。台湾独立聯盟が出来てから五十五年。王育徳・黄昭堂など台湾からの留学生数名で台湾独立聯盟を結成。台湾人が中国人に自由と生命を奪われている状況を訴え、台湾人の国を作る運動。五十五年経ってもまだ『中華民国』という看板が残っている。台湾独立建国が実現するまで止めてはいけない。昨年、台湾の若者たちが立ち上がり、台湾は独立すべきであると訴えるようになった。伯父の王育霖は東京帝国大学を卒業し、日本で検事になり京都地検に勤めた。終戦後台湾に帰り、新竹市の検事になる。当時中国人の汚職がひどかった。新竹市長が粉ミルクを横領し金儲けをしていたので逮捕しようとしたら、検事の職を追われた。学校の先生になった。二十二年三月十四日に行方不明になった。台北萬華にあった西本願寺に政治犯が収容された。同じ部屋に七、八十人が目隠しをされ手をつながれていた。体臭と糞尿のにおいが満ちていて生き地獄だった。外省人にとって都合の悪い人が逮捕された。死刑判決を受けた人は空手の練習台にされて殺された。銃殺も行われた。家族は淡水に死体がうちあげられていると聞く度に確認に行った。基隆にも行った。伯父は二十八歳だった。無念だったと思う。『その無念を晴れるのはまだだ』と柯文哲台北市長は言った。私もそう思う」。

 

 

 

何時宜早稲田大学大学院生「私たちの世代にとっての台湾における民主主義とは何か。私の祖父は二・二八事件の被害者。嘉義農林学校卒。町長になった。二・二八事件で逮捕。私の祖父は、外省人を集めて保護したら、監禁罪にされた。私の家族が一切政治を語らない理由がわかった。大学院で国際関係を学んだ。生物学的民族を大事にし過ぎると人種差別になる。民族とは何か。どうやって経済を発展させるか。どうやって自分の民族を守るか。台湾独立のために何をしなければならないか。台湾の価値は何かを考えなければならない」。

 

 

 

金美齢さん「過去を顧みて歴史を忘れない。過去の痛ましい歴史を語らねばならない。私が台独運動に参加して五十年。突っ張っていなければやっていけなかった。台湾の情勢は変わっている。台湾の生存のために何をすべきか。外省人の次の世代は台湾人アイデンティティを持っている。建国には伝説と神話が必要と言われた。私が伝統と神話になる。私が台湾の伝統と神話を作っていきたい。若者たちが何を考えているかを理解してその人たちと共に戦っていかねないと勝利はない」。

 

 

 

呉叡人台湾中央研究院副研究員「二・二八事件以来六十八年経つ、ずいぶん長い歳月。痛みと告発のほかにどういう気持ちを持てば良いのか。ニーチェは『過去の記憶は今の生命力を強くし、創造力にしなければならない』と言った。二・二八事件に連座した人々は歴史を変えようとした行動者。二・二八事件でも青年学生が活躍した。各地の事件処理委員会に協力して活躍した。高雄要塞司令彭孟緝は二・二八事件を叛乱と定義して無差別殺戮を始めた。ナポレオン1世のベルリンの占領下で一般大衆向けに行われたフィヒテの講演『ドイツ国民に告ぐ』は、台湾ナショナリズムにとっても聖書の如きもの。台湾の特殊性はチャイナファクター。中国はグローバリゼーションを利用して経済的政治的統合を進めようとしている。帝国主義の一種のやり方。台湾を従属させようとしている。台湾市民社会の抵抗は民族主義的色彩を持っている。台湾人の自決権を根拠にして運動が起こって来た。中国は自由貿易経済で台湾を侵略しようとしている。『神奈川条約(日米和親条約)』のようなもの。台湾の開国を強制された。台湾人は一つの民族とするナショナリズムで中国帝国主義に対峙する。諸帝国の狭間に置かれてきた台湾は自分の運命を決定する事が出来なかった。台湾の『ひまわり運動』が香港の運動に影響した。香港民族論や自決権を主張して中国と訣別しようとしている。台湾人は巨人を倒すため日本人をはじめ自由を求める人と連帯する。外来政権との戦い。台湾は自分の意志ではなく中国の領土にさせられた。アメリカは支援しない。どうやって独立するか。アイデンティティはあっても行動に移すことができない。勇気がない。しかし意志はある。弱小民族の常。台湾人は成長した。一つの民族が形成されるには時間がかかる。中華民国は台湾国になるひとつ前の段階。非暴力的改革による。三代目四代目の外省人は台湾へのアイデンティティが出来ている。二、三十年の台湾民主化のお蔭で台湾の枠組みの中に外省人の三世四世を取り込んだ。時間が解決する。『ひまわり運動』は台湾ナショナリズムの運動」。

 

千駄木庵主人曰く。小生のメモによる記録ですから、きわめて不完全です。文責は小生にあります。

 

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千駄木庵日乗六月十七日

午前は、諸雑務、『伝統と革新』編集の仕事。

午後二時より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、原稿執筆。

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2015年6月16日 (火)

日本國體と西洋成文憲法

憲法を論じるにあたって最も重要な前提は、西洋成文憲法は「権力に対する制限規範」ということである。イングランド最悪の王と言われるジョン王と諸侯との間で結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『国王も法の下にある』といふ原則=『法は王権に優越する』といふ法治主義を確立した、とされる。「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。その為に成文憲法が必要とする」という考え方である。これが西洋成文憲法の根底にある思想である。西洋の成文法は、人間相互の不信の上に成り立つものである。人間同士が信じ合えないから、成文法を作ってお互いにそれを遵守することによって秩序を保つのである。

 

このような性格を持つ成文憲法に、神話時代に発生したといふ悠久の歴史を有する日本国体を規定すること自体不自然なことなのである。つまり、日本の歴史と傳統そして日本國體は、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋近代の成文法とは基本的に相容れないのである。

 

日本国は信仰共同体であり国民が契約を結んで人工的に作った国ではない。そして祭祀主である天皇は国民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。これが日本肇国以来の国柄であり國體である。

 

わが日本は国家の本質と君主たる天皇の御本質が建国以来、信仰的に厳然と確立している。これを法律論的に言えば、不文法によって定まっているということである。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立国の基本)に反する規定をしてはならない。西洋から輸入した近代法思想に基づく成文憲法によって立国の基本即ち日本國體を覆したり破壊してはならない。

 

換言すると、天皇及び皇室そしてそれを中心とする日本國體は、成文憲法などの世俗的な法律を超越しており、成文憲法などの権力機関で制定された法律は、國體及び皇室にかかわることに干渉することはできないのである。

 

日本天皇が日本国の君主・統治者であらせられるのは、日本の伝統信仰・歴史的な国体観念に基づくのであって、憲法に規定されているから天皇が君主であらせられるのではない。

 

日本天皇の国家統治の本質は、権力・武力による国家・国民支配ではない。天皇の祭祀主としての神聖なる権威による統治(すべおさめる。しろしめす。きこしめす)である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが国の建国以来の國體であり歴史である。また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。また、わが國の最高の成文憲法は、「天壌無窮の御神勅」である。

 

近代日本の成文憲法即ち『大日本帝国憲法』の國體条項(第一條・第二條)は肇国以来の日本の国柄即ち日本國體を成文化したものである。

 

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第五十二回日本の心を学ぶ会

神社仏閣油被害事件を考える。

>

> 今年四月以降、全国の神社仏閣へ油のような液体が撒かれ米国に在住する日本国籍の男に逮捕状が出されるという事件が起こりました。

>  この男が過去に韓国系キリスト教会に所属していた韓国系帰化人であり、日本の伝統文化に対して強い敵意を持った発言を繰り返たこと、

> 主宰する教団に百人以上の信者存在することが報道され、多くの人々に驚きと不安を持って知られることとなりました。

>  カルト問題に詳しい弁護士は「この男の背後に本国の団体がいて、そこから活動資金が出ている可能性もある、仏像に油をまくという行為がこの男の独断なのかそれとも別の意思が働いているのか気になる」とコメントしており、事件の全容解明が求められております。

> そこで今回は昨年五月に創価学会について講演していただいたジャーナリストの山村明義先生をお迎えして、この寺社油被害事件と

> その深層について講演していただきます。

>  わが国は本来、包容力ゆたかな国にですが、近年において外国から入ってくる宗教は常に警戒心をもって見られてきました。

> 布教とは単に信仰の伝播にとどまらず新しい知識や思想をも広げ、時には外国の侵略の先兵としての役割を担うことがあったからです。

> 逆説的にいうとその国の伝統的な宗教を弱体させることで共同体の団結にほころびを生じさせ侵略の糸口をつくることも可能です。

> GHQによる神道指令や水面下で進められた日本皇室のキリスト教への改宗工作もまた、日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇の神聖性を貶め、国体精神を弱体化させることで、日本国民が天皇のもとで団結できなくなるようにするための戦勝国による工作の一環といえるでしょう。

> さまざまな韓国系キリスト教会が国内に入り込み活動が活発化しつつあるいまこそ寺社油被害事件が我々に突き付けた課題につい考えてみましょう。

> また、日本の伝統的な宗教風土と外来宗教の受容について、「日本伝統信仰と外来宗教」というテーマで四宮正貴先生にお話しいただきます。

>

> 【日 時】平 成27年6月28日(日)午後600分より

>

> 【場 所】文京シビックセンター 三階 会議室C

> 東京都文京区春日1-16-21 

> 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1

> 都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1

> JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

>

> 【講 演】

> 「日本伝統信仰と外来宗教」 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所

>  

山村明義氏の演題は現在調整中です。

>

> 【司会者】林大悟

>

> 【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

>

> 【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

> 

             〇

 

この案内文は主催者が作成したものでございます。

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「神武創業ノ始ニ原」くとは「祭政一致」の再興である

『王政復古の大号令』に示された「神武創業ノ始ニ原」くとは、「祭政一致」の再興である。「祭政一致」とは、神をまつり神の御心のままに政治を行ふといふことである。

 

明治天皇は、明治元年十月十七日渙発の『祭政一致の道を復し氷川神社を親祭し給ふの詔』において「神祇を崇(たふと)び祭祀を重ずるは、皇國の大典にして、政教の基本なり。…方今更始の秋(とき)、新に東京を置き、親しく臨みて政を視る。将に先づ祀典を興し、綱紀を張り、以て祭政一致の道を復せむとす」と示された。

 

さらに、明治天皇は、明治三年正月三日『神靈鎮蔡の詔』を発せられ、神武天皇が橿原建都の後四年二月二十三日に発せられた『天神を祀り大孝を述べ給ふ詔』の大御心を継承されて、「朕、恭しく惟みるに、大祖の業を創(はじ)めたまふや、神明を崇敬し、蒼生を愛撫したまひ、祭政一致、由来する所遠し。朕、寡弱を以て、夙に聖緒を承け、日夜怵惕(じゅつてき)して、天職の或は虧(か)けむことを懼る。乃ち祇(つつしみ)てい天神・地祇・八神曁(およ)び列皇の神靈を、神祇官に鎮祭し、以て孝敬を申(の)ぶ。庶幾(こひねがは)くは、億兆をして矜式(きょうしき)する所有らしめむ」と宣せられた。

 

影山正治氏は、「『諸事神武創業ノ始ニ原カム』ことを御眼目とされた明治御維新は、何よりも先づ祭政一致の大道大義を明らかにすることを以てその根本第一義とされた」(『古事記要講』)と論じてゐる。

 

復古の精神即ち祭政一致の精神は具體的には次のやうな形で現れた。明治四年十二月十二日付の左院(明治初期の立法諮問機関)の『建議』に「一、天照大神の神殿を禁域の中央に造立し、國家の大事は神前に於て議定すべきこと。…文武百官拝任の日は必ず神殿に拝して誓文を奉り、神教を重んじて皇室と共に國民を保安するの誠心を表せしむべ事。」とある。

 

「祭政一致」の制度を確立して、政治家・官僚はもちろん國民すべてが天神地祇へのかしこみの心を持って政治を行ひ、生活を営ませやうとした。神祇官の再興もその一環であった。

 

神祇官とは、律令制で、太政官と並ぶ中央最高官庁である。朝廷の祭祀をつかさどり、諸國の官社を総轄した。明治維新政府は、慶応四年(一八六八)閏四月、太政官七官の一として神祇官を再興し、神祇・祭祀をつかさどらしめた。明治四年(一八七一)八月八日にその規模を変じて神祇省と改称した。

 

「神武創業への回帰」といふ雄大にして宏遠なる精神は、近代日本の出発において、傳統を重んじつつ柔軟にして自由な変革を實現せしめる原基となった。

大原康男氏は、「(神武創業への回帰は・注)『歴史的拘束性』を否定して近代化への推進力となったが、同時にそれは急進的な欧化への歯止めともなっていた。従って復古即革新といふスローガンがいい意味でプラグマチックに活用されたことは否めないが、それも神武天皇の再臨としての明治新帝が担う傳統的な権威へのコンセンサスがあってのことだ。『古代的原理への回帰を下敷きにした近代國家の確立』というユニークなテーゼは非欧米諸國で近代化に成功した唯一の國日本の謎を解く鍵でもある」(『國體論と兵權思想』・「神道學」昭和五十五年五月号所収)と論じてゐる。

 

明治維新が力強く生き生きとして創造性に富む変革となった原因は「諸事神武創業ノ始ニ原カム」とする御精神と「我國未曽有ノ変革」といふ御自覚である。しかもこの二つの精神は、明治天皇の大御心として全國民に示された。復古の精神を基本に置きつつ自由大胆なる変革が断行できた。

 

この自由な発想の「生みの親」は實に、洋學者でもなければお雇ひ外國人でもない。實に國學者・玉松操であった。『岩倉公實記』には次のやうに書かれてゐる。「具視王政復古ノ基礎ヲ玉松操ニ諮問スル事、…具視以謂ク建武中興ノ制度ハ以テ模範トスルニ足ラズト。之ヲ操ニ諮問ス。操曰ク、王政復古ハ務メテ度量ヲ宏クシ、規模ヲ大ニセンコトヲ要ス。故ニ官職制度ヲ建定センニハ当ニ神武帝ノ肇基ニ原キ寰宇ノ統一ヲ図リ、萬機ノ維新ニ従フヲ規準ト為スベシ。」

「度量ヲ宏クシ、規模ヲ大ニ」した大変革が行はれる精神的素地は、實に「神武創業」への回帰といふ復古精神であった。

 

要するに、明治維新とは、「諸事神武創業の始に原く」=天皇の國家統治・祭政一致・一君萬民のわが國本来の姿=國體の開顕によって「未曽有の変革」を断行することだったのである。

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千駄木庵日乗六月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。『政治文化情報』発送準備。

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2015年6月15日 (月)

深谷隆司氏の正論

私の敬愛する深谷隆司氏の正論を紹介します。

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深谷隆司の言いたい放題第614

「先輩顔するな」

 

12日、亀井静香元金融担当相、藤井裕久元財務相、山崎拓元自民党副総裁、武村正義元官房長官の4人が日本記者クラブで記者会見を行った。

安倍晋三政権が進める集団的自衛権の行使容認を含む安全保障法制の整備について、反対の声をアピールしたのだ。

長い経験を積んだ先輩の立場から、苦言を呈することが悪いとは言わないが、どの顔もあまりに古くて、「あの人誰?」と言われそうな面々である

なにか自己顕示欲のようなものがちらついて、正直、見ている私のほうが気恥ずかしくなった。

 

「自衛隊が地球の裏側まで行って活動するのは明らかに憲法違反だ」、「自衛隊が血を流し、相手方も血を流させることになるのは間違いない」、「このままでは外国の戦争に巻き込まれる」・・・云々とヒステリックに安倍批判を繰り返した。

よく左翼的職業集団が「憲法を改正したら戦争が起こる」といった、なんとも意図的で短絡的な発言を繰り広げるが、同じようなトーンで、まったく理論的でなく、これが経験を積んだ政治家と称される人たちなのかと、寂しくなる。

 「こういう基本的な問題については、国民の意思を問うべきだ」と亀井氏が発言したようだが、今まさに国民から選ばれた国会議員が、国民に代わって議論している最中ではないか。

かつては自民党にあって一時代を風靡したこともあった人だが、最近は一人ぼっちで、現職議員なのに国会で発言するチャンスがない。 

昔、細川政権をぶっ潰した仲間だっただけに、私から見るとなんとも痛々しい思いがする。

「国民は納得しておらず、大きな禍根を残す」とも言っているが、自分の都合のよいように「国民、国民」と勝手に振り回すなといいたい。

 

 実は一昨年(2013年)の12月、亀井氏の呼びかけでキャピトル東急桜の間に、古手の政治家たちが集まったことがあった。

今回のメンバーに加えて野中広務氏、石原慎太郎氏、松永光氏、村上正邦氏、矢野純也氏、それに私だが、往年のうるさ型が勢ぞろいとあって、大変な数のマスコミ陣が集まった。

 議論百出、時には中国問題で石原氏と野中氏が大喧嘩、特定秘密保護法では賛成の私や松永氏と大激論、それなりににぎやかで面白かった。

最後に亀井氏が、この会を「国を憂うる会」にして継続させようと提案、みんなも賛成した。

 ところが、更に亀井氏、「今日の意見をまとめて安倍総理に進言しよう」と言い出し、あらかじめ用意した原稿を読み出した。

 なんと内容は安倍批判一辺倒で、私を含めて「そんなものは出すべきではない、むしろ激励することこそわれわれ先輩の役目ではないか」と猛反発、結局、中身を骨抜きにしたのであった。

今回の会合にはわれわれは呼ばれていないが、一昨年のことを思い出し、また売名的集まりかという印象を持った。

私も華やかな舞台で活躍した時代を懐かしく思い出すこともある。しかし、すべて過ぎ去った時代のことだ。夢よもう一度など、間違っても思ってはいけない。

勿論、後輩の人たちに苦言を呈することは大事なことだが、それは外に向かってアピールすることでは決してないのだ。

今まさに国会で議論している最中だけに、温かく見守ってあげることがまず必要ではないかと、私は思っている。

 

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現代における維新にいて

西田幾多郎氏は、「神皇正統記が大日本者神國なり、異朝には其たぐひなしといふ我國の國體には、絶対の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が萬世一系として永遠の過去から永遠の未来へと云ふことは、単に直線的と云ふことではなく、永遠の今として、何処までも我々の始であり終であると云ふことでなければならない。天地の始は今日を始とするといふ理も、そこから出て来るのである。慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云ふ(旧事本紀玄義)。日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云ふことにあるのである。」(世界新秩序の原理・「西田幾多郎全集 第十二巻」所収)

 

「日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云ふことにある」といふことが非常に重要である。わが民族は、神代・天上の理想國を地上・今の代と隔絶した存在とは決して考へなかったのである。神代は時間を超越した實在である。今此処が神代なのである。それは観念的論議ではない。日本の天地自然の中に神々は生きてゐたまふといふわが國の傳統信仰である。

 

「神代即今」「今即神代」の理想を継承し顕現させることによって、現代を祓ひ清め変革することが真の「復古即革新」すなはち維新である。「復古」の「古」とは「元初の日本」「永遠にして常に新しい神代」のことである。

 

現状の穢れを祓ひ錆を落とすために、「元初の清浄なる日本」に帰ることが維新である。今日の危機的状況を維新変革の好機ととらへねばならない

 

大東亜戦争敗北以来、七十年にわたり、わが國は、天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體の真姿を隠蔽し、政治・外交・経済・軍事などの國家の根幹に関はる面で自主独立性を喪失してゐる。今こそ復古即革新すなはち維新の戦ひを断行し、日本のあるべき姿を回復し、國難を乗り越えなければならない。

 

神代以来の祭祀國家・信仰共同体たる日本の真姿の中心におはしますご存在が、祭祀主たる天皇であらせられる。天皇がおはしまさずして、真の日本はあり得ない。祭祀主であらせられ、神の如くに清浄なるご存在であり、尊厳性・道義性の体現者であらせられる天皇に帰一する日本を復興することが、國體の開顕であり明徴化である。

 

 

大化改新・建武中興・明治維新という我が国の変革の歴史は、天皇を君主と仰ぐ國體意識・尊皇精神の興起が原基となって断行された。これを維新と言う。天皇その方が、維新の原理であると言っても過言ではない。

 

天皇を原基とし原理とするが故に、醜い政治権力闘争ではなくなる。美しく荘厳なる変革となる。それが他国の革命との絶対的違いである。つまり、天皇を祭祀主と仰ぐ神聖国家・道義国家の再生が、日本的変革即ち維新の本質なのである。

 

わが国の「原初の精神」すなはち「神話の精神」は今日唯今、「天皇の祭祀」に脈々と継承され生きてゐる。太古の神話の精神が今日も生きつづけてゐる民族は日本民族のみである。ゆゑに、わが國體は萬邦無比なのである。

 

今日の日本はまさに混迷を深めている。しかし、混迷を深め国家民族が危機に陥っている時にこそ、変革が行われる。それがわが国の歴史である。今日の危機的状況を國體の真姿に開顕する事によって、危機を乗り越えていかねばならない。必ず乗り越えることができると確信する。わが日本國民が護るべき最高のものは國體であり、変えるべきものは國體の真姿を隠蔽する全ての事象である。

わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。それは偏狭な排外主義・独善に陥ることでは決してない。「神話の精神の復活」によって精神の救済を図るといふことである。

 

今日において維新を目指す者も、如何なる國難の状況にならうとも、國體は盤石であるとの信念で戦ひ続けなければならない。民族の歴史と傳統の精神を変革の原理とする日本の維新は、維新を志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって實現する。

 

変革は、明確なる理想が掲げられ、民心が一致することが肝心である。しかし、変革は、いたずらに精密なる理論や教条に基づいて行われるわけではない。国民全体を奮起せしめる現実の危機によって断行される。理論は現実の危機打開の実行行為と共に生起し構築される。

 

我が國國民の心の底にある國體精神を蘇らしめ、それを核として強大な統合力を生み出し、混迷せる状況に対して革新の行動を起こすことが今求められてゐる。

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2015年6月14日 (日)

千駄木庵日乗六月十四日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、原稿執筆。『政治文化情報』の発送準備。

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「現行憲法」の無効を確認して、自衛隊を國軍として正しく規定すべし

 法治国家の国民である以上、法は守らねばならない。しかし、今日の日本は成文法の根幹たる「憲法」が正統性を失っているのである。現代日本の混迷と堕落と危機の根本原因の一つはここにある。

 

 「現行占領憲法」は制定当初から正統性がなかったのである。それは、「現行憲法」が「帝国憲法」を改正したものだなどという自体が欺瞞だからである。天皇大権が占領軍の隷属の下にあった占領期間中の改憲は「摂政を置くの間之を変更することを得ず」という「帝国憲法」の条項に明確に違反しているのである。

 

 終戦後七十年を経過して、愈々益々終戦直後の、戦勝国によるわが國の伝統破壊・弱体化政策を原因とする様々な問題が噴出してきている。しかもそれは、わが国存立の根幹をも揺るがしかねない事態となっている。

 

 「占領憲法」の「平和主義」「国際協調」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は武力・戦力・國軍を持たない。侵略阻止のための武力行使はしないし、国防戦争もしない」という敗北思想である。

 

 「現行占領憲法」の「平和主義」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は武力戦力國軍は持たないし武力の行使はしないし戦争はしない」という思想である。有り体に言えば「日本は軍隊や武力を持たせるとなにをするかわからない」という観念が根底にある。そして「わが國以外の國はすべて公正と信義を持っているのだから、日本を侵略しようなどという國は何処にも存在しない」という虚構が作られた。その虚構の上にわが國の國防という基本國策が立てられているのだ。

 

 「占領憲法」の『前文』の精神に基づいて、第九条の「國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権はこれを認めない」を読めば、この規定は、「現行憲法」が自衛権・國防軍の存在を否定していると解釈するのが至当である。

 

「前項の目的」とは「國際紛争を解決する手段」のことであり、それは「侵略戦争」を意味するから、自衛のための戦力は否定していない、などという議論は、曲解である。

 

 『現行憲法』は「戦勝國による日本占領基本文書」であり、二度と再びわが國が米英支ソに対して立ち向かうことのないようにすることを目的として押しつけられたのだから、「交戦権」も「戦力」も「陸海空軍」も持つことを許されなかったのである。

 

 しかし、現実にわが國に存在する自衛隊を見て、「戦争をするための組織でなく、國際紛争を解決するために武力による威嚇や行使を行う組織ではなく、陸海空軍ではなく、戦力も交戦権も持っていない」などと思っている人はいない。もしそう思っている人がいるとすれば、頭がどうかしていると言わざるを得ない。

 

 自衛隊は事実としては、立派な陸海空軍によって構成される國際紛争を解決することを目的とした國軍であり、武力の行使又は威嚇を行う組織であり、戦力も交戦権の保持している。

 

 そして、この自衛隊という名前の陸海空軍によって、わが國の安全・独立・治安が守られている。この事実は、自衛隊が違憲であるか否かに関わらず、国民大多数の合意になっている。「現行占領憲法」が如何に現実を無視しており、空文となっているかは火を見るよりも明らかである。

 

 吉田茂総理(当時)は、昭和二十一年六月に國會で「第九条第二項において、一切の軍備と國の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と述べている。これが『現行占領憲法』の立法意志であり、まともな解釈である。

 

 したがって、「現行憲法」がある限り、自衛隊は憲法上は軍として認知されず、何時までも誰かか言った「違憲合法」という絶対矛盾の存在であり続けなければならないのである。國防に関してはわが國は法治國家ではない。

 

 政府自らが憲法違反という大罪を犯しているのだから、國民の遵法精神が希薄になるのは当然である。「現行憲法」を守り続けるということはこの欺瞞的状況を変えないということである。

 

平和の前提は、國家の独立・民族の自立である。國家の独立を維持し、民族の自立を守り、平和を維持し実現するために國防力・軍事力が不可欠である。

 

 冷戦終結後、わが國を取り巻く軍事・安保情勢はかえって厳しくなってきている。また國際社会はわが國が主権國家として安全保障問題・平和維持に主体的に取り組み、積極的な貢献することを期待している。國防戦争・自衛戦争まで悪として否定し、憲法に國防が明確に規定されてないという欺瞞的にして危険な状況を一刻も早く是正することが必要である。

 

「現行憲法」の無効を確認して、自衛隊を國軍として正しく規定し、國家には独立と安全を保つために自衛権・交戦権を有すると明確に憲法に規定すべきである。

 

 また、國の独立と安全を守ること即ち國防は、最も重要な國家機能である。多くの國では憲法で國民と國を守る義務を定め、また軍保有とその指揮系統を明確に規定している。國家存立の基本たる國防が、「解釈改憲」で成り立っている状況は何としても是正されるべきだ。

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千駄木庵日乗六月十三日

午前は、諸雑務。

午後十二時より、青山霊園にて、『無名烈士墓前法要』執行。遺文奉読・読経・焼香の後、呼掛け人代表・施主の挨拶があった。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

夕刻、湯島にて、地元の先輩と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。

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2015年6月13日 (土)

国家的危機においてこそ、後世にのこる価値のある和歌が生まれている

和歌と言うと、平和の時に、花鳥風月を眺めながら悠長に、歌作りを楽しんだと思う人がいる。実際に私はある人からそういうことを言われたことがある。しかし、決してそうではない。むしろ国家的危機においてこそ、後世にのこる価値のある和歌が生まれている。個人の場合も、安穏な生活や満ち足りた生活を営んでいる時よりも苦闘している時期の方が良き歌が生まれる。

 

『萬葉集』は、大化改新・壬申の乱・白村江の戦いなどが起こりまさに内憂外患の時期に歌われた歌が収められている。『新古今和歌集』は「承久の変」の時に生まれた。元寇の時も、建武中興でも、明治維新においても、そして大東亜戦争においても、すぐれた歌がのこされた。

 

個人においても、変革の意志、維新の志、戦闘者の精神があってこそすぐれた和歌を詠むことができる。吉田松陰を始め明治維新の志士たちの歌、大東亜戦争に参加した将兵たちの歌を見ればそれは明らかである。

 

幕末の動乱期に「尊皇攘夷」の戦いに挺身した人々の述志の歌はそれぞれに憂国の至情が表白され、「魂の訴え」という和歌の本質そのものの歌ばかりである。

 

藤田東湖(水戸藩主徳川斉昭と肝胆相照らし熱烈な尊皇攘夷論を主張し尊攘運動に大きな影響を与えた)の歌。

「かきくらす あめりかひとに 天つ日の かがやく邦の てぶり見せばや」(心をかき乱すようなアメリカ人がやって来たが、天日が照り輝く日本の國風を見せてやればよい、という意)

 

伴林光平(文久三年(一八六三)攘夷断行・天皇親政実現のために挙兵した天忠組に参加し敗れて刑死した)の歌。

「君が代は いはほと共に 動かねば くだけてかへれ 沖つ白浪」

(天皇国日本は巌のように不動であるから日本を侵略しようとする国々は沖の白波のように砕けて帰ってしまえ、という意)

 

梅田雲濱(若狭国小浜藩士。尊皇攘夷運動を行い安政の大獄で捕えられ獄死した)の獄中で病気になった時に詠んだ歌。

「君が代を 思ふ心の ひとすぢに 吾が身ありとは おもはざりけり」

 

吉田松陰は、

「討たれたる われをあはれと 見む人は 君を崇めて 夷攘へよ」と詠み、

 

平野國臣は、

「君が代の 安けかりせば かねてより 身は花守と なりけむものを」という歌をのこしている

 

このように日本民族は古代から平安朝そして中世と脈々と愛国心及びそれと一体のものとしての尊皇心を継承してきている。徳川時代の末に至りペリーの来航から明治維新の断行までの内憂外患大変革の時期は、その愛国心・日本ナショナリズムは火の如く燃え上がり、数々の歌に表現された。

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千駄木庵日乗六月十二日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』原稿脱稿、印刷所に送付。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆、書状執筆など。

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2015年6月12日 (金)

「憲法守って國滅ぶ」という言葉があるが、民主党はまさに憲法を守って國を滅ぼそうとしている

衆院憲法審査会で、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案について、与党推薦を含む参考人全員が「憲法違反」との見解を示した。民主党は、自民党の「人選ミス」につけ込む形で「法案撤回が当然だ」(枝野幸男幹事長)と鬼の首でも取ったように廃案に追い込もうとしている。「憲法守って國滅ぶ」という言葉があるが、民主党はまさに憲法を守って國を滅ぼそうとしているのだ。

 

弱肉強食・強い者勝ちが冷厳な國際社会の現實である。『現行占領憲法』の「前文」に書かれている「人間相互の関係を支配する崇高な理想」などというものは、少なくとも南北朝鮮・支那・ロシアは全く持ち合わせていない。力がない國は侵略され、滅ぼされる。

 

また、「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などということは、全くの空想・夢物語であるばかりでなく、きわめて危険な思想である。わが國固有の領土南樺太・全千島を七十年近くも占拠したままのロシア、わが國固有の領土竹島を六十年以上に亙つて占拠している韓國、そしてチベット・東トルキスタン・満洲・蒙古などを侵略支配し、台湾を併呑せんとし、尖閣諸島・沖縄などのわが國固有の領土・領海を侵略せんとしている共産支那のどこに「公正と信義」があるのか。

 

さらに、「前文」の「日本國民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文章は、「日本は東條内閣の行為によって侵略戦争を起こしましたが、二度とそのような事はしないことをお誓いします。今後はアメリカ様、ソ連様、支那様など戦勝國の皆様の公正と信義に信頼して、侵略を行なった悪い國であるわが國とわが國民の生存と安全を保持してまいります。今後は何をされても決してお手向かいを致しません」という「詫び証文」である。この「詫び証文」の精神を實践してきたのが戦後日本の外交である。

 

「憲法守って國滅ぶ」という言葉はまことに真實である。極論すれば、國家基本問題においては『現行占領憲法』に違反してこそ、日本は正常な國になるのである。正統性が全くない押しつけ憲法である『現行占領憲法』に何が書かれていようと、一切これを無視するくらいの気持ちがなければ『憲法守って國滅ぶ』が現實のものとなる。

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千駄木庵日乗六月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『月刊日本』連載の「萬葉集」解釈原稿執筆・脱稿・送付。

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2015年6月11日 (木)

この頃詠みし歌

去り行きし友一人あり悲しくもわが饒舌の罪は深きか

 

えらいことになりにけるかなわが部屋の水道管から水噴き出しぬ

 

水道管より水が噴き出し大慌て日常生活に波乱起これり

 

埋め立てられしところにビルが林立す 地震大国日本の首都

 

そのかみのピアノの音色と美しき女(ひと)の横顔甦り来る

 

コンクリートの上に粉々に砕け散りし蛍光灯は無機質の滅び

 

わが話を熱心に聴く人の集ひなば我も滔々と自説を語る

 

五十代に見えると言はれ喜びて隣席の人と酒酌み交はす

 

南無観世音 祈りの言葉を捧げまつり明日の一日の幸を祈らむ

 

ともかくも生きて来しなりこれからも生きてゆくべし命の限り

 

老いし母が我が名と息子であることを忘れることのなきが嬉しき

 

時々に我に向かひておじいちゃんと言ひたまふなり老いたる母は

 

年々に人は老いゆくを肯ひて今朝も鏡のわが顔を見る

 

知らざりし事を教へられし書物をば有難きかなと撫ぜにけるかも

 

妻も無く子も無き我はさみしくも一人で朝餉を食しゐるなり

 

パクパクとよく食べる母 羊羹を喜ぶ笑顔の何とやさしき

 

若き友が明るく語る真昼間は我の心も励まされゐる

 

明るき笑顔の職人さんに真向ひて寿司食す我も明るき心

 

一人静かにもの書く時はわがを心鎮ましめつつ筆運ぶなり

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2015年6月10日 (水)

千駄木庵日乗六月十日

午前は、諸雑務。

午後は、「伝統と革新」編集の仕事。

午後六時半より、南大塚地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。小生が、大伴旅人の歌などを講義。質疑応答。帰途、参加者と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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 和歌に歌われた『大和心』=日本人の伝統精神  

 日本の伝統的精神のことを『大和心』と言う。その『大和心』を短歌形式で表白した歌が次の歌である。

 

「敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ 山桜花」

 

 近世の国学者・本居宣長の歌である。「大和心をどういうものかと人に問われたら、朝日に美しく映える山桜だと答えよう」というほどの意である。

 

 「朝日ににほふ山桜花」は何とも美しい。それが大和心なのだと宣長は言う。神の生みたまいし美しい国に生まれた日本人は美しいものを見たら素直に「美しい」と感動する。その「素直な心」「そのままの心」「純真無垢の心」が日本人の心なのである。それは、理智・理屈・理論ではない。純粋な感性である。嘘の無い心即ち「真心」である。大和心即ち日本伝統精神は、誰かによって作られた思想体系や理論体系ではないのである。

 

 しかしながら、日本人はただ単に感覚的に美しいものを好むのではない。もっと深い。日本人の「真心」は一種厳粛な神々しさを伴う。「朝日ににほふ山桜花」の美しさは神々しさの典型である。日の神の神々しさを讃えている。

 

 さらに「夕日」ではなく「朝日」であるところに日本人が清々しさ・清浄さ・潔さ・明るさを好むことをも表現している。

 

 清らかで明るい心を「清明心」という。この清明心は天智天皇の御製に次のように歌われている。

 

「わたつみの 豐旗雲に 入日さし 今夜(こよひ)の月夜 清明(あきらけ)くこそ」

 

 「大海原のはるかの大空に、大きく豊かな旗のように棚引く雲に入り日がさしている。今宵の月はきっと清らかで明るいであろう」という意。

 

 何とも大らかで豊かな御歌である。この天智天皇の大御心こそが日本人の本来的に持っている精神、即ち「大和心」なのである。そして、「清明」という漢字をが用いられている。日本人は清らかで明るい心を好むのである。 

 

 さらに言えば、「三日見ぬ間の桜かな」という言葉があるように、美しい桜の花は他の花々よりも咲いている時間が非常に短い。と言うよりも雨や風に当たればすぐに散ってしまう。日本人はそういう桜花の「潔さ」をとりわけ好むのである。これを「散華の美」という。

 

 保田與重郎氏は「しきしまの大和心を人問はばと歌はれたやうに、花の美のいのちは、朝日のさしそめる瞬間に、その永遠に豊かな瞬間に、終わるものといふ。日本の心をそれに例へたのは、さすがに千古の名歌を、永く国民のすべてに吟唱される所以であった」(昭和十四年・『河原操子』)と論じておられる。

 

 しかし、桜の花の命は、はかなくそして見事に散ってしまえば、それで消滅してしまうのではない。また来年の春に甦るのである。滅亡の奥に永遠の命がある。そう日本人は信じた。それが楠正成公の「七生報国」の御精神である。

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千駄木庵日乗六月九日

午前は、諸雑務。

午後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、講義の準備。

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2015年6月 9日 (火)

萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 六月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区南大塚地域文化創造館

東京都豊島区南大塚二-三六-一 ☎〇三-三九四六-四三〇一 「東京メ トロ 丸ノ内線 新大塚駅」一番出口より徒歩八分。JR山手線 大塚駅」(南口)より徒歩五分。「都電荒川線 大塚駅前駅」より徒歩五分。都バス「大塚駅」停留所より徒歩五分 (都〇二、上六〇)

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

 

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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天皇信仰が高らかにが歌われている『國歌君が代』

 『國歌君が代』には日本國民の伝統的天皇信仰が高らかに歌いあげられている。

 

 君が代は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで

 

 元歌は、平安朝初期から知られていた詠み人知らず(作者不明)の古歌(『古今和歌集』巻第七及び『和漢朗詠集』に賀歌として収録)の一首「わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」(わが君のお年は、千年も八千年も、小さな石が巌となって苔が生えるまで、末永くお健やかでいて下さい、というほどの意)である。

 

初句の「わが君」は、尊敬する目上の人という意味であり、天皇を指す場合あるしそうでない場合もある。 

 

『古今和歌集』の「賀歌」とは、人が一定の年齢に達したときに行う行事に際して、他人が詠んで贈る歌である。祝いの調度としての屏風に書く歌として詠進されたものであるが、口誦(注声をあげてよむこと)として披露されたものであって公的性格が強い。

 

 『君が代』は、平安時代にかなり普及した賀歌(祝い歌)である。その後、中世に第一句が「わが君は」を「君が代は」(あなた様の寿命は)に改められて、今日の「國歌」と同じ形になった。中世から近世にかけて全國に広がり、謡曲や神楽歌そして小唄・浄瑠璃・薩摩琵琶などに取り入れられ、貴族だけでなくあらゆる階層の人々に身近な祝い歌として広く親しまれ歌われてきた。

 

 『君が代』はめでたい歌として貴族から庶民に至るまで自然発生的に全國民的に歌われ続けた歌である。

 

 江戸初期には、堺の町の美声の歌い手に隆達という人がいた。その『隆達節』にもこの『君が代』が最初に挙げられて、広く庶民の間に親しまれたという。薩摩琵琶(注薩摩で発達した琵琶、およびそれによる歌曲)の『蓬来山』という曲にも取り入れられた。

 

 明治初期に『君が代』が國歌として制定された時、薩摩の大山巌は、「わが國の國歌としては、よろしく宝祚の隆昌、天壤無窮ならん子とをり奉るべきである」として「平素愛誦する薩摩琵琶の中から『君が代』を選び出した」と語っている。

 

 以来、今日まで『君が代』の「君」は天皇の御事として歌われてきている。國歌『君が代』の「君」は天皇の御事である。反対勢力の「國民主権」の憲法に違反するという批判を恐れて、『君が代』の「君」は天皇のことではなく「僕・君」の「君」すなわち國民同士のことだなどと主張するのは大きな誤りである。

 

 また、「さざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」という歌句をとらえて、小さな石が大きな岩に成長するということはあり得ないから非科學的な歌であるという議論があるが、これは『國歌君が代』を否定するための屁理屈である。

 

 石が成長して大きくなり巌となるというのは日本人の古来からの信仰的真実である。古代日本人は、石が成長すると信じた。『君が代』の歌の根底にはこの信仰がある。単なる比喩ではない。これは石や岩という自然物が生きているという自然神秘思想から来ている。

 

 全てを命あるものとして見る自然信仰は、祖霊信仰とともに日本伝統信仰の大きな柱である。石や岩などの自然物に魂が宿っているという古代信仰は『萬葉集』の次の歌に表れている。

 

「信濃なる 筑摩の川の 細石(さざれいし)も 君しふみてば 玉と拾はむ」

 (萬葉集巻十四・三 四〇〇)

 

 東歌(萬葉集巻十四・古今集巻二十にある、東國方言で庶民が詠んだ和歌)である。「信濃の千曲川の小石もあなたがお踏みになったのなら玉と思って拾いましょう」というほどの意。恋人が踏んだ石には魂が籠っているという歌である。石に魂が籠るというのは古くからの民俗信仰であった。

 

 さらに、柿本人麻呂が石見の國において亡くなる時、妻・依羅娘子がこれを嘆き悲しんで詠んだ歌では、

 

「今日今日と 我が待つ君は 石川の かひにまじりて ありと言はずやも」 (萬葉集巻二・二二四)

 

と詠まれている。山の谷間の貝塚などに遺骸を葬る風習が古代にはあり、川に臨んだ貝塚群の底から、人骨が出土する例が報告されている。「石川のかひ」は、死者を葬った川のそばにあり水に浸された貝塚のことである。石川と名づけられたのも、小さな石(すなわちさざれ石)には霊が籠っていて、霊の憑依物・霊的なものとして考え、「玉」とも呼ばれた長い信仰がこの歌の底にはある。

 

石と岩の違いは、石が成長した岩には魂が籠っているということである。「いは」の語源は「いはふ」である。「いはふ」は「いへ」と同根の言葉で、霊魂を一処に留めて遊離させないして霊力を賦活させ神聖化することである。そして「いはふ」は神を祭る意にもなった。神を祭る人(神主)を「斎主」(いはひぬし)、神を祭る宮を「斎宮」(いはひのみや)と呼ぶようになった。

 

家に籠ることを「いはむ」という。「いはむ」とは忌み籠ることである。「忌む」とは、不吉(ふきつ) なこと、けがれたことをきらって避けること。特に、ある期間、飲食・行為を慎んで、身体をきよめ不浄を避けることをいう。「斎」(いつき・心身を清めて飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いみきよめる。いわう。いつく。ものいみする、という意)と同じ意である。 

 

 「いつき・いつく」の「いつ」とは清浄・繁茂・威力などの意を包含している神聖観念である。天皇の神聖権威を意味する御稜威(みいつ)はこの言葉から来ている。

 このように、「いへ」「いは」「いむ」「いつく」は語根が同じくし、深い関係がある。ゆえに、魂の籠っている「石」を「岩」と言うといっていい。天照大神が籠られた「天の岩戸」は大神の神霊が籠られたところなのである。

 

 人々は、亡くなった人の遺体を石の下に埋める。わが國は古墳時代から墓に石を置いた。特に偉大な人の墓の場合は巨大な岩を置いた。墓を石で造るのは、石に魂が籠められるという信仰に基づく。石や岩に霊魂が籠ると信じた日本人は、石は地上にありながら、地下から湧出する生命・霊魂の威力を包み込んだ存在で、地下に眠る霊魂の象徴であり、よりしろ(憑代・依り代。神霊が宿るところ)と考えた。 

 

 日本の「家」(いへ)はそれを構成する人々つまり家族の魂が一処に籠っているということである。したがって、君が代(天皇の御代)は「石」が「岩」になるまで続くということは、天皇國日本は魂の籠っている永遠の國家であるということになる。岩を霊的なものとしてとらえ、それを永遠無窮・天壤無窮の象徴としたのである。そういう信仰を歌っている歌が『君が代』なのである。

 「大君は 神にしませば 天雲の雷の上に いほらせるかも」

という柿本人麻呂の歌の「いほらせる」は、「いほりする」の尊敬語である。「いほる」とは、「斎」(いつき)の意義が込められている。人麻呂は、天皇が神聖なる雷丘に忌み籠られて五穀の豊饒を祈る祭りをせられたことを詠んだのである。

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千駄木庵日乗六月八日

午前は、諸雑務。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後から、在宅して、原稿執筆、書状執筆など。

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2015年6月 8日 (月)

今後、我が国は朝鮮半島に対して如何に向き合ひ対処すべきかについて

今後、朝鮮半島に対して如何に向き合ふ対処すべきかについて、葦津珍彦氏は次の如くに論じてゐる。

 

「日韓両民族が、一視同仁の聖天子の兄弟たるべき時代は消え去ってしまった。…仲のわるい隣邦の外国人にすぎなくなった。日本人の道義も失はれ、金権の外に考へない気風に汚染されている。韓国人は自ら国を亡ぼしてしまった歴史を、ことさらに抹殺して、日本をただ悪者にして、公正の歴史をゆがめて、対日請求のやくざ集団のような思想にとりつかれている。ここでは、はっきりと日韓は別国とわり切って、冷徹な国家対国家の国際公法の『理性』に立ち、相和すべき理があれば和するが、対決すべき理があれば同志を拒否し対決するとの原点に戻って、初めから、出直す外にあるまい。その対等対決の中から、自らにして兄弟の情のわき出るを切望するが、心にもない特殊、非情理な、拵え事のだらだら回想情操論は一旦打ち切った方がいい。今の條件で日本天皇と親しむ者には親しみ、敵対する者には敵対するがいい。異国人相手の交際からの出直しだ」(『朴鐡柱君悲痛の生涯』・「朴鐡柱大人を偲ぶ」所収)

 

全く同感である。日本と韓国とは近親でも身内でもない。異文化・異民族であることをもっと確認すべきだ。当たり前のことだが、日本と韓国とは別の国であり別の民族である。地理的には近隣でも文化的・民族的には決して近隣国家ではない。

 

また、アジア・東洋で一括りにすることはできない。アジア諸国家・諸民族には文化・歴史・宗教などに大きな違ひがある。それぞれ個性がある

 

近年、「東アジア共同体」といふ考へ方が唱へられてゐる。全世界の国家がさうであるやうに、東アジアにおいても大陸国家と半島国家・海洋国家とに分けられる。支那は大陸国家であり、朝鮮は半島国家であり、日本や東南アジア各国は海洋国家である。戦争が起こる確率が高いのは、半島国家であるといふ。大陸国家・半島国家・海洋国家が「共同体」を形成することはきはめて難しいといふか、不可能に近いと考へる。 

 

日本と支那が「共同体」を形成するということは、日本が大陸との関係を今日以上に深めるということである。これまでの歴史で、日本が大陸に進出して成功したためしはない。

 

戦前は、軍事的・政治的に大陸に深入りして、ソ連中共の謀略に引っかかり、泥沼の戦いとなって日米戦争にまで進み敗北した。戦後は、経済的に深入りして、金と技術をまきあげられ、共産支那を軍事大国にしてしまい、かえってわが國の安全と独立が脅かされている。

 

私は、今日言はれてゐる「東アジア共同体」に日本が積極的に関与するのは、きちんとした国家戦略を確立しないままに、無原則に支那大陸に深く進出して行った戦前のわが國の過ちを繰返すこととなると考へる。

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千駄木庵日乗六月七日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』の原稿執筆。

午後も、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰途、最近、地元の後輩ご夫妻が谷中に開店したレストランにて食事。

帰宅後も、原稿執筆。

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2015年6月 7日 (日)

大東亜戦争について日本国民全体が正しき理解をすることが大切である

私は、大東亜戦争の歴史を考えるとき「鬼畜米英」という言葉は決して大げさではなかったと思っている。また、旧ソ連そして現在のロシアの侵略体質・火事場泥棒体質は許し難いと思う。

わが国は何故米英に宣戦を布告したのか。それは米英本国に日本が攻め入り、彼の国を占領支配せんとしたためではない。米英が百年来、東亜諸国諸民族を侵略支配している状況を掃攘するために宣戦を布告したである。即ち、明治維新の攘夷の戦いをアジア的規模で遂行せんとしたのである。

日露戦争の勝利は、米英をはじめとした西欧列・白色人種に虐げられていたアジア・アフリカなどの有色人種に大きな希望をもたらした。アジアの中でよく独立を維持しさらに近代化を遂げ、発展した唯一の国である日本は、欧米列強の植民地支配からアジア諸国諸民族を守る大きな盾となったのである。

旧ソ連(ロシア)はそれを恨みに思い、終戦直前に日本に対して侵略を開始し、南樺太全千島を奪い、多くの無辜の日本人をロシアに連行し殺戮したのである。

アメリカは、日本の主要都市に爆撃へ敢行し、無辜の民を殺戮した。原爆二発の投下は、広島大虐殺・長崎大虐殺である。アメリカ及びロシアのやったことは、文字通り「鬼畜の所業」であった。『鬼畜米露』ということである。

大東亜戦争について日本国民全体が正しき理解をすることが大切である。自虐史観・東京裁判史観の脱却がなされなければならない。

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千駄木庵日乗六月六日

午前は、諸雑務。

午後二時より、内幸町の日本プレンセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。吉野文雄拓殖大学国際学部教授が「A.S.E.A.N.共同体・理念と現実」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2015年6月 6日 (土)

日本共産党は國體破壊を目指している

『日本共産党』の「綱領」には次のように書かれている。「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」。

 

日本共産党のみならず、これまで世界中の共産党および共産主義政治組織は、「君主制は資本主義体制の背骨である」としてこれを打倒することを目標としてきた。それは、ロシア革命においてロマノフ王朝を打倒し、皇帝一族を惨殺して以来の恐ろしき体質である。 

 

しかし、共産主義革命が行なわれ、君主制が廃止された国では、君主制以上の独裁専制政治が行なわれた。ロシアでは共産革命の後、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフという党最高指導者による独裁専制政治が行なわれた。 

 

支那も、清朝は打倒されたが、共産革命の後、毛沢東・鄧小平・江沢民による独裁専制政治が行なわれてきた。 

 

ロシアや支那の君主制と、わが国の「天皇中心の國體」とは、全くその本質を異にしており、同列に論じることは出来ない。しかし、ロシアと支那は君主制打倒の後、党独裁の専制政治が行なわれたことは歴史的事実である。 

 

北朝鮮は文字通り、「金日成王朝」と言われているように、金日成・金正日・金正恩三代の残酷・凶暴なる専制政治が行なわれている。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」などという長ったらしい国名を付けているが、決して「人民が主人公の民主主義国家」ではなく、「金一族」のみが専横を極め「金一族」を批判する国民は迫害され粛清される国である。また、金一族を批判しなくとも国民多数が栄養失調で死んで行く国なのだ。 

 

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制という政治である。「君主制度の国は民主的でなく国民の自由は奪われ、国民の差別されるが、共産主義国家は民主的であり国民平等の社会が実現する」というのはまったく大ウソである。共産主義体制の国こそ、国民の自由と繁栄は奪われ、共産党幹部以外の国民は差別され虐げられる反民主的な専制国家なのだ。 

 

もしわが国において戦争直後、共産革命が成功していたらどうなっていたか。徳田球一が独裁者となり、共産党による専制政治が行なわれ、悲惨な国となっていたであろう。そしてその後、徳田と野坂参三と宮本顕治による凄惨な権力闘争が繰り広げられ、数多くの人々が粛清され、殺され、収容所に送られたであろう。そればかりではなく、そうした権力闘争に旧ソ連や共産支那や北朝鮮が介入し、内乱となり、日本国の独立すら失われた可能性もある。ともかく、今日の日本のような自由民主体制と繁栄は実現しなかったことは火を見るよりも明らかである。 

 

日本共産党は、大正十一年(一九二二)七月十五日、ソ連の世界侵略共産化のための謀略組織であるコミンテルン日本支部として結成された組織であり、本来ソ連の手先なのである。「自主独立」などということは口が裂けても言えないのだ。 

 

結党以来、「天皇制打倒」を叫んできた日共が、何故今ごろになって、「天皇制は憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」などということを言い出したのか。それは、最近急激に低下している国民の共産党への支持を回復するためであり、民主党や自由党などとの野党共闘をやりやすくするための方便である。 

 

日本共産党という共産主義革命を目指す政党が「君主制」を肯定することは絶対にありえない。われわれは決して騙されてはならない。それは「綱領」をよく読めばそれは明らかである。新綱領には、「憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」と当たり前のことを言ったまでのことである。共産党は権力を掌握したら、いわゆる「天皇制」(私はこういう言葉は使いたくない)を否定した「共産主義憲法」を制定するのである。共産党が「天皇中心の日本國體」を容認したわけでは絶対にない。 

 

それは、「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明記されていることによっても明らかである。 

 

前述した通り、共産主義革命によって君主制が打倒された国々は、民主主義も人間平等もまったく実現していない。それどころか、独裁専制政治による差別虐待の体制になっている。この事実を見れば、共産党の主張は全く誤りであることは明白である。 

 

共産党の国会議員は、「天皇が『お言葉』を述べるのは憲法違反だ」などと言って国会の開会式に出席しない。また、政府や地方自治体の公式行事で、『国歌斉唱』が行なわれても、共産党所属の議員は決して歌わないし、起立もしない。共産党の「天皇制否定」はこれほどまでに徹底しているのだ。 

 

「綱領」に、「情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。これは、「天皇制廃止論が多数になれば憲法を改正して天皇制を廃止する。そのために日本共産党は努力する」という事である。 

 

ともかく、「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由と繁栄を奪う政党である。共産党は「国民が主人公の政治を実現する」などと宣伝しているが、共産主義国家とは、共産党の独裁者が主人公になり、国民は永遠に虐げられる社会であることをわれわれは正しく認識すべきである。

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千駄木庵日乗六月五日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』原稿執筆。『大吼』誌掲載原稿校正など。

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2015年6月 5日 (金)

三島由紀夫氏は、偉大なる預言者であり、『檄文』は預言の書であった

會田雄次氏は、「預言者とは、民族・共同体の危機を普通の人々よりもはるかに早く直感する人である。他人に見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる人である。」(「預言者サヴォナローラとその運命」)と言った。

 

昭和四十五年十一月二十五日の市ヶ谷台上の義挙の際の『檄文』には「見た」といふ言葉が繰り返されてゐる。三島氏の「見た」とは単に視覚的な意味ではない。死を覚悟した目で普通の人には見ることのできないものを見たといふことである。

 

「戰後の日本が、經濟的繁榮にうつつを抜かし、本を正さずして末に走り、その場しのぎと僞善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。…敗戰の汚辱は拂拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と傳統を瀆してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかった。…自衛隊は違憲であることは明白であり、國の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釋によってごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廢の根本原因をなして來るのを見た。」

 

普通人が見ることのできなかったことを見た三島由紀夫氏は、偉大なる預言者であり、『檄文』は預言の書であった。死を覚悟した人ほど鋭い洞察力を発揮できるやうになり、世の中がよく見えるやうになる。これを「末期の目」と言ふ。逆にいへば、世の中が見えるやうになったから死を覚悟するともいへる。死を覚悟した人でなければ見ることのできないものを、三島氏は見続けてゐたのである。

 

さらに三島氏は自決直前の文章で、「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、抜け目がない、或る經濟的大國が極東の一角に殘るのであらう。」(「私の中の二十五年」・昭和四十五年七月七日発表)と述べてをられる。

 

これも會田氏の言ふ「民族・共同体の危機を普通の人々よりもはるかに早く直感」した文章であり、三島氏の自決以来四十五年を経過した今日の日本を預言してゐる文章である。今日の日本は昭和四十五年当時よりもさらにひどい偽善の世となり、ますます欺瞞的な戰後民主主義・平和主義がはびこり、病状は瀕死の状態となってゐる。

 

そして、経済大國の地位すら危うくなり、國民は疲弊している。日本は抜け目なく生きることすらできなくなっている。 つまり、歴史と傳統の國日本だけでなく、経済大國・偽善の國日本すら消えてなくなってしまうかもしれないのだ。偽善の國日本は消えてなくなるのはともかく、「天皇国日本」は絶対に護りぬかねばならない。

 

 私たちは、三島氏がのこされた言葉と行動を今一度深く学び、歴史と傳統の國日本の再生のために戰後及び現代の偽善と戰はねばならないと思ふ。

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千駄木庵日乗六月四日

午前は、諸雑務。

午後は、「大吼」連載中の「萬葉集」講義原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

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2015年6月 4日 (木)

楠公一族の絶対尊皇精神・七生報國の精神

楠木正行の歌

 

「帰らじと かねて思へば 梓弓 なき数に入る名をぞ 留むる」(出陣したならば、放たれた梓弓のやうに帰って来ることは無いとかねてから覚悟して来たので、過去帳に記されるであらう人々の名を書きとどめて置かう)。

 

楠木正行は、河内國水分にて正成公の長男として生まれた。父・正成公が湊川に出陣する時、正行は十一歳であったので、父から懇々と諭されて故郷の河内に帰り他日を期した。正平二年、正行が二十二歳になると、足利方は悪名高き高師直を総大将として吉野に攻め寄せて来た。正行は、後村上天皇に拝謁してお暇乞ひをし、後醍醐天皇の御陵を拝した。その後、如意輪寺にて決死覚悟の一族郎党一四三名の過去帳と遺髪を奉納し、この辞世の歌を扉に鏃で刻んだ。

 

そして翌年一月五日、四条畷にて高師直、師泰連合軍約八万騎を楠木勢約二千騎にて迎へ撃ち、師直の本陣へと突入し、師直を討ち取る寸前までの奮闘を見せるが、やがて幕府軍の大軍に取り囲まれ、弟正時公と刺し違へて生涯を終へた。

 

正行は、早くから死を覚悟してゐた。後村上天皇は正行に弁内侍といふ女性を娶るやうに勧められたが、正行は辞退してゐる。その時詠んだ歌が「とても世に 永らふべくもあらぬ身の 仮の契りを いかで結ばん」である。

 

天皇國日本存立および日本國民の倫理精神の基本は、天皇の「御稜威」と、國民の「尊皇精神」である。國民が、神聖君主・日本天皇の大御心に「清らけき心」「明けき心」を以て随順し奉ることが、日本國永遠の隆昌の基礎であり、日本國民の倫理精神の根幹である。私心なく天皇にお仕へする心は、須佐之男命・日本武尊といふ二大英雄神の御事績を拝すれば明らかである。

 

中世においては、大楠公・楠木正成こそ尊皇精神の体現者であられた。大楠公の絶対尊皇精神は、『太平記』『日本外史』などの史書によって後世に伝へられた。明治維新の志士たちも楠公精神を継承して維新を戦った。大楠公は絶対尊皇精神の具現者である。

 

日本の古典には「名文」と言はれるものが多数ある。『太平記』の次の一節は、その最たるものであらう。

 

「舎弟の正季に向て、そもそも最後の一念に依て、善悪の生(しゃう)を引くといへり。九界の間に何か御辺の願なると問ければ、正季からからと打笑て、七生まで唯同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存候へと申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、罪業深き悪念なれども、われもかやうに思ふなり。いざさらば同じく生を替(かへ)て、この本懐を達せんと契て、兄弟共に刺違て、同枕(おなじまくら)に伏にけり。」

 

この文章には、楠公のそして日本民族の絶対尊皇精神、七生報國の精神が見事にうたひあげられてゐる。「七生まで唯同じ人間に生れて、朝敵を滅さばや」といふ正季の言葉は、後々の世まで深く人の心に感銘を与へ、人の心を動かした。歴史を動かしたと言っても過言ではない。

 

楠公兄弟は、「今度は浄土に生まれたい」「地獄には行きたくない」「後生はもっと善い処に生まれたい」などとは言はなかった。ただひたすら、「七生まで唯同じ人間に生れて、朝敵を滅さばや」といふ強烈に決意を吐露した。

 

「七生」とは永遠の生命を意味する。日本人たるもの、永遠に生き通して、君國に身を捧げるといふ捨身無我の尊皇精神に憧れたのである。

 

絶対尊皇精神といふ「素直な民族感情」は、仏教の宿命論、輪廻思想・厭離穢土思想を超越するのである。「七生報國」の精神は、仏教の輪廻転生思想・宿命論が我が國に入って来る以前から日本民族が抱いてゐた死生観より生まれた観念だからである。

 

「七生まで唯同じ人間に生れる」とは、「よみがへりの思想」である。黄泉の國(あの世)に行かれた伊邪那美命の所を訪問した後、この世に帰って来られた伊邪那岐命は「よみがへられた」のである。

 

落合直文が作詞した『櫻井の訣別』に

 

「汝をこゝより歸さむは わが私のためならず おのれ討死なさむには 世は尊氏のまゝならむ 早く生ひ立ち大君に 仕へまつれよ國のため」

 

といふ一節がある。毎年『楠公祭』で斉唱する度に、胸が迫る。現代のわが國は、精神的・思想的・政治的に混迷の極に達している。また近隣諸國との関係も緊迫している。今こそ、楠公精神即ち絶対尊皇精神・七生報國の精神に回帰しなければならない。

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千駄木庵日乗六月三日

朝は、諸雑務。

午前十一時半より、永田町の赤坂茶寮にて、『ゆずり葉連句会』開催。市村清彦氏が司会。頭山興助・花房東洋両氏が挨拶。昼食の後、藤井厳喜氏及び小生が、捌き・評者となりて、連句をつくる。楽しくも有意義な集いであった。

午後三時より、永田町の衆議院第一議員会館にて、前原誠司衆議院議員にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

午後七時より、西新宿にて、同志三人の方々とテレビ会談。終了後、懇親会。

帰宅後は、原稿執筆。

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2015年6月 2日 (火)

『大日本帝国憲法』は、日本の伝統精神・国家観を基とした正統憲法である

 

わが國體精神・天皇の國家統治は、民の幸福実現を最高の目標としている。國民の幸福の実現こそが天皇の統治の目的である。わが國においては、古代より國民を「おほみたから(大御宝)」と言ってきた。民を尊ぶことが天皇の御統治の基本である。日本伝統信仰おいては、人は神の分け御霊であり、人間は本来神の子として尊ばれるべき存在である。

 

御歴代の天皇は、國民の幸福を祈られ、「おほみおや(大御親)」としての仁慈の大御心を以て「おほみたから」であるところの國民に限りない仁政を垂れたもうてきたのである。國民の幸福を実現する政治制度という意味で「民主政治」という言葉を使うとするなら、わが國の天皇統治はまさにそういう政治制度を生み出す根幹なのである。

 

天皇中心の國體を正しく実現する事を目的として断行された明治維新の基本的精神は、慶応四年三月一四日、明治天皇が京都御所南殿で、公家、諸侯や百官を率いて天地神明に誓われた『五箇条の御誓文』に示されている。それは、「広く会議を興し万機公論に決すべし」「上下心を一にして盛に経綸を行ふべし」「官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す」「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」「智識を世界に求め大に皇基を振起すべし」の五か条であり、國民の幸福を実現する政治制度という意味での民主政治の基本が示されている。

 

葦津珍彦氏は「五箇条の御誓文に見られる政治思想そのものは、決して外國の政治学理論によってはじめて教えられたものではなく、いわゆる幕末時代、約二十年の間に、日本人が政治実践の中から、自然成長的に形成されてきた日本人の政治思想であった。」(『近代民主主義の終末』)と論じている。

 

 昭和天皇は、昭和五十二年八月二三日、那須御用邸で、宮内庁記者団に対して、「(『昭和二十一年元旦の詔書』の)第一の目的は御誓文でした。神格とかは第二の問題でありました。当時アメリカその他の勢力が強かったので、國民が圧倒される心配がありました。民主主義を採用されたのは、明治天皇の思召しであり、それが『五箇条の御誓文』です。大帝が神に誓われたものであり、民主主義が輸入のものではない事を示す必要があった。」と仰せになられた。

 

天皇の國家統治は、まさに「輸入のものではない民主政治であり民主主義」なのである。天皇の國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の統治は民の心をお聞きになり、民の心をお知りになる事が基本である。そしてそれは議会によって実現する。ゆえに、明治維新断行後において、帝國議会が開設され『大日本帝國憲法』が施行されたのである。「『現行占領憲法』がアメリカ製と言うのなら、『大日本帝国憲法』も、当時の西洋の憲法思想を真似た憲法である」という議論があるが、全く誤りである。『大日本帝国憲法』は、日本の伝統精神。国家観を基としている正統憲法である。

 

近代に於いてのみならず、古代日本においても、國民のために政治が天皇の統治によって実現していたのである。『日本書紀』の「仁徳天皇紀」には次のように記されている。「天皇の曰はく、『其れ天の君を立つるは、是百姓(おほみたから)の爲になり。然れば君は百姓を以て本とす。是を以て、古(いにしへ)の聖王(ひじりのきみ)は、一人(ひとりのひと)も飢ゑ寒()ゆるときには、顧みて身を責む、今百姓貧しきは、朕(われ)が貧しきなり。百姓富めるは朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは』とのたまふ。」

 

 天皇が國民の幸福を祈られる祭祀を執行され、國民は天皇の大御宝であるという事が正しく実現され、萬機は公論によって決せられるという体制が真に確立する時、國民のための政治即ち民主政治が、言葉の上においてではなく、実際政治に於いて正しく実現するのである。天皇の「まつりごと」にこそ、真の民主政治のである。

 

天皇は常に國民の幸福を祈られておられる。天皇統治とは國民の意志をお知りになることが基本である。わが國の天皇は民の幸福をわが幸福とされ民の不幸をわが不幸とされてきた。わが國は君民一体の國柄である。これこそ言葉の真の意味における「民主政治」でなくして何であろうか。

 

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千駄木庵日乗六月二日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、明日のインタビューの準備など。

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東條英機元総理の「辞世」について

東條英機元総理は、昭和二十三年十二月二十三日、東京巣鴨にて、「絞首刑」に処せられ殉難された時、

 

「たとへ身は 千々にさくとも 及ばじな 栄えし御世を 堕せし罪は」

 

「続くものを 信じて散りし 男の子らに 何と答へん 言の葉もなし」

 

「さらばいざ 苔の下にて われまたむ 大和島根に はなかをるとき」

 

「苔の下 待たるる 菊の花ざかり」

 

といふ歌と句を遺された。

 

どの歌もすでに身を国に捧げつつも死してなお国家(御世・大和島根)の行く末を思ふ真心が切々と歌はれてゐる。

 

歴代総理の中で、東條英機氏ほど憎まれ、嫌はれた人は他にゐないのではないだらうか。負ける戦さを始めた張本人、憲兵を使って恐怖政治を行った、意に沿はぬ人を懲罰召集として激戦他に追いやった、中野正剛氏を死地に追ひやった等々、極悪非道の人として弾劾されることが多い。保守の立場の人、大東亜戦争の意義を認める人の中にも、「東條だけは許せない」と主張する人もゐる。東条氏を最大の「戦争犯罪人」として、靖国神社にお祀りすることすらこ否定する人が外国のみならず日本国内にも多くゐる。

 

東條氏のこの辞世を読むと、『論語』「泰伯」篇の「人の将に死なんとする其の言や善し」(人間は、死に際には善き言葉を発する、と言ふほどの意)といふ言葉を想起する。人が死ぬ直前に発する言葉、とりわけ辞世の歌や句には利害・かけひきがなく、真心の表白である。東條氏の辞世はその典型で、読む度に胸が迫る。

 

東條氏は大東亜戦争遂行時の国家指導者として深く責任を感じてゐたことは、これらの辞世を読めば明らかである。ただそれは「侵略戦争遂行の責任」を感じてゐたのではない。戦争・敗戦といふ大国難そしてそれに伴ふ国民の苦難に対して大きな責任を感じたのである。

 

東京国際軍事裁判において東條氏はキーナン検事の「あなたは一九四一年十二月の真珠湾ならびに米英の諸領土に対する攻撃について、主に責任を取る一人であることを認めますか」との尋問に対し「認めます。私の責任であります」述べたが、キーナンの「首相として戦争を起こしたことを、道徳的にも法律的にも間違ったことをしていなかったと考えるのですか」との尋問に対して東条氏は、「間違っていない。正しいことをしたと思う」と答へた事によってそれは明らかである。

 

 東條氏は「遺書」において「開戦当初の責任者として敗戦のあとを見ると、実に断腸の思いがする。今回の刑死は、個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は死を以て償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。ただ、力の前に屈伏した。自分としては国民に対する責任を負って、満足して刑場に行く。ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者まで刑が及んだことは実に残念である。天皇陛下に対し、また国民に対しても申しわけないことで、深く謝罪する」と書いた。

 

東条英機氏はさらに東京国際軍氏裁判の陳述において要旨次のように述べた。「日本は米、英、オランダ三国によって戦争の挑発に追いつめられ自衛のため開戦に至った。天皇陛下には何ら責任はない。その理由は、天皇陛下は輔弼の上奏に対して、拒否権を発動されぬ立場であるために、実際政治とは具体的な関係がなかった。日本の大東亜政策を侵略と決めつけているが、世界におけるアジア大陸の侵略者こそ米英など白人であり、これを日本が解放せずして、誰が行えたであろう。対米開戦は、謀略的かつ侵略的目的のために、長年かかって計画したのではない。昭和十七年十二月一日の御前会議において、やむなく開戦を、初めて決定したのである」と。 

 

大東亜戦争の開戦は、アメリカの理不尽なる圧迫が原因となった実に以てやむを得ざる選択であって、東条英機首相が、昭和天皇の大御心を無視し国民の声も聞き入れず戦争に突っ走ったなどといふことは絶対にない。むしろ日米開戦を一億国民が双手を挙げて歓迎し歓喜したといふのが歴史の真実である。

 

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千駄木庵日乗六月一日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、書状執筆、原稿執筆など。

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2015年6月 1日 (月)

わが国は、如何なることに関しても韓国に謝罪する必要はないし、補償する必要もない

 外交とは、それを司る人の愛國心・思考力、情報力、忍耐力、先見性、大胆さなどが試される。ナポレオンは、「外交とは華麗に礼装した軍事である」と言ったというが、「外交は血を流さない戦争」なのである。この観点から言えば、韓國・北朝鮮・共産中國に対して土下座外交を繰り返しているわが國の外交は負け戦を続けていると言える。

 

平成七年八月の『終戦五十年村山総理談話』の時に、わが國政府もマスコミも『これで歴史認識の問題にケジメをつける』と言っていたのに、全くそうはならなかった。

 

『終戦五十年村山談話』には、『國策を誤り戦争への道を歩んだ』とか『植民地支配でアジアの人々に苦しみを与えた』という恐るべき誤りが語られている。『心からお詫びの気持ちを表す』とも書かれている。このような言葉は一國の総理大臣が口にすべからざることであった。

 

安倍氏は、『終戦七十年総理談話』を出すようだが、それには『わが國は、連合國に資源を断たれ、自存自衛のために戦いを行い、植民地を解放し、アジア諸國の独立を達成した。アジア解放闘争に斃れた人々に感謝と鎮魂の意を表す』と書くべきである。

 

わが國の朝鮮併合が『植民地支配だ』というのは間違いである。朝鮮は日本の

植民地ではなかった。九州・四國と同じに考えられた合邦國家であった。だから朝鮮

総督府は内閣に直属していた。

 

 明治天皇が渙発あそばされた『韓國併合に付下し給へる詔書』(明治四十三年八月二十九日)に、「(朝鮮の・注)民衆は朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし。産業及び貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし。而して東洋の平和は之に依りて愈々其の基礎を鞏固にすべきは朕の信じて疑はざる所なり」と示されている通り、わが國には韓國・朝鮮を植民地にして韓国・朝鮮から搾取する考えは全くなかったし、事実、搾取も収奪も行わなかった。

 

 わが國が朝鮮半島において植民地搾取を行ったと言うなら、『数字』を根拠とするべきである。朝鮮統治三十六年間、朝鮮総督府の財政予算の一五~二0%は日本中府から補助を受けていた。『日本は朝鮮半島の土地を収奪し、人の命を収奪した』と言うが、日本統治時代に朝鮮の土地の利用価値・生産価値を高め、三十七年間の自然・社會環境の整備によって人口を倍増せしめた。

 

 十九~二十世紀にかけて『合邦國家』は、日本と朝鮮だけでなく、中南米・欧州にも多くあった。ノルウェーとデンマーク、チェコとスロバキア(これが一番日韓と似ている)、オーストリアとハンガリー、スコットランドとイングランドなどである。『合邦國家』の誕生は「侵略」でもなければ、「植民地支配」でもなかったのである。

 

 日本は韓国に対して賠償をしなければならないような不法行為は全くしなかった。しかるに、日本國及び日本国民は朝鮮統治時代に築いた莫大な財産を、戦後全て取り上げられた。

 昭和四十年締結の『日韓基本条約』には、「請求権に関して完全且つ最終的に解決した」と明確に書かれている。わが国は、如何なることに関しても韓国に謝罪する必要はないし、補償する必要もない。韓国政府及び韓国民の理不尽な要求は断乎として拒絶すべきである。

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千駄木庵日乗五月三十一日

午前は、諸雑務。

午後は、今晩の講演の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時より、春日の文京シビックセンターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏が主催者挨拶。小生が「日韓関係史を考える」と題して講演。活発な討論が行われた。

帰宅後は、原稿執筆。

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