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2015年5月18日 (月)

『もののふ』の原義

 「もののふ」とは、武人・武士のことやまとことば(和語すなわち漢語や西洋などからの外来語に対し、日本固有の語)で言った言葉であり、雅語(上品な言葉。正しくてよい言葉。特に、和歌などに使う、平安時代風の言葉)的表現である。

 

 「もののふ」とは、「宮廷を守護する者」即ち「物部」の音韻が変化した語がであるといわれている。「もの」とは「もののけ」の「もの」と同じで、不思議な霊力がある存在のことである。物部氏という氏族は、もっとも有力な「もののふ」だったという。

 

 「物部」の原義は、宮廷の妨げをするものを平らげ鎮める働きをする部(群れ・組。世襲的に一定の職業に従事した団体)のことである。物部氏は、古代の氏族の一つで、朝廷の軍事・刑獄のことを司った。古代日本では、霊的力即ち巫術(超自然的存在が人にのりうつり、その人を通して話し、行動するもの)を以て戦場に臨み、敵軍を守る精霊を抑圧するものが「もののふ」(物部)であった。

 

 「もののふのみち」すなわち「武士道」は、物部、大伴の二氏によって明確なる史実として継承され体現せられた。

 

 物部氏は饒速日命の後裔で武勇を以て聞こえた家柄で、神武天皇に奉仕し、御東征の折に大和で長髄彦を討って勲功があった。大伴氏と共に宮門を護衛し、軍事を担当した。これが後世武士の起こる濫觴とされている。用命天皇の崩御直後(用命二年・五八七)、仏教受容を唱えた蘇我氏との戦いに敗れ、物部氏は滅びた。

 

 なお、「武士」(ぶし)は、折口信夫の説では、野に伏し山に伏して主君のために仕える者であるからという。

 

 もののふの道(武士道)とは、古代日本(古事記・萬葉)においては、宮廷を守護すること即ち皇室に忠誠を尽くすという精神である。それが原義である。万葉歌人・笠金村の次の歌にそれは明らかである。(笠金村は伝未詳。聖武天皇の御代の人)

 

「もののふの 臣(おみ)の壮士(をとこ)は 大君の 任(まけ)のまにまに聞くといふものぞ」(三六九・軍人として朝廷に仕える男は、大君の仰せの通りに御命令の通りに聞き従うものであるぞ)

 

 大伴宿禰三中(系統未詳。遣新羅副使・摂津班田使などを歴任)が、部下であった丈夫部龍麻呂(はせつかべのたつまろ)が亡くなった時に詠んだ歌には、次のように歌われている。

 

 「天雲の 向伏(むかふ)す国の 武士(もののふ)と いはるる人は 天皇(すめろぎ)の 神の御門(みかど)に 外(と)の重(へ)に 立ちさもらひ 内の重に 仕へ奉(まつ)りて 玉かづら いや遠長く 祖(おや)の名も 繼ぎゆくものと 母父(おもちち)に 妻に子供に 語らひて 立ちし日より…」(四四二・天雲の垂れ伏す遠い国のもののふといわれる人は、天皇が神の如くにおられる皇居で、外の回りを立って警備し、奥庭におそばでお仕え申し上げ、(玉かづら・長居に掛る枕詞)ますます長く祖先の名を継ぎ行くものなのだと、父母に、妻に子供に語って出発した日より…) 

 

 故郷を出発する時の朝廷奉仕の確固たる覚悟が、上司の三中によって歌われている。「天雲の 向伏(むかふ)す国」は、「遠い国」につく慣用句で丈夫部龍麻呂の出身地のこと。東国の出身であったらしい。

 

 「もののふ」は『萬葉集』の原文(萬葉仮名)に「武士」と記されており、皇居を警備する武官のことである。「天皇の神の御門」は現御神信仰に基づく言葉で、現御神であらせられる天皇が居られる宮殿という意。「さもらふ」は様子を伺い機を待つという意であるが、この言葉から「さむらひ」(武士)という言葉が生まれたといわれる。

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