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2015年5月29日 (金)

「やまと歌」の本質について

「やまと歌」の起源は「戀」であった。相手の魂を乞ふ歌である。「乞ふ」とは魂を自分の方に呼び寄せることである。それが「戀」(こひ)の原義である。

 

大君への戀闕の心を表白する歌が「天皇讃歌」である。天地自然・山川草木への恋歌が「自然讃歌」である。死者を恋ひ慕ふ歌が「挽歌」である。即ち、やまと歌は全て「戀歌」と言っても過言ではないのである。

 

(うた)の語源は、「訴へる」である。恋ひ慕ふ対象への魂の訴へが「歌」である。その「訴へ」は「言霊」の発動である。歌ふことによって、愛する対象の所に自分の魂が寄って行き、また相手の魂が自分の所に寄って来るのである。そして魂と魂とがむすばれ、一体となるのである。それを「結び」と言ふ。

 

近現代詩や近現代の小説を創作することを「歌ふ」とは言はない。やまと歌を創作する事のみを「歌ふ」と言ふ。それはやまと歌が魂からの訴へであるからである。

 

多田千恵子氏は「歌いあげるという言い方は現代の詩については使われない表現であって、こういう表現がふさわしいこと自体、短歌がエレメンタルな抒情、朗々たる詠嘆を本命とする消息をよく物語る」(『山鳥の尾』・「短歌」誌昭和五自由一年十二月号)と論じてゐる。

 

「エレメンタル」とは「精霊」「自然や人間の中に宿る魂」「超自然的存在」のことである。「やまと歌」が古代から今日まで滅びずに、歌はれ続けて来たのは、日本人の魂の訴へに最も適した文藝であったからであらう。否、「適した」と言ふよりも、日本人の魂の訴へそのものが「やまと歌」なのである。

つまり、「やまと歌」は、最も純粋な日本文藝であり、最も高い日本文藝である。日本人固有の民族文学であ。その根底にあるものが「魂の訴へ」であり、「魂乞ひ」なのである。

神道祭祀の最も重要な行事は今日に於いても、祝詞奏上である。古代日本人が、神祭りを行ふ時、神に対する訴へる言葉を繰り返した。その結果、自然に決まった形をとるやうになった。それが「やまと歌」の発生であり起源である。

 

折口信夫氏は、「言葉そのものに威力・霊魂があると考へた。それが言霊である。それは唱辭(トナヘゴト)、抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌の内にひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである」(『古代人の信仰』・「折口信夫全集」第二十巻)と論じてゐる。

 

近現代小説を創作することを「物語る」とは言はない。それに対して、日本の伝統的物語は「語る」のである。何を語るのか。「もの」を語るのである。「物」とは何か。それは「物の怪」の「もの」であり、「憑物」の「もの」である。即ち人間の「魂」であり「靈」である。

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