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2015年5月 7日 (木)

北九州旅行記 その一

五月三日朝、新幹線で一路博多へ。「博多どんたく」パレード出発地点で見物。「博多どんたく」とは、室町時代に始まった領主への年賀行事「博多松囃子(はかたまつばやし)」を原型とする祭りという。「どんたく」の語源は、明治時代に一時禁止されていた「松囃子」を復活させる際に、オランダ語で休日を意味する「ゾンターク」から名付けられたと言われている。

 

「太宰府市まほろばの里どんたく隊」のパレードは、大伴旅人の扮装をした人が先頭になっていた。「海上自衛隊佐世保地方隊&福岡県海上自衛隊協力会」は、「軍艦マーチ」を演奏しながらパレードをしていた。

 

小雨降る博多の街に鳴り響く軍艦マーチの勇ましきしらべ

少年少女楽しげに街を行進す 博多どんたくの賑はひぞ良し

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博多どんたく見物を終えて、博多区奈良屋町の蔵本町交差点にさしかかる。この地は、「息(おき)の浜」と言われた地で、約七百年前の蒙古襲来で西国武士たちが、蒙古軍団を二度までも撃ち破った地である。「文永の役」「弘安の役」における「元寇防塁」がここにある博多小学校の地下に保存されているという。残念ながら見学することは出来なかった。

 

文永十一年(一二七四年)の「文永の役」で、日本軍の総大将・少弐景資(しょうにかげすけ)は、この交差点の真ん中で博多湾に侵入した高麗軍の主力の軍船を睨み付け、侵略軍の副将・劉復亨(りゅうふくこう)を射止めたという。

 

またこの地は、戦国時代から江戸初期にかけて活躍した豪商・神屋宗湛(かみやそうたん)の邸があったところという。神屋宗湛は、当時世界の銀生産量の三分の一を占めた石見銀山の利権を持つ世界的大富豪だったという。豊臣秀吉に信頼され、博多商人の第一人者として栄華を極めた。「太閤町割」と呼ばれる博多復興事業でも大きな役割を果たし、また秀吉の九州征伐においても資金面で援助した。さらに文禄元年(一五九二年)から始まった朝鮮出兵においても後方兵站の補給役を務めた。晩年の秀吉の側近として活躍した。博多小学校の道路に面した所には、朝鮮出兵に参加した大名たちの氏名が書かれていた。

 

五月四日午前は、宗像大社に参拝。御祭神は、天照大神の三柱の御子神・田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)の三女神。田心姫神は沖津宮(おきつぐう)、湍津姫神は 中津宮(なかつぐう)、市杵島姫神は辺津宮(へつぐう)におまつりされており、この三宮を総称して「宗像大社」と申し上げる。

 

宗像の地は、大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や外来文化を受け入れる地として、重要な位置にあった。

 

『日本書紀』には、天照大御神の「汝三神(いましみはしらのかみ)、宜しく道中(みちのなか)に降りまして、天孫(あめみま)を助け奉りて、天孫に祭(いつ)かれよ」との「御神勅」により、三女神がこの宗像の地に降りられ、おまつりされるようになったことが記されている。

 

九州と朝鮮半島とを結ぶ玄界灘のほぼ中央にあり沖津宮がおまつりされている沖ノ島からは、鏡、勾玉、金製の指輪など、約十万点にのぼる貴重な宝物が発見され、そのうち八万点が国宝に指定された。その内容や遺跡の規模の大きさなどからも、沖ノ島は「海の正倉院」ともいわれている。沖ノ島がわが国と大陸・朝鮮半島との交通の要衝であったため、国家鎮護・航海安全の祭祀が太古より行われていたのであろう。

 

神宝館参観。神体島・沖ノ島で行われた大和朝廷による祭祀で奉献された約八万点におよぶ国宝の神宝類などが宝物館に収蔵されている。比較的小規模の収蔵館にこれだけ数多くの国宝が収蔵され展示されてゐることはまことに驚くべき事である。

 

「金製指輪」「三角縁神獣鏡」(複製)「金銅製高機(たかはた)」「滑石製小持勾玉」「阿弥陀経石」「木造狛犬」「軍艦三笠羅針儀」など国宝・重要文化財が本当に数多く展示されていた。さらに、東郷平八郎元帥の「神光照海」と書かれた扁額、頭山満翁が奉納した「硯石」(支那辛亥革命で活躍した黄興の旧蔵品)なども展示されていた。

 

境内に建立されている「三笠宮崇仁殿下応制歌歌碑」を仰ぐ。「応制」とは、天皇陛下の勅を受けて詩歌を詠み、奉ることである。

 

「沖ノ島 森のしげみの 岩かげに 千歳ふりにし 神祭りのあと」

 

と刻まれていた。昭和五十年の御題「まつり」の「宮中歌会始」の儀にて詠進された御歌である。この御歌碑は、三笠宮崇仁殿下御自ら御筆をとられたもので、同年十月、百合子妃殿下と共に、宗像大社辺津宮御参拝の砌、建立された。

 

三笠宮崇仁親王殿下におかせられては、昭和四十四年、宗像三宮を御参拝され、当時沖ノ島で行われていた第三次沖ノ島学術調査を御視察された折のご感懐をお詠みになった御歌である。

 

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宗像大社

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宗像大社

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「三笠宮崇仁親王殿下応制歌歌碑」

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