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2015年5月30日 (土)

日韓関係について考える

日本と韓国とは異文化・異民族であることをもっと確認すべきだ。当たり前のことだが、日本と韓国とは地理的には近隣でも、文化的・民族的には異なる国であり民族である。

 

また、アジア各国を「アジア・東洋」でひとくくりにして近親関係にあるとするのは誤りである。アジア諸国家・諸民族には文化・歴史・宗教などに大きな違いがある。それぞれ個性がある

 

日本人そして日本文化は排他的ではなく、非常に大らかで包容力がある。韓国人及び韓国文化は排他的・独善的である。

 

それが、日本近代は「開国攘夷路線」を推し進めて近代化を遂げ、他国の植民地にならず発展し、韓国近代は「鎖国攘夷路線」に固執したために近代化に失敗し、独立を維持できなかった原因である。

 

李氏朝鮮の「鎖国攘夷路線」、そして事大主義(じだいしゅぎ・小が大に事(つか)えること)という外交路線が韓国を滅ぼしたのである。

 

新羅・高麗・李朝など朝鮮半島に生まれた王朝の多くは、支那大陸の中原を制した国家に対して「事大」してきた。

 

漢城の西大門である敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた迎恩門とは、支那皇帝の臣下であり、冊封国であった李氏朝鮮の歴代の王が、明代および清代の支那皇帝の使者を迎えるための門である。迎恩門とは恩のある支那皇帝の使いが通る門という意である。迎恩門は朝鮮国王が三跪九叩頭の礼によって明代および清代の支那からの使者を迎えた場所である。

 

その迎恩門に隣接して建てられていた慕華館は、清の使節団が滞在する建物である。慕華館とは字面を見ても明らかだが『中華を慕う館』という意である。かくの如く李氏朝鮮は、支那の属国であった。

 

しかし日清戦争によって、韓国・朝鮮は清の桎梏下から脱し、独立を達成した。そして、「迎恩門」は破壊されて、その場所に独立を記念する西洋式の「独立門」が建立された。そしてその後、日本が統治したことによって、韓国・朝鮮は近代化を遂げ、社会資本が整えられ、発展したのである。今日、韓国はその事を日本に感謝することは全く無い。

 

韓国は近代になっても、強い方につくという「事大主義」という外交姿勢は変わらず、李氏朝鮮時代は支那、その後、ロシア・日本、そして戦後はアメリカ、さらに今日は支那というように自分の国より大きな國に「事(つか)える」相手を変えて来た。朴正煕は「自律精神の欠如」として「事大主義」を批判していたが娘は確実に「事大主義」を継承している。

 

日本と支那・韓国との文化・道徳面における差異は実に大きいと思う。それは、京都御所と、北京の紫禁城・ソウルの景福宮を比較してみれば一目瞭然である。

日本は支那から儒教を学んだが、宦官・纏足という畸形文化は全く受け入れなかった。また易姓革命も受け入れなかった。

 

全世界の国家がそうであるように、東アジアにおいても大陸国家と半島国家・海洋国家とに分けられる。支那は大陸国家であり、朝鮮は半島国家であり、日本や東南アジア各国は海洋国家である。戦争が起こる確率が高いのは、半島国家である。大陸国家・半島国家・海洋国家が「共同体」を形成することはきわめて難しいというか、不可能に近いと考える。 

 

日本と支那や朝鮮が「共同体」を形成するということは、日本が大陸および半島との関係を今日以上に深めるということである。これまでの歴史で、日本が大陸に進出して成功したためしはない。

 

戦前は、軍事的・政治的に大陸に深入りして、ソ連中共の謀略に引っかかり、泥沼の戦いとなって日米戦争にまで進み敗北した。戦後は、経済的に深入りして、金と技術をまきあげられ、共産支那を軍事大国にしてしまい、かえってわが國の安全と独立が脅かされている。

 

私は、今日言われている「東アジア共同体」に日本が積極的に関与するのは、きちんとした国家戦略を確立しないままに、無原則に支那大陸に深く進出して行った戦前のわが國の過ちを繰返すこととなると考える。

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