« 千駄木庵日乗五月十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗五月十二日 »

2015年5月12日 (火)

近代合理主義と科學技術文明の欠陥是正とわが國古代精神・萬葉の心への回帰

 宇宙は何時如何なるところにおいても同一の法則が支配しているという普遍法則の存在を要請するというのが合理主義である。とりわけ近代合理主義の特徴は、宇宙の体系的理解・人間社会の組織化・人間による自然の征服において、論理的首尾一貫性を押し通そうとするものである。「理性の限界」を容認せず、人間社会の「不合理」や、自然の人間に対する「不条理」は正されなければならないというのが、近代合理主義の姿勢である。こうした考え方は、自然と人間・物質と精神・<いのちあるもの>と<いのちなきもの>・有機物と無機物とは、決定的に対立する存在であるという思想を生む。そして自然は人間によって人間の生活のために征服され有効に利用されなければならないとする。そこから近代科學技術が生まれ発展した。

 

 しかし、今日の世界の現状を見れば明白なように、人間による自然の征服・有効利用により、人間の生命が蝕まれ、人類はその生存さえ危ぶまれる状況に立ち至っている。人間が自然を征服し支配することによって、人間生活がより強く、より大きく、より早くなければならないという強迫観念に支配されていきたのが近代社会である。

 

 科學技術・機械文明は機械による人間の支配・人間疎外を生み出した。機械的世界観がひたすら量的拡大のみを追い求め、征服のための征服をこととする傾向を生み出した。コンピュータ化された管理社会は機械的・非人間的合理性の支配を意味している。機械の効率と力が容易に破壊に転化し、近代合理主義が人間疎外の原理となっている。

 

 古代日本人は、超越した唯一神のみを拝むことをしなかった。自然は神の創造物ではなく、日本の神々は天地自然から生まれ、自然そのものが神と信じた。山野に樹木に精靈が宿っていると信じ、木の騒ぎ・風の音・小川のせせらぎにも神の声を聞いた。そして、自然に畏敬の念を抱き、人間の生活が自然の中に宿る精靈、自然そのものである神を冒・しないようにつとめた。

 

 真の人間性の回復・自然の保護、そして豊かな命の世界への回帰、闘争から調和への転換、物質の原理から神靈の原理への転換は、全て生きとし生けるものには「いのち」が宿っているという信仰によって達成できる。

 

 近代合理主義・科學技術・機械文明がいかに強固なもののように見えても、それが人間の所産である限り、人間はその欠陥を是正することができる。合理精神や科學技術(機械の文明)を一切否定し、過去に帰れと主張するのではない。近代合理主義と科學技術文明の欠陥を是正するものとして、わが國古代精神・萬葉の心を取り戻すことが必要であると考える。

 

 いのちへの信仰を今に蘇らせるものは、言葉である。歌である。「萬葉集」である。なぜなら、言葉は、人間の精神生活・文化生活そのものだからてある。

 

 和歌は魂を鎮めるために歌われると言っても誤りではない。激しい恋愛の心を鎮めるための歌が恋歌であり、自然に宿る精靈を鎮め讃嘆する歌が叙景歌であり、死者の靈を鎮める歌が挽歌である。

 

 和歌は言葉の芸術であり、言靈の風雅を大切とする。『人麿歌集』に「しきしまの日本の國は言靈のさきはふ國ぞまさきくありこそ」という歌があり、山上憶良が『好去好來の歌』で「そらみつ倭の國は皇神の嚴かしき國言靈の幸はふ國」と歌っている通り、どんな言葉の断片にも言靈(言語精靈・言葉に内在する靈妙不可思議な靈力)が宿っているというのが古代日本人の信仰である。「言靈」が「さきはふ」とは、言葉を唱えると精靈が働き出すという考え方である。

 

 ゆえに萬葉歌には、作者の心だけでなく古代日本人の精神と信仰が表れている。言語傳承が神秘的で大切であった時代において言葉は重要である。萬葉歌は、死者への鎮魂歌・國土への讃歌が多い。國土を讃え死者の魂を鎮める和歌は神の言葉・聖なる言葉である。一句一句に宿る言靈によって死者の靈を鎮め、國土の靈を讃えているのである。

|

« 千駄木庵日乗五月十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗五月十二日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/61576315

この記事へのトラックバック一覧です: 近代合理主義と科學技術文明の欠陥是正とわが國古代精神・萬葉の心への回帰:

« 千駄木庵日乗五月十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗五月十二日 »