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2015年4月30日 (木)

再び「村山談話」について

 「村山談話」に「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ」と述べられている。つまり、昭和初期からの大東亜戦争に至るまでのわが国の歴史が侵略の歴史であったと言うのである。これは、米英など欧米列強のアジア侵略を正しきものとし、戦勝国の誤まれる主張、わが国政府が容認したのだ。そして誤れるその立場と考え方にわが国の外交が拘束され支配され続けているのである。

 

アメリカの歴史家・ベアードは、「日本はルーズベルト大統領の巧妙なる秘密工作により、戦争に追い込まれたのである。大統領は、開戦一年二ヵ月前の一九四〇年十月、既に日米開戦の不可避を知っていた」と多くの資料に基づいて論述しているという。

           

 ルーズベルト大統領は、わが国による真珠湾攻撃の五ヵ月前の昭和十六年七月十八日に、米爆撃機を使ってわが国の工業地帯を先制奇襲爆撃する計画にゴー・サインを出し、自ら署名していた。(米国立公文書館、極秘資料)

 

また、昭和十六年十一月二十六日、アメリカ政府は最後通牒『ハル・ノート』を突きつけた。その内容の要点は、①支那大陸とフランス領インドシナからの日本軍の即時全面撤退②蒋介石政権以外の政権を否認すること③日独伊三国同盟を死文化すること-など十項目である。

 

日清・日露両戦役、第一次世界大戦で得た支那大陸における日本の合法的権益(条約に基づく租借地や租界)を一切認めない、日本軍の仏印進駐はヴィシー政権との条約に基づくのだがそれを認めない、南京の汪兆銘政権を認めてはならないという、それに加えて三国同盟を破棄せよと迫ったのである。当時の国際常識から見れば無茶苦茶な無理難題と言うほかはない。それはパール判事が、「モナコ王国やルクセンブルク大公国でさえも米合衆国に戈をもって立ち上がったであろう」と評したほどの無理な要求であった。

 

 『ハルノート』は、ソ連工作員・パブロフから直接指示されたソ連のスパイ=ハリー・ホワイト米財務長官が六月に起草したものであったことが判明した。(米特殊機関「VENONA資料」)一方、そのホワイトに対日強硬策を工作したソ連側の当事者パブロフは、ソ連崩壊後に回顧録を執筆しその謀略の内容を明らかにした。

 

当時のアメリカにとって、日本はソ連や支那以上に警戒すべき国であった。日本が日露戦争に勝利をおさめた後、アメリカにとって仮想敵国は日本だった。

 

アメリカの歴史こそまさに帝国主義の歴史・侵略の歴史であった。十八世紀にイギリスから十三州で独立したアメリカ合衆国は、フロンティア精神を発揮して西部開拓を行い、インディアンを駆逐し、メキシコから領土を奪い取り、西海岸に到達し、ハワイを併合し、グアム、フィリッピンを植民地化したのはまさに侵略・帝国主義以外のなにものでもない。幕末のペリー来航は、支那大陸への中継港確保が主目的だったが、あわよくば日本の植民地化を狙ったものでもあった。

 

フィリッピン植民地化後、支那大陸への野望を募らせたアメリカの前に立ちはだかる国は日本しかなかった。日本を押さえ込むことがアメリカの目的だったのである。アメリカは、こうした日本を何とかして抑圧しようとしたのである。

 

このように、日米開戦は、まさに、アメリカ・ルーズベルト政権の挑発によるものなのである。それはルーズベルト政権がソ連に踊らされただけでなく、アメリカのアジア進攻支配という強い意志によるのである。その証拠は、大東亜戦争の日本降伏の調印式が行われた戦艦「ミズーリ」の艦橋にペリー来航時の米国国旗が翻っていたことを見れば火を見るよりも明らかだ。

 

 大東亜戦争において、東南アジアが戦場になったが、決してわが国が東南アジアをその地域を侵略し領土拡大を狙ったわけではない。東南アジアを植民地支配していた米英蘭という西欧列強と戦ったのである。米英蘭などの西欧列強は、それまでアジアの資源を独占していたが、わが国の大東亜戦争によって、アジア諸国はことごとく独立を獲得した。

 

 いわゆる「南京大虐殺」「従軍慰安婦強制連行問題」も政治的作為であり、虚構であることは、歴史家の調査及び種々の文献によって明白である。

 

 そもそも、「侵略」とは、無法に独立主権国家の支配下にある領土等に軍事力で侵入して奪い取り、そのまま長期にわたってこれを占領して主権を侵害することを言う。国際法上の戦争行為・行動や戦争中における一時的占領行為を意味するものではない。

 

 大東亜戦争においてわが国が軍事進攻した地域は、清朝崩壊後、多数の地方政権・軍閥が並立して、統一された独立主権国家が存在していなかった支那大陸と、欧米列強の植民地だったアジア地域であった。支那事変におけるわが軍の支那大陸進攻、大東亜戦争におけるハワイ急襲、マレー上陸・シンガポール攻略、フィリッピン・香港・蘭印・ビルマへの進軍などは、すべて戦争手段たる一時的作戦・戦闘行為であって、断じて侵略ではない。

 「極東国際軍事裁判」(いわゆる東京裁判)を創設したマッカーサーですら、一九五一年五月、米上院の軍事外交合同委員会の公聴会で、「日本が第二次大戦に赴いた目的はその殆どが安全保障のためであった」と述べ、侵略ではなかったと証言した。

 

 極東国際軍事裁判の裁判長を勤めたウエップもバーガミニーという人の著書の序文で、「米国も英国も日本が一九四一年に置かれたような状況に置かれれば、戦争に訴えたかもしれない」と書いているという。

 

 大東亜戦争は、決してわが国による侵略戦争ではなく、わが国の自存・自衛のための戦いだったのであり、かつ、アジア解放戦争であったのである。欧米列強こそ、アジア侵略の張本人であったのだ。

 

 しかるに、わが国自身がいわゆる「東京裁判史観」に呪縛されたまま、国会で「謝罪決議」を行ったり、閣議決定の「謝罪総理談話」を発表したのである。「東京裁判史観」とは、極東国際軍事裁判の多数判決即ち六人の判事の西欧列強のアジア侵略を正当化するためにわが国の行為を一方的に処断した判決を正しいとする歴史観である。

 

 わが国政府は、支那共産政府そしてそれに追随する韓国の内政干渉に屈伏して、「謝罪外交」をくり返してはならない。さらに、外国の手先となって祖国の歴史を冒瀆している国内の反日勢力はまさに売国奴としてこれを糾弾しなければならない。

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