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2015年4月23日 (木)

『生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村』展を参観して

本日参観した『生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村』展は、「正徳6年(1716)は、尾形光琳(おがたこうりん)が亡くなり、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)と与謝蕪村(よさぶそん)というふたりの天才絵師が誕生した、江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました。…若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人画の技法による山水図や、簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕300年を記念して開催するもので、若冲と蕪村の代表作品はもちろん、新出作品を紹介するとともに、同時代の関連作品を加えて展示し、人物、山水、花鳥などの共通するモチーフによって対比させながら、彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の最も輝かしい一断面をご覧いただきます」(案内書)との趣旨で開催された。

 

与謝蕪村・円山応挙合筆「己が身の(自画賛)」、伊藤若冲「鳥禽図」、与謝蕪村「静御前図屏風」、伊藤若冲「藤娘図」、与謝蕪村「猛虎飛瀑図」、伊藤若冲「達磨図」、与謝蕪村「奥の細道図巻」、伊藤若冲「象と鯨図屏風」、与謝蕪村「富嶽列松図」などの諸作品を参観。

 

小生は、若冲の絵が好きである。宮内庁三の丸尚蔵館で「動植綵絵(どうしょくさいえ)」という動植物を極彩色で綿密に描いた作品を初めて鑑賞して時、大変に感動した。よくこれだけ細かくそして美しく描くできるものかと思った。今回の展覧会ではこの作品は展示されていなかった。若冲は、像も鯨も実際には見たことがないはずなのだが、「象と鯨図屏風」はスケールが大きく、且つ、迫力があった。若冲の極彩色と緻密な描写そして動植物に対する激しい思い入れは白と黒が基調の当時の日本画としては異質であると思う。

 

蕪村は、郷愁の詩人と言われ、その俳句は「春の海 終日[ひねもす]のたり のたりかな」が人口に膾炙している。うららかな春の日ざしのなか、波穏やかな海が広がっているのを眺めてうとうとと眠くなりつつ一日を過ごしていることを吟じたもの。丹後与謝の海浜での作。与謝の浜辺を愛したので「与謝」と名乗るようになったと言う。

「菜の花や月は東に日は西に」も良き俳句である。蕪村は松尾芭蕉をとても尊敬していた。また、画家であり俳人なのだから当然のことだが、日本の景色を非常に愛した人である。支那文化への憧れがとても強く、漢詩にちなんだ作品が多かった。父母への思いもとても強く、それが儒教の忠孝思想と結びついたようである。

 

私は美術に関しては全く門外漢であり、うっかりした事は書けないのだが、若冲と蕪村は、日本の芸術感覚・美感覚の大きな流れである「わびとさび」とは全く異なるものを描いているようにように思える。

 

若冲と蕪村は、二人とも京都四条高倉付近に同じ時期に住んでいたが、交流はなかったという。四条高倉は私にとって親しい町である。というのは昭和五十年代後半に、毎月機関誌に原稿を書かせてもらった団体の事務所があったからである。半年に一回くらい訪問した記憶がある。当時は京都に行くのが楽しみであった。今も京都の行くと心が落ち着く。四条高倉という江戸時代の地名が今もそのまま残っているのは京都ならではのことである。

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