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2015年4月13日 (月)

日本人の言霊信仰について

わが国には、「言事不二」といふ言葉がある。「言葉と事実と一致する、言葉と事実は二つではない一つである」「存在は言葉である」「言葉に出したことは実現する」といふ意味である。

 

豊田國夫氏は、「古代日本人は、言葉に内在する言語精霊が、その霊妙な力によって人の幸不幸をも左右すると考えていた。…彼ら古代人にとって、言葉は、現代のある種の人々が主張するような、単なる媒介、符号物ではなく、もっと人間や事物と切実な関係をもった、生きたものとして感じていたのではなかったか。つまり彼らにとって、言葉は事物と一体をなすものであった」と論じ、柿本人麻呂の歌の表記で、「事」が「言」を意味する歌、「言」が「事」を意味する歌を数多くあげ、混用例が半数であることを指摘した。さらに豊田氏は、「人麻呂の『事表記』の背景的地盤が推測されよう。すなわち混用例半数であるということは、言葉と事柄・事物の融即観において、その密着性が強いということの一つの現象ではなかろうか」(『日本人の言霊思想』)と論じてゐる。

 

萬象・萬物は言葉=神によって成ってゐる即ち言葉が事物の本質であるといふことを古代日本人は直覚してゐた。言霊の力は、天地をも動かすのであるから、「言霊の幸はふ」とは、言葉を唱へると言葉が持ってゐる霊力が動き出し、言葉通りの結果が表れてくるといふことである。日本民族は、理論・理屈としてではなく、言葉の力を大いさ、言葉が事物の本質であるといふことを生活の実感として知ってゐたのである。

 

日本の「言葉」で最も大切な言葉は、天皇の「みことのり」(詔勅)である。「詔を承りては、必ず謹む」精神即ち「承詔必謹」が日本国民の最高絶対の道義精神であり、国家永遠の隆昌の基本である。

 

『御託宣』『神示』は神霊が籠り神威が表白された言葉である。『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』も人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも霊が込められてゐる。祝詞を唱へ歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言霊の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

 

「言霊のさきはふ國」といはれるわが國においては、『祝詞』や『歌』は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。『やまとうた・和歌』は神聖な文藝であると考へられてゐた。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源である。

 

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。「うた」の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。日本人の言霊信仰が歌を生んだともいへる。

 

折口信夫氏は、「(言霊信仰とは)古くから傳っている言葉の持ってゐる霊力・魂というものを考へてゐるのであり、それが言霊、つまり言語の精霊である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・霊魂があると考へた。それが言霊である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の霊魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる霊魂が働きかけると信じてゐたのである。」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

日本では太古から、天地自然の奥に生きてをられる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈るまつりごとが行はれてゐた。そのまつりごとにおいて祭り主が神憑りの状態で「となへごと」が発した。神憑りの状態から発せられた「となへごと」が度々繰り返された結果、一定の形をとるやうになったのが祝詞である。それが「やまとうた」(和歌)の起源である。

 

祭祀における「となへごと」は「やまとうた」のみならずわが國の文藝全体の起源である。「やまとうた」はまつりごとから発生したのである。日本人の言霊信仰が歌などの日本文藝を生んだといへる。

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