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2015年4月24日 (金)

孝明天皇と石清水八幡宮

頻繁に外国船が来航するやうになった幕末期の外患の危機の際し、孝明天皇は、弘化四年(一八四七)四月二十五日、石清水臨時祭を挙行された。野宮定祥(ののみやさだなが)を勅使として派遣され、神前に「宣命」を捧げられた。

 

その「宣命」には「近時相模国御浦郡浦賀の沖に夷の船の著(つき)ぬれば、その来由を尋るに、交易を乞ふとなむ申す。それ交易は、昔より信を通ぜざる国に濫りに許したまふことは、國體にも関わりれば、たやすく許すべきことにもあらず。…肥前国にも来着なとなむ聞し食(め)す、利を貪る商旅が隙を伺ふの姦賊が情実の知り難きをイかには為(せ)むと、寤(さめ)ても寐(ね)ても忘れたまふ時なし、掛けまくも畏こき大菩薩、この状を平く安く聞こし食して、再び来るとも飛廉(ひれん・風の神の名)風を起こし、陽侯浪を揚げて速やかに吹き放ち、追い退け攘ひ除け給ひ、四海異なく、天下静謐に、宝祚長く久しく、黎民快楽に護り幸い給ひ、恤(あは)れみ給ふべし、恐れみ恐れみ申し給はくと申す」と示されてゐる。

 

孝明天皇は、「寝ても覚めても外患を忘れる事は出来ない、外国船が来たら風波を起こして撃退し、四海に異変なく、天下は平穏で、國體は安穏で、国民の幸福を護り給へ」との切なる祈りを八幡大神に捧げられた。

 

さらに、孝明天皇は、嘉永三年(一八五〇)には、「萬民安楽・宝祚長久」の御祷りを伊勢皇大神宮・石清水八幡宮など七社七寺に捧げられた。また、神佛に祈りをささげられると共に、幕府に対してしっかりとした対策を講じるやうにとの「勅書」も下された。

 

孝明天皇が、外患に際して日本国の祭祀主としてとご使命を果たされたことが、その後の明治維新の断行・日本国の独立の維持の基盤となったのである。

 

孝明天皇は文久三年(一八六三)三月十一日、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と賀茂御祖(かもみおや)神社行幸攘夷祈願を行はせられた。これには、征夷大将軍・徳川家茂および在京中の諸大名が供奉した。

 

国難にあたり、特に神祭り・神事を盛んに行はせられるのは、天皇の国家御統治の有難き事実である。孝明天皇の国家・国民を思ひ給ふ大御心、御祈りが、草莽の志士達を決起せしめ、明治維新の原動力となったのである。

 

天皇が御所の外に行幸あそばされるのは、江戸初期の寛永三年(一六二六)年に、第一〇八代・後水尾天皇が、徳川秀忠・家光に謁見されるために二条城に行幸あそばされて以来のことであった。まことに畏れ多い申し上げやうであるが、あへて申せば、徳川武家政権は、上御一人日本天皇を京都御所に幽閉同様のご状態に置き奉ったのである。

 

孝明天皇は、同年四月十一日、石清水八幡宮に行幸になり、神前において征夷大将軍・徳川家茂に攘夷の節刀(天皇が出征の将軍に下賜する刀)を賜らんとされた。これは神前で幕府に攘夷の戦争を決断させる目的であったと傳へられる。

 

これを長州の策謀と断じた将軍後見職・徳川慶喜は、将軍・徳川家茂には病と称させて供奉させず、自身が名代として行列に供奉する。しかも、慶喜も石清水八幡宮まで来ると、腹痛と称して山下の寺院に籠もってしまふ。天皇は慶喜に社前まで来るよう召されたが、腹痛を理由にとうとう社前へは行かずに済ませてしまったといふ。病気(おそらく仮病であらう)を駆け引きに使って、神前での攘夷決行の誓ひを回避したので慶喜の奸智であり政略であったといはざるを得ない。

 

この石清水行幸には多くの民衆が集まった。中でも大阪から京都に「夥しく登り」、宿屋は一杯になり、祇園の茶屋が客を部屋に詰め混む有様であったといふ。民衆は天皇に強い仰慕の思ひを持って集まり、神聖なる祭祀主日本天皇こそが日本国の唯一の君主であることを自覚したのであった。

 

賀茂行幸・石清水行幸において、二百三十七年ぶりに民衆の前にお姿を現せられた天皇は、征夷大将軍・各藩主の上に立たれる日本国の統治者であらせられるといふ天皇のご本質を顕現せられたのであった。言ひ換へれば、賀茂行幸・石清水行幸は、天皇を中心とする日本國體が正しく開顕する第一歩となったのである。

 

孝明天皇は、安政五年(一八五八)五月十五日「石清水社法楽(神仏習合の祭典))に、「寄山神祇」と題されて次のやうに詠ませられた。

 

「八幡山かみもここにぞあとたれてわが國民をまもるかしこさ」

 

文久二年(一八六二)十月十六日の「石清水御法楽」には、「薄風」と題されて次のやうに詠ませられた。

 

「夕嵐吹くにつけても花薄あだなるかたになびくまじきぞ」

 

孝明天皇の國と民を思われる仁慈の大御心こそが、国難打開・維新断行の原動力だったのである。

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