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2015年4月17日 (金)

明治維新の基本原理『尊皇攘夷』について

内憂外患交々来たるという状況の今日は、明治維新前夜とよく似ている。今の日本もまさに国難の時期である。しかし、わが国の歴史は国家革新を断行して国難を打開し、さらに発展してきた歴史である。

 

国難打開、国家革新の基本には、天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體を明らかにして、旧弊を一掃し、新たなる歩みを遂げるという精神があった。大化の改新も建武中興もそして明治維新もそういう変革であった。

 

明治維新においては、「尊皇攘夷」という言葉でそれを表現した。

 

「尊皇攘夷」とは如何なることかについて、中村武彦氏は次のように論じている。

 

「『尊皇攘夷』とは、言葉をかえれば、国家の中心、文化の原点を守り、これに危険をもたらすものを排除する高度の文化意識に外ならない。この精神なくして国の独立も自由もあり得ない」(『現代維新断行の原理』「現代維新の原点」」所収)。「攘夷運動はどこに国にもある。しかしも同じ『攘夷』運動であっても、日本の攘夷運動は国民的統一と近代化への推進力になったのに反して、支那の朝鮮の攘夷は単なる排外主義に終わって、国家の統一にも進歩にも役立たず、却って外国勢力の干渉、侵入を誘導するだけの結果を招いている。それは『攘夷』の根柢に『尊皇』の原理を持つ国民と持たぬ国民との相違である。その相違は決定的である。『尊皇』あるがゆえに分裂割拠から統一団結へ、封建制から近代国家への発展が意図も円滑に急速に出来た。攘夷がそのまま外国文化輸入の動力となることが出来た。また『尊皇』の原理の下においてのみ『敬天愛人』も具体的に実行出来たし、討つ者討たれる者の対立を超える同胞一体感を実感し得た」(『尊皇攘夷』)

 

「『尊皇攘夷』とは単なる排外意識ではない、高度の文化意識である」という中村氏の主張論はまことに卓見である。明治維新に対して、「德川幕府と薩長との権力闘争であった」とか、畏れ多いが「天皇は『玉』として利用された」とかの全く誤まれる論議がいまだに横行している。

 

明治維新は、神武創業への回帰、道統の継承、「祭政一致」の回復が第一義であった。日本傳統信仰即ち天神地祇への祭祀を根本とし、神武創業の精神に回帰しつつ、徹底した大変革を行うのが、明治維新の基本精神であった。まさに「復古即革新」である。

 

「復古即革新」という明治維新の精神は、公卿や武士や學者という当時の指導層のみが志向したのではない。全國民的な傳統回帰精神の勃興でありうねりであった。

 

伊勢参宮運動が、明和八年には、四月八日から八月九日までの間に、二百七萬七千四百五十名。文政十三年には三月から五月までの三ヶ月間に四百萬人を超えたという。

 

明治維新は勤皇の志士達を中心とする尊皇攘夷運動の根底に實はこのような一般庶民の圧倒的な伊勢参宮運動が、德川幕府という覇道政権への抵抗として全國にその土台をすでに充分成熟せしめていたのである。

 

さらに、慶応三年(一八六七)七、八月頃、には「ええじゃないか」といふ民衆運動が起こった。これは、伊勢神宮の神符等が降下したことを発端として乱舞を伴う民衆信仰的な民衆運動である。名称は、民衆が踊りながら唱へた文句が「ええじゃないか」「よいじゃないか」「いいじゃないか」等があったことに由来するという。発生地は、畿内、東海道を中心とした全國約三十カ國である。囃し言葉は、「日本國の世直りはええじゃないか」「今年は世直りええじゃないか」というような世直しを期待する文句であった。

 

伊勢参宮運動=お蔭参りの傳統を継承した世直しを希求する民衆運動である。このような民衆の復古的・信仰的な世直し運動が明治維新の原動力の一つだったのである。まさに明治維新は全國民的な「復古即革新」「尊皇攘夷」運動だったのである。

 

中村武彦氏が、「日本の攘夷と支那朝鮮の攘夷との根本的相違は、「『攘夷』の根柢に『尊皇』の原理を持つ国民と持たぬ国民との相違である」と論じておられるのはまことに正しい明治維新観である。

 

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