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2015年3月20日 (金)

日本民族の道徳的規範は「尊皇」「敬神」「忠孝」

人間が共同生活をしていくには倫理・道義がなくてはならない。人間生活には倫理が常に働いている。洋の東西、時の今昔を問わず、人間は道徳的規範にしたがって理想を設定し、それに向かって一歩か一歩進んでいくことが正しき生き方であり生活であると信じる。今日及び将来においてもそのことに変わりはないし変わってはならない。

 

その道徳的規範とは一体何か。それはわが民族においては古代から今日に至るので綿々と継承されてきた「尊皇」「敬神」「忠孝」という倫理観念である。

 

倫理・道徳は世界的に共通する普遍的なものであるが、しかし道徳的規範の現れ方はグローバリゼーションに時代と言われる今日においても、各民族・各文化によって異なる。

 

わが國の傳統的倫理精神は、日本民族の暮らしの中から自然に生まれてきたものである。日本民族の暮らしとは、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体の農耕生活である。生活の中から生まれた自然な道徳観が尊皇敬神の心なのである。

 

天皇及び皇室は日本の傳統文化・傳統的倫理精神の体現者・継承者であらせられる。そして御歴代の天皇は常に民を思い、民の幸福を祈られてきた。

 

ゆえに、日本の傳統的倫理精神・傳統文化の鏡であらせられる。そして、建國以来日本國の祭祀主として君臨してきた天皇及び御皇室を尊崇する心即ち尊皇の精神が、わが國倫理精神の基本である。

 

それは、特定の聖人や預言者という個人が説いた教義としての倫理ではない。これが日本の傳統信仰と儒教やイスラム教やユダヤ教や仏教との決定的な違いである。

 

神人合一が日本人の理想であり祭祀は神人合一の行事 神に真心を込めてお仕え申し上げることが「祭りの心」である。神と人間が心と行動において一体となること即ち神人合一が日本人の理想である。祭りとは神人合一の行事である。

 

『神社本庁敬神生活綱領』には、「世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと」とある。神と天皇に仕える心即ち自分たちの生活そのものを神の心天皇陛下の大御心を実現していくという生活が、わが國の理想的な倫理観念である。

 

「みこともち」とは、神や天皇の御言葉・御命令を持しそれを地上において実現することである。それが日本民族の倫理精神の基本である。神の御命令で最も大事ものは『天壤無窮の御神勅』である。

 

『天壤無窮の御神勅』とは、天皇の御祖先である邇邇藝命が高天原から地上に天降られる時に、天照大神から下された御命令(御神勅)である。

 

それには、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の靈統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう、といふほどの意)と示されている。 

 

さらに、「吾が高天原に所御(きこしめす)斎庭の穂(いなほ)を以ちて、また吾が兒(みこ)に御(まか)せまつるべし」(私の高天原に作っている神に捧げる稲を育てる田の稲穂を私の子に任せよう、といふほどの意)といふ御命令を下された。

 

この御命令を國民の立場から扶翼(神からの御命令を天皇が実行されることをおたすけすること)によって、日本國の永遠の隆昌をはかることが、我々日本國民の倫理の基本である。

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