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2015年3月27日 (金)

李氏朝鮮は中華帝国の属国であった

朝鮮半島の歴史は「中華帝國」への隷属の歴史であった。李氏朝鮮王室は、朝鮮半島では絶対専制君主ではあっても、支那皇帝の臣下であった。李氏朝鮮の国是は大国・強国に仕える「事大主義」(『以小事大』(小を以て大にへる)である。強い者を背景に弱い者をいじめるという体質である。「事大主義」は、李氏朝鮮建國以来の体質であり國策であった。

 

李氏朝鮮の国号は、李成桂が高麗王朝から政権を簒奪した後、明の皇帝から下賜された国号である。この国号は、日本が日清戰争に勝利し、大韓帝国になるまで五百年以上使われた。李氏朝鮮は、「小中華」を名乗り、中華帝国の属国であることをむしろ誇りにしていた。李氏朝鮮は独立国ではなかったのである。

 

しかし、日清戦争の後の「下関条約」(明治二十八年)で、「清國は、朝鮮が完全無欠なる独立自主の國であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮國から清國に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)」事となった。すなわち、日清戦争における日本の勝利の結果、朝鮮半島は支那からの独立を獲得したのである。

 

ところが日清戦争の後、日本が「三國干渉」に屈服すると、「日本弱し」と見た李氏朝鮮王室は、「清が駄目ならロシアがあるさ」とばかりに今度はロシアに接近し、日清戦争の翌年の一八九六年二月十一日、李朝国王・高宗は、宮廷を脱出して、何とロシア大使館に駆け込み、そこで政治を行うようになった。

 

このように日本に併合される以前の李氏朝鮮は権力を維持し自らが生き延びるために、ある時は支那の属國になり、ある時はロシアの属國となるという体たらくであった。

 

日本が国運を睹して戦った日清、日露両戦争は、朝鮮の独立保全を目的として戦われた。このことは両戦争の『宣戦の詔書』に明らかに示されている。

 

このように李朝王室は最早国家統治者としての資格を喪失していた。朝鮮の悲劇の根源は、国王専制下の政治腐敗・農民に対する貪官汚吏の苛斂誅求にあった。また國内の改革・近代化も全く進まず、経済的に破綻に近い状態にあり、権力者は腐敗し、政争を繰り返していた。そして國民は疲弊していた。

    

朝鮮半島きわめて不安定な情勢はわが國にとって重大な脅威である。そこで、日露戦争に勝利した日本は、事實上ロシアの属國であった朝鮮を保護下に置いた。

 

韓国は『日韓協約』により我が国の保護国とされ、伊藤博文が初代統監に就任した。この協約締結に際しての伊藤博文の本心は韓国を名実伴う独立国にすることにあった。

 

韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文を追慕して「伊藤は『自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように』と常々申していた」と語ったという。

 

しかしそうした伊藤博文の心が韓国民の一部が正しく理解せず、ハルピン駅頭において伊藤博文は安重根の銃弾によって暗殺され、日韓併合に至るのである。日清戦争に勝利し、日露戦争に勝利した日本が、清国とロシアの属国であった朝鮮を併合したのは当然のことであり、侵略では決してない。

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