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2015年3月26日 (木)

大東亜戦争は、明治維新以来の攘夷の戦ひの総決算であった

わが國の近代は、ペリーの武力的恫喝によって始まった。それを考へずして、日本近代の戦ひと発展と祖国防衛・独立維持の歴史を弾劾するのは一方的であり自虐的である。

 

攘夷即ち西欧列強の武力侵略から祖国を守るためには、日本自らも武力を強化しなければならなかった。これを「攘夷のための開国」「夷を以て夷を制す」と言ふ。そして武力の強化とは、西欧列強の軍事力と西洋文明そのものをわが國に輸入せざるを得なかった。この大きな矛盾がその後のわが国史に光と影を与へた。

 

明治新政府は「攘夷のための開国」即ち文明開化路線を歩んだ。欧米使節団に参加した人をはじめとする文明開化路線の推進者たちは、欧米を進歩と捉へ、東洋を未開と捉へた。「脱亜入欧・文明開化路線」をまっしぐらに進んだ。そして日清・日露の戦ひに勝利したことにより、日本は西欧化に成功したと認識し、アジアの盟主として、アジアの解放・アジアの進歩発展に貢献できると信じた。ところが、肝心要の日本の精神状況の頽廃と西洋化が進んだ。

 

さらに、近代化・工業化による日本国内の生活の変化が、自然と共に生き自然を神と拝ろがむ傳統信仰を希薄化せしめた。つまり、文明開化・脱亜入欧路線が、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体の真姿を隠蔽した。そして権力国家・利益社会国家の強化が図られた。

 

西欧列強に抗して祖国の独立を維持するといふことは、「豐葦原千五百秋之瑞穂國日本」の防衛であった。そのためには、軍事力と科学技術を充実させなければならなかった。農業重視から工業重視へと転換が図られねばならなかった。そしてそれは、信仰共同体日本・天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體の隠蔽であった。これは自己保全のための自己否定といふ二律背反を意味する。日本國を守るために「瑞穂の國」といふ日本国の本質をある程度隠蔽しなければならなかったところに近代日本の最大の悲劇があった。

 

日本の伝統信仰を無視した近代化・富国強兵は、矛盾を生んだ。「夷を以て夷を制する」「攘夷のための開国」といはれるが、日本自身が「夷」となり日本自身が「外国」になってしまったのでは元も子もなくなる。

 

ただし、かかる近代日本の悪しき側面を批判するだけでは駄目で、やはり弱肉強食の世界状況下にあって、日本が独立を維持していくために、明治日本及び近代日本がいかに苦悩したかを深く考察しなければならない。文明開化・富国強兵・西欧化を全面否定することはできない。

 

西欧諸国との拮抗、とりわけ帝国主義との戦ひをしなければならない時代に於いて、わが國の独立の維持とは、武力的拮抗でなければならなかった。欧米近代の国家の侵略による植民地化を跳ね除けるために「富国強兵」政策がとられた。「富国強兵」政策を否定することは出来ない。また、「富国強兵」を実現するために西洋の文物・学問・科学技術を取り入れることも大切であった。

 

しかし、その根底に日本伝統精神・倫理観がしっかりと確立してゐなければならなかった。「和魂洋才」とはかかることを意味したのだと考へる。

 

日本が欧化路線を批判し近代日本が覇道を歩んだと弾劾するのは気分爽快かもしれない。しかし、祖国に生きる者はそれをしてはならない。するべきではない。することはできない。何故かならば、それは萬止むを得ざることだったからである。それは次の一点を見れば明白である。

 

明治新政府は、幕末期に徳川幕府が西洋列強と締結した日本国内に外国の軍隊が一方的に駐留し、裁判も外国人によって行はれるといふ不平等な条約を改正する事を大きな目標とした。明治四年(一八七一)の岩倉使節団派遣の最大目的は不平等条約の改正であった。しかし、維新直後のわが國による平等条約改正要望は列強に全く相手にされなかった。日本が不平等条約を改正できたのは、明治四十四年(一九一一)、日本が日清・日露両戦争の勝利した後だった。日清、日露戦争に勝利した結果、初めて不平等な条約改正ができたのである。

 

弱肉強食・強い者勝ちが冷厳な国際社会の原則であった。それは二十一世紀を迎へた今日でも変ってゐない。西欧列強からの圧迫に対抗して日本の独立を維持しやうといふ意志の表れとしての「攘夷」が、自らを強化するために西欧の科学技術・法制度・思想を輸入してゐるのだといふことを正確に自覚することが出来なかったことが、近代日本を矛盾と不幸の原因だったと考へる。

 

近代日本が、帝國主義国家と対峙しつつ独立国家として自立していくためには、西欧化し近代化し軍備を整へねばならなかった。その道の到達点が、大東亜戦争であった。大東亜戦争は、明治維新以来の攘夷の戦ひの総決算であった。

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