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2015年3月24日 (火)

祭祀主としての天皇の神聖なる権威が日本國家の安定と統一の基礎である

 わが國の國體は、天皇を中心とした信仰共同体である。祭祀主としての天皇の神聖なる権威が日本國家の安定と統一の基礎である。その信仰共同体としての國を基礎としてその上部に政治機構としての國家が成立した。政治組織・権力機構としての國家の基礎に天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体のとしての國がある。 

 

 政治機構としての國家は法律と権力によって運営される。しかし、その根本に傳統信仰を基礎とした國がある。その祭祀主が天皇であらせられるのである。

 

 現実の國家はそれを構成する國民の私欲の追求によって悲惨な闘争が起こる。それを可能な限り抑制するのは、私欲を超越した無私という倫理性を体現する存在である。わが國においては天皇がそうした御存在である。

 

 信仰共同体國家日本の祭祀の中核は天皇の祭祀である。したがって、日本國家の祭祀主であらせられる天皇は、日本道義精神・倫理観念の体現者であらせられるのである。

 

 肇國以来今日に至るまでわが國の歴史を貫き、将来にも継続する無私の御存在・倫理的存在が天皇である。天皇は、倫理道義の鏡として祭祀主として君臨されている。決して権力や武力によって國を支配しているのではない。権力や武力によって國を支配されるのではないということが、日本天皇の國家統治の御本質である。これは、日本民族の稲作生活から生まれてきた傳統である。

 

 新渡戸稲造氏がその著『武士道』において、「我々にとりて天皇は、法律國家の警察の長ではなく、文化國家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」と論じている通りである。

 

 天皇は、権力や武力の暴走、言い換えると権力者の私欲による権力と武力の行使を制限し抑制される権威をお持ちになる。天皇は権力や武力と無縁の御存在だということではない。むしろ権力や武力に対して道義性を与えられる。中世・近世・近代を通じて武家権力や軍に対してそういうおはたらきをされて来た。

 

 わが國の傳統的倫理・道義は、<神に対する真心の奉仕><神人合一の行事>である祭祀として継承されてきた。日本人の実際生活において行じられる祭祀そのものが倫理精神・道義感覚の具体的な現れなのである。 

 

 明治天皇は、『教育勅語』に示された徳目を、臣民にだけ行じさせるのではない。『教育勅語』には、「朕爾臣民ト共ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と示されている。天皇が道義実践の中心者であらせられる。それが皇祖皇宗から御歴代の天皇に傳えられたわが國皇室の道統なのである。                    

 

 警察庁長官・内閣官房長官を歴任して官僚のトップを極め、さらに政治家としても自治大臣・官房長官・内閣副総理を歴任した後藤田正晴氏は、『日本経済新聞』平成十二年十二月五日号の中央省庁再編に関するインタビュー記事で、「まず大臣という名前を変えたらどうか。だれの臣下ですか?行政の長なんだから『長官』でいい」などと述べた。これは、わが國が建國以来天皇を君主と仰ぐ國であり、「現行憲法」下においても立憲君主國であることを否定した発言である。現代日本の官僚政治家を代表する人物がこのような國體否定の発言を平気で堂々と行ったのである。まさに世も末であり、政治家・官僚の質が低下するのも宜なるかなである。 

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