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2015年3月 8日 (日)

警察は志布志冤罪事件の反省を全くしていない

藤井浩人美濃加茂市長冤罪事件を見て、警察は、平成十五年に起こった志布志事件(しぶしじけん・平成15413日投開票の鹿児島県議会議員選挙の曽於郡選挙区で当選した中山信一県議会議員の陣営が曽於郡志布志町(現・志布志市)の集落で住民に焼酎や現金を配ったとして中山やその家族と住民らが公職選挙法違反容疑で逮捕された事件を巡る捜査において、鹿児島県警察捜査第二課・統一地方選公選法違反取締本部が自白の強要や数ヶ月から1年以上にわたる異例の長期勾留などの違法な取り調べを行ったとされる事件)の反省を全くしていないということだ。

私は当時のこのブログで次のように書いた。「事件で直接自白を強要した警部補は、有罪の判決(懲役10月・執行猶予3年)受けたようだが、志布志冤罪事件の捜査の指揮をとった当時の稲葉一次県警本部長と黒健治という志布志警察署長と磯部一信という警部が厳しい処分を受けたという報道はない。彼らは、冤罪により地獄の苦しみを味わった方々と同じ苦しみを味わうべきであると思う。刑事告発できなかったのだろうか。そうしないと冤罪事件は根絶できない。権力による犯罪ほど悪い犯罪は無いのである」と。

 

初代警視総監・川路利良大警視はその著『警察手眼』において、「行政警察は予防を以て本質とす」と言った。「事件を作り出す事を以て本質とす」とは言っていない。交通違反の取り締まりなどを見てゐると、警察は成績を上げるために無理に違反者を作り出しているように見える場合がある。

また川路大警視は、「警察官の心は総て仁愛補助の外に出でざるべし」と言った。罪を犯していない人を罪に陥れることは、「仁愛補助の心」とは全く逆である。

さらに川路大警視は「警察官は人民の為には其依頼する勇強の保護人なり」と言った。人民の迫害者とは決して言っていない。

今の警察は、警察機構草創の精神をよくよく学ぶべきである。

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