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2015年3月15日 (日)

「七生報國の精神」について

 

『太平記』に「正成座上に居つゝ、舎弟の正季に向って『抑最後の一念に依って、善悪の生を引くといへり。九界の間になにか御辺の願ひなる』と問ひければ、正季からからと打ち笑ひて、『七生まで唯同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさばやと存じ候らへ』と申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、『罪業深き悪念なれども、われも斯様に思ふなり。いざさらば同じく生を替へて、此の本懐を達せん』と契って兄弟ともに刺し違へて、同じ枕に伏しにけり」と書かれてゐる。日本の古典に「名文」と言はれるものがあるが、この一節は、その一つであらう。私はそう思ふ。

 

「七生報國の精神」=「七生まで唯同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさばやと存じ候らへ」といふ精神は、佛教の輪廻転生思想を受け容れながら、佛教とりわけ浄土教の「現世離脱」「厭離穢土・欣求浄土」の信仰とは異なり、朝敵を滅ぼすまでは何回でもこの世に生れ変るといふ信念を吐露してゐる。それは現世への執着ではなく、たとへ肉體は滅びても生命は永遠であり、幾度も生れ変って、目的を遂げるといふ崇高なる精神である。

 

柳田國男氏は、「日本人の大多数が、もとは死後の世界を近く親しく、何か其の消息に通じているやうな気持を、抱いて居た…第一には死してもこの國の中に、霊は留まって遠くへは行かぬと思ったこと、第二には顕幽両界の交通が繁く、単に春秋の定期の祭りだけでなしに、何れか一方のみの志によって、招き招かるゝことがさまで困難でないやうに思って居たこと、第三には生人の今はのときの念願が、死後には必ず達成するものと思って居たことで、是によって子孫の為に色々の計画を立てたのみか、さらに三たび生まれ代って、同じ事業を続けられるものゝ如く、思ったものの多かったといふのは第四である」(『先祖の話』)と論じてゐる。

 

日本人は、死後の世界は現世とさう隔たった世界ではない信じた。佛教の浄土教が、十萬億土の彼方にある西方極楽浄土に往生すると説くのとは大分違ふ考へである。

 

中村元氏は、「日本人は佛教の渡来する以前から現世中心的・楽天的であった。このような人生観がその後にも長く残っているために、現世を穢土・不浄と見なす思想、日本人のうちに十分に根をおろすことはできなかった」(『日本人の思惟方法』)と論じてゐる。

 

 

日本には死んだご先祖が草葉の蔭から子孫を守って下さるとか、あるいはその反対に怨みを持って死んだ人の霊が生きたゐる人のところに化けて出るといふ信仰がある。一方日本人は、死んだら西方十萬億土の彼方にある極楽に往生して佛様になると信じ、その佛様が草葉の蔭(この世のお墓の下といふこと)から子孫を守ってくれると信じた。まったく矛盾するやうな考へであるが、これは信仰だから、「合理主義」であれこれ論じても仕方のないことである。

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