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2015年3月31日 (火)

大東亜戦争について

森田康之助先生(故人。文学博士・国学院大教授)は、「歴史を見る目は即ち将来を見通す目であり、歴史とは未来記に他ならない」(『伴信友の思想』)と言はれた。日本近代史に対する正しい認識が、現在及び将来の日本を決定づける大きな要素になる。何時までも自虐史観にとりつかれてゐると、日本は亡国の道を歩む。すでに歩み続けてゐると言っていい。

 

自虐史観を払拭することは、決して無反省でいいといふことではない。私は、明治以後の日本が良いことしかしなかったとは思はない。また戦前の日本が理想的に国だったとも思はない。もしさうだったとしたら、昭和維新運動は起こらなかったであらう。また戦争に負けるはずもなかった。 近代化によって、西洋覇道精神が日本国に浸潤したことも事實である。そのことの反省はもちろん必要である。

 

しかし、日本国が、西欧列強の侵略に抗して自国の独立を護るために、西洋化・近代化を推進し富国強兵を図った。そのことによって国内的にも対外関係においても様々な矛盾が生じた。しかし、「日本だけが悪かった、日本は悪いことしかしなかった」といふ歴史認識は改めなければならない。

 

渡部昇一氏は次のやうに論じてゐる。「十九世紀末から二十世紀前半の国際社会は、『侵略は是』とされた時代であった。この時代の思想を簡潔に表現するならば、『弱肉強食』あるいは『適者生存』という言葉を使うのが、最もふさわしい。…欧米の植民地政策は、ダーウィニズムによって〝お墨付き〟をもらったようなものであった。何故なら、『優れた白人が有色人種を征服することは、自然の摂理なのだ』ということになったからである。…当時は、進化論を持ち出せば、何でも正当化できるという雰囲気が欧米社会に充満していのである。このような『弱肉強食』を是とする国際社会の中で、日本がその生存と独立を維持しようとすれば、同じように弱肉強食の論理に従わざるを得なかった。」(『かくて昭和史は甦る』)

 

東條英機元総理は、「東京国際軍事裁判」に於けるキーナン検事の尋問に答へて、「この裁判の事件は、昭和三年来の事柄に限って審査しているが、三百年以来少なくとも阿片戦争までさかのぼって調査されたら、事件の原因結果がよく分かると思う。」と述べた。欧米列強の数百年間にわたる東亜侵略の歴史を踏まへて、大東亜戦争は論じられ、評価されなければならない。大東亜戦争は、数百年来の西欧列強・白色人種国家の東亜侵略に対する正義の抵抗であったのだ。

 

『極東国際軍事裁判(東京裁判)』を創設したマッカーサーですら、一九五一年五月、米上院の軍事外交合同委員会の公聴会で、「日本が第二次大戦に赴いた目的はその殆どが自国の安全保障のためであった」と『東京国際軍事裁判』の訴因を全く覆す証言を行ひ、大東亜戦争は日本の侵略ではなかったと述べた。

 

『極東国際軍事裁判』の裁判長を勤めたウエップもバーガミニーといふ人の著書の序文で、「米国も英国も日本が一九四一年に置かれたような状況に置かれれば、戦争に訴えたかもしれない」と書いてゐるといふ。

 

歴史問題は、真摯に冷静に考究されなければならない。ところが現状はさうなってゐないことが問題なのである。近隣諸国、つまり共産支那や南北朝鮮は、歴史問題をわが國に対する外交的圧迫、攻勢、脅迫の手段にしてゐる。

 

のみならず、国内の反日的な政治家・メディア・学者文化人は、近隣諸国に対してわが国への内政干渉を煽動し、近隣諸国のわが国への外圧=内政干渉を利用して、わが国の尊厳性・誇りそして日本民族の国民的自覚を喪失せしめ、窮極的には、天皇中心の日本國家の崩壊を目論んでゐる。

 

大東亜戦争とは、昭和六年に起こった満州事変から昭和二十年八月十五日までの日本の戦ひ、昭和十六年十二月八日から昭和二十年八月十五日までの日本の戦ひ、さらに広義には、幕末期から昭和二十年八月十五日あるいは講和発効までまでの日本の戦ひである。さらに言へば「戦後」が終はってゐないといふことは、未だ大東亜戦争はいまだ終はってゐないとすることもできるのである。

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桜花満開の日暮里谷中風景

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日暮里諏訪台公園

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日暮里諏訪神社

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諏訪神社

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養福寺 弘法大師像と櫻

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養福寺本堂と櫻

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谷中霊園

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谷中天王寺釈迦牟尼仏像(谷中大仏)

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谷中天王寺枝垂れ桜

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谷中霊園 澁澤栄一氏のお墓

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東叡山寛永寺根本中堂の桜

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寛永寺徳川綱吉霊廟勅額門

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千駄木庵日乗三月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、日暮里・谷中散策。満開の桜を仰ぐ。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆。

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2015年3月30日 (月)

この頃詠みし歌

ヒューヒューと隙間風吹く如くにも心通はぬ人との会話

 

楠公像その勇ましき姿をば仰ぎつつ友を待ちてゐるかな

 

牛乳屋が来りし音を聞きにつつ深夜を一人もの書きてゐる

 

歴史上好まぬ人の筆頭は井伊直弼なりと思ひつつをり(彦根藩江戸上屋敷跡にて)

 

まやかしの住民投票を行ひて核攻撃を準備せし人

 

核兵器を使う準備をしたなどと平然と言ふプーチンの顔

 

夕刊フジと日刊ゲンダイの広告を見比べて一人ほくそ笑みゐる

 

瑞穂といふ名前のをみなは瑞穂の国を敵に売り渡す言動を吐く

 

大きな鞄を肩よりかけて街を行く 生きてゐることを肯ひにつつ

 

若き友は去り行きにけり新しき職場への不安を我に語りて

 

真夜中に廊下を歩く靴の音響けば何となく心騒げり

 

靴音は近づきてまた去り行けり深夜の廊下に響きわたりて

 

栄えたる御代をおとせしと嘆きたる東條英機の辞世悲しき

 

無慈悲なる絨毯爆撃 日本は焼土となりぬ 醜(しこ)のアメリカ

 

春寒の日を恙なく過ごしたまふ母と真向ひ語らひてをり

 

佳き人と声を掛け合ひすれ違ふ千駄木の町に春風ぞ吹く

 

春の日の観音堂の樹木たち明るき光に包まれてをり

 

風吹けば池の面には波立ちて春の日の下きらきら光る(六義園)

 

うららかな春の日差しの下にして広らけき庭を眺めゐる幸()

 

和歌の浦と名付けられたる池を眺め遥かな紀の國を偲びゐるなり()

 

元禄の御代の栄華の幻を見するが如き六義園の庭()

 

枝垂桜見上げて喜ぶ人々の群れの中なる我なりしかな()

 

春うらら凛々しくたてる松の木の永久の緑の命尊し()

 

池を眺め抹茶をいただく春の日の六義園には春の風吹く()

 

老婦人の挙措動作にぞ日本の長き文化が偲ばるるかな

 

エスプレッソを飲みつつ食後のひと時を書を読み過ごすことのよろしさ

 

三分咲きの桜並木を友どちと語らひにつつ歩むうれしさ

 

春寒の風に吹かれて歩み行く日暮里の街の花は三分咲き

 

無惨にも殺されにける金玉均大人の御霊をなぐさめまつる(没後百二十一年金玉均先生墓前祭)

 

祖国をば救はむとせしに売国奴と屠られるにける大人ぞ悲しき()

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千駄木庵日乗三月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は施設に赴き、母に付き添う。

午後六時より、春日の文京シビックセンターにて、『第四十九回日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。国民儀礼の後、瀬戸弘幸氏が「戦前の国家社会主義政党を現代に問う」と題して講演。この後、小生が「日本國體と議会政治」と題して講演。質疑応答。渡邊昇氏が閉会の挨拶。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2015年3月29日 (日)

『萬葉の精神』への回帰と祖国の再生

防人の歌は、防人の率直な心境や東国庶民の生活感情を知り得る貴重な歌である。天皇国日本の永遠を願いながら遠く旅立つもののふの決意を表明した歌であり、生きて故郷へ帰ることができない覚悟した者たちの歌である。当時における辺境の地の素朴な歌ではあるが、日本文化・文学の基本である宮廷文化(みやび)への憧れの心があり、君への忠、親への孝、人への恋心が表白されている。

 

 一人一人がそれぞれの立場で個性的表現をしているが、全体として国のため大君のためにわが身を捧げるという共通の決意が歌われている。天皇への無限の尊崇・仰慕の念と敬神の心、そして愛する父母や妻子への思いが生々しい情感として歌われている。

 

 つまり、日本人の最も基本的にして永遠に変わることなき道義精神・倫理観を切々と歌っているのである。東国の庶民は都に生活する貴族などと比較すれば教養や学識においては劣るものがあるかもしれないが、天皇・国家・家族を思う心は純真で深いものがある。東国の庶民である防人の歌には、古代日本の豊かな精神・純粋な感性がある。

 

「今日よりは顧(かへり)みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は」 (防人の任を仰せつかった今日よりは、一切を顧みる事なく、不束ながら大君の尊い御  楯として出発致します。私は)

 

 下野の(今日の栃木県)火長今奉部與曾布(かちょういままつりべのよそふ)の歌である。火長とは十人の兵士を統率する長。

 

もっとも代表的な防人の歌である。「醜」とは醜いという意ではなく、大君に対し奉り自分を謙遜して言った言葉で、「不束ながら」或いは「数ならぬ」という意。葦原醜男神(あしはらのしこおのかみ・大己貴神の別名)の「醜」と同じ用法で、「力の籠った、荒々しい強さを持ったものの意」とする説もある。

 

「御楯」は楯は矢・矛・槍から身を守る武具であるが、大君及び大君が統治あそばされる日本国土を守る兵士のこと。大君にお仕えする兵士であるから「御」という尊称をつけた。

 

出征する時の勇壮・凜然とした固い決意を格調高く歌っている。この歌の心は一言で言えば上御一人に対する「捨身無我」である。そうしたきわめて清らかにして篤い尊皇の心がふつふつと伝わってくる。しかも、押し付けがましいところがない、さわやかな堂々たる歌いぶりの重厚な歌、と評価されている。                   

 

「あられ降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)に吾は來にしを」(鹿島の社に鎮まります建御雷神に武運長久を祈り続けて天皇の兵士として私は来たの  だ)

 

 常陸の國那珂郡の防人・大舎人部千文(おおとねりべのちぶみ)の歌である。「あられ」は鹿島に掛る枕詞。あられが降る音はかしましいので鹿島に掛けた。「鹿島の神」は鹿島神宮に祭られている武神・建御雷神(たけみかづちのかみ・武甕槌神とも書く)の御事。建御雷神は、天孫降臨に先立って出雲に天降られ、大国主命に国譲りを交渉せられた神であらせられる。鹿島神宮の御創祀は、神武天皇御即位の年と伝えられる。「皇御軍」は天皇の兵士という意味。天皇の兵士・皇軍という意識は、近代になってつくり上げられたのではなく、千三百年の昔よりわが日本の庶民に受け継がれてきているのである。

 

 この鹿島神宮は、初代徳川頼房以来、水戸徳川家が崇敬の誠を捧げていた。今に残る日本三代楼門の一と言われる楼門は寛永十一年に頼房公が寄進したものである。幕末の徳川斉昭は、『大日本史』を奉納し、安政四年には、鹿島神宮の御分霊を水戸弘道館に勧請し、鹿島神社を創建した。

 

 日本武士道の淵源は、記紀に記された須佐之男命・神武天皇・日本武尊の御事績にある。この御精神の継承し踏み行ったのが防人たちだったのである。

 

 防人の歌に限らず「萬葉歌」は、理論・理屈ではなく、日本人の魂に訴える「歌」によって、日本人の中核精神・伝統信仰・倫理観を今日の我々に教えてくれているのである。まことに有難きことと言わねばならない。また、当時は既に聖徳太子の時代の後であるから仏教がわが国に浸透していたはずであるが、「萬葉集」全体、特に防人の歌には、崇仏の歌が全く無い。  

 

 尊皇愛国・国のために身を捧げることが日本人の道義の基本である。萬葉集とりわけ防人の歌には、日本民族の道義精神・倫理観の中核たる、「天皇仰慕・忠誠の精神」「神への尊敬の思い」「父母への孝行の心」が素直に純真に高らかに歌われている。現代日本の混迷を打開し、道義の頽廃を清め祓い、祖国を再生せしめる方途は、萬葉の精神への回帰にあると確信する。

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2015年3月28日 (土)

千駄木庵日乗三月二十八日

朝は、諸雑務。

午前十一時半より、青山霊園にて、『第十回金玉均先生墓前祭』執行。広瀬義道氏が司会。頭山興助氏が祭主挨拶、犬塚博英氏が来賓挨拶を行った。この後、福永武氏が斎主となり、献饌の儀、祝詞奏上、碑文奉唱、玉串奉奠などが行われた。そして、会場を移して、勉強会が催され、藤井厳喜呉竹会代表幹事及び小生が講演を行った。

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挨拶する頭山興助氏

帰宅後は、明日の『日本の心を学ぶ会』における講演の準備なと。

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2015年3月27日 (金)

李氏朝鮮は中華帝国の属国であった

朝鮮半島の歴史は「中華帝國」への隷属の歴史であった。李氏朝鮮王室は、朝鮮半島では絶対専制君主ではあっても、支那皇帝の臣下であった。李氏朝鮮の国是は大国・強国に仕える「事大主義」(『以小事大』(小を以て大にへる)である。強い者を背景に弱い者をいじめるという体質である。「事大主義」は、李氏朝鮮建國以来の体質であり國策であった。

 

李氏朝鮮の国号は、李成桂が高麗王朝から政権を簒奪した後、明の皇帝から下賜された国号である。この国号は、日本が日清戰争に勝利し、大韓帝国になるまで五百年以上使われた。李氏朝鮮は、「小中華」を名乗り、中華帝国の属国であることをむしろ誇りにしていた。李氏朝鮮は独立国ではなかったのである。

 

しかし、日清戦争の後の「下関条約」(明治二十八年)で、「清國は、朝鮮が完全無欠なる独立自主の國であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮國から清國に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)」事となった。すなわち、日清戦争における日本の勝利の結果、朝鮮半島は支那からの独立を獲得したのである。

 

ところが日清戦争の後、日本が「三國干渉」に屈服すると、「日本弱し」と見た李氏朝鮮王室は、「清が駄目ならロシアがあるさ」とばかりに今度はロシアに接近し、日清戦争の翌年の一八九六年二月十一日、李朝国王・高宗は、宮廷を脱出して、何とロシア大使館に駆け込み、そこで政治を行うようになった。

 

このように日本に併合される以前の李氏朝鮮は権力を維持し自らが生き延びるために、ある時は支那の属國になり、ある時はロシアの属國となるという体たらくであった。

 

日本が国運を睹して戦った日清、日露両戦争は、朝鮮の独立保全を目的として戦われた。このことは両戦争の『宣戦の詔書』に明らかに示されている。

 

このように李朝王室は最早国家統治者としての資格を喪失していた。朝鮮の悲劇の根源は、国王専制下の政治腐敗・農民に対する貪官汚吏の苛斂誅求にあった。また國内の改革・近代化も全く進まず、経済的に破綻に近い状態にあり、権力者は腐敗し、政争を繰り返していた。そして國民は疲弊していた。

    

朝鮮半島きわめて不安定な情勢はわが國にとって重大な脅威である。そこで、日露戦争に勝利した日本は、事實上ロシアの属國であった朝鮮を保護下に置いた。

 

韓国は『日韓協約』により我が国の保護国とされ、伊藤博文が初代統監に就任した。この協約締結に際しての伊藤博文の本心は韓国を名実伴う独立国にすることにあった。

 

韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文を追慕して「伊藤は『自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように』と常々申していた」と語ったという。

 

しかしそうした伊藤博文の心が韓国民の一部が正しく理解せず、ハルピン駅頭において伊藤博文は安重根の銃弾によって暗殺され、日韓併合に至るのである。日清戦争に勝利し、日露戦争に勝利した日本が、清国とロシアの属国であった朝鮮を併合したのは当然のことであり、侵略では決してない。

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千駄木庵日乗三月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、明日のスピーチの準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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日本伝統精神は、現代の危機を打開し将来の日本及びアジアそして地球の救済の力となり得る

日本の西洋覇道精神・欧化路線即ち近代日本の負の部分に対する反省が明治第二維新運動とそれを継承した昭和維新運動である。昭和維新運動とは日本傳統精神の復興による「近代の超克」を目指す運動であった。近代とは欧米的近代主義である。近代日本が猛烈に勢いで輸入した「欧米近代」なるものへの痛烈な反省である。それは、明治維新の真精神即ち神武創業の精神・日本の傳統信仰の復興であった。しかし、昭和維新は未完に終わった。

 

神への回帰こそが、近代日本において必要だった。近代の超克・西欧模倣からの脱却は、日本に神々への回帰、日本傳統信仰の復興によって行はれなければならなかった。それは今日においても同じである。日本自身の精神的頽廃=神の喪失・傳統精神隠蔽が近代日本の歴史に大きな影響を与へたことは事実である。

 

近代日本の矛盾の克服は、現代においても喫緊の課題である。近代の超克・西欧模倣からの脱却は今日においてこそ行はれなければならない。わが日本は、西洋覇道精神を清算し日本傳統精神を復興し日本の神々に回帰しなければならない。

 

西洋から発した唯物文明・強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめるものとして農耕生活から発した大自然と人間の共生の精神たる日本伝統精神がある。天皇がその祭祀主であられ体現者であられる日本伝統精神よって西洋唯物文明を克服するべきである。日本伝統精神は、現代の危機を打開し将来の日本及びアジアそして地球の救済の力となり得ると信ずる。

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千駄木庵日乗三月二十六日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、原稿校正、原稿執筆、明後日行われる『日本に心を学ぶ会』における講演の準備など。

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2015年3月26日 (木)

大東亜戦争は、明治維新以来の攘夷の戦ひの総決算であった

わが國の近代は、ペリーの武力的恫喝によって始まった。それを考へずして、日本近代の戦ひと発展と祖国防衛・独立維持の歴史を弾劾するのは一方的であり自虐的である。

 

攘夷即ち西欧列強の武力侵略から祖国を守るためには、日本自らも武力を強化しなければならなかった。これを「攘夷のための開国」「夷を以て夷を制す」と言ふ。そして武力の強化とは、西欧列強の軍事力と西洋文明そのものをわが國に輸入せざるを得なかった。この大きな矛盾がその後のわが国史に光と影を与へた。

 

明治新政府は「攘夷のための開国」即ち文明開化路線を歩んだ。欧米使節団に参加した人をはじめとする文明開化路線の推進者たちは、欧米を進歩と捉へ、東洋を未開と捉へた。「脱亜入欧・文明開化路線」をまっしぐらに進んだ。そして日清・日露の戦ひに勝利したことにより、日本は西欧化に成功したと認識し、アジアの盟主として、アジアの解放・アジアの進歩発展に貢献できると信じた。ところが、肝心要の日本の精神状況の頽廃と西洋化が進んだ。

 

さらに、近代化・工業化による日本国内の生活の変化が、自然と共に生き自然を神と拝ろがむ傳統信仰を希薄化せしめた。つまり、文明開化・脱亜入欧路線が、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体の真姿を隠蔽した。そして権力国家・利益社会国家の強化が図られた。

 

西欧列強に抗して祖国の独立を維持するといふことは、「豐葦原千五百秋之瑞穂國日本」の防衛であった。そのためには、軍事力と科学技術を充実させなければならなかった。農業重視から工業重視へと転換が図られねばならなかった。そしてそれは、信仰共同体日本・天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體の隠蔽であった。これは自己保全のための自己否定といふ二律背反を意味する。日本國を守るために「瑞穂の國」といふ日本国の本質をある程度隠蔽しなければならなかったところに近代日本の最大の悲劇があった。

 

日本の伝統信仰を無視した近代化・富国強兵は、矛盾を生んだ。「夷を以て夷を制する」「攘夷のための開国」といはれるが、日本自身が「夷」となり日本自身が「外国」になってしまったのでは元も子もなくなる。

 

ただし、かかる近代日本の悪しき側面を批判するだけでは駄目で、やはり弱肉強食の世界状況下にあって、日本が独立を維持していくために、明治日本及び近代日本がいかに苦悩したかを深く考察しなければならない。文明開化・富国強兵・西欧化を全面否定することはできない。

 

西欧諸国との拮抗、とりわけ帝国主義との戦ひをしなければならない時代に於いて、わが國の独立の維持とは、武力的拮抗でなければならなかった。欧米近代の国家の侵略による植民地化を跳ね除けるために「富国強兵」政策がとられた。「富国強兵」政策を否定することは出来ない。また、「富国強兵」を実現するために西洋の文物・学問・科学技術を取り入れることも大切であった。

 

しかし、その根底に日本伝統精神・倫理観がしっかりと確立してゐなければならなかった。「和魂洋才」とはかかることを意味したのだと考へる。

 

日本が欧化路線を批判し近代日本が覇道を歩んだと弾劾するのは気分爽快かもしれない。しかし、祖国に生きる者はそれをしてはならない。するべきではない。することはできない。何故かならば、それは萬止むを得ざることだったからである。それは次の一点を見れば明白である。

 

明治新政府は、幕末期に徳川幕府が西洋列強と締結した日本国内に外国の軍隊が一方的に駐留し、裁判も外国人によって行はれるといふ不平等な条約を改正する事を大きな目標とした。明治四年(一八七一)の岩倉使節団派遣の最大目的は不平等条約の改正であった。しかし、維新直後のわが國による平等条約改正要望は列強に全く相手にされなかった。日本が不平等条約を改正できたのは、明治四十四年(一九一一)、日本が日清・日露両戦争の勝利した後だった。日清、日露戦争に勝利した結果、初めて不平等な条約改正ができたのである。

 

弱肉強食・強い者勝ちが冷厳な国際社会の原則であった。それは二十一世紀を迎へた今日でも変ってゐない。西欧列強からの圧迫に対抗して日本の独立を維持しやうといふ意志の表れとしての「攘夷」が、自らを強化するために西欧の科学技術・法制度・思想を輸入してゐるのだといふことを正確に自覚することが出来なかったことが、近代日本を矛盾と不幸の原因だったと考へる。

 

近代日本が、帝國主義国家と対峙しつつ独立国家として自立していくためには、西欧化し近代化し軍備を整へねばならなかった。その道の到達点が、大東亜戦争であった。大東亜戦争は、明治維新以来の攘夷の戦ひの総決算であった。

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千駄木庵日乗三月二十五日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、駒込の六義園に赴き、園内を散策。六義園は、五代将軍・徳川綱吉の信任暑かった川越藩主・柳沢吉保の築園した大名庭園。和歌文化を基調とする「回遊式築山庭園」という。枝垂れ桜が三分咲きであった。春の光の下、風が吹き、きらきらとさざ波を立てる池が美しかった。徳川綱吉及び柳沢吉保は、赤穂事件の処理や「生類憐みの令」などであまり評判が良くないが、尊皇精神は旺盛であったことは確かである。

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六義園の風景

この後、施設に赴き、母に付き添う。機嫌良し。

帰宅後は、原稿執筆の準備、書状執筆。

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2015年3月25日 (水)

第四十九回日本の心を学ぶ会 「議会政治と政党を考える」のお知らせ

統一地方選が近づいてきました。

昨年の地方議員の政務活動費にまつわる疑惑や女性議員へのヤジが話題になったことから、今回の選挙では地方議会のあり方そのものが問われそうです。

また今年始めての安倍政権への評価となる選挙でもあり国政の行方にも影響を与えそうです。

 

地方議会といえども国民生活や国政への影響も大きいことから日本の議会政治の重要な一部をなしていると言えます。

 

そもそも日本における議会政治とは「五カ条のご誓文」に起源を持ちます。

「五カ条の御誓文」とは明治元年(慶応4)に京都・紫宸殿において明治天皇と諸侯、公家が天神地祇の前で誓った明治新政府の基本方針であります。

そして、それは近代日本の大方針を示した国是ともいえます。

 

この中の第一条である「広く会議を起こし、万機公論に決すべし」が議会開設を公約したものと解釈され、自由民権派は議会の開設こそが御誓文の実現であるとして、議会開設を時期尚早とする政府を批判しました。

 

終戦直後の昭和二十一年元旦に渙発された『新日本建設の詔書』の冒頭に「五カ条の御誓文」が示されました。後に、昭和天皇は「民主主義が決して輸入されたものではないことを示す必要があった」と仰せになりました。

 

つまり明治以後の日本の議会政治は西欧の制度をそのまま表面的に輸入したものではなく、日本の歴史・傳統即ち日本國體精神を継承して確立していったものと言えます。

 

しかし、近年の日本の議会政治は十分にその意義が理解されているとは言えません。

 

毎回選挙の投票率はどんどん低下しており、NHKの調査によると今回の統一地方選挙に「関心がある」と応えた人は

19%と前回に比べて11ポイントも低くなっているようです。

このような選挙への関心の低下は統一地方選挙に限らず最近のあらゆる選挙で起こっている現象であります。

 

一票の影響があまりにも小さく、大海の一滴ほどの影響も実感できないことから徐々に政治への関心が薄れていると思われます。このような投票率の低下は議会を特定の勢力への利益誘導機関とすることになりかねません。

 

そこで統一地方選挙が近い三月の勉強会ではあらためて、日本國體精神と議会政治の意義と政党のあり方について考えたいと思います。

みなさんお誘い合わせの上、ご参加ください。

 

今回の勉強会は文京シビックセンター「三階会議室C」で開催になります。

文京区民センターではありません。ご注意ください。

 

【日 時】平 成27年3月29日(日)午後600分より

 

【場 所】文京シビックセンター 三階 会議室C

東京都文京区春日1-16-21 

東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1

都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1

JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

【講 演】

「日本國體と議会政治」四宮正貴氏 四宮政治文化研究所

 

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

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この案内文は主催者が作成したものです。

 

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千駄木庵日乗三月二十四日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、弥生の弥生美術館にて開催中の『生誕一二〇年時代小説の挿絵画家 小田富弥展』及び『竹久夢二と乙女とハイカラライフ展』参観。

この後、池之端を散策。

夜は、地元の友人と懇談。帰宅後は、資料の整理、原稿執筆

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わが國の伝統的倫理観念・國家観の回復が緊急の課題

人間が本然的に持っている相互扶助の精神が発達拡大することにより國家が成立する。人間の小さな利己主義へのとらわれを克服して、國家國民全体の幸福・繁栄・平和を生み出すことが大切である。

 

 國家とは、人と人とがお互いに協力して生活していく共同体であるという本質を忘却し、國家を搾取機構・権力機構としてのみとらえれば、「國を愛する」とか「國に忠誠を尽くす」などという心は起こらない。まして生命を懸けて國を守ろうなどという気は起こらない。 

 

 また、個人の生活が、物質的・経済的条件のみで成り立っているのではなく、精神的信仰的道義的価値が無くしては成り立たないのと同様に、國家もまた決して経済的・物質的・政治権力的機構ではない。精神的・信仰的・道義的共同体である

 

國民の自由と民主的な政治の根底には、それを支える正しき國家観と共に正しき道義観念・哲學が必要である。しかし、わが國民は、戦後日本のいわゆる民主化が進行する過程において、伝統的権威や慣習に制約されることが少なくなった。それだけに、一層自己を統制することが必要である。しかし、今日の日本國民には、正しき國家観を喪失しているだけではなく、正しき道義観・倫理観も持ち合わせていない人が多くなっている。

 

 戦前の日本には、『教育勅語』に集約される正しき道義観があったし、「忠君愛國」「敬神崇祖」という正しき信仰精神があった。しかし戦争に敗北したことにより、それらは全て「軍國主義」「封建道徳」の名を着せられて排撃されてしまった。そしてわが國は道義観なき「自由と民主主義」「個人の尊重」が声高に叫ばれて来たのである。

 

 わが國には「恥を知る」という倫理観がある。「日本文化は名と恥の文化である」と言われるほどに、わが國民は恥をかくことを嫌うし、名がすたること忌み嫌ってきた。恥をかかさせることに何よりも怒りを覚える國民であったし、恥ずべきことはしないことを何よりも重んじてきた國民である。

 

 ところが、今日の若者は浮浪者でも乞食でもないのに平気で地べたに座り込んで話をしたりものを食べている。こういう若者たちを<恥知らず>というのである。若者だけではない。政界・官界・財界のエリートたちも<恥知らず>が多くなってきている。だからわが國近年の外交は屈辱外交を繰り返しているのである。

 

 わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観を回復することが緊急の課題である。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから事は深刻なのである。

 

 家庭においては親たちが子供の鏡となるような生活を営むことが大事であるし、學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。

 

 人間は伝統的な諸価値によって決定される正しい行動の規範に基づいて生活することによって、真の自由と幸福とを得ることができるのである。

 

 混迷の淵にある祖國日本を起死回生せしめるには、戦後民主主義を反省し、わが國の伝統的な國家観と道義精神を回復せしめなければならない。それが文字通り専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去し、わが國國民が真の平和と自由を獲得する道である。

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2015年3月24日 (火)

千駄木庵日乗三月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、北区にある菩提寺に赴き、四宮家のお墓を掃苔。ご先祖の御霊に拝礼。ご冥福とご加護を祈る。住職ご夫妻と懇談。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理。

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祭祀主としての天皇の神聖なる権威が日本國家の安定と統一の基礎である

 わが國の國體は、天皇を中心とした信仰共同体である。祭祀主としての天皇の神聖なる権威が日本國家の安定と統一の基礎である。その信仰共同体としての國を基礎としてその上部に政治機構としての國家が成立した。政治組織・権力機構としての國家の基礎に天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体のとしての國がある。 

 

 政治機構としての國家は法律と権力によって運営される。しかし、その根本に傳統信仰を基礎とした國がある。その祭祀主が天皇であらせられるのである。

 

 現実の國家はそれを構成する國民の私欲の追求によって悲惨な闘争が起こる。それを可能な限り抑制するのは、私欲を超越した無私という倫理性を体現する存在である。わが國においては天皇がそうした御存在である。

 

 信仰共同体國家日本の祭祀の中核は天皇の祭祀である。したがって、日本國家の祭祀主であらせられる天皇は、日本道義精神・倫理観念の体現者であらせられるのである。

 

 肇國以来今日に至るまでわが國の歴史を貫き、将来にも継続する無私の御存在・倫理的存在が天皇である。天皇は、倫理道義の鏡として祭祀主として君臨されている。決して権力や武力によって國を支配しているのではない。権力や武力によって國を支配されるのではないということが、日本天皇の國家統治の御本質である。これは、日本民族の稲作生活から生まれてきた傳統である。

 

 新渡戸稲造氏がその著『武士道』において、「我々にとりて天皇は、法律國家の警察の長ではなく、文化國家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」と論じている通りである。

 

 天皇は、権力や武力の暴走、言い換えると権力者の私欲による権力と武力の行使を制限し抑制される権威をお持ちになる。天皇は権力や武力と無縁の御存在だということではない。むしろ権力や武力に対して道義性を与えられる。中世・近世・近代を通じて武家権力や軍に対してそういうおはたらきをされて来た。

 

 わが國の傳統的倫理・道義は、<神に対する真心の奉仕><神人合一の行事>である祭祀として継承されてきた。日本人の実際生活において行じられる祭祀そのものが倫理精神・道義感覚の具体的な現れなのである。 

 

 明治天皇は、『教育勅語』に示された徳目を、臣民にだけ行じさせるのではない。『教育勅語』には、「朕爾臣民ト共ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と示されている。天皇が道義実践の中心者であらせられる。それが皇祖皇宗から御歴代の天皇に傳えられたわが國皇室の道統なのである。                    

 

 警察庁長官・内閣官房長官を歴任して官僚のトップを極め、さらに政治家としても自治大臣・官房長官・内閣副総理を歴任した後藤田正晴氏は、『日本経済新聞』平成十二年十二月五日号の中央省庁再編に関するインタビュー記事で、「まず大臣という名前を変えたらどうか。だれの臣下ですか?行政の長なんだから『長官』でいい」などと述べた。これは、わが國が建國以来天皇を君主と仰ぐ國であり、「現行憲法」下においても立憲君主國であることを否定した発言である。現代日本の官僚政治家を代表する人物がこのような國體否定の発言を平気で堂々と行ったのである。まさに世も末であり、政治家・官僚の質が低下するのも宜なるかなである。 

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四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十七年四月号のお知らせ

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

 

購読料
年間 12000
半年 6000

 

平成二十七年四月号(平成二十七年三月二十日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

天之御中主神について

 

「天之御中主神」といふ御名は、日本人の壮大な神観・宇宙観を表してゐる

 

天之御中主神が神社に個別的な御祭神として祭祀されることが少なかった理由

 

日本の神々の御本質は神名に明らかに示されてゐる

 

「天地初発」とはいかなることか、「時」とは何時のことか

 

「神話」とはいかなるものか

 

祭祀とは

 

日本神話に星の関する物語が無く、星の神が登場しない理由

 

日本伝統信仰は一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)と多神教を融合調和せしめる

 

千駄木庵日乗

村井友秀防衛大學教授「集団的自衛権で何を守るのか。世界の公共財・世界の安全・世界の秩序・自國の安全を守る。世界の秩序を守ることは自國の安全を守ることになる」

 

ロシア科學アカデミー中東紛争分析センター長・アレキサンダー・シュミリン氏「民主主義國の統治者は國民に対して誤ったビジョンを押し付けることはできない。専制主義國家は権威がマスコミを支配し統治者の解釈を上から國民に押し付ける。中東における一連の出来事に対する見方は國内の政治體制によって押し付けられる」

 

ブルース・ストークス(ビュー・リサーチセンター國際経済世論調査部門ディレクター)「日本はアメリカにとって一番大事。日米関係は最も重要な関係。中國にどう対応するかが問題。日米は緊密に連携していく必要あり」

 

 

この頃詠みし歌

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2015年3月23日 (月)

池田維元交流協会台北事務所代表による「台湾統一地方選挙」と題する講演内容

〇十二月二十日開催された『アジア問題懇話会』における池田維元交流協会台北事務所代表による「台湾統一地方選挙」と題する講演内容は次の通り。

「シンポジウム出席のため先週一週間台湾に行った。最初のシンポジウムは民進党系シンクタンクとアメリカのシンクタンクの共同シンポジウム。二回目のシンポは国民党系も含めたシンポ。台湾に大きな変化が起こりつつある。今回の地方選挙で国民党は惨敗した。台湾の北の方は伝統的に国民党系地域。北でも民進党が躍進した。県庁・市長ポストが、国民党が十五から六になり、民進党は六から十三になった。

 

台北市長は無党派の柯文哲氏が当選。李登輝・馬英九の二人の総統は台北市長を経験。柯文哲氏は台湾大学医学部教授。行政手腕は未知数であるが、選挙戦で彼が傑出していることを印象付けた。民進党に近いが一線を引いている。父親は日本時代に小中学校の先生。日本に関心を持っている。二二八事件で祖父が犠牲になった。

 

台湾の中国への経済的依存度を減らすためTPPへの台湾加盟を支持すべきである。日台間のFTA(自由貿易協定)を締結すべし。集団的自衛権容認の意味を台湾海峡有事にも適用。台湾海峡・東支那海で武力衝突が起こったら米軍を側面的に支持する。民進党にとって大事なことは、アメリカとの意思疎通を図ること。陳水扁政権は、アメリカとの意思疎通が悪かった。アメリカとしては台湾海峡で緊張が生じない方が良いから、アメリカはどちらかと言うと国民党が良いと主張する傾向がある。しかし、これだけの国民党大敗の民意を無視できない。

 

選挙の後、民進党関係者にも北京から接触がある。中国は中国なりに困っている。これからは台湾と中国の我慢比べ。先に忍耐心を失った方が負け。台湾の交通標語は『距離を保って安全を図る』。これは対中国関係にも適用できると言う人がいる。中国は、次の総統選挙の前に工作をして来ると言う人がいる。しかし中国が具体的に何かができるかは選択肢が限られている。これだけ国民党が大敗したので、このまま国民党を支持し続ければ、民進党が政権を取ったら、ゼロから始めねばならない。今の台湾の大きな流れを中国が変えることは出来ないと思う。

 

国民党のプリンスと言われていた人物である朱立倫のイメージが傷ついた。今回の地方選挙の結果で馬英九政権はレームダックした。

 

日本は長い間台湾にコミットして来た。清朝の台湾支配と日本の台湾統治とは異質。日本が台湾統治を開始した時、台湾人の六人に一人はアヘン中毒。日本のインフラ以外でも台湾に貢献。

 

民進党は『俺が俺が』で団結しない。蔡英文が総統選で一番有利。『前総統を二年間も牢屋に入れておいていいのか。病院に移せ』という議論が起った。中国が台湾独立を認めることは無理。中国が武力を使う可能性があることを前提として考えるべし」。

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千駄木庵日乗三月二十二日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、原稿執筆、書状執筆など。

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2015年3月22日 (日)

萬葉古代史研究會

四宮正貴が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 四月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区南大塚地域文化創造館

東京都豊島区南大塚二-三六-一 ☎〇三-三九四六-四三〇一 「東京メトロ 丸ノ内線 新大塚駅」一番出口より徒歩八分。JR山手線 大塚駅」(南口)より徒歩五分。「都電荒川線 大塚駅前駅」より徒歩五分。都バス「大塚駅」停留所より徒歩五分 (都〇二、上六〇)

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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日本人の倫理・道徳の根本とは

わが國においては、私心をなくして天皇にお仕えすることが日本人の理想の姿として傳えられてきた。天皇に私心なくお仕え申し上げる心を汚れのない「きよらけき心」、暗いところのない「あきらけき心」、別の言葉で言えば、「心の清さ・いさぎよさ」が尊ばれた。これを「清明心」という。

 

日本人は「あいつは悪人だ」といわれるよりも、「あいつは汚い奴だ」と言われることを嫌がる。

 

「清明心」は記紀の神代の巻特に天照大神と須佐之男命が会見されるところに多く出てくる。天照大神は須佐之男命にその心の正しく清らかなことを知りたいとおぼし召されて、「然(し)からば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にして知らまし」と仰せになられた。

 

「清明心」の体現者が須佐之男命であらせられ日本武尊であらせられる。「清明心」は、記紀の世界では須佐之男命の御精神であり日本武尊の御精神である。

 

日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。「私」を去り「我」を没することを大切にしている。

 

清明心即ち「あかき心」「清き心」は仏教や儒教が輸入される以前からわが民族のあるべき心とされてきた。その無私の精神・清明心を体現されるお方が天皇であらせられる。それは長い歴史の流れの中で自然につちかわれてきた傳統なのである。天皇が地上における神の御代理即ち現御神であらせられるということは、天皇が無私・無我となって神を祭られる祭祀主であらせられるということである。 

 

この日本民族の傳統的倫理観念の精髄たる「清明心」は、古代においては『宣命』(宣命体で書かれた詔勅)における「明き浄き直き心」、中古においては「もののあはれ」、中世においては「正直」、近世においては「やまとたましひ」として受け継がれてきた。これは別の言葉で言えば、「捨心無我」であり、岡潔氏の言った「日本的情緒」である。

 

大君の命(みこと)かしこみ磯に觸(ふ)り海原を渡る父母を置きて

 

これは『萬葉集』の防人・助丁丈部造人麻呂(すけのよぼろせつかべのみやつこひとまろ)の歌である。「大君の御命令を謹み体しまして、任務を果たすために、危険な荒磯の間をぬって海原を渡っていきます」といふほどの意である。

 

天皇への忠義の心と親を思う心を深く切に歌っている。この忠孝精神即ち「君に忠・親に孝」の精神こそが日本人の倫理観の基本である。忠孝精神とは、天皇と親に対し真心を尽くしてお仕え申し上げるということである。

 

神話時代・萬葉時代からの道統である忠孝精神は、幕末において強く発現し開花した。そして明治維新の原動力になった。

 

水戸藩士にして幕末勤皇論に大きな影響を与えた會澤正志斎は、その著『新論』において、「君臣之義、父子之親」という二つの徳目を重大視し、あらゆる人間の道はこの二つの徳目の上に立つと論じた。そして肇國以来の皇國の道は忠孝の道にほかない、天祖の神勅も、祭政一致の傳統も、忠孝の道を説いていると述べ、「忠孝ヲ以テ國ヲ建ツ」と論じた。會澤正志斎は「忠孝」を國體の精神の根本としたのである。

 

江戸後期の尊皇思想は、儒教の大義名分論の影響もあったが、その根本は神代以来のわが國の傳統を継承したものであった。わが國の傳統精神は外来の仏教思想や儒教思想を包容摂取してわが國の國體精神・傳統信仰と融合せしめたのである。     

 

さらに明治の御代になると、明治天皇は、欧化の風、知育偏重の教育を憂いたまい、日本の教育精神・倫理の根本は「忠孝精神にある」との大御心によって『教育勅語』を渙発あそばされた。 『教育勅語』には、「…我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」と示されている。 

 

親の恩愛を感ずる者が、天皇をお慕いする勤皇のまごころを持つ。親は、子に生命を与えてくださった方である。そしてその生命は溯っては祖先、くだっては子孫へと続いている。生命の連続とは単に肉体と血液の連続ということではない。慈愛の継承であり、心のつながりである。

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千駄木庵日乗三月二十一日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』発送作業。

午後、発送完了。購読者の皆様には、週明けにお届けできると思います。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2015年3月21日 (土)

『横山大観と近代日本画の巨匠たち展』参観記

今日参観した『横山大観と近代日本画の巨匠たち展』は、「その生涯をかけて新しい日本画の創造を担ってきた近代日本画の巨星、横山大観。京都画壇の大立者として四条派に諸派や洋画の研鑽までも加えて独自の画風を確立した、竹内栖鳳。そして奇しくも栖鳳の師である幸野楳嶺、大観の師である橋本雅邦の両名に師事し、自然と人の営みを漂う詩情のもと描いた川合玉堂。この三人は、近代の日本画壇において、まぎれもなく重要な役割を果たした巨匠と呼べるでしょう。さらに見逃せないことは、彼らに薫陶や影響を受けた後輩・門下たちが次の日本画壇の中核となっていったことです。今回の展示では、横山大観をはじめ新たな日本画の創造と開花に取り組んだ、近代日本画壇の巨匠たちの佳作をご覧いただきます」(案内文)との趣旨で開催された。

 

横山大観《白鷺ノ図》《大正大震災火災》《葵》・下村観山《竹林賢人》・木村武山《光明皇后》・安田靫彦《春雨》・小林古径《平重盛》・小茂田青樹《四季花鳥》・上村松園《惜春之図》・速水御舟《梅花馥郁》・伊東深水《美人図》・荒木十畝《秋江水禽図》・川合玉堂《渓村秋晴》などが展示されていた。どれも美しく、見事な作品であった。私は、日本画が好きで、大観・玉堂・松園の作品は特に好きである。大観の《大正大震災火災》は小さな作品であるが、紅蓮の炎が帝都を焼いている様子が描かれていた。五重塔が遠景になっているが、大観の住まいが池之端であったことを考えれば谷中天王寺か浅草寺であろう。同じく《葵》という作品は、水戸徳川家当主徳川光圀によって開始され、光圀死後も水戸藩の事業として二百数十年継続し、明治時代に完成した『大日本史』全十七巻が(神武天皇の御代から後小松天皇の御代までの史書) 昭和四年に大日本雄弁会講談社から刊行された時、装幀に描かれた絵である。横山大観は水戸出身で、水戸藩士・酒井捨彦の長男として明治元年生まれた。日本近代を代表する尊皇愛国の大日本画家である。上村松園の美人画はとても美しく品格がある。美人画は多くの画家によって描かれているが私は松園の作品が一番好きである。

 

講談社は、その発祥の地が、私が今住んでいる千駄木三丁目(当時の町名は駒込坂下町)であるので、親しみを感じている。発祥の地は今講談社の社員寮になっている。幼少の頃講談社発行の偉人伝や英雄伝をよく讀んだ。近所に講談社に勤めている人がいたので少し割引きで買う事が出来た。また今は、「講談社学術文庫」の本の多く持っている。

 

講談社は、戦前は私設文部省と言われるくらいに、青少年向けの書籍を発行し大発展を遂げ、駒込坂下町から音羽に移転した。野間記念館は、講談社の創業者・野間清治が、大正期から昭和初期にかけて収集した美術品を主体とする「野間コレクション」である。また建物も野間邸跡と聞いている。目白の椿山荘の隣にある。

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講談社野間記念館の庭

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千駄木庵日乗三月二十日

午前は、諸雑務。

午後は、文京区関口の講談社野間記念館にて開催中の「横山大観と近代日本画の巨匠たち展』参観。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆の準備など。

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2015年3月20日 (金)

日本民族の道徳的規範は「尊皇」「敬神」「忠孝」

人間が共同生活をしていくには倫理・道義がなくてはならない。人間生活には倫理が常に働いている。洋の東西、時の今昔を問わず、人間は道徳的規範にしたがって理想を設定し、それに向かって一歩か一歩進んでいくことが正しき生き方であり生活であると信じる。今日及び将来においてもそのことに変わりはないし変わってはならない。

 

その道徳的規範とは一体何か。それはわが民族においては古代から今日に至るので綿々と継承されてきた「尊皇」「敬神」「忠孝」という倫理観念である。

 

倫理・道徳は世界的に共通する普遍的なものであるが、しかし道徳的規範の現れ方はグローバリゼーションに時代と言われる今日においても、各民族・各文化によって異なる。

 

わが國の傳統的倫理精神は、日本民族の暮らしの中から自然に生まれてきたものである。日本民族の暮らしとは、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体の農耕生活である。生活の中から生まれた自然な道徳観が尊皇敬神の心なのである。

 

天皇及び皇室は日本の傳統文化・傳統的倫理精神の体現者・継承者であらせられる。そして御歴代の天皇は常に民を思い、民の幸福を祈られてきた。

 

ゆえに、日本の傳統的倫理精神・傳統文化の鏡であらせられる。そして、建國以来日本國の祭祀主として君臨してきた天皇及び御皇室を尊崇する心即ち尊皇の精神が、わが國倫理精神の基本である。

 

それは、特定の聖人や預言者という個人が説いた教義としての倫理ではない。これが日本の傳統信仰と儒教やイスラム教やユダヤ教や仏教との決定的な違いである。

 

神人合一が日本人の理想であり祭祀は神人合一の行事 神に真心を込めてお仕え申し上げることが「祭りの心」である。神と人間が心と行動において一体となること即ち神人合一が日本人の理想である。祭りとは神人合一の行事である。

 

『神社本庁敬神生活綱領』には、「世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと」とある。神と天皇に仕える心即ち自分たちの生活そのものを神の心天皇陛下の大御心を実現していくという生活が、わが國の理想的な倫理観念である。

 

「みこともち」とは、神や天皇の御言葉・御命令を持しそれを地上において実現することである。それが日本民族の倫理精神の基本である。神の御命令で最も大事ものは『天壤無窮の御神勅』である。

 

『天壤無窮の御神勅』とは、天皇の御祖先である邇邇藝命が高天原から地上に天降られる時に、天照大神から下された御命令(御神勅)である。

 

それには、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の靈統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう、といふほどの意)と示されている。 

 

さらに、「吾が高天原に所御(きこしめす)斎庭の穂(いなほ)を以ちて、また吾が兒(みこ)に御(まか)せまつるべし」(私の高天原に作っている神に捧げる稲を育てる田の稲穂を私の子に任せよう、といふほどの意)といふ御命令を下された。

 

この御命令を國民の立場から扶翼(神からの御命令を天皇が実行されることをおたすけすること)によって、日本國の永遠の隆昌をはかることが、我々日本國民の倫理の基本である。

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千駄木庵日乗三月十九日

午前は、諸雑務。

昼は、近所のレストランにて、若き友人の方(うち一人は二松学舎大学の後輩)から小生の六十八歳の誕生日を祝っていただく。有り難し。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆。

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2015年3月18日 (水)

『アジア太平洋交流学会』における王明理台湾獨立建國聯盟日本本部委員長の講演内容

昨年十二月十三日に開催された『アジア太平洋交流学会』における登壇者の発言は次の通り。

 

久保田信之氏「国民党は終戦後、日本が残した資産を台湾のためではなく国民党のものにした。世界一豊かな政党が国民党。台北市長選挙で国民党が敗北。王明理さんのお父さんは、台湾は中国の一部ではないという運動をしていた。王明理さんは父上の遺志を継いで台湾独立聯盟日本本部委員長をしておられる。ひまわり学生運動は中国の強引な政策に対して立ち上がった整然とした運動」。

 

 

王明理台湾獨立建國聯盟日本本部委員長「私は両親が台湾人。日本で育った。父は台湾から亡命し、台湾独立運動を行い、台湾に帰ることができなかった。台湾独立を目指す台湾青年社を結成した。中華民国体制からの脱却を目指した。国民党一党独裁の打倒も目指した。それはある意味では目標を達成した。しかし、台湾は主権独立国家になっているのに、中国の圧力によって国際的に認められていない。二十二か国以外は台湾と正式な外交関係を持っていない。ユネスコなどに入ることができない。国際的に認知されることを目的にして台湾独立運動をしている。

 

『九合一選挙』(昨年1129日に台湾で実施された統一地方選挙。六大直轄市長をはじめ9つのレベルの選挙が同時に行われるためとこう呼ばれ。2016年に予定されている総統選挙の前哨戦と位置づけられているため、事実上、国政選挙並みの盛り上がりを見せた・注)では立法院選挙・総統選挙以外の全ての選挙をした。高雄市の投票率は六八%。選挙への関心が強い。若い人が熱心。戸籍知でしか投票できない制度なので、大学生・サラリーマンは選挙の時に故郷に帰らねばならない。学生たちはバスをチャーターして故郷に帰って投票した。交通費を出す大学もあった。『自分の故郷は自分で救おう』という幟を作った。大人たちはそれを見て感激し意識を高めた。人民が勝利し、国民党が大敗した。台湾の民主主義は日本に追いつこうとしている観あり。馬英九は国民党主席を辞任した。

 

台湾の選挙は歴史が薄い。李登輝先生が総統になって民主化した。中共はミサイルを撃ったが逆効果なにって、李登輝氏が選出された。中共は二千発のミサイルを台湾に向けている。台北市長台北市長に柯文哲氏が当選。医者が国民党のエリートに勝った。国民党の候補は連戦の息子の連勝文。中国の太いパイプあり。柯文哲氏は民進党の応援を断った。ひまわりの人たちが参謀になって選挙を戦った。余った選挙資金を病院関係に寄付した。柯文哲氏は『透明性のあるオープンな政治をやりたい』と言った。

 

原住民は何故国民党寄りなのか。十六種族それぞれ言語が異なる。横のつながりはなく、他の部族と闘争して来た。いまだに日本語を話す。平地の台湾人への恨みが深い。国民党はそれを利用した。二二八の時も山地の人たちは関係なかった。民進党の力が及んでいない。

 

台湾の女性は強い。その面では日本より進んでいる。移民の国は女性の数が少ないので、大事にされ、女性が強くなる。

 

中国は台湾を併呑しようとしている。中国と結託している国民党への『ノー』が今回の選挙。『海峡両岸サービス貿易協定』(海峡両岸におけるサービス貿易制限を解除し、マーケットを互いに開放し、貿易の自由化に達することを目標とする協定・注)により中国人労働者が台湾に入って来る。メディアも中国に取られてしまう事への『ノー』。中国に台湾を売り渡すことに反対した。政府の傾中態度に対する国民の意思表示。若者たちは一党独裁の中国に台湾を売り渡してはならないと考えた。

 

ひまわり学生運動に外省人・台湾人の区別はない。二・三世の人たちは自分の故郷は台湾であるという意識。台湾語を使い。台湾の歌を歌い、台湾人の若者と仲が良い。民主主義は守らねばならないという考え。若者が中高年世代を説得。民度の高い国になって来ている。香港の学生運動の影響あり。中国の一国二制度が嘘であることが明らかになった。自治区とは名ばかり。香港の学生運動が排除されたのは、中国が台湾選挙への影響を恐れたから。連戦・郝柏村などの国民党重鎮は老齢化。息子はドラ息子。台湾人は自分たちがしっかりしなければならないことに目覚めた」。

 

澁谷司氏拓殖大学教授「国民党敗北の最大の理由は、台湾の経済が悪いこと。成長率が伸びていない。馬英九と王金平の仲が悪い。国民党は事実上分裂。メディアの八割は国民党系。しかし学生はネットを見る。フェイスブック、ツイッターを見ることによって自由なものの見方になっている。国民党の洗脳ができなくなった。香港で学生がいじめられている実態を見て、若者たちは国民党に投票しなかった。また学生には買収は効かない。若者の失業率が高い事への不満。総統選では蔡英文が当選してほしいが、立法院選挙・国政選挙は意外と国民党に有利。民進党は政党らしくなってほしい。台湾・韓国は中国と付き合うようになって経済が悪化した。ドイツも然り。マイナス成長になっている。中国と付き合うと経済が駄目になるというのが世界の常識。中国が武力統一をしようとしたらアメリカが出てくる。プラスワンの日本はどう台湾を助けることができるのか。安倍政権が続く限り台湾は少し安心」。

 

          〇

 

千駄木庵主人曰く。王明理さんは、台湾獨立運動の指導者、故王育徳先生の令嬢である。小生は、王育徳先生には、生前色々とご指導をいただいた。王育徳先生の兄上は「二・二八事件」で国民党政権によって逆殺された。王育徳先生は、日本に亡命され、日本で台湾独立運動に挺身された。台湾が民主化される前に逝去されたので、ついに台湾に帰国することができなかった。あと二、三年長生きされていたら、いわゆる「台湾民主化」が実現して。故郷にお帰りになることができたと思うと本当に残念である。どんなにお帰りになりたかったことであろうか。王育徳先生は、六十一歳にてお亡くなりになったとのこと、私が六十八歳であることを考えると、余りにも早すぎた。私よりも七歳も若くして亡くなられたことに深い悲しみ覚える。お会いして色々お教えいただいた時は、王先生は今の私よりお若かったのである。思い出すのは、私がある新聞の記者をしていた時、銀座の住宅印刷に度々校正に行った。或る日、そこに王先生は「台湾人元日本兵士の戦後補償問題を考える会」の機関誌の校正にたった一人で来ておられた。原稿の字数が多くて、なかなか紙面に入りきることができず、苦労しておられた。そして私のぽつりと申された。「これは本当は日本人がやるべき事なのだよ」と。私はそのお言葉を聞いた時、本当に胸が痛くなった。今でも昨日のことのように思い出される。王育徳先生は、今日、王明産さんが台湾独立建国聯盟日本本部委員長として頑張っておられることをどんなにか喜んでおられることであろうか。王育徳先生のご冥福を心よりお祈りする。

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千駄木庵日乗三月十八日

朝は、諸雑務。

午前十一時より、ラフォーレミュージアム六本木にて、『深見東州バースデイ個展・大英博物館街宣個展』開幕式開催。八代英太氏が司会。次の方々が祝辞を述べた。

亀井静香氏「神様でも無理をしては駄目。深見先生はジャンルを超えた方。レオナルド・ダ・ヴィンチの再生ではないかとさえ思う。シャガールの域を超えている。深い感性に基づいて大勢の人々を素晴らしい境地に導いている。日本の文化伝統をしっかり踏まえている。神道は排他的ではない」。

小沢一郎氏「私は絵画書道の才能が全くないのでよく分からない。しかし深見先生の作品には何となく感動させるものがある。何の分野でも才能を発揮している。健康に気をつけてあらゆる活躍をして多くのファンを感動させて下さい」。

鳩山邦夫氏「深見先生はレオナルド・ダ・ヴィンチの再来。自らを律してこういう境地になっておられる。久留米の石橋美術館にある青木繁の作品が東京のブリヂストン美術館に来てしまう。久留米には深見氏の作品を置きたい。先生の宗教の力で宇宙人を人間に戻して下さい」。

鈴木宗男氏「深見先生、若くなる秘訣を教えて下さい。オンリーワンの深見先生であってほしい」。

海江田万里氏「深見氏は天才を超える鬼才」。

平沢勝栄氏「私が書くのは恥だけ。選挙に立つなら書道とダンスは勉強しておいた方が良いと言われた」。

 

そして、深見東州氏が次のように挨拶した。「奇人とは才能のある人。変人とは個性のある人。怪人とは人間と仙人の間にある人。鬼才と言われたのは初めて。大英博物館に展示された私の水墨画と書の作品は、黒と白の色彩で、陰と陽を表現。書は線の質、形のバランス、気と余韻が大切」。

 

この後、テープカットが行われた。

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テープカット風景

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人として小生がスピーチ。

帰宅後は、原稿執筆。

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ロシアという侵略国家が、いざと言うときには、核兵器を使う国であることが明白になった

鳩山由紀夫氏はロシアによるクリミア併合問題で「(クリミアの・注)直接住民の意思を確認し、編入の是非について判断してゆく」「民主的に行われた住民投票により領土問題が解決したことは、世界史上、画期的な出来事だ」と言った。

 

これは、一見合理的で民主的な考え方のように思えるが、侵略を正当化させる実に危険な議論である。

 

こうした議論は、ロシアが北方四島に今住んでいるロシア人による「住民投票」とやらを行って、住民がロシア帰属に賛成したとして、北方四島の領有を宣言することを許してしまう。共産支那が自国民を尖閣や沖縄に大挙上陸侵入させて「住民投票」とやらを行い、尖閣・沖縄の領有を宣言することを許すことになる。韓国が竹島を不当に占拠している兵隊たちに「住民投票」とやらをやらせて、竹島の領有を宣言することを可能にする。

さらにロシア・プーチン大統領は、これまでクリミアの編入について、20143月の住民投票を受けたものとしていたが、プーチン大統領は315日に放送されたロシア国営テレビの番組で、ロシア寄りのヤヌコビッチ政権が崩壊した20142月の時点で、すでに編入の方針を決めていたことも明らかにした。

 

プーチン大統領は、クリミアの併合を決めたのはウクライナの政変の直後で、クリミアに駐留するウクライナ軍を武装解除させるため、「軍の参謀本部の特殊部隊や海兵隊を派遣していた」と述べた。プーチン大統領はこれまで、「住民投票の結果を受けて編入を決めた」としてきたが、この説明を事実上覆し、軍事力も利用してロシアに併合する方針だったことを認めたのである。

 

つまり「住民投票」は、クリミア編入を正当化する手段にすぎなかったのである。しかもプーチンは、併合に際して、軍に核戦力の準備を指示していたことを明らかにした。

 

共産支那によるチベット侵略支配・内モンゴル侵略支配・東トルキスタン侵略支配は、多数の漢族をチベットや東トルキスタンに移住させることによって実現した。これまでの他国の領土の奪取、侵略の口実に「住民の意思」「住民投票」が利用されてきたのである。

 

こうしたロシアによる武力侵略を事実上擁護したのが鳩山由紀夫氏の今回の訪問と発言である。しかも鳩山氏は、ロシア政府高官に会見したにもかかわらず、わが国固有の領土北方領土(南樺太全千島)返還を要求しなかった。少なくとも「要求した」という報道はない。また、シベリアにおける日本人大虐殺に強く抗議すべきでしたが、そうしたことは報道されていない。

私達は、ロシアの侵略国家としての本質を見抜き、今回の鳩山氏の言動を厳しく批判するとともに、断乎として領土奪還の運動を展開していくべきである。さらに、ロシアという侵略国家が、いざと言うときには、核兵器を使う国であることが明白になったのである。ロシアと国境を接し、領土を奪われているわが国は、ロシアからの核攻撃を抑止するために、核武装をしなければならない。核武装こそが、自主防衛体制の確立である。

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千駄木庵日乗三月十七日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理、明日のスピーチの準備。

                      ◎

 

小生の六十八歳の誕生日に際しまして、まことに多くの方々からご祝詞を頂戴いたし、感激致しております。本当に有難うございました。心より感謝申し上げます。ご祝詞を賜りましたお一人お一人にお礼を言上致すべきですが、略儀ながら、この文章を以て御礼のご挨拶に代えさせて頂きます。皆様方のお心を体しまして、今後より一層、言論活動に精励させていただきます。何卒、よろしくご指導ご鞭撻のほど、伏してお願い申し上げます。

四宮正貴 頓首合掌

 

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2015年3月16日 (月)

三井甲之氏と寺山修司氏の歌について

 

戦後七十年にわたって、國のために身を捧げるとか、天皇に忠節を尽くすという精神を否定されてきた。その結果が今日の体たらくである、と私は思う。

 

 

 

 戦後を代表する歌人の一人とされる寺山修司は、

 

 

 

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖國はありや

 

 

 

 と歌った。この歌は『祖國喪失』と題された一連の歌の冒頭の一首である。寺山氏は祖國を喪失していたのであろうか。あるいはそうかもしれない。しかし、祖國は永遠である。いかに本人が否定し、喪失したと思っていても、否定することも喪失することもできない存在が祖國である。

 

 

 

 また、祖國を永遠たらしめるために多くの人々は祖國のために身を捨て命を捧げたのである。それは大東亜戦争において最前線で散っていった兵士たちも、そしていわゆる「戦争指導者」として戦後批判された人々も同じである。

 

 

 

 多くの若者たちは海を越えて戦地に赴いた。そして、敵に沈められた輸送船に乗っていた兵士たちも、敵艦に体当たりすることができずに死んでいった特攻隊員も、海の底に沈んでいる。小生は寺山氏の「海に霧ふかし」という言葉にそういうことを連想した。

 

 

 

 石田圭介氏は、この寺山氏の歌について、

 

「このものいひは軽い。『身捨つるほどの祖國はありや』など、軽々に言へたものではないといふのが、私の率直な感想である。祖國は豊かであらうが、貧しからうが、どんなであらうが、親國であり、帰るべき所であり、絶対に護らねばならないものである。ありやなしやなどと問はるべき存在ではない。この歌がいつどこで作られたのか確かめてはゐないが、要するに平和な時と所で作られた歌であることには違ひない。ここには身に迫った危機感は存在しない。極論するならば、言葉のあそびといってよからう。言葉のあそびも歌の一つの領域だからそれを全く否定するものではないが、祖國といった重い存在を手玉にとるのはやはり慎まれる。……ことばの遊びは、なるほどと思はらせればそれで終わりである。……やはり歌の本道は述志にある……」(『評論集・続歌徳』)と論じておられる。

 

 

 

 野村秋介氏は、平成五年十月二十日朝日新聞社で自決された時の遺書『天の怒りか地の声か』において、

 

 

 

「私は寺山修司の『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖國はありや』という詩と十数年にわたって心の中で対峙し続けてきた。そして今『ある!』と腹の底から思うようになっている。私には親も妻も子も、友もいる。山川草木、石ころひとつに至るまで私にとっては、すべて祖國そのものである。寺山は『ない』と言った。私は『ある』と言う。…」と述べておられる。

 

 

 

 寺山氏は昭和十年生まれで、終戦の時、十歳であった。野村氏と全く同い年である。野村氏は、「身を捨つるほどの祖國はある」と信じ、祖國再生の祈りを込めて自決を遂げられた。

 

 

 

 寺山氏は「身捨つるほどの祖國はありや」と歌い、祖國を否定しようとしたのである。しかし、石田氏のいわれる通り、祖國とは「絶対に護らねばならないもの」であり「ありやなしやなどと問はるべき存在」では絶対にない。

 

 

 

 この寺山氏の歌と対極にある歌が三井甲之氏の

 

 

 

ますらをのかなしきいのちつみかさねつみかさねまもるやまとしまねを

 

 

 

であると論じた人がいる。どなたであったか今は思い出せない。

 

 

 

 多くの先人たちは祖國日本は永遠のものと信じ、祖國のために貴い生命が捧げられたのである。また、そういう祖國を身を捧げる人々がおられるからこそ祖國は永遠なのである。尊いのである。三井甲之氏はそのことを歌っているのだと思う。

 

 

 

 小生は學生時代、何かの會合で、神道學者の中西旭先生がしみじみとこの歌を詠じられたのを聞き、非常に感激した。

 

 

 

 三井甲之は、明治十六年(一八八三)、山梨県甲府に生まれた。昭和二十八年(一九五三)に亡くなった。一高を経て東大國文科を卒業。昭和三年(一九二八)、『シキシマノミチ會』を結成した。山梨県中巨摩郡敷島町長塚に住居があった。

 

 

 

 三井甲之は、伊藤左千夫門下であり、斎藤茂吉と同時代の人である。茂吉とはお互いに強く意識し合った仲であったという。しかし、今日、三井甲之のことはあまり高く評価されていない。というよりも無視されている。小生の持っている近代短歌に関する書籍(歌集・研究書・短歌辞典)にも殆ど取り上げられていない。

 

 

 

山梨県中巨摩郡竜王町篠崎の山県神社の神域に三井甲之氏のこの歌の歌碑が建立されている。

 

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千駄木庵日乗三月十六日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、「伝統と革新」編集の仕事、原稿執筆、書状執筆。

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第四十九回日本の心を学ぶ会 「議会政治と政党を考える」

統一地方選が近づいてきました。

昨年の地方議員の政務活動費にまつわる疑惑や女性議員へのヤジが話題になったことから、今回の選挙では地方議会のあり方そのものが問われそうです。

また今年始めての安倍政権への評価となる選挙でもあり国政の行方にも影響を与えそうです。

 

地方議会といえども国民生活や国政への影響も大きいことから日本の議会政治の重要な一部をなしていると言えます。

 

そもそも日本における議会政治とは「五カ条のご誓文」に起源を持ちます。

「五カ条の御誓文」とは明治元年(慶応4)に京都・紫宸殿において明治天皇と諸侯、公家が天神地祇の前で誓った明治新政府の基本方針であります。

そして、それは近代日本の大方針を示した国是ともいえます。

 

この中の第一条である「広く会議を起こし、万機公論に決すべし」が議会開設を公約したものと解釈され、自由民権派は議会の開設こそが御誓文の実現であるとして、議会開設を時期尚早とする政府を批判しました。

 

終戦直後の昭和二十一年元旦に渙発された『新日本建設の詔書』の冒頭に「五カ条の御誓文」が示されました。後に、昭和天皇は「民主主義が決して輸入されたものではないことを示す必要があった」と仰せになりました。

 

つまり明治以後の日本の議会政治は西欧の制度をそのまま表面的に輸入したものではなく、日本の歴史・傳統即ち日本國體精神を継承して確立していったものと言えます。

 

しかし、近年の日本の議会政治は十分にその意義が理解されているとは言えません。

 

毎回選挙の投票率はどんどん低下しており、NHKの調査によると今回の統一地方選挙に「関心がある」と応えた人は

19%と前回に比べて11ポイントも低くなっているようです。

このような選挙への関心の低下は統一地方選挙に限らず最近のあらゆる選挙で起こっている現象であります。

 

一票の影響があまりにも小さく、大海の一滴ほどの影響も実感できないことから徐々に政治への関心が薄れていると思われます。このような投票率の低下は議会を特定の勢力への利益誘導機関とすることになりかねません。

 

そこで統一地方選挙が近い三月の勉強会ではあらためて、日本國體精神と議会政治の意義と政党のあり方について考えたいと思います。

みなさんお誘い合わせの上、ご参加ください。

 

今回の勉強会は文京シビックセンター「三階会議室C」で開催になります。

文京区民センターではありません。ご注意ください。

 

【日 時】平 成27年3月29日(日)午後600分より

 

【場 所】文京シビックセンター 三階 会議室C

東京都文京区春日1-16-21 

東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1

都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1

JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

【講 演】

「日本國體と議会政治」四宮正貴氏 四宮政治文化研究所

 

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

             〇

この案内文は主催者が作成したものです。

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台湾人元日本兵の文章及び遺詠を拝読して

台湾人日本兵の中には戦犯として処刑された方もいる。昭和二十三年六月二十三日、蘭印(現インドネシア)グロドックにて殉難した陸軍軍属・董長雄氏(日本名・玉峰長雄氏)は、次のような辞世と遺書を残した。

               〇

「本職は台湾人である。そして國家の所属が変っても、本職は日本軍人として死んでいき度いのである。若し此の裁判が『正義の爲』と言はずして報復と呼稱せば本職は死刑にされても何をか言はむ。そして刑務所内に於ける彼等が我々に対する虐待は如何、特に平和時に於てである。何が正義! 何が裁判だ!」(『大東亜戦争殉難遺詠集』)

 

「                           陸軍軍属(通訳) 玉峯長雄命 台湾名董長雄

昭和二十三年六月二十二日 ジャワ、バタビア、グロバックにて法務死

          台湾高雄州潮州郡枋山庄楓港出身 

          ジャワボコール第十六軍憲兵隊所属

 

 前略 本職は台湾人である。あるが故に一身を捧げ妻子を犠牲にして法廷に於て最後の一線を守り、そして散るのである。日本のためを思って終始一貫の信念を守って戦ったのである。そして國家の所属が変っても、本職は日本人として死んでいき度いのである。

 若しこの裁判は「正義のため」と言はずして「報復」と呼称せば本職は死刑にされても何をか言はむ。何が正義だ! 何が裁判だ!                   

 最後の御願ひに将来大日本帝國が復興せば、どうか本職の一子董英明を政府に於て日本教育を恵み給はらん事を御願ひ申し上げます。

 昭和二十三年二月十九日

                          於チビナン刑務所死囚房 玉峯長雄

 

  遺詠

惜まれて吉野の花の散るごとく散らましものをますらを吾は

たはけ奴の 撃つ十發は 男の子吾が 胸板貫くとも まことは貫けじ

 

             〇      」

 台湾人にして、かくほどに純粋なる大和魂を体得し刑死せられた方の遺書に、涙を禁じ得ない。我々は台湾人への感謝と信義を忘却してはならない。しかるに亡国野党そしてマスコミ・経済界などのやっていることは何か。日本や台湾そしてアジア諸国を軍事的に恫喝し侵略しようとしている支那共産政府に媚を売ることばかりではないか。靖國神社問題にしても台湾に対する姿勢にしても、まさに日本は未だに真の独立を回復していないことを証明するのである。

 

「裁判は『正義のため』と言はずして『報復』と呼称せば本職は死刑にされても何をか言はむ。何が正義だ!何が裁判だ!」という血を吐くような叫びは殆どの昭和殉難者(いわゆる戦犯者)が抱いた共通の思いではなかろうか。「戦犯がまつられているから靖國神社に参拝するのはおかしい」などという考えは全く間違っている。

 

大東亜戦争において台湾の人々は誇りを持って日本軍兵士として戦ってくれた。大東亜戦争に従軍した台湾人軍人は八萬四三三名、軍属と軍夫は十二萬六七五〇名で、合計二〇萬七一八三名であった。そして戦死および病死者は三萬三〇四名となっている。(厚生省援護局資料)

 

昭和十六年、台湾で徴兵制が実施されると、千名の採用者に対して実に六十萬人もの志願者が殺到し、台湾軍司令部に数多くの血書、嘆願書が提出されたという。(黄文雄氏著『大東亜共栄圏の精神』による)

 

「高砂義勇兵」として出征した高雄州潮州郡バクヒョウ青年団長ダリヤン氏は、

「テンノウヘイカバンザイ。私ハ日本ノ男デス。大和ダマシイガアリマス。ドンナニクルシイコトデモ、テンノウヘイカノタメクニノタメナラクルシイトハオモヒマセン。グンプニシテクダサイ」と書いた。(王育徳先生著『台湾-苦悶するその歴史』)

と書いた。

 

玉峯長雄・ダリヤン両氏の文と歌は涙なくして読むことはできない。台湾人に対して無上の感謝の誠を捧げずにいられない。我々日本人は、かつての同胞に対する信義の上からも、民族自決の大義の上からも、共産支那による「台湾統一」という名の台湾侵略支配を阻止し、台湾独立を支持しなければならない。

 

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千駄木庵日乗三月十五日

午前は、諸雑務。

午後一時より、一番町のPHP研究所東京本部にて、『松下政経塾憲法フォーラム・未来の日本を考える―憲法を国民に手へ―』開催。佐野尚見松下政経塾塾長が挨拶。「松下政経塾性の考える憲法―憲法改正草案」発表。この後、「憲法改正草案の論点に関して」と題してパネルディスカッションが行われた。渡辺利夫拓殖大学総長・平沢勝栄自民党衆院議員・小林節慶應義塾大学名誉教授・前川清成民主党参院議員が討論。質疑応答。なかなか興味深い討論であった。後日報告します。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰途、動坂下にて、友人と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理。

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2015年3月15日 (日)

「七生報國の精神」について

 

『太平記』に「正成座上に居つゝ、舎弟の正季に向って『抑最後の一念に依って、善悪の生を引くといへり。九界の間になにか御辺の願ひなる』と問ひければ、正季からからと打ち笑ひて、『七生まで唯同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさばやと存じ候らへ』と申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、『罪業深き悪念なれども、われも斯様に思ふなり。いざさらば同じく生を替へて、此の本懐を達せん』と契って兄弟ともに刺し違へて、同じ枕に伏しにけり」と書かれてゐる。日本の古典に「名文」と言はれるものがあるが、この一節は、その一つであらう。私はそう思ふ。

 

「七生報國の精神」=「七生まで唯同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさばやと存じ候らへ」といふ精神は、佛教の輪廻転生思想を受け容れながら、佛教とりわけ浄土教の「現世離脱」「厭離穢土・欣求浄土」の信仰とは異なり、朝敵を滅ぼすまでは何回でもこの世に生れ変るといふ信念を吐露してゐる。それは現世への執着ではなく、たとへ肉體は滅びても生命は永遠であり、幾度も生れ変って、目的を遂げるといふ崇高なる精神である。

 

柳田國男氏は、「日本人の大多数が、もとは死後の世界を近く親しく、何か其の消息に通じているやうな気持を、抱いて居た…第一には死してもこの國の中に、霊は留まって遠くへは行かぬと思ったこと、第二には顕幽両界の交通が繁く、単に春秋の定期の祭りだけでなしに、何れか一方のみの志によって、招き招かるゝことがさまで困難でないやうに思って居たこと、第三には生人の今はのときの念願が、死後には必ず達成するものと思って居たことで、是によって子孫の為に色々の計画を立てたのみか、さらに三たび生まれ代って、同じ事業を続けられるものゝ如く、思ったものの多かったといふのは第四である」(『先祖の話』)と論じてゐる。

 

日本人は、死後の世界は現世とさう隔たった世界ではない信じた。佛教の浄土教が、十萬億土の彼方にある西方極楽浄土に往生すると説くのとは大分違ふ考へである。

 

中村元氏は、「日本人は佛教の渡来する以前から現世中心的・楽天的であった。このような人生観がその後にも長く残っているために、現世を穢土・不浄と見なす思想、日本人のうちに十分に根をおろすことはできなかった」(『日本人の思惟方法』)と論じてゐる。

 

 

日本には死んだご先祖が草葉の蔭から子孫を守って下さるとか、あるいはその反対に怨みを持って死んだ人の霊が生きたゐる人のところに化けて出るといふ信仰がある。一方日本人は、死んだら西方十萬億土の彼方にある極楽に往生して佛様になると信じ、その佛様が草葉の蔭(この世のお墓の下といふこと)から子孫を守ってくれると信じた。まったく矛盾するやうな考へであるが、これは信仰だから、「合理主義」であれこれ論じても仕方のないことである。

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千駄木庵日乗三月十四日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、原稿執筆など。

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2015年3月14日 (土)

この頃詠みし歌

 

晴れわたる青空の下 花吹雪舞ひて祝へり若き夫妻を(高乗智之氏ご夫妻結婚式)

 

うらうらに照れる春日の下にして若き夫妻の門出を祝ふ(同)

 

父と子と聖霊の前に若き夫妻 妹背の契りを結ぶ春の日(同)

 

東より光さし来るマンションのベランダに立ち今日が始まる

 

何時も我に心にかけて下さりし老作家はつひにこの世を去りたまひたり(郡順史先生ご逝去)

 

悲しみは二度と再び逢ひ得ざる人の面影浮かび来る時

 

人の命とことはならねど次々と訃報の届くことの切なさ

 

仕事終へ心やすらふひと時に一本の煙草を吸ひにけるかな

 

友どちの嗄れたる声を電話にて聞きつつ祈る当病平癒

 

空高く浮かぶ満月清く照り 地球の上は騒乱続く

 

ぬる燗を酌みつつ食すほやの味 ほろ苦くともうまさもうまし

 

すれ違ひし知り人はこれから会議なりと我に告げつつ去り行きにけり

 

わが前で子供を叱る母親の顔げに恐ろしき鬼の面なる

 

志布志事件の反省は無し またしても罪無き人を陥れたり

 

またしても冤罪事件が起こりけり最年少の市長頑張れ

 

警察は予防を以て本質とすとの川路利良の言葉忘れしか

 

百二歳の老政治家が滔々と自説を語る頼もしさかな(奥野誠亮先生)

 

現代の奇跡と思ふ百二歳の老政治家は矍鑠として()

 

わが母も九十五歳にして生命力強く生きゐることのうれしさ

 

通ひ慣れし施設への道を歩み行く一人で過ごす母に会はんと

 

母上がうれしうれしとのたまへば我もうれしく施設に通ふ

 

天地の神に祈らんこの国の平安と母の息災延命

 

願はくは永久の命をわが母に賜へと祈る母の誕生日

 

すこやけくたいらけくこれからも生きませと祈りて母の手をさすりゐる

 

色とりどりの傘をさしつつ登校する小学生たちの華やぎぞ良し

 

訳も無く怒りの思ひの湧きて来るこの夜に呑む牛乳一本

 

地下鉄駅へ急ぎ歩みて息切らし階段下り行く時の胸の音

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千駄木庵日乗三月十三日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』脱稿、印刷所に送付。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2015年3月13日 (金)

深谷隆司氏の正論

深谷隆司元衆院議員の正論をご紹介します。

 

            〇

 

 三月十一日 深谷隆司の言いたい放題第595

 「馬鹿政治家の悪行」


 引退しているから政治家という表現は正しくないかも知れないが、鳩山由紀夫(もはや敬称などは不必要)、元総理大臣だけに、国際的にもそれなりの影響を与えるから、その言動は断じて許されないと思う。あえて「バカ政治家の悪行」と書いた所以である。


 日本政府はロシアのクリミア併合を国際法違反として非難しているが、そんな最中、鳩山は10日クリミア入りをし、地元の新ロシア派政府「クリミア共和国」のムラドフ副首相らの大歓迎を受けた。

 岸田外相らの訪問中止要請をけとばしての暴挙だ。その前にはモスクワで「直接住民の意思を確認し、編入の是非について判断してゆく」と述べたが、一体何様のつもりなのか。国際社会から日本は何を考えているのかと不信感、大反感を持たれること必定ではないか!

 民主党の枝野幹事長までが、併合に反対する立場を支持した上で、「一切関知しない」と突き放していた。

 鳩山は国会議員在職中で同党最高顧問であった平成24年、当時の野田政権の制止を振り切り、イランを訪れたこともある。核兵器開発の疑いがあってイランへの制裁圧力を強めていた政府の外交方針と相反する行動をとったのだ。

 案の定、「国際原子力機関の対応が不公平」と発言したと報道され、本人は必死で否定していたが、まんまと利用されていたのだ。

 中国に行って、南京虐殺記念館詣での上謝罪、諸説ある中で「死者30万人」と認めた発言で中国を喜ばせた。歴史の事実を歪曲する中国に、こともあろうに迎合したのである。

 尖閣諸島問題でも、「日中の間に領土問題がある」と発言した。日本の立場は「歴史的に見ても、尖閣諸島は日本の領土、だから日中間に領土問題はない」と一貫しているのを、中国の言い分のまま媚をうって語ったのだ。

 この男は、今や日本では誰にも相手にされない過去の人、その上イメージも最悪な人だ。それなのに出たがり屋、目立ちたがり屋で、夢よもう一度と思うのか、どんなところにも招かれたら喜んで飛んでいき、相手に合わせて勝手なことを軽々しく言いまくる。

 相手の国にとっては絶好の鴨(鳩ではない)、なまじ元総理大臣の肩書があるだけに、すっかり利用されてしまうのだ。

 然し、その言動は日本にとって致命的な害をもたらす可能性もある。現実にどれほど日本にとって弊害になっていることか・・・。

 もはや宇宙人だからと言って笑って済ますことは出来ない。まして個人の行動だから等と、放っておくわけにはいかない。

 彼の行動、言動は売国奴そのもの、いや国賊と言っても言い過ぎではない。
こうなったら何らかの制裁処置が必要ではないか。

 とりあえず「パスポートを取り上げる」ところから始めないか。

 

         〇

 

千駄木庵主人曰く。鳩山由紀夫の発言で最も悪質なのは、「(クリミヤの・注)直接住民の意思を確認し、編入の是非について判断してゆく」である。また今朝も書いたが、鳩山は「民主的に行われた住民投票により領土問題が解決したことは、世界史上、画期的な出来事だ」という発言もしたという。

 

こうした考え方は、ロシアが北方四島で「住民投票」とやらを行って、住民の多数がロシア帰属に賛成したとして、北方四島をの領有を宣言すること、また、共産支那が自国民を尖閣や沖縄に大挙上陸侵入させて「住民投票」とやらを行い、尖閣・沖縄の領有を宣言することを許すことになる。

 

まことに以て危険千万な悪質なる発言である。

 

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鳩山由紀夫のとんでもない発言

鳩山由紀夫氏は「「民主的に行われた住民投票により領土問題が解決したことは、世界史上、画期的な出来事だ」と言ったそうだが、そうすると、ロシアが北方四島で「住民投票」なるものを行って、北方四島をロシア領にすることもできるという事だ。とんでもない発言である。

 

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わが國及びわが國民は、護國の英靈によってお護りいただいている

戰勝國は、復讐のためにいわゆる「戰争犯罪人」を捕らえ「裁判」にかけたのである。戰勝國による復讐の軍事裁判は、見せしめのための裁判であった。そして、わが國に侵略國家の汚名を着せそれを全世界に宣傳したのである。

 

 「A級戰犯は戰争責任者だから靖國神社に祭られてはならない」とか「A級戰犯が祭られている靖國神社に総理大臣が参拝するのは侵略戰争を讃美することになる」などという議論は、戰勝國が行った法律なき「軍事裁判」即ち非人道的にして残虐無比な復讐を肯定することとなる。

 

「A級戰犯」という呼称はあくまでも戰勝國側の呼称であって、わが日本においては「昭和殉難者」と称するべきである。昭和殉難者は、まさに英靈であり戦没者である。だから、靖國神社においては「昭和殉難者」「戰死者」として祭られているのである。 

 

靖國神社に祭られている英靈は今日唯今もわが祖國をお護り下さっている。 靖國神社に祭られている英靈は、國のために命を捧げられたばかりでなく今日唯今もわが祖國をお護り下さっているのである。

 

それは皇后陛下が「終戰記念日」と題されて、

 

「海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたの御靈國護るらむ」

 

 と、詠ませられている御歌を拝しても明らかである。

 

 昭和二十年(一九四五)六月二十三日未明、沖縄第三十二軍司令官として摩文仁岳にて自刃した牛島満陸軍大将の辞世歌。

 

矢彈盡き天地染めて散るとても魂がへり魂がへりつゝ皇國護らむ

 

沖縄戦に於いて第三十二軍を指揮し、昭和二十年六月二十三日、自決された牛島満陸軍大将の辞世の歌である。まことにも悲しくも深く切なる歌である。自決した後も魂は祖國に帰ってきて、天皇國日本を守るといふ決意を表白された歌である。

 

國體護持も靖国神社国家護持も感謝報恩のための言葉である。実は、われわれ国民が天皇陛下にそして英霊にお護り頂いているのだ。 

 わが國及びわが國民は、靖國神社そして各県の護國神社に鎮まりまします護國の英靈によってお護りいただいている。であるが故に内閣総理大臣をはじめ  全國民は、靖國の英靈に対して感謝・報恩・顕彰の誠を捧げるのは当然である。共産支那や韓國の圧迫に屈してこれを怠るなどということは絶対にあってはならない。

 

 また、國のために命を捧げた英靈をお祀りする靖國神社に内閣総理大臣が公式参拝すること、各県の護國神社に県知事が玉串奉奠することを「憲法違反だ」「近隣諸國との関係を悪化させる」などと決めつける法匪、亡國マスコミは許しがたい。

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千駄木庵日乗三月十二日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2015年3月12日 (木)

鳩山・木村両氏のクリミヤ行きについて

鳩山由紀夫・木村三浩両氏のクリミヤ行きの詳しい事情は分かりませんが、「日ソ国交回復」以来、旧ソ連・ロシアと鳩山家は何らかのつながりは継続されていたと思います。

 

 

 

この度のクリミヤ行きが、ロシアの宣伝材料に利用されることを危惧します。またクリミヤに行き親ロ勢力と交流したのなら、北方領土<南樺太全千島>即時返還を要求し、シベリアにおける日本人大虐殺に強く抗議すべきでした。しかしそういうことをしたという報道はありません。

 

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昭和天皇の終戦時・終戦直後おける御聖徳

昭和天皇は、大東亜戦争末期、広島と長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦し、愈々以って本土決戦しか戦ふ道がなくなった時、「自分の身はどうなってもいい。ただ民を救ひたい」との大御心から、決然として『ポツダム宣言』受諾の御聖断を下された。あのまま戦争を続けてゐたなら、わが國土は文字通り焦土と化し、大多数の日本國民が死に絶えたであらう。それを救はれたのが昭和天皇なのである。この尊い事実を我々日本國民は永遠に忘れてはならない。その時の尊いご心境を昭和天皇様は次のやうに歌われてゐる。

 

爆撃にたおれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも

 

身はいかになるともいくさとどめけりただたおれゆく民をおもひて

 

國がらをただまもらんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

 

昭和天皇は、國のため民のためならご自身はどうなってもいい、といふまさに神のごとき無私・捨身無我のご心境で戦争終結をご決断あそばされたのである。ここに、つねに國の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇の現御神としての御本質を仰ぐ事ができる。マッカーサーとのご会見において、この捨身無我の神のごとき大御心が発現したのである。

 

さらに大事なのは、「国がらをただまもらんと」と歌はれていることである。わが国は、ただ単に領土と国民と主権さえあればいいといふ、普通一般の国家ではないのです。日本独自の国柄すなわち、神代以来・建国以来の天皇を中心とする國體というものが正しく継承されていなければ日本国とは言えないのである。国柄を守ること無くして真の日本国の存続はあり得ないのである。

 

夜久正雄氏は、「天皇様は『国がら』を守りぬかれたのである。この天皇様のお心にしたがふことが、国民の側からの『国柄』である。天皇さまが国民のうへを思ひくださるお心をあふいで感奮する、その心の中に、日本の国の国がらがあるのである。」(『歌人・今上天皇』)と論じてゐる。

 

たしかに領土も国民も主権も大切である。しかし、日本のやうに三千年の伝統を有する国は、その長い歴史と伝統と文化の核であるところの国柄・國體というものが破壊されてしまったら、たとへ領土と国民と主権が維持されても、日本は日本でなくなるのである。

 

昭和天皇が「国柄をまもらん」とお歌ひになったのは、このかけがへのない日本国の國體が護持するために、たとへどのような苦難があらうとも茨の道を進んでいくとのご決意を示されたものと拝する。

 

「国柄を守る」とは、昭和天皇御一身の地位の安泰を意味するのでは全くないことは、「いばら道すすみゆくとも」と歌はれていることで明白である。昭和天皇は、ご自分が戦犯として処罰されても、天皇を君主と仰ぐ国柄・國體が護持されればよい、とのご信念で終戦を決意されたのである。有難き限りである。

 

昭和天皇は、國民を鼓舞激励し、祖國の復興を成し遂げるために、昭和二十一年二月二十日より二十九年まで満八年半をかけて、行程三萬三千キロ、総日数百六十五日間の地方御巡幸を行はせられた。それは昭和天皇の「國見」であったと拝する。「國見」とは、國土と國民の祝福し、國土の豊饒と國民の幸福を祈る祭事である。昭和天皇は、敗戦によって疲弊した國土と國民の再生のための「祈りの旅」を行はせられたのである。

 

昭和天皇は、「戦災地視察」と題されて次のやうなお歌を詠ませられた。

 

戦のわざはひうけし國民をおもふ心にいでたちて来ぬ

 

わざはひをわすれてわれを出むかふる民の心をうれしとぞ思ふ

 

國をおこすもとゐとみえてなりはひにいそしむ民の姿たのもし

 

鈴木正男氏は、「敗戦國の帝王が、その戦争によって我が子を亡くし、我が家を焼かれ、その上に飢餓線上をさ迷ふ國民を慰め励ます旅に出かけるなどと云ふことは、古今東西の歴史に絶無のことであった。アメリカをはじめとする連合軍は、恐らく天皇は國民から冷たく迎へられ、唾でもひっかけられるであらうと予想してゐた。ところが、事実は逆であった。國民は熱狂して天皇を奉迎し、涙を流して萬歳を連呼した。…天皇の激励によってストは中止され、石炭は増産され、米の供出は進み、敗残の焦土の上ではあったが、國民は祖國再建の明るい希望に燃えて立ち上がった。」(『昭和天皇のおほみうた』)と論じてをられる。

 

昭和天皇は、ご生涯をかけて日本國の天皇としての御使命を果たされたのである。それはただただ國民の幸福と平和の実現であった。そして昭和天皇が退位されずそのつとめを果たされたからこそ、戦後日本の復興と國民の幸福があり得たのである。

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千駄木庵日乗三月十一日

午前は、諸雑務。

午後二時より、永田町の憲政記念館にて、『第四回東日本大震災「祈りの日」式典』及び『シンポジウム『これでいいのか日本』開催。村上正邦元参院議員のスピーチ、国歌斉唱、山本峯章氏の開会あいさつ。震災時の避難呼びかけアナウンス再放送、黙祷、献花、読経などが行われた。つづいて南丘喜八郎氏の司会・村山富市元総理・亀井静香衆院議員、西部邁氏によるシンポジウムが行われた。

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午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が大津皇子の御歌などを講義。

帰途、出席者の方々と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2015年3月11日 (水)

天之御中主神について

「天之御中主神」という御名は、日本人の壮大な神観・宇宙観を表している。「天」の「御中」の「主」の神である。大國主・大物主という神がいますごとく、日本人は「主(ぬし)」に対する尊敬心が深かった。天之御中主神は、「大宇宙の中心にいます主宰神」と申し上げて良いと思う。

 

 しかもこの神は、「天地初發の時」に「高天原になりませる神」である。天と地が初めては開かれた時に高天原に成りました神である。天地を創造したのではなく、天地と共に「なりませる(遍在する)」神である。「創造」は創造する神と創造された物が隔絶した関係となるが、「生成」(なりませる)は神と天地萬物萬生は根源的に一体関係であるとして把握される。つまり、天之御中主神は「天地の生成の本源神」として把握されている。したがって単に日本民族特有の神あるいは単なる祖先神・自然神として把握されるべきではない。仏教の久遠の仏、キリスト教などの絶対神と本質的には同じ存在であると把握すべきである。

 

さらに『古事記』には、天之御中主神の次に高御産巣日神、神産巣日神の名が示されている。そして「この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されている。天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神は、独り神すなわち“唯一絶対神”であり、宇宙の根源神である。

この三柱の神は「造化の三神」といわれるが、宇宙根源神・絶対神の「中心帰一」「多即一・一即多」「むすび」の原理を神の名として表現したのである。

 

この三柱の神は、天地宇宙の萬物萬生の普遍的根源神であるから、特定の個別化されたお姿を現されることはなく御身を隠されるのであるのである。だから、「みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されているのである。日本國の神社には、太陽神・皇室の祖先神であられる天照大御神や、その弟神で豊饒神であられるの須佐之男命などをお祭りした神社は多いが、天之御中主神を個別神として祭った神社は非常に少ない。

 

天之御中主神は、唯一絶対神であると共に八百萬の神々の「御親神」であられる。<一即多・多即一>の神であり、最高唯一神であるとともに萬物・萬生包容の神である。無限の可能性を有する大いなる宇宙主宰神・宇宙本源神が天之御中主神である。八百萬の神々は天之御中主神が無限の姿に現れ出られた神々である。

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千駄木庵日乗三月十日

午前は、諸雑務。

午後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、明日の講義の準備、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2015年3月10日 (火)

『米國及び英國に對する宣戦の詔書』渙発が、いかに國民に感激を與へたかを示す文章及び歌

『米國及び英國に對する宣戦の詔書』渙発が、いかに國民に感激を與へたかを示す文章及び歌を記させていただく。

 

保田與重郎氏「對米宣戦の大詔を拝し、皇國の向ふところ、必ず神威発するあるを確信した。…神命は常に國際謀略を霧消せしめ、萬民草莽の苦衷は必ず大御心のしらしめすところ、まことに神州たる所以、神州不滅の原理を感銘し、感動し、遂に慟哭したのである」(『日記』)

 

河上徹太郎氏「遂に光栄ある秋が来た。…これまでの政府の抜かりない方策と手順、殊に開戦劈頭聞かされる輝かしき戦果。すべて國民一同にとって胸のすくのを思はしめるもの許りである。いまや一億國民の生まれ更る日である。…私は今本当に心からカラットした気持ちでゐられるのが嬉しくて仕様がないのだ。…混沌暗澹たる平和は、戦争の純一さに比べて、何と濁った、不快なものであるか!」(『光栄ある日』)

 

青野季吉氏「米英に宣戦が布告された。当然の帰結といふ外はない。戦勝のニュースに胸の轟くのを覚へる。何といふ巨きな構想、構図であらう。」(『経堂襍記』)

 

折口信夫氏「宣戦のみことのりの降ったをりの感激、せめてまう十年若くて、うけたまはらなかったことの、くちをしいほど、心をどりを覺えた。けれども、その日直に、十首近く口にのって作物が出來、その後も、日を隔てゝ幾首づゝ、何だか撞きあげるものゝやうに、出來たのである。」(『「天地に宣る」追ひ書き』)

 

そして折口氏などの歌人は次のやうな歌を詠んだ。

 

折口信夫氏

暁の霜にひゞきて 大みこゑ 聞えしことを 世語りにせむ

天地に響きとほりて 甚大(おぎろ)なる 神の御言(みこと)を くだし給へり

 

尾上柴舟氏

大勅(おほみこと)捧げまつればおのづから心のふるへ手に及ぶかも

 

佐々木信綱氏

あなさやけ今日のさやけさ國つ敵(あだ)うてとし宣(の)らす大詔(おほみこと)くだる

 

土岐善麿氏

撃てと宣す大詔(おほのことのり)遂に下れり撃ちてしやまむ海に陸に空に

 

影山正治氏

「いざ行きて今こそ撃てと待ち待ちし神のみことは天降りたり」

「そ根芽つなぎ撃ちてし止まむ皇軍(みいくさ)の起ちのきほひはさやかなるかも」

 

中河幹子氏(中河與一氏夫人)

「戦へば勝つ皇軍やいにしへゆしか思へども涙あふるる」

と歌った。

 

まさに昭和十六年十二月八日の一億の感激は、歴史から抹殺することもできなければ否定することもできないと思ふ。況や「間違ってゐた」などと言ふのはあまりにも僭越であり、靖國の英霊も、そして銃後でアメリカ軍の爆撃などによって斃れた無辜の國民も、ソ連に抑留され彼の地で非業の最期を遂げた多くの同胞も、さらに大東亜戦争に協力して戦ひ戦死された多くの東亜同胞も、犬死だったといふことになる。

 

そのやうな歴史観では日本民族の誇り・自尊心を取り戻すことは出来ない。そればかりではなく、上御一人の『開戦の詔書』『終戦の詔書』を否定することとなる。

 

大東亜戦争を侵略戦争として断罪し、他國に謝罪することによって國際協力を果たさうとするのか、あるいは大東亜戦争の果たした役割と意味に誇りを持ち、歴史の継承から世界に貢献しやうとするかは、同じ世界への寄與でも全く違ってくる。

 

欧米列強からの独立・解放が日本の努力とアジア諸民族の奮闘によって實現した今日、『大東亜共同宣言』に謳はれた理想は今こそ完全に實現されなければならない。問題は、日本國民の多くがいまだに敗戦後遺症から脱却できないがゆゑに亡國の危機にさらされてゐることである。これを正す事が今日最も大切であると信ずる。

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千駄木庵日乗三月九日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2015年3月 9日 (月)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

四宮正貴が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 三月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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孝明天皇と明治維新

孝明天皇

 

「あさゆふに民やすかれとおもふ身のこゝろにかゝる異國(とつくに)の船」

「戈とりてまもれ宮人こゝへのみはしのさくら風そよぐなり」

 

明治維新前夜、侵略の危機に瀕する日本を憂へられた御歌である。この御製を拝した多くの志士たちが尊皇攘夷の戦ひに決起した

 

宮部鼎蔵(熊本藩士。尊攘派志士として、京都を中心に活躍。諸藩の有志たちと協議を重ね尊攘派運動を推進したが、池田屋事件にて自刃)は、孝明天皇の御製にこたへ奉り、次の歌を詠んだ。

 

「いざ子ども馬に鞍置け九重の御階(みはし)の桜散らぬその間に」

 

維新の志士の孝明天皇への赤誠・戀闕の心が、尊皇倒幕・明治維新の行動を起こさしめたのである。

 

徳富蘇峰氏は、「維新の大業を立派に完成した其力は、薩摩でもない。長州でもない。其他の大名でもない。又当時の志士でもない。畏多くも明治天皇の父君にあらせらるゝ孝明天皇である。…孝明天皇は自ら御中心とならせられて、親王であろうが、関白であろうが、駆使鞭撻遊ばされ、日々宸翰を以て上から御働きかけになられたのである。即ち原動力は天皇であって、臣下は其の原動力に依って動いたのである。要するに維新の大業を完成したのは、孝明天皇の御蔭であることを知らねばならぬ。」(『孝明天皇を和歌御會記及御年譜』「序」)と論じてゐる。

 

孝明天皇の國を憂ひ民を思はれる大御心が明治維新の原点であり、孝明天皇の大御心にこたへ奉る変革が明治維新であった。君民一體の神國日本の清潔さ・純潔を守らうといふ國粋精神が日本の独立を守った。そしてその國粋精神の體現者・實行者が、孝明天皇であらせられた。

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千駄木庵日乗三月八日

午前は、諸雑務。

午後二時より、西新宿の京王プラザホテルにて、『台湾二・二八時局講演会』開催。王明理台湾独立建国聯盟日本本部委員長が開会の挨拶及びスピーチ。何時宜早稲田大学大学院生がスピーチ。呉叡人台湾中央研究院副研究員が「意志の反乱ー二・二八とひまわり学生運動における台湾の青年たち」と題して講演。質疑応答。この後、懇親会か催され、多くの友人同志とお会いする。

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帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2015年3月 8日 (日)

警察は志布志冤罪事件の反省を全くしていない

藤井浩人美濃加茂市長冤罪事件を見て、警察は、平成十五年に起こった志布志事件(しぶしじけん・平成15413日投開票の鹿児島県議会議員選挙の曽於郡選挙区で当選した中山信一県議会議員の陣営が曽於郡志布志町(現・志布志市)の集落で住民に焼酎や現金を配ったとして中山やその家族と住民らが公職選挙法違反容疑で逮捕された事件を巡る捜査において、鹿児島県警察捜査第二課・統一地方選公選法違反取締本部が自白の強要や数ヶ月から1年以上にわたる異例の長期勾留などの違法な取り調べを行ったとされる事件)の反省を全くしていないということだ。

私は当時のこのブログで次のように書いた。「事件で直接自白を強要した警部補は、有罪の判決(懲役10月・執行猶予3年)受けたようだが、志布志冤罪事件の捜査の指揮をとった当時の稲葉一次県警本部長と黒健治という志布志警察署長と磯部一信という警部が厳しい処分を受けたという報道はない。彼らは、冤罪により地獄の苦しみを味わった方々と同じ苦しみを味わうべきであると思う。刑事告発できなかったのだろうか。そうしないと冤罪事件は根絶できない。権力による犯罪ほど悪い犯罪は無いのである」と。

 

初代警視総監・川路利良大警視はその著『警察手眼』において、「行政警察は予防を以て本質とす」と言った。「事件を作り出す事を以て本質とす」とは言っていない。交通違反の取り締まりなどを見てゐると、警察は成績を上げるために無理に違反者を作り出しているように見える場合がある。

また川路大警視は、「警察官の心は総て仁愛補助の外に出でざるべし」と言った。罪を犯していない人を罪に陥れることは、「仁愛補助の心」とは全く逆である。

さらに川路大警視は「警察官は人民の為には其依頼する勇強の保護人なり」と言った。人民の迫害者とは決して言っていない。

今の警察は、警察機構草創の精神をよくよく学ぶべきである。

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和歌は日本民族の「まごころ」のしらべである

 

明治天皇は、

 

「世の中のことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」

「天地をうごかすばかり言の葉のまことの道をきはめてしがな」

「まごころをうたひあげたる言の葉はひとたびきけばわすれざりけり」

 

と詠ませられてゐる。

 

 

『うた』の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。

 

わが國の文藝の起源は神への祭祀における舞ひ踊りと共に歌はれた「歌」であることは、出土してきてゐる土偶によって分かるといふ。

 

ことばを大切にしことばに不可思議にして靈的な力があると信じたがゆへに「言霊のさきはふ國」といはれるわが國においては、歌は何よりも大切な神への捧げものとされたのである。それが祝詞となったのである。祝詞も声調・調べが整ってゐる。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教において神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、特定の言葉を唱へることが基本的行事である。すべて言葉を唱へる行事である。祈りとは、経典や聖書、祈りの言葉そして題目や念仏も同じである。

 

歌をはじめとした日本文藝の起源は、神への訴へかけである。和歌は神聖な文藝であると考へられていた。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源なのである。

 

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。

 

『古今和歌集』の「仮名序」は、和歌とはいかなるものであるかが説かれた基本的な文献と言ってよい。これは紀貫之が執筆した。それには、

 

「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁(しげ)きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出(いだ)せるなり」(やまとうたは、人の心を種にたとへると、それから生じて出た無数の葉のやうなものである。この世に生きてゐる人は、様様な事に遭遇するので、心に思った事を、見た事聞いた事に託して言い表はすものである)

「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)

 

と書かれてゐる。

 

『萬葉集』の九十五%が、短歌(五・七・五・七・七)である。短歌形式を古代日本人は、自分たちの抒情の文藝形式として獲得した。『記紀』『萬葉』以来今日まで千数百年にわたって、短歌形式が日本人の生活の中に生きてきて断絶がなかったゐるといふ事実が非常に重要である。それだけ、「五・七・五・七・七」の短歌形式には魅力があり、日本人の心を表現する形式として非常に適していたといふことになる。

 

明治天皇は、

 

「鬼神も泣かするものは世の中の人のこころのまことなりけり」

 

と詠ませられてゐる。

 

「鬼神の」の御製は、歌の力の偉大さを論じた『古今和歌集』の「仮名序」を踏まへられてゐると拝する。この御製で大事なのは、「人の心のまことなりけり」と示されてゐることである。和歌が単なる文藝作品で文藝作品なら虚構が許されるが、歌はさうではない。「人のこころのまこと」を歌はねばならない。自分の本当の心・素直な心・そのままのこころ・まごころを歌はねばならない。それが「五・七・五・七・七」と形式で表白され、読んだ人・聞いた人の魂を動かすといふのが「やまとうた」の本質である。

 

「天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ」といふのは決して誇張ではなく、古代・中古においては本当にそう信じられてゐたのである。

 

つまり歌を詠むのは、魂鎮め・鎮魂の行事である。和歌は、ふつふつと湧きあがってくる素直なる心・色々な思ひ・魂の叫びを三十一文字にして固め成して鎮める働きをする。人間のまごころを表白する抒情詩である。日本民族の人智のさかしらを超えた「まごころ」のしらべである。

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2015年3月 7日 (土)

千駄木庵日乗三月七日

午前は、諸雑務。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。浅川公紀武蔵野大学教授が「レームダック期に入ったオバマ政権の外交・安全保障政策」と題して講演。質疑応答。奥野誠亮元文部大臣がスピーチ。

施設に赴き、母の付き添う。夕食の介助。

帰宅後は、『伝統と革新』の原稿執筆、校正など。

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警察・検察の悪しき体質は全く変わっていない

警察・検察の悪しき体質は全く変わっていない。最年少市長として評判になっていた人を監獄にぶち込むことによって、自らの手柄、成績にしたかったのであろう。こうした冤罪事件は過去において数多くあったに違いない。警察検察の体質改革が必要である。今回の最年少市長冤罪事件を立件し市長を恫喝し侮辱し拷問に近い取り調べを行った警察官・検察官がなんら罪に問われないのはおかしい。民主党は女性議員のキス問題よりも、こういう問題を国会で取り上げろ。

 

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どうして「戦後」は終わらないのか

戦後七十年を経過しても、いまだに戦後と言われているのは不思議に思えてならない。どうして戦後は終わらないのであろうか。ある友人は、日本がもう一回戦争をすれば「戦後」は終ると言った。なるほどと思った。

 

「平和を欲せば兵を養え」という言葉がある。「平和を望むのなら軍備を怠るな」という事を全否定しているのが『現行占領憲法』である。「現行占領憲法」をを否定することが戦後からの脱却だと思う。

 

幕末以来、今日にいたるまで日本は外圧に押されつづけて来たと言っても過言ではない。同時に外圧への対抗がわが国の発展の原基であったとも言える。それは、明治以後のみならず、古代の「白村江の戦」以来の歴史である。

 

近代の歴史は戦争の歴史であった。明治維新以来の百五十年は太平洋の覇権を誰が握るかの歴史だった。「外圧」は、戦後七十年を経過してまた一段と活発になっている。

 

「戦後レジーム」からの脱却とは、アメリカの軛(くびき)から脱すること、即ち、占領憲法否定・自主防衛体制確立・歴史問題の解決だとおもう。しかし、アメリカはそれを許すであろうか。日本はアメリカには逆らえないでのであろうか。そうすると七十年以上を経過しても、さらに長く、戦後は終わらないということになる。

 

アメリカは日本が言いなりになっているときは、大変に友好国であり「いい国」なのだが、そうでなくなると牙をむく。今後の日米関係は、どうなるか、どうすべきか。これも問題である。今後の日本は米国と共産支那との狭間にあって、太平洋の覇権獲得戦にどう対処すべきかが大きな課題である。

 

 

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千駄木庵日乗三月六日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』の校正。

午後三時半より、平河町の北野アームスにて、『日本再生同志の会』幹事会開催。中村信一郎氏が司会。小田村四郎会長が挨拶。西村眞悟氏がスピーチ。全員で当面する課題について討議。

帰途、湯島にて、地元の先輩と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』の原稿執筆、校正など。

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2015年3月 6日 (金)

日本國體について

 「國體とは戦前の天皇主権の国家体制を表す言葉で、治安維持法のキーワードだった」という主張は全く誤りである。「帝国憲法」の何処にも「天皇に主権がある」などとは書かれていない。そもそも、「国家の意思を最終的に決定する権力」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の神の国である日本には全くそぐわないのである。 

 

 戦前も戦後もさらに言えば古代以来今日に至るまで、「日本は天皇君主の仰ぐ国」であることは明白であり、建国以来、日本の國體は本質的には変わっていない。

 

 『終戦の御詔勅』に「茲に國體を護持し得て」と示されているように、わが国は大東亜戦争の敗れた後も、天皇中心の國體は護持された。また「現行憲法」にもきわめて不十分・不完全ではあるが國體を護持する規定が書かれている。

 

 戦前の國體論の代表的なものは、文部省思想局で編まれ、昭和十二年三月三十日に文部省から発行された『國體の本義』であろう。編纂委員は、山田孝雄・久松潜一・佐久知荘一・山本勝市・井上孚麿の各氏ら当時の国文学・国史学・憲法学などの権威であり、学問的価値のある文献である。

 

 その冒頭に「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の國體である」とある。これは記紀・萬葉以来のわが國體の道統を端的に表現している。そしてそれは今日においても全く変わっていないのである。

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千駄木庵日乗三月五日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。

帰宅後は、原稿執筆・校正。

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2015年3月 5日 (木)

日本には戦争犯罪人は一人もいない

「東京国際軍事裁判」は公正な裁判では決してなく戦争行為の継続であり、敵国の復讐であった。そこにおいて絞首刑の「判決」を受け執行されたということは文字通り戦死であり殉難である。

 

日本には過去において戦勝国の復讐の犠牲者・殉難者は存在しても、唯の一人も「戦犯」は存在しなかった。「東京国際軍事裁判」の判決により処刑された方々を殉難者・戦死者として靖国神社にお祭りするのは当然である。

 

昭和二十八年に政府は、当時の国会の決議を踏まえて戦勝国即ちかつての敵国の言う「戦争犯罪人」を戦死者と認定しその遺族に「戦没者遺族等援護法及び恩給法」の適用を通達した。いわゆる「戦犯者」は戦没者であるというのは国家意思と言っても良い。ゆえに靖国神社にお祭りし慰霊顕彰するのは当然である。今になって外国からの干渉に怯えて「戦犯」は戦死者ではないから靖国神社に祭るのは間違っているなどと言うのはまさしく歴史への冒瀆である。

 

東條英機氏などのいわゆる「戦犯」は勝者による形だけの「裁判」で敵国により復讐され殺されたのである。東条英機氏等十四人の人々を「絞首刑」に処した戦勝国こそ「人道に対する罪」を犯したのである。同じ日本国民として東條氏らを悼み、戦死者・殉難者として慰霊顕彰し、靖国神社に祭らねばならぬのである。それが日本人の道というものである。

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千駄木庵日乗三月四日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後五時半より、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者の方と打合せ。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2015年3月 4日 (水)

我々はまず以て「国家観」を正しく確立しなければならない

わが日本は自然に生まれてきた国であって、人為的に作られた国ではない。日本は古代において自然に「生まれた」国である。ところがアメリカや旧ソ連や中華人民共和国は一定の目的を持って作られた国である。「生まれる」と「作られる」とでは絶対的な違いがある。「生む」は日本伝統信仰の観念であり、「作る」はキリスト教の観念である。伊耶那岐命伊耶那美命は日本国土をお生みになったのであり、キリスト教の神(ゴッド)は人間を作ったのである。キリスト教の神はなぜか国家は作らなかった。国家は神によって造られた人間が集まって文字通り人為的に作られたと言うのが西洋の考え方である。日本の国家観と西洋国家観の違いは実にここから発すると考えられる。 

 

 日本国は、数多くの個としての人間が寄り集まって人為的に契約を締結して作った権力機構・政治形態としての国(これを「国家法人説」と言い換えてもいいと思う)とはその本質が全く異なるのである。

 

 「国家法人説」とは、国家を法的な主体としての法人と考える理論で、いわゆる「天皇機関説」の基礎をなす理論とされている。また「法人」とは「自然人以外で法律上の権利義務の主体となることができるもの。一定の目的の下に結合した人の集団あるいは財産についてその資格が認められている集団」といわれている。国家とは、社団法人や財団法人のように多くの人々が一定の目的のために契約を結び人為的に造られたものだというのが「国家法人説」なのである。天皇中心の信仰共同体としての日本は断じてそのような存在ではない。「国家法人説」を日本国に当て嵌めることはできない。

 

 日本人は、豊かな自然に包まれて、様々な階層の人々も、「和」「むすび」を基本として生きてきた。そして信仰共同体としての国家が生まれた。その「和」「むすび」は人と人との間柄のみならず、人と自然の関係もしかりであった。

 

 わが日本はどのような闘争や激動があっても、日本という国が分裂し破壊し尽くされてしまうということ無く、天皇を中心とする「和」「むすび」によって国家の統一は維持され、民族の伝統は一貫して継承されてきた。ここが日本という国の有難いところである。日本国家が解散するを予想し解散の手続きのある「法人」であったならばこのようなことはなかったに違いない。

  

 この「むすび」の語源は、「生(む)す」「生(は)える」である。「草が生す」「苔が生える」といわれる通りである。つまり命が生まれることである。故に母から生まれた男の子を「むすこ」といい、女の子を「むすめ」というのである。「むすび」とは命と命が一体となり緊密に結合するということである。米のご飯を固く結合させたものが「おむすび」である。そして日本伝統信仰ではその米のご飯には生命・魂が宿っていると信じてきた。

 

 「庵を結ぶ」という言葉があるが、日本家屋は様々な材木や草木を寄せ集めこれらを結び合わせて作られた。結婚も男と女の結びである。故にそのきっかけを作った人を「結びの神」という。そして男女の〈むすび〉によって新たなる生命が生まれる。日本の家庭も〈むすび〉によって成立しているのである。

 

 日本という国家も同じである。人の魂が結び合って生まれてきた生命体なのである。日本民族の農耕を中心とする伝統的生活のから培われた信仰(自然信仰と祖霊崇拝・自然と祖霊を神として拝む心)が根幹となって生まれてきた生命体が日本国なのである。そしてその〈むすび〉の中核が日本伝統信仰の祭祀主である天皇である。これが三島由紀夫氏の言う「祭祀的国家」としての日本なのである。

 

 我々はまず以て「国家観」を正しく確立しなければならない。言うまでもなく日本と欧米とは歴史・文化・宗教・社会構造・人間関係を異にしているのだから、日本国を近代西欧流の国家法人説・国家暴力装置説などの「国家観」によって論じてはならない。

 

 近代以後のいわゆる「西洋化」そして大東亜戦争以後のいわゆる「民主化」(その実態は日本伝統破壊)によって、信仰共同体としての日本の本当の姿(これを国体と言い換えてもいいと思う)が隠蔽され、麗しい祖国日本を、単に権力関係・契約関係・社会経済関係によって成り立った法人であり機構であると考えるようになってしまった。「現行占領憲法」は実にそういう思想によって作られているのだ。今日の日本の政治腐敗・自然破壊・教育荒廃などの様々な矛盾の根本原因は実にここにあると考える。

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千駄木庵日乗三月三日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』の「巻頭言」の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2015年3月 3日 (火)

欧米の契約國家観はわが國には相容れない

 戦後日本は戦勝國によって西洋の國家観を押し付けられた。西洋の國家観は、契約思想に基づいている。西洋は、神と人間とが契約を結ぶキリスト教という宗教がその基盤にある。ゆえに國家もそれを構成する人々の合意と契約によって成り立っていると考えられている。

 

西洋近代國家論の歴史的淵源はキリスト教の聖書である。『旧訳聖書』とは神と人との古い契約のことであり、『新約聖書』とは新しい契約のことである。近代思想家のロックにしろ、ルソーにしろ、社會契約説を唱える場合、必ず聖書の契約を持ち出している。 

 

しかし、國家社會が人間と人間との契約によって成り立つという考え方は、全く架空の観念でありフィクションである。原始社會において人間が社會や國家を作ろうと合意して契約を結ぶなどという馬鹿げたことはあり得ない。家庭・社會・共同体で育てられない人間は狼少年になる以外にない。

 

 ところが、この「社會契約説」はアメリカ合衆國という國を作り出すためには大きな役割を果たした。アメリカという國は建國以前は、全く法律のない「新天新地」であり、言ってみれば無法地帯であった。そこには天から天降った君主もいなければ、総督もいなかった。だから、植民者が自らが自らを治める以外になかった。こうしたことが、契約國家論がアメリカにおいて受け容れられた原因である。

 

 メイフラワー号(一六二0年にイギリスからアメリカに上陸した清教徒の船。清教徒とは、十六世紀後半、イギリス國教會に反抗して起こった新教徒の一派。清浄に生活することを主張した。ピューリタン)で結ばれた『メイフラワー憲章』には、「主権在民」「信託による統治」「法の下における平等」が謳われていた。「現行占領憲法」の原理の淵源がここにある。

 

 今日のアメリカは「自由民主主義國家」の見本のように言われているが、かつては、メイフラワー号で渡米して来た清教徒たちの子孫が特権階級となっていた。メイフラワー号の子孫にしても、最初から船に乗っていた純粋な清教徒は四十一名とその家族だけで、途中から乗船した残りの人たちはいわゆる「ならず者」「刑余者」であった。清教徒たちはセインツ(聖者)として尊敬され、残りの者たちはデヴィル(悪魔)として差別された。 そして、アメリカで一六四一年に制定された『マサチューセッツ法』では、「第一条 異神(キリスト教以外の神)を信じたものは死刑。第二条 魔女も死刑。第三条 神も死刑」と規定されていた。また「インディアンと一緒に住んだ者は三年の懲役」という規定もあったという。さらに、マサチューセッツでは、知事をはじめとした役人は必ず何処かの教會に属するクリスチャンでなければならなかった。

 

 これは一神教の排他独善性、残虐性が如実に現れた法律である。アメリカがキリスト教國家であるイタリアやドイツには原爆は落とさなかったが、非キリスト教國家であるわが國には原爆を二発も落とし、東京に大規模な焼夷弾攻撃を行い、大虐殺を敢行したのも、一神教の排他独善性、残虐性及び有色人種への差別意識にその原因があると思われる。

 

 「現行占領憲法」の骨格となっている思想である「自由と民主主義」、そして「契約國家論」の淵源である「アメリカ建國の精神」及びキリスト教というものは、このような恐ろしき性格を有していたことを我々は正しく知っておくべきである。

    

      

 「自由・平等・博愛」そして「民主主義」というものは白人のキリスト教徒にのみ与えられた特権だったのである。このような残虐にして差別的なアメリカ製民主主義・國家論は絶対にわが國には相容れないのである。

 

 人間が生存する時、個々バラバラに独立して生きる状態などというものはあり得ないのである。個人の生存も人権も平和も繁栄も、多くの人間の協力と多くの人間の共同生活の中から生まれるのである。

 

 西欧の契約國家観では、個人のみが唯一の実在であるとするが、これは容易に利己主義に転落する。現代日本の有様がそれである。

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千駄木庵日乗三月二日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、原稿校正、原稿執筆など。

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2015年3月 1日 (日)

シンポジウム「日中若手研究者が語り合う新たな両国関係」における登壇者の発言

昨年の十二月四日に行われた 「第86回 日中若手研究者が語り合う新たな両国関係」における登壇者の発言は次の通り。

小原凡司氏(東京財団研究員)「日中関係はまだ厳しい状況。日中は戦争をしてはならないという認識は共通している。海上メカニズムに代表される危機管理メカニズムは構築されている。認識の違いの曖昧さで日中関係はうまく行くことはできない」。

 

楊伯江氏(中国社会科学院日本研究所副所長)「日中関係の行く末は世界に対して責任がある。日中両国の行く末は世界の平和に責任がある。この地帯の秩序を保つ責任がある。戦略的転換期にある。安倍政権も転換期にある。日本は多民族国家ではなく同一言語のコミュニケーションで困ることはない。戦後復興している。中国に対して寛容に見てもらいたい。中国は改革開放の出発点にいる。軍事費は伸びているが、日本も高度成長期に十年間で二ケタ伸びた。鄧小平は『軍事発展は経済成長に道を譲らなければならない』と言った。中国は隣国に寛容である」。

 

呉懐中氏(中国社会科学院日本研究所政治室主任)「日中両国とも関係改善を探っている。相手の欠点だけを見るのではなく、相手国のすぐれたところを学ぶことが大事。中国側の日本への関心は、アベノミックスの将来について、金融債務のリスクはどのくらいあるのか、少子高齢化・介護の問題をどう解決するのか、移民をどうするのか、国民の中国への感情。歴史的に引き継がれた家庭や社会の構造に変化はあるのか、政治の右傾化、などがある。一部の政治家の歴史観は日本の国益に合わないのではないか。日中関係は難しくても、一つ一つ物事を解決していくことが必要。中国文化には数千年の歴史があり、調和の価値観を持っている。外国の人に全てを分かってもらうのは難しい。外交には強硬な面とソフトな面がある。長期的な関係悪化は双方の利益にならない。安保面で緊迫した場面になれば冷静になるべし。軍事的相互信頼を深めることが大事。互恵の協力をすべし」。

 

加茂具樹氏(慶應義塾大学総合政策学部准教授)「日本と中国は経済面で運命共同体の面がある。日中はアジア太平洋に貢献する共通の未来像を構築すべきだ。日中間の問題点をあいまいにして議論を先に進めることは避けよう。相手国の社会に対する認識の差が何処にあるのかを丁寧に掘り下げていくことが必要。日本を取り巻く国際環境の変化が日本の政策に影響している。日中間の協力をどの面でどのように進めていくかが一番の問題。環境問題・少子高齢化にどのように対処するのか。日本側も中国側も相手国に対してステレオタイプ的見方をしている。我々は中国に対して日本のことを発信する必要あり。日本の発信力が重要。戦略的互恵関係という言葉の裏にある日中の違いが何処にあるのかを理解しなければならない」。

 

王春光氏(中国社会科学院社会科学研究所社会政策室主任)「何を以て言論の自由と言うのか。定義を共通にすべし。自分の尺度で相手国を測るのは問題あり。ドイツでは戦争肯定は規制されている。中国社会の言論は多様化している。日本はどのようなスタンスで管理すべきか。中国の言論は多様化し管理方法も多様化している。今、中国は模索している段階だから誤りもある。今日、法治を大切にしている。法によって言論をマネージしている。日本からの批判を歓迎する。双方の留学生が増えている。言論は大事。中国も発信力を強めるべし。中国には日本を讃える言論もたくさんある。ネットを見てほしい。観光は大きなチャンネル。『中国侵略』『南京大虐殺』と教科書に書いてあると反日教育でしょうか。私は反日教育を受けたとは思わない。中国教科書を反日と断定すべきではない。高倉健は大好き」。

 

胡澎氏(中国社会科学院日本研究所日本社会研究室主任)「日本は素晴らしい経済ベースがある。国民は豊か。中国は発展途上国。そこに認識の違いがある。改革開放で中国は変化。少しづつ自由になっている。先進国は変化する面を見てほしい。建国百年の時、偉大な中国、健康な中国になりたい。中国の若い人は抗日戦争の映画を見て怨みを持つが、日本のアニメも見ている。年間二百万人が日本に来ている。日本人の礼儀正しさもネットで紹介されている。日本政府はビザをもっと緩やかにしてもらいたい」。

 

張明氏(中国社会科学院世界経済と政治研究所国際投資研究室主任)「経済成長は消費牽引型になる。経済構造がサービス業にシフトしている。人件費が上がっている。日本の投資が貢献した。最近は中国の直接投資は低下している。日本の投資を歓迎する。老人問題・環境問題で日本の協力を得たい。原発が増えるが、リスクにどう対処するか日本に学びたい」。

 

徐梅(中国社会科学院日本研究所研究員、経済研究室主任)「経済関係を密接にすべし。環境問題で、日本の技術と経験が本当に必要。省エネ型の住宅も必要。中国企業に日本市場の中での機会を与えてもらいたい。中国は豊かになる前に高齢化問題を抱えている。中日は協力が必要」。

 

小嶋華津子氏(慶應義塾大学法学部准教授)「私は『友好』という言葉で日中関係を括ることに懐疑的。空虚な友好は要らない。中国の暴走を食い止めること。合理的判断が出来る環境を日中の民間がつくるべし。国家の安定を前提とした言論の自由を中国の人々は強く認識している。日本の言論は多様化している。空気を読む」。

 

星野真氏(早稲田大学政治経済学術院助教)「生産年齢比率(生産活動に従事しうる年齢の人口の比率)は低下して行く。労働力と貯蓄率が減る。社会保障制度の財政支出が増える。そして軍事費への支出の自由度が減る。介護ビジネスで日本側も中国へ食い込んでいく余地あり」。

 

千駄木庵主人曰く「共産支那が、様々な面でわが国の協力を得たいのなら、まず以てわが國への軍事的圧迫、侵略策謀、そして歴史問題での理不尽な謝罪要求・反日教育を止めるべきである。それが大前提だ」。

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千駄木庵日乗三月一日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆など。

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この頃詠みし歌

西も東も争ひ続くこれの世を救はせたまへ天地の神

 

かにかくに千駄木の町は賑やかに人ら生きゐることのよろしさ

 

次第次第に日が長くなりバスを待つわが身を照らす夕日眩し

 

醜き争ひをテレビで見つつ自らを省みるなり他人事にあらず

 

眼鏡かけ神経質そうな民主党議員NHK会長を罵りてゐる

 

民主党の愚かなる議員に遠慮せず戦ひ続けよNHK会長

 

この朝(あした)ガラスの窓を清めをれば 早春の光わが身を包む

 

早春の陽射し明るき道行けば笑顔浮かべし老婦人に会ふ

 

自転車に乗りし子供らはしゃぎつつ道行きにけり春近き日に

 

『撃攘』といふ歌集をば讀みにけり 力強き歌に魂(たま)ゆすぶらる(村上一郎氏歌集)

 

眼鏡かけ頭の禿げたる店主殿 今日も機嫌よく刺身切るかな

 

日々を人喜ばす食べ物を作りて過ごすその店主殿

 

テープにて若き日の母の声を聞き胸迫りくる今宵なりけり

 

たいらけくやすらけく世を過ごさなむ一度限り人生なれば

 

電車の中多くの人らがマスクせり沈黙を強いられてゐるが如くに

 

雪の近江に正月に訪れし旅のこと 思ひ出さるる雪の夜かな

 

湖に雪降りしきり彼方なる島に渡れぬことのさみしさ

 

近江の海に雪降りしきる初春の旅路に一人宿に籠りぬ

 

未だ生きてゐますが如き思ひする父の遺影の笑顔を見つつ

 

魂は今も近くにゐます如し父の遺影を拝ろがみつつ

 

毎晩を父の遺影に手を合はせやすらかなれとただ祈りゐる

 

美しき人の面影浮かび来るメールの言葉のやさしかりせば

 

母の漬けし白菜の味を思ひ出す一人居の部屋に酒を酌みつつ

 

佳き宴(うたげ)日暮里の夜は楽しくも友と酒酌み談論風発

 

母上は大き声にて楽しげに歌うたひをり施設の部屋で

 

一年前あと二十日の命ぞと医師に言はれし母は健やか

 

有難き更賜寿命と手を合せ神と佛に感謝しまつる

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千駄木庵日乗二月二十八日

朝、自宅を出発。

午前十時より、立川市のアニヴェルセル立川にて、『高乗智之・真梨亜さん結婚式』挙行。確認の儀、讃美歌合唱、聖書朗読、誓約、指輪の交換、祝祷などが行われた。この後、披露パーティーが開かれた。千々岩力高岡法科大学学長が祝辞を述べ、関根二三夫日本大学教授が乾杯の音頭を取り、盛宴に移った。

高乗智之氏は、若き憲法学者で高岡法科大学准教授。父上は、高乗正臣平成国際大学副学長である。『憲法懇話会』で憲法を共に学ばせていただいている。昨年夏、高乗智之氏ご夫妻に萬葉の里・高岡をご案内いただいた。

帰宅後は、原稿の準備、原稿執筆。

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