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2015年2月 2日 (月)

『萬葉集』と武と変革

 『萬葉集』の中心の時代は、天武天皇の御代から、孝謙天皇の御代にかけてである。その時代は決して太平の世ではなかった。大化改新・壬申の乱といふ大変革・大建設の時代であり支那朝鮮からの武力侵攻の危機もあった。「やまとうた・和歌」をはじめとした優れた文藝はさうした時代に生まれる。変革・建設・戦ひと「和歌」とは切っても切れない関係にある。

 

 今日のわが國も萬葉時代とまったく同じ内憂外患交々来たるといった危機的状況にある。それは逆に変革の時代でありさらなる発展の時代であるともいへる。國家的危機を乗り越へ偉大なる変革を成し遂げた萬葉時代の日本民族精神に學び回帰すべきである。

 

 保田與重郎氏は、「わが國の歴史に於いてみても、國民思想の樹立の契機となる重大な問題は、壬申の亂を峠とする時代の國の人心と人倫の歸趨にある。…萬葉集に於ては、はるかに一般國民精神の動向を臣民に道に於てあまねくうつし、しかも最もよく國の倫理の大本を護持して、當時二百年前後にわたる海外文化の影響下の日本にあって、わが固有の文化の流れを傳へた歴史の精神が如何に己を持して動かなかったかを示す點で國の精神の重きを思はせて實に感謝に耐へないものがある」(『萬葉集の精神』)と論じてをられる。

 

『萬葉集』には大変革・大建設の時代の息吹きに満ち満ちた日本民族の精神が歌はれてゐる。『萬葉集』の中核精神は、國家の危急時に、わが國民が如何にして天皇を中心とする國體を守り、國民が神と天皇に仕へ奉ったかが表白されてゐる。歌の調べの美しさも、慟哭も、みなこの一点より解さねばならない。萬葉歌のみならず和歌を學ぶとは、和歌の道に傳はった日本傳統精神に回帰しそれを踏み行ふことなのである。

 

今日の日本において特に取り戻さなければならないのは萬葉時代以来の「武の心・もののふの心・ますらをぶり」である。

 

大東亜戦争敗北以後、「武の心・もののふの心・ますらをぶり」が否定され隠蔽され続けてきた。『現行占領憲法』の三原理のひとつに「平和主義」といふのがあるが、これは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。ゆへに、日本及び日本國民は今後一切いかなることがあっても、武力・戦力・國軍は持たない、武力の行使はしない、戦争はしないことを決意する」といふ思想である。それは戦勝國による日本弱体化思想以外の何ものでもない。

 

國家を守る精神こそ、國民の道義精神の要の一つである。國防と道義は不離一体の関係にある。「國民」は、運命共同体であるところの國家を生命を賭けて守る使命感があってこそ、「國民」である。

 

崇高なる道義精神である「國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念」を喪失し、利己主義・利益至上主義に陥り、自分さへよければ他人はどうなってもいいといふ考へ方に陥ってゐる現代の青少年によって、凶悪無比なる犯罪が繰返されてゐる。軍と武を否定した「平和と民主主義の國・戦後日本」には、眞の平和も、眞の道義もなくなっているのである。 

 

 平和の前提は、國家の独立・民族の自立である。國家の独立を維持し、民族の自立を守り、平和を維持し實現するために國防力・軍事力が不可欠である。そしてその根幹として、日本國民一人一人が「武の心・もののふの心・ますらをぶり」の回復がなければならない。

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