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2015年2月17日 (火)

天香具山について

天香具山は奈良県橿原市東部にある海抜一四八㍍の小山。大和盆地は海抜百㍍だから麓からは四八㍍しかない。畝傍山・耳成山と共に大和三山の一つ。山容穏やか。この山を正面に望むところに藤原京がある。山容から見ると、畝傍山が男性の山で、香具山と耳梨山は女性の山とするべきである。

 

古代日本人には、麗しい山を神と仰ぐ信仰があった。大和地方では大和三山・三輪山・二上山など、東國地方では富士山・筑波山など、九州地方では高千穂峰・阿蘇山が尊い山として仰がれた。

 

天香具山は、高天原にあった香具山が、地上の大和と伊予の國に降って来たという伝説神話があるので、上に「天」という修飾語を置いた。「天」をアマと読むか、アメと読むか、どちらとも決定し難い。折口氏は、「アメノ」と読むべしと言う。

 

『古事記』には、高天原にある天香具山について、天照大神が天の岩戸に隠れになった時、大神に岩戸からお出ましを願おうとした八百萬の神々が相談して、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとたまのみこと)が取って来た天香具山の男鹿の肩胛骨を波波迦の木で焼いて占いを行って、天香具山に茂った賢木(さかき)に勾玉(まがたま)や鏡などを付けて捧げ持ち、天宇受売命(あめのうづめみこと)が天香具山の日影蔓(ひかげかづら)を手襁(たすき)に懸け、真拆(まさき)を鬘(かずら)として、天香具山の小竹の葉を手に持ち、岩戸の前で桶を踏み鳴らして神憑りしたと記されている。

 

地上に天降って来た大和の天香具山は、「天と地とをつなぐ山」として神聖視され大和三山の中でもとりわけ尊い山とされた。現代風に言えば、天と地とをつなぐアンテナで、神事を行う際、神の降臨を仰ぐために立てる榊である「ひもろぎ」と同じ性格を持つ山である。「鎮守の森」といわれるように神社には多くの樹木があるのは、その樹木に神が降臨すると信じたからである。わが國傳統信仰における「神代」「高天原」と「地上」とは交流していて、隔絶していない。

「香具」(かぐ)とは「輝く」を短くした言葉で、香具山は輝く山・神聖な山として信仰の対象となっている。日本最古の物語とされる『竹取物語』の「かぐや姫」とは「輝くお姫様」という意である。天香具山とは「天に通じる輝く山」という意で、高天原と直結する山と信じられた。

 

天香具山は、古来宮廷祭祀が行なわれた山であり、天上の聖地が降って来たのだから、神聖なる山と仰がれた。そしてこの山は大和全体を象徴すると見られた。

 

國土には地の靈(國魂)が籠っているという信仰がある。神武天皇が御東征を終えられ、大和に都を開かれるにあたって大和の國の靈を鎮めなければならなかった。そのためのお祭りで用いられた神具の土器は、大和の地の靈を象徴し大和の國魂が宿っていて、天と地とをつなぐ神聖なる天香具山の埴土(きめが細かくてねばりけのある黄赤色の土)で作られたと伝えられている。それによって、神武天皇は大和國を治められる靈的なお力を備えられた。これは、天香具山の土を手に入れることが大和全体を掌握することになるという信仰である。

 

折口信夫氏は、「天香具山の名は天上の山の名である。同時に地上の祭時に當って、天上と一つの聖地-天高市(アメタケチ)-と考へられた土地の中心が此山であった。だから平常にも聖なる地として天なる称號をつけて呼ぶ様になったのだ」「大和なる地名は、當然宮廷のある地を意味する。天は、宮廷の真上にあり、宮廷のある處は、天の真下である。即ち、國語に於ける天が下(アメガシタ)の確かな用語例は、宮廷及び宮廷の所在を示すことになる。だから、宮廷の存在なる狭義の大倭は、天が下であり、同時に天其物と觀じることが出来た。天香具山は、地上に於ける聖地の中心であった。即ち、大倭の中心である。この山の埴土(注・きめの細かい黄赤色の粘土)は、大倭の國魂の象徴にもなる…。」(『大倭宮廷の靱業期』)論じている。

 

天皇のおられる宮殿は「天」(高天原)であり「聖地」である。その中心が天香具山なのである。そのような神聖な所を神座(カミクラ・神のいますところ)と言う。

 

このように天香具山は、天皇の祭祀・神事即ち國家統治には欠かせない尊い山である。

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