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2015年2月27日 (金)

「歴史と伝統の國日本」こそが我々の守るべき国家である

戦後、「個の尊重」とか「人権」ということが叫ばれ、ともすると「国家」を邪魔なもの、悪いもの、人権を侵害するものという考え方が横行するようになっている。国家が人間の生活を守り発展させる有機体(生き物)であるという側面と、国民を圧迫し束縛する側面を持つことは確かである。

 

 一定地域で共同生活を営む人々の数が増加すると、共同生活の場である国家が巨大化する。特に近代産業国家は規模が大きく仕組みが複雑になる。すると、それにともなって国家を運営するために必要な国家権力というものも肥大化する。肥大化するだけでなく、国民を抑圧し圧迫するものとなる場合がある。また、他の国家との闘争・戦争を行う場合もある。また、そこに生きる国民同士の衝突も起こる。

 

しかし、人間は余程の例外を除いて一人では生きていけない。人は多くの人間との関係性・共同生活があってはじめて生存できる。

 

 「人」というものは、自分自身であるとともに他者でもありさらには共同生活を営む場の全体のことでもある。それは「人」という言葉は、「人を馬鹿にするな」と言う場合は自分自身のことであり、「人の物を取る」と言う場合は「他者」のことであり、「人聞きが悪い」と言う場合は世間のことであることによっても分かる。

 

 人間が人間として生活するためには、多くの人々によって成立する共同体が必要不可欠なのである。そういう共同体が、発展し巨大化したものが、「国家」なのである。したがって国家をいたずらに敵視したり、国家を破壊すれば人間が幸福になると考えるのは誤りである。

 

我々が限り無く愛する日本国とはいかなる国であるのだろうか。国家という言葉は漢語であるが、やまとことばには「クニ」という言葉がある。この国という言葉は「懐かしい故郷」という意味でも用いられる場合がある。「あなたクニはどこですか?」という時は、故郷という意味である。英語でいうとCounryである。ところが「クニに税金を取られる」「公害訴訟のクニ側の証人」という時のクニは、行政機構・権力組織のことである。英語でいうとStateである。

 

 現実に我々が愛するクニとはやはり「懐かしい故郷」としてのクニであろう。クニという一定の広がりを持った土地の上に自然に生まれた共同体が営まれる。それはよく「母国」とか「祖国」とかいう言葉で表現される。その基本は夫婦であり子であり孫である。すなわち「家」である。ゆえに「国家」という言葉が生まれたのではなかろうか。

 

国家を否定し、国旗日の丸や国歌君が代も認めず、愛国心を嫌う人々は、「国家」を権力機構としてのみとらえているのである。権力機構としての国家を否定することは或いは可能かもしれない。例えば「腐敗堕落して自民党が好き勝手なことをしているから国に税金なんか納めない」と主張し、それを実行することは可能である。(勿論それによって権力機構から制裁を加えられるだろうが…)しかし、自分が今「父祖の国」「母国」としての国家に生まれ育ち生きている事実は否定できない。

 

三島由紀夫氏は「私は(国家には・注)統治的国家と祭祀的国家とあると考えて、近代政治学の考えるネーション(国家と訳されている・注)というのは統治的国家だけれども、この統治的国家のために死ぬということは僕はむずかしいと思う…もう一つネーションというものは祭祀的な国家というものが本源的にあって、これは管理機能あるいは統治機能と全然関係がないものだ。ここにネーションというものの根拠を求めなければ、私は将来守ることはできないのだという考えを持っている。…ラショナル(合理的・注)な機能を統治国家が代表して、イラショナル(非合理的・注)なイロジカル(非論理的・注)機能をこの祭祀国家が代表している。…この二つのイロジカルな国家とロジカルな国家が表裏一体になることがぼくの考えるいい国家なんです」(村上一郎氏との対談『尚武の心と憤怒の抒情』)と語っている。

   

我々の愛する国家とは権力機構としての国家ではない。否定しても否定し切れないところの国である。海という大自然をめぐらし、緑濃き山と清らかな河とを有する国、農耕を営み、優れた文化感覚を持つ国「日本」である。

 

この麗しき国日本は、村落共同体から出発して、次第にその範囲を広め、日本という国家を形成した。その本質は、地縁・血縁によって結ばれただけでなく、稲作生活から生まれた祭祀を基本とする伝統信仰によって結合している共同体である。その信仰共同体の祭り主が天皇(すめらみこと)なのである。故に日本という国とはいかなる国であるかと問われれば、「天皇中心の信仰共同体である」と答えるのが正しいのである。

 我々日本人が理想とする国家とは、麗しい天皇中心の信仰共同体とこれを統治する政治機構が包含され一体となったものなのである。

 

 国家が暴力装置であり支配と被支配との関係の機関的存在であるとして扱われ、国家に対する愛が薄れ共同体意識が無くなりつつある現代においてこのことを正しく認識することは非常に重要であり最大の課題であると言える。

 

三島由紀夫氏は「檄文」で「日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」と書かれている。

 

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