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2015年2月20日 (金)

現御神信仰と「今即神代」

天皇が生きたまう神であられるという信仰即ち現御神思想は、天皇が祭祀を行われることから発するのである。『昭和二十一年元旦の詔書』で、天皇は神格を否定されいわゆる『人間宣言』を行われたとされているが、天皇が大嘗祭・新嘗祭・神嘗祭などのお祭りをされておられる限り、天皇と日本の神々とは一体であるという信仰が無くなることはない。天皇が祭り主であられるということ自体が、天皇が地上において生きたまう神であられるということなのである。なぜなら、祭りとは自分を無にして神に仕え神と一体となる信仰的行事であるからである。

 

「天皇が神であられる」とは、天皇がキリスト教などの一神教の「全知全能の神」「唯一絶対神」だということではない。天皇は天神地祇の祭り主であられ、「神ながら」の御存在であられるということである。明治以後キリスト教の「ゴッド」を「神」と訳したのが大きな混乱の基なのである。支那では「ゴッド」を「天帝」と訳している。わが國も「造物主」とでも訳すべきであった。

 

今・此処が神代と思う信仰、自然を神として拝ろがむ信仰は、自然が美しく穏やかな日本國であればこそ生まれてきた信仰である。自然と対立せず、自然を征服しようとしないで、自然の中に包まれ自然と共にて生きる日本人の國土観・自然観である。

 

神話と歴史とを区別してはならない。わが國においては、神話と歴史は分かち難くつらなっている。だからこそ『記紀』という歴史書は、神話の世界から語られているのである。「今即神代」が日本傳統信仰の根幹である。「高天原を地上へ」がわが國民の信仰的理想である。

 

また、「天孫が天照大神の血統上の孫ではないことは明らかである。ではこの皇統の繋がりを何と呼ぶのか。靈統と謂っても道統としてもよい。ただ人間の世界の血統概念を当てはめて皇統は女系に始まる、とするのは實に素朴な誤謬である」「神話の論理では血統を辿ろうとしても意味をなさない。血統が意味を有つのは人間の歴史世界での話であり、日本で言へば神代を過ぎて人皇第一代となる神武天皇以降のことである。それにより遡っての皇統の継受はさきにも一言ふれたが靈統乃至道統の理念を以て解するより他はない」といふ論議がある。

 

天孫瓊瓊杵尊は肉身を持たれる御存在であられた。邇邇藝命は天照大神の血統上の御孫であらせられる。そして靈統と血統は不二一體である。

 

神話は論理ではない。古代日本神の純真なる信仰精神である。靈統と血統は不二一體であり、今即神代である。

 

神話の世界即ち神代と人間の歴史世界を切り離し、分離させてはならない。日本傳統信仰においては今が神代である。天皇は現御神即ち天照大神の地上的御顕現である。

 

天皇を現御神と申し上げるのは、地上における天照大神のご代理としての神格を持たれるからである。われわれ日本國民は太古以来天皇を天照大神と御一體の尊貴なるご存在と仰ぎ奉ってきた。

 

萩野貞樹氏はその著『歪められた日本神話』の「はじめに」おいて「今から千三百年ほども前私たちの祖先は、はるかな傳承を核として語りつつ歴史へと流れ込む大古典を作り上げた。『古事記』『日本書紀』である」「日本という國は神話の研究にとっては世界で一番恵まれている國である…日本こそ太古以来の神話が現に生きて働き、人々が『神話を生きている』という世界でたった一つ の文明國である…」と論じている。

 

「はるかな傳承」が語られた日本の神話は歴史の世界に「流れ込み」、神話と歴史は一體となっている。『記紀』は、神話と歴史が分かち難く語られた「大古典」なのである。

 

「神話」において語られているのは、「一切のものごとの生成の根源」であり「古代人の英知の結晶」であり、「神話的真實」なのである。「神話」には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られている。日本には、今日唯今も、神話の世界が生きている。そして日本人は神話の世界に生きている。

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