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2015年2月23日 (月)

日本精神の骨髄たる「清明心」について

天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。日本國民は古来、「清けく明けく」(清明心)を最高の価値として来たのである。

 

「さやけ」といふ言葉に「清明」の文字をあてたことが大事である。「清明心(汚れなく・清く・くもりなく・明らけき心)」にあこがれ「くらき心」「きたなき心」を嫌った心が日本人の心である。神道が禊祓を大切な行事とするのもこの精神によるのである。

 

「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。日本武尊の御事績を拝すればそれは明らかである。

 

和辻哲郎氏は、「上代人は、全体性の権威を無限に深い根源から理解して、そこに神聖性を認めた。そして神聖性の担い手を現御神や皇祖神として把握した。従って全体性への順従を意味する清明心は、究極において現御神や皇祖神への無私なる帰属を意味することになる。この無私なる帰属が、権力への屈従ではなくして柔和なる心情や優しい情愛に充たされているところに、上代人の清明心の最も著しい特徴が看取せられるべきであろう。」(『日本古代文化』)と論じておられる。

 

平田篤胤は、「抑我が皇神の道の趣きは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)ひ、君親には忠孝(マメ)に事(ツカ)へ、妻子(メコ)を恵みて子孫を多く生殖(ウミフヤ)し、……家の栄えむ事を思ふぞ、神ながら御傳(ミツタ)へ坐(マ)せる真(マコト)の道なる。」(『玉襷』)と論じてゐる。

 

「清明心」は「まごころ」といはれる精神であり、中世神道においては「正直」と称せられるものである。偽善や嘘を嫌ふ心である。無私の心であり我執なき無我の心である。

 

西洋精神が自我を拡張し、自我を確立することを根本とするのとは對照的にわが國は「無我」を根本とするのである。無我・無私となられて神を祭られる天皇は、「清明心」の根源者であらせられ、体現者であらせられるのである。ゆへにこそ「現御神・現人神」と仰がれるのである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

明治天皇は

 

さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり

 

あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな

 

と詠ませられてゐる。この御製の大御心こそ清明心であると拝する。

 

村岡典嗣氏は「まごゝろといひ、大和心といふものには、一味もののはれと通ずるところがある。而してこれまた、現人神にます天皇を對象とすることに於いて、重なる存在をはじめに有した丹き心本来の性格であった。……正統記に、儒教的の有徳王君主の思想を少なくとも絶對的に否定しつべき積極的主張の十分でなかったことを、感ぜざるを得ざらしめる。これは國學者の立場からせば、所謂漢意を去りえなかったのである。天皇は天皇にまします故に貴く、善悪の論を離れて絶對に尊びまつるべしといふのは、合理主義以上のまた以外の至情である。丹き心の根柢にはこの情味がある。この事は、國學をまって、始めて明瞭なる自覺を以て發揮せられたところである。されば親房以後近世の日本的儒學者の間に於いては、就中、山鹿素行の如き、頗る日本精神の主張に於いて、一層の進歩を示したとはいへども、未だこの點國學ほど純粋ではなかった憾みがある。而してこは、國學の古典學を有しなかった爲である。」(『日本思想氏研究第四』)と論じてゐる。

 

わが國における「尊皇精神」「忠義」とは、現御神日本天皇に對する絶對的な仰慕の心・戀闕の心をいふのである。一切の私心なく天皇にまつろひ奉ることが最高の道義なのである。それを「清明心」といふのである。

 

「丹(あか)き心」とは、「赤心(せきしん)」であり、誠實、偽りのない心、まごころ、美しい心、きれいな心、清い心、まことの心である。すなはち日本精神の骨髄たる「清明心」である。

 

古代における「清明心」は、中古時代には『源氏物語』において「もののあはれ」と表現され、中世においては『神皇正統記』などにおいて「正直」と表現され、近世においては本居宣長などによって「やまとごころ」と表現され受け継がれた。 

 

わが國の「もののふの道」は、『古事記・萬葉』の歌々を見ても明らかな如く、日本の中核的な傳統精神から発した。上御一人・現御神に對する戀闕が根幹である。

 

大東亜戦争後、日本弱体化を目的として押し付けられ「似非平和主義」を脱却して、「ますらをの道」「もののふの道」に回帰すべきである。それこそが祖國を守り抜き真の平和を確立する方途であると確信する。

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