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2015年2月 4日 (水)

「もののふの道」とは

 「もののふ」とは、武人・武士のことをやまとことば(和語すなはち漢語や西洋などからの外来語に對し、日本固有の語)で表現した言葉であり、雅語(上品な言葉。正しくてよい言葉。特に、和歌などに使ふ、平安時代風の言葉)的表現である。

 

 「もののふ」とは、「宮廷を守護する者」即ち「物部(もののべ)」の音韻が変化した語であるといふ。「もの」とは「もののけ」の「もの」と同じで、不思議な霊力がある存在のことである。物部氏という氏族は、もっとも有力な「もののふ」だった。

 

 「物部」の原義は、宮廷の妨げをするものを平らげ鎮める働きをする部(群れ・組。世襲的に一定の職業に従事した団体)のことである。物部氏は、古代の氏族の一つで、朝廷の軍事・刑獄のことを司った。 

 

物部氏は饒速日命の後裔にして武勇を以て聞こえた家柄で、神武天皇に奉仕し、御東征の折に大和で長髄彦を討って勲功があった。大伴氏と共に宮門を護衛し、軍事を担当した。用命天皇崩御直後(用命天皇二年・五八七)、仏教受容を唱へた蘇我氏と物部守氏が戦ひ、物部氏は滅びた。

 

霊的力即ち巫術(超自然的存在が人にのりうつり、その人を通して話し、行動するもの)を以て戦場に臨み、敵軍を守る精霊を抑圧する役目を帯びた者たちが「もののふ」(物部)であった。

 

折口信夫氏は、「(古代日本では)多くは巫術を以て戰場に臨み、敵軍を守る精靈を抑壓する者だったらう。大體、男軍其ものが既に、軍靈を使って、敵軍の守護靈を壓倒することを第一義にして居た。其爲に戰士のことを靈部(物部)と言ったのである」(『大倭朝廷の刱業期』と論じてゐる。

 

『日本書紀』の神武天皇御東征の折の長髄彦(ながすねひこと)との一戦のくだりに「…神祇(あまつやしろくにつやしろ)を禮(ゐやま)ひ祭(いは)ひて、日神の威(みいきほひ)を背(そびら)に負ひたてまつりて、影(みかげ)のままに壓躡(おそひふ)まむに若かじ。かからば則ち曽て刃に血ぬらずして、虜(あだ)必ず自らに敗れなむ」と記されてゐる。

 

古代日本における戦ひは靈力の戦ひであったのであり、それに従事する士が「もののふ(靈部)」であった。とりわけ上御一人の「みいくさ」は、日の神の御神靈を祭りその神威を背負ひて神のまにまに戦はれたのである。

 

「神武」「天武」「文武」「聖武」といふ御歴代天皇の御諡号は、文武對立の武ではなく神威と一体の武である。

 

日本の武士が戦場に於いてお互ひに名乗りをあげたのは、互ひに名乗り合ふことによって相手方の靈を圧伏する意義があったと思はれる。

 

「もののふのみち」(支那から傳来してわが國の言葉となった「漢語」でいふと「武士道」)は、物部、大伴の二氏によって明確なる史實として表現せられた。

 

 なほ、「もののふ」を漢語で「武士」(ぶし)といふのは、折口信夫氏の説では、野に伏し山に伏して主君のために仕へる者であるからといふ。

 

もののふの道(武士道)とは、古代日本(古事記・萬葉時代)においては、天皇・朝廷に忠誠を尽しお護り申し上げる精神そのものである。それが原義である。日本武尊の御生涯を拝してもそれは明らかである。

 

もののふの道(武士道)とは、「尊皇心」「祖先を崇拝する心」「父母に對する孝の心」そして「名誉心(名を惜しむ心)」などがその内容となってゐる。名誉を重んずる心は、自己の一身を忠義・戀闕の對象(天皇・祖先・親・家)に捧げることに十分なる理由を与へた。

 

かうした日本の傳統的倫理観念が、人並み優れて強い男子といふ武士(もののふ)に、節度・忍従・帰服の心を付与した。「武」によって立つ者に道徳を与へたのは尊皇精神を中核とする日本傳統倫理精神であった。

 

新渡戸稲造氏は、「仏教の与え得ざりしものを、神道が豊かに供給した。神道の教義によりて刻みこまれたる主君に對する忠誠、祖先に對する尊敬、ならびに親に對する孝行は、他のいかなる宗教によっても教えられなかったほどのものであって、これによって武士の傲慢なる性格に服従性が賦与せられた。」(『武士道』)と論じてをられる。

 

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