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2015年2月 6日 (金)

やまとうたとは─その原義と本質

和歌(やまとうた)は、日本の最も純粋な最も固有な文藝である。和歌は、漢詩(からうた)に対する和歌(やまとうた)である。意識的に「やまとうた」といふ言葉を用い出した人は、紀貫之といはれてゐる。

 

紀貫之は、平安前期の歌人、歌學者。三十六歌仙の一人。仮名文日記文學の先駆とされる『土佐日記』の作者である。加賀介、土佐守などを歴任。醍醐天皇の勅命による『古今和歌集』撰進の中心となり、その「仮名序」を執筆した人。

「やまとうた」は「まつりごと」(祭祀)から発生した。日本では太古から、天地自然の奥に生きてをられる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈るまつりごとが行はれてゐた。その「まつりごと」において、祭り主が神憑りの状態で「となへごと」を発した。神憑りの状態から発せられた「となへごと」が度々繰り返される過程で、一定の形をとるやうになった。それが「やまとうた」(和歌)の起源であらう。祭祀における「となへごと」は、「やまとうた」のみならずわが國の文藝全體の起源である。

 

『うた』の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。歌をはじめとした日本文藝の起源は、神への訴へかけである。神に対してだけでなく、戀人や親や死者など他者に対する何事かの訴へかけが、日本文藝の起源である。他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。

 

高崎正秀氏は、「歌は空(ウツ)・現(ウツツ)・うつろ・うつけなどと同義で、神憑りの夢幻的な半狂乱の恍惚状態を指すことから出た語であり、同時にまた、裏・占・心(ウラ)・訴(ウタ)ふなどとも同系語で、心の中の欲求を神に愁訴するものであった。」(『伊勢物語の意義』)と論じてをられる。

 

わが國の文藝の起源は神への祭祀における舞ひ踊りと共に歌はれた「歌」であることは、出土してきてゐる土偶によって推察されるといふ。

 

日本民族は、ことばを大切にし、ことばに不可思議にして靈的な力があると信じた。ゆへにわが國は「言靈のさきはふ國」といはれる。わが國においては、歌は何よりも大切な神への捧げものとされたのである。それが「祝詞」となった。「祝詞」も声調・調べが整ってゐる。

 

日本人の言靈信仰が歌を生んだともいへる。折口信夫氏は、「(言靈信仰とは)古くから傳ってゐる言葉の持ってゐる靈力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言靈、つまり言語の精靈である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・靈魂があると考へた。それが言靈である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである。」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教において、神や仏に対して祈りを捧げたり経典を讀誦したり特定の言葉を唱へることが基本的行事となってゐる。

 

「自分の本当の心・素直な心・そのままのこころ・まごころ」は、わが國文學の基本的情緒とされる「もののあはれを知る心」と同意義と考へてよいと思ふ。見るものにつけて聞くものにつけて自分の心が感動することを「もののあはれ」といふ。それが「五・七・五・七・七」といふ形式で表白され、讀んだ人・聞いた人の魂を動かすといふのが「やまとうた」である。

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