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2015年2月27日 (金)

「歴史と伝統の國日本」こそが我々の守るべき国家である

戦後、「個の尊重」とか「人権」ということが叫ばれ、ともすると「国家」を邪魔なもの、悪いもの、人権を侵害するものという考え方が横行するようになっている。国家が人間の生活を守り発展させる有機体(生き物)であるという側面と、国民を圧迫し束縛する側面を持つことは確かである。

 

 一定地域で共同生活を営む人々の数が増加すると、共同生活の場である国家が巨大化する。特に近代産業国家は規模が大きく仕組みが複雑になる。すると、それにともなって国家を運営するために必要な国家権力というものも肥大化する。肥大化するだけでなく、国民を抑圧し圧迫するものとなる場合がある。また、他の国家との闘争・戦争を行う場合もある。また、そこに生きる国民同士の衝突も起こる。

 

しかし、人間は余程の例外を除いて一人では生きていけない。人は多くの人間との関係性・共同生活があってはじめて生存できる。

 

 「人」というものは、自分自身であるとともに他者でもありさらには共同生活を営む場の全体のことでもある。それは「人」という言葉は、「人を馬鹿にするな」と言う場合は自分自身のことであり、「人の物を取る」と言う場合は「他者」のことであり、「人聞きが悪い」と言う場合は世間のことであることによっても分かる。

 

 人間が人間として生活するためには、多くの人々によって成立する共同体が必要不可欠なのである。そういう共同体が、発展し巨大化したものが、「国家」なのである。したがって国家をいたずらに敵視したり、国家を破壊すれば人間が幸福になると考えるのは誤りである。

 

我々が限り無く愛する日本国とはいかなる国であるのだろうか。国家という言葉は漢語であるが、やまとことばには「クニ」という言葉がある。この国という言葉は「懐かしい故郷」という意味でも用いられる場合がある。「あなたクニはどこですか?」という時は、故郷という意味である。英語でいうとCounryである。ところが「クニに税金を取られる」「公害訴訟のクニ側の証人」という時のクニは、行政機構・権力組織のことである。英語でいうとStateである。

 

 現実に我々が愛するクニとはやはり「懐かしい故郷」としてのクニであろう。クニという一定の広がりを持った土地の上に自然に生まれた共同体が営まれる。それはよく「母国」とか「祖国」とかいう言葉で表現される。その基本は夫婦であり子であり孫である。すなわち「家」である。ゆえに「国家」という言葉が生まれたのではなかろうか。

 

国家を否定し、国旗日の丸や国歌君が代も認めず、愛国心を嫌う人々は、「国家」を権力機構としてのみとらえているのである。権力機構としての国家を否定することは或いは可能かもしれない。例えば「腐敗堕落して自民党が好き勝手なことをしているから国に税金なんか納めない」と主張し、それを実行することは可能である。(勿論それによって権力機構から制裁を加えられるだろうが…)しかし、自分が今「父祖の国」「母国」としての国家に生まれ育ち生きている事実は否定できない。

 

三島由紀夫氏は「私は(国家には・注)統治的国家と祭祀的国家とあると考えて、近代政治学の考えるネーション(国家と訳されている・注)というのは統治的国家だけれども、この統治的国家のために死ぬということは僕はむずかしいと思う…もう一つネーションというものは祭祀的な国家というものが本源的にあって、これは管理機能あるいは統治機能と全然関係がないものだ。ここにネーションというものの根拠を求めなければ、私は将来守ることはできないのだという考えを持っている。…ラショナル(合理的・注)な機能を統治国家が代表して、イラショナル(非合理的・注)なイロジカル(非論理的・注)機能をこの祭祀国家が代表している。…この二つのイロジカルな国家とロジカルな国家が表裏一体になることがぼくの考えるいい国家なんです」(村上一郎氏との対談『尚武の心と憤怒の抒情』)と語っている。

   

我々の愛する国家とは権力機構としての国家ではない。否定しても否定し切れないところの国である。海という大自然をめぐらし、緑濃き山と清らかな河とを有する国、農耕を営み、優れた文化感覚を持つ国「日本」である。

 

この麗しき国日本は、村落共同体から出発して、次第にその範囲を広め、日本という国家を形成した。その本質は、地縁・血縁によって結ばれただけでなく、稲作生活から生まれた祭祀を基本とする伝統信仰によって結合している共同体である。その信仰共同体の祭り主が天皇(すめらみこと)なのである。故に日本という国とはいかなる国であるかと問われれば、「天皇中心の信仰共同体である」と答えるのが正しいのである。

 我々日本人が理想とする国家とは、麗しい天皇中心の信仰共同体とこれを統治する政治機構が包含され一体となったものなのである。

 

 国家が暴力装置であり支配と被支配との関係の機関的存在であるとして扱われ、国家に対する愛が薄れ共同体意識が無くなりつつある現代においてこのことを正しく認識することは非常に重要であり最大の課題であると言える。

 

三島由紀夫氏は「檄文」で「日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」と書かれている。

 

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千駄木庵日乗二月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、施設に赴き、母に付き添う。元気である。歌を歌っている。有り難し。

午後六時より、日暮里にて、遠来の同志の方々と懇談。談論風発。楽しきひと時を過ごす。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2015年2月26日 (木)

天照大御神について

天照大御神は、『古事記』によると、伊耶那岐命が、筑紫の日向の橘の阿波岐原で禊祓へされた時、左のみ目を洗ひたまひし時になりませる神である。右のみ目を洗ひたまひし時になりませる神は月読命、鼻を洗ひたまひし時になりませる神は須佐之男命である。

 

『日本書紀』には、「伊耶那岐命・伊耶那美命、共に議(はか)りて曰(のたま)はく、吾すでに大八洲國及び山川草木を生めり。いかにぞ天の下の主たる者を生まざらむや、と。ここに共に日神(ひのかみ)を生みます。大日孁貴(おほひるめのむち)と號(まを)す。此の子(みこ)、光華明彩(ひかりうるは)しくして、六合(くに)の内に照り徹る」と記されてゐる。

 

古代日本人は太陽を崇めた。天孫・邇邇藝命が天降られた地は、「朝日の直(ただ)刺す国、夕日の日照る国なり。故(かれ)此の地はいと吉(よ)き地(ところ)」(『古事記』)と記されてゐる。『萬葉集』の「人麻呂歌集」には、「ひさかたの 天つみ空に 照れる日の 失せなむ日こそ 我が恋やまめ」といふ歌がある。

 

古代日本人の素朴な太陽への信仰・崇拝の心が、次第に純化し太陽の光明温熱によって万物万生が生成化育するといふ、その尊い事実を神格化して太陽を最高尊貴な人格神として拝むようになったのである。

 

古代日本人は日の神の永遠性を信仰してゐた。故に、日の神たる天照大御神は、最尊最貴の神と仰がれる。天照大御神は、高天原の主神であり、日の神である。その日の神を祀る祭祀主を共同体の「おほきみ」と仰いだ。そして日の神を「おほきみ」の祖神と信じた。天照大御神は、日神と穀靈に五穀の豊饒を祈る祭祀主である「おほきみ=天皇(すめらみこと)」の御祖先神としても仰がれるやうになったのであらう。天照大御神は、日の神=自然神と、皇祖神=祖先神との二つの面を持つ女性神であられる。

 

天照大御神は、大日孁貴尊(おほひるめのむちのみこと)とも申し上げる。太陽を神格化した御名である。「ヒルメ」は光り輝く意で、「メ」は女神の意である。

 

八咫鏡は、天照大御神が岩戸にお隠れになった時、石凝姥命(いしこりどめのみこと)がお造りした。天照大御神の神霊の依代(よりしろ)として天孫降臨後、宮中に安置され、垂仁天皇の時代に伊勢に移されたと伝へられる。伊勢神宮の御神体である。皇位継承のみしるしとして宮中賢所(かしこどころ)に代りの鏡がまつられてゐる。

 

『日本書紀』には、天照大御神が天忍穂耳命(あまのほしほみみのみこと・邇邇藝命の父神)に「宝鏡」を授けて、

「視此宝鏡、当猶視吾、可与同殿共殿、以為斎鏡」(この鏡を視まさむこと、まさに吾を視るがごとくすべし。ともに床(ゆか)を同じくし殿(おほとの)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いはひのかがみ)とすべし)

と命じられたと記されてゐる。

 

『古事記』には、邇邇藝命が天降られる時、天照大御神が、三種の神器を副へて「これの鏡は、もはら我が御魂として、吾が前を拝(いつ)くがごと、斎(いつ)きまつれ」(この鏡こそはもっぱら私の魂として、私の前を祭るやうにお祭り申し上げよ)との御神勅を下されたと記されてゐる。

 

「八咫鏡」は、天照大御神の依代(よりしろ・神が顕現する時の媒体となるもの)として拝まれるのである。

 

『日本書紀』には、鏡を作って日の神の御像としたことが記されてゐる。鏡は三世紀代の古墳から発見されてをり、その頃には太陽神(日の神)祭祀に用いられてゐたと思はれる。太陽に鏡を向けると、その鏡は太陽と同じようにまぶしく光り輝くので、鏡は太陽神を象徴するのに最もふさわしいものであったと考へられる。

 

天照大御神は、丹波・紀伊・吉備などの各地をお巡りになった後、第十一代・垂仁天皇二十六年の九月、皇女・倭姫命が御杖代となられ、伊勢の五十鈴川上の現在地に祭られるやうになった。

 

宮中には、宮中用の御鏡が鋳造せられ、それを御神体として賢所・内侍所と称される神殿に奉斎され、今日に至る。

 

天照大御神はなにゆへ伊勢の地に祭られたのであらうか。それは、伊勢の地が、大和朝廷の都があった大和盆地の東方にあたり、「日出づる地」であったからであり、大和国の日の神信仰の聖地である笠縫邑から東方に直線で結ばれる地であるからあらう。

 

伊勢の地は、まさしく日の神を祭祀するにふさはしい地であった。事実、伊勢・志摩地方には古くから太陽神祭祀を行っていた形跡があるといふ。

 

『日本書紀』には、天照大御神御自ら、「是の神風の伊勢國は、常世(とこよ)の浪の重波(しきなみ)歸(よ)する國なり。傍國(かたくに)の可怜(うま)し國なり。是の國に居らむと欲(おも)ふ」(この神風の伊勢の國は、永遠の世からの波がしきりに打ち寄せる國である。大和の脇にある麗しい国である。この国に居りたいと思ふ)と宣言されたと記されてゐる。

 

東から太陽が昇る国であると共に、常世の国から波がしきりに打ち寄せる國である事を喜んでをられる。わが国古代人は、海の彼方への憧れが強かった。常世とは、海の彼方にある永遠の国のことで、龍宮伝説につながる。

 

日本人は太古から自分が今生きてゐる世界とは異なる世界すなはち異郷への憧れの心・「他界」へのロマン精神を持ってゐた。日本人は、遠くはるかな水平線の彼方に聖なる神々の世界があると信じた。その世界を「常世」「妣(はは)の国」といふ。そこは不老長寿の世界であり、創造の本源世界と信じられた。龍宮界伝説はその典型である。「海」は「生み」に通じるのである。

 

天照大御神の伊勢鎮座の伝承には、日本人が古来から持ってゐる「常世」「妣の国」=生命の本源への回帰・永遠の世界への憧れの思ひが自然に表白されてゐるのである。

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千駄木庵日乗二月二十六日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。書状執筆。原稿執筆など。

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國體精神に立脚した憲法に回帰すべし

 日本は、現御神日本天皇を中心とし、天地の神々が生き給ふ國である。それは、わが國の歴史を見れば、否定することは全く不可能な事實であり、建國以来のわが國體である。

 

 わが國の悠久の歴史の中に築かれた不文の國體に、憲法の条文なり思想が合致してゐなければならない。日本の傳統精神・國家観・人間観を隠蔽してゐる元凶は『現行占領憲法』である。

 

 終戦直後、國際法の禁を破って押し付けられた『現行占領憲法』の無効を確認し、わが國の國體精神に立脚した憲法に回帰しなければならない。それが、独立國家としても、憲政のあり方としても、至極当然な道理である。

 

 今日の多くの政治家や憲法學者やマスコミは、相変らず外来思想である「君主と対立する人民が國家の主権者である」といふ「國民主権論」をとり、わが國の國家傳統の破壊してゐる。それが一般國民の常識となって浸透してゐることは實に以て、國家存立の基礎を揺るがす事實である。

 

 祭祀国家日本の祭り主である日本天皇は、常に国民の幸福を祈る祭り主なのであるから、国民と相対立する存在ではないし、日本天皇は国民を力によって支配し隷従せしめる存在ではない。国民と共に神に祈り、神を祭り、神の意志を国民に示し、また国民の意志を神に申し上げ、国民の幸福の実現を最高の使命とされるお方が天皇である。つまり君主と民は「和」「共同」の関係にあるのであり、対立関係ではない。こうした天皇中心の日本の国柄を「君民一体の日本国体」というのである。このような日本の国柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで続いてきている。

 

ところが外国では、太古の王家も古代国家もそして古代民族信仰もとっくに姿を消し、その後に現れた王家は武力による征服者であり、その後に現れた国家は権力国家であり、その後に現れた信仰は排他的な教団宗教である。古代オリエントや古代シナにおいては、祭祀を中心とする共同体が武力征服王朝によって破壊されてしまった。共同体を奪われ祭りを喪失したよるべなき人々は、貨幣や武力に頼らざるを得なくなり、権力国家・武力支配国家を形成した。

 

 それに比してわが日本は、古代からの祭祀主を中心とする共同体国家が、外国からの武力侵略によって破壊されることがなく、今日も続いている唯一の国なのである。皇室祭祀だけでなく、全国各地で一般国民が参加する祭祀が続けられている。まことにありがたき事実である。

 

そして今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、現実の国家元首と仰ぎ、国家と民族の統一の中心として仰いでいる。これは日本の麗しい自然と稲作生活が完全に滅びない限り続くであろう。こうした事実が、西洋諸国やシナと日本国との決定的違いである。

 

 長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも国が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を中心とする共同体精神があったからである。日本という国は太古以来の伝統を保持する世界で最も保守的な国でありながら、激しい変革を繰り返して来た国なのである。その不動の核が天皇である。

 

 この麗しい国体が戦後現行憲法によって隠蔽されている。西洋諸国の外国の国家観・君主観・権力論を基本にした『現行占領憲法』は、祭祀国家・信仰共同体日本の国柄の精神を正しく表現していない。というよりも、『現行憲法』は、天皇の国家統治を、西洋の絶対君主の暴力的支配と同一視し、国家は個人の暴力的抑圧装置であるとし、天皇及び国家は「個人の敵」であるという考え方に立って押し付けられた憲法である。そして、「民主化」「個人の幸福」「日本の健全な発展」のためには、天皇の「地位」を低め「権能」を弱めることが必要であるという意識のもとに、欧米の政治思想である「国民主権論」が採用されている。

 

 こうした『現行憲法』によるわが国の建国以来の国柄の隠蔽が、国家の解体・家族の解体・道義の頽廃を招いているのである。

 

日本の伝統的国家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立っている『現行憲法』が長く続けば続くほど、麗しい伝統的な日本の国柄が隠蔽され破壊され続けることとなる。これが現代の混迷の根本原因である。

 

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千駄木庵日乗二月二十五日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時より、神田学士会館にて、『尾崎秀英さんを偲ぶ会』開催。南丘喜八郎氏が司会。鈴木宗男・長谷川三千子・佐藤優の各氏などがスピーチ。数多くの方々が出席された。尾崎氏は、『月刊日本』の副編集長であられた。心より冥福を祈る。

帰宅後は、原稿執筆の準備・原稿執筆。

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2015年2月25日 (水)

「 き こ し め す 」 と 「 し ろ し め す 」 

 天皇の国家統治の「統治」という言葉は言うまでもなく漢語即ち支那の言葉である。<やまとことば>ではまた「統治」のことを「きこす」「きこしめす」(「聞く」の尊敬語)「しらす」「しろしめす」(「知る」の尊敬語)とも言う。

「天皇が日本国の全てのことを知りたまい聴きたもう」ということが「統治」なのである。祭り主たる天皇が民の心を知りそれを神に申し上げ、さらに神の心を承って民に知らしめることが天皇の国家統治の本質である。このことによって「君と民とは相対立する存在ではなく、精神的に一体の関係にある信仰共同体」としての日本国が成立する。

 

 天皇統治は、天の神の御委任により天の神の地上における御代理としての天皇が天の下をお治めになるという雄大なる神話的発想に基づくのである。漢字表現は支那のものであっても、信仰自体は日本固有のものであって、神話時代より継承されてきたのである。人為的に権力・武力によって民と国土を治めるのではなく、あくまでも神の御心のままに宗教的権威によって国民と国土を治めるというのが天皇の国家統治である。

 

日本を統治するために天の神の命令により天から天降られた天孫邇邇藝命の父にあられ、天照大神が邇邇藝命の前に地上に天降らせようとした神を正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)      と申し上げる。さらに、神武天皇の御子・綏靖天皇を神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)と申し上げる。日本国の統治者・君主は「耳で聞く」ことを大事にされていたので「耳」という御名を持たれたと思われる。

 

 『古事記』には仁徳天皇の世を聖帝の世というと記されている。仁徳天皇は、高い山に登って四方の国をご覧になり、「国の内に炊煙が立たないのは国民が貧しいからだ。これから三年間国民から税金を取るのをやめよう」と仰せられた天皇で、聖帝と讃えられた。

 

 日本思想体系『古事記』の「補注」において佐伯有清氏は、「(聖帝の仼)『聖』とは、耳と呈(貞即ち正)から成り、耳聡く聞き分ける人、神秘的な洞察力のある人物。農耕社会では時候の推移を洞察して農事を指導することが、対立する主張を聴取して調整することと共に、王たるべき者の責務であるから、聖と王とは結びつきやすい」と論じている。また『角川当用漢字字源辞典』(加藤常賢・山田勝美著)によれば、「意味を表わす『耳』と『口』と、音を表す『壬』とからなる形声字。…耳の穴がよく開いていて普通人の耳に聞こえない神の声の聞こえる意。…古代社会においては、普通人の聞きえない神の声を聞き分けうる人を『聖』と呼んだものであろう」という。

 

 一般人が聞きえないことを聞く人というのは、聴覚器官が普通の人より発達している人ということではなく、神霊の声を聞く人ということであり、祭り主ということである。神の声を聞いて民に伝え、民の声を聞いて神に申し上げるという神と人とをつなぐ役目を果たされる祭り主が天皇のなのである。

 

 また、<やまとことば>の「ひじり」(漢字では聖と書く)とは、「日を知る人」の意であるという。日とは文字通り太陽のことであり、天体の運行に通暁している人のことである。天体の運行即ち暦は農業にとってきわめて重要である。これを知っている人は農耕国家の君主たる資格を持つのである。また「日」は「霊」であり、「ひじり」は「霊力を有する神聖な存在」という意味でもある。

 

 『萬葉集』に収められた「近江の荒れたる都を過ぎし時、柿本人麿朝臣の作れる歌」という長歌の冒頭に、「玉だすき 畝傍の山の 橿原の 日知の御代ゆ 生れましし 神のことごと つがの木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを…」とある。これは「(『玉だすき』は畝傍にかかる枕詞仼)畝傍の山の橿原に都を開かれた日知りにまします(神武天皇の仼)御代以来、(『つがの木』はつぎにかかる枕詞仼)この世に降臨された現御神はことこどくみな天下を御統治になられたが…」というほどの意である。

 

ここにも「日知り」という言葉が登場する。本居宣長は、「日知り」を「日の如くして天下を知らしめすといふ意なるべし」としている。「日の神・太陽の神の如くわけへだて無く天下を統治される天皇の御代」を「日知りの御代」と言ったのである。

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2015年2月24日 (火)

千駄木庵日乗二月二十四日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、原稿執筆の準備、原稿の校正、資料の整理、原稿執筆など。、

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日本人の神観念

日本民族は、天地自然に素直なる感動と畏敬の念を持ち、天地自然を神として拝んでいる。また、死者の靈も神として拝んでいる。そこが一神教の神観念とは大きく異なる。

 

それでは、日本民族の神観念と一神教の神観念とは全く相容れないかといふとさうではない。日本人の神観念には、「神はこんな形だ」といふ一定の相形(すがたかたち)はない。神は無限である。だから、神はありとあらゆる姿に現れる。神は無相であると共に無限の相たり得るのである。日も月も山も海も大木も風も水も神として拝まれる。神は本来が無相であり無限であり、どんな姿にでも現れ、我々を護りたまふのである。さうした神々の根源神として「造化の三神」がましますのである。日本の神は「多即一・一即多」のお姿をあらはされる。

 

『古事記』冒頭には、「天地初發の時、高天原になりませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)になりまして、身を隠したまひき」と示され、「天地の生成の本源神」たる天之御中主神の次に高御産巣日神、神産巣日神の名が示されてゐる。そして「この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

 

「造化の三神」が「天地初發の時、高天原になりませる神」(天地宇宙の生成と共になりませる神)と仰がれてゐるのは、「造化の三神」が天地宇宙開闢以来天地宇宙と共に存在する神、天地宇宙の中心にまします根源神であるといふことである。ユダヤ神話の神のやうな被造物(つくられたもの)とは全然範疇の異なる存在・被造物と対立する存在たる「天地創造神」ではないのである。

 

天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神は、独神(ひとりがみ)すなはぢ唯一神゛であり、宇宙の根源神である。この「造化の三神」は、宇宙根源神・絶対神の「中心歸一」「多即一・一即多」「むすび」の原理を神の名として表現してをり一体の御存在である。

 

また、「宇摩志阿斯与訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)」「天常立神(あめのとこたちのかみ)」の二柱の神も「みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されている。「國之常立神(くにのとこたちのかみ)」「豊雲野神(とよくもぬのかみ)」も「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

 

計七柱の神は、天地宇宙の萬物萬生の普遍的根源神であるから、特定の個別化されたお姿を現されることはなく御身を隠されるのである。だから、「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐるのである。七柱の「独神」がをられるのは、唯一神の多くの働き・性格を「神名」によって表現してゐると解釈できる。「多即一・一即多」である。

 

影山正治氏は、「古代の日本人は萬ものを神に於て理解しようとした…神は無數であって八百萬の神である。しかし萬神一に歸すれば天之御中主神であって、決して云ふ所の低い庶物崇拝ではない…萬物を『いのち』に於て把握し『神』に於て理解する日本人の宇宙觀はまことに比類なきものと云はねばならない。日本に哲學なしなどゝ考へるのはとんでもない間違ひで、人類今後の思考の哲學はまさにこの日本神話の根源から發するものである」(『古事記要講』)と論じてをられる。

 

日本國の神社には、太陽神・皇室の祖先神であられる天照大御神や、その弟神で豊饒神であられるの須佐之男命などをお祭りした神社は多いが、天之御中主神を個別神として祭った神社は非常に少ない。これは、天之御中主神が、天地宇宙の根源神であると共に八百萬の神々の「御親神」であられるからである。

天之御中主神は、天地生成の根源神であられるが、「唯一絶対神」として他の神々をと対立しその存在を許さない神ではない。八百万の神と申し上げる天地の神々を包容される神である。

 

天之御中主神は、〈一即多・多即一〉の神であり、最高の根源神であるとともに萬物・萬生包容の神である。無限の可能性を有する大いなる宇宙主宰神・宇宙本源神が天之御中主神である。八百萬の神々は天之御中主神が無限の姿に現れ出られた神々である。ゆへに、天之御中主神は祭祀の対象とはならなかったのである。

 

『古事記』冒頭の五柱の「別天神」および國之常立神・豊雲野神は、形体を隠した隠身の神と仰がれた。身を隠したまふとは、隠身(かくりみ)になられることである。「かみ」とは「かくりみ」から「くり」を除いた存在であり、「神」とは「隠身(かくりみ)」のことであるといふ説もある。

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千駄木庵日乗二月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2015年2月23日 (月)

日本精神の骨髄たる「清明心」について

天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。日本國民は古来、「清けく明けく」(清明心)を最高の価値として来たのである。

 

「さやけ」といふ言葉に「清明」の文字をあてたことが大事である。「清明心(汚れなく・清く・くもりなく・明らけき心)」にあこがれ「くらき心」「きたなき心」を嫌った心が日本人の心である。神道が禊祓を大切な行事とするのもこの精神によるのである。

 

「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。日本武尊の御事績を拝すればそれは明らかである。

 

和辻哲郎氏は、「上代人は、全体性の権威を無限に深い根源から理解して、そこに神聖性を認めた。そして神聖性の担い手を現御神や皇祖神として把握した。従って全体性への順従を意味する清明心は、究極において現御神や皇祖神への無私なる帰属を意味することになる。この無私なる帰属が、権力への屈従ではなくして柔和なる心情や優しい情愛に充たされているところに、上代人の清明心の最も著しい特徴が看取せられるべきであろう。」(『日本古代文化』)と論じておられる。

 

平田篤胤は、「抑我が皇神の道の趣きは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)ひ、君親には忠孝(マメ)に事(ツカ)へ、妻子(メコ)を恵みて子孫を多く生殖(ウミフヤ)し、……家の栄えむ事を思ふぞ、神ながら御傳(ミツタ)へ坐(マ)せる真(マコト)の道なる。」(『玉襷』)と論じてゐる。

 

「清明心」は「まごころ」といはれる精神であり、中世神道においては「正直」と称せられるものである。偽善や嘘を嫌ふ心である。無私の心であり我執なき無我の心である。

 

西洋精神が自我を拡張し、自我を確立することを根本とするのとは對照的にわが國は「無我」を根本とするのである。無我・無私となられて神を祭られる天皇は、「清明心」の根源者であらせられ、体現者であらせられるのである。ゆへにこそ「現御神・現人神」と仰がれるのである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

明治天皇は

 

さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり

 

あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな

 

と詠ませられてゐる。この御製の大御心こそ清明心であると拝する。

 

村岡典嗣氏は「まごゝろといひ、大和心といふものには、一味もののはれと通ずるところがある。而してこれまた、現人神にます天皇を對象とすることに於いて、重なる存在をはじめに有した丹き心本来の性格であった。……正統記に、儒教的の有徳王君主の思想を少なくとも絶對的に否定しつべき積極的主張の十分でなかったことを、感ぜざるを得ざらしめる。これは國學者の立場からせば、所謂漢意を去りえなかったのである。天皇は天皇にまします故に貴く、善悪の論を離れて絶對に尊びまつるべしといふのは、合理主義以上のまた以外の至情である。丹き心の根柢にはこの情味がある。この事は、國學をまって、始めて明瞭なる自覺を以て發揮せられたところである。されば親房以後近世の日本的儒學者の間に於いては、就中、山鹿素行の如き、頗る日本精神の主張に於いて、一層の進歩を示したとはいへども、未だこの點國學ほど純粋ではなかった憾みがある。而してこは、國學の古典學を有しなかった爲である。」(『日本思想氏研究第四』)と論じてゐる。

 

わが國における「尊皇精神」「忠義」とは、現御神日本天皇に對する絶對的な仰慕の心・戀闕の心をいふのである。一切の私心なく天皇にまつろひ奉ることが最高の道義なのである。それを「清明心」といふのである。

 

「丹(あか)き心」とは、「赤心(せきしん)」であり、誠實、偽りのない心、まごころ、美しい心、きれいな心、清い心、まことの心である。すなはち日本精神の骨髄たる「清明心」である。

 

古代における「清明心」は、中古時代には『源氏物語』において「もののあはれ」と表現され、中世においては『神皇正統記』などにおいて「正直」と表現され、近世においては本居宣長などによって「やまとごころ」と表現され受け継がれた。 

 

わが國の「もののふの道」は、『古事記・萬葉』の歌々を見ても明らかな如く、日本の中核的な傳統精神から発した。上御一人・現御神に對する戀闕が根幹である。

 

大東亜戦争後、日本弱体化を目的として押し付けられ「似非平和主義」を脱却して、「ますらをの道」「もののふの道」に回帰すべきである。それこそが祖國を守り抜き真の平和を確立する方途であると確信する。

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2015年2月22日 (日)

千駄木庵日乗二月二十二日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理、今日の講演の準備。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏が挨拶。「昭和維新運動を考える」をテーマにして、瀬戸弘幸氏及び小生が講演。全員が意見発表。

帰宅後は、原稿執筆。

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四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十七年三月号のお知らせ

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。
 

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

 

購読料
年間 12000
半年 6000

 

平成二十七年三月号(平成二十七年二月二十日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

日本伝統信仰と一神教について

一神教同士の争ひが、中東紛争のみならず世界の宗教対立の大きな原因となってゐる

 

『日米同盟』は大切だが、アメリカの残虐性を忘却してはならない

 

大川周明氏とイスラム

 

一神教の対立と闘争は人類に計り知れない惨禍をもたらした

 

一神教が崇める唯一絶対神は裁きの神・審判の神・報復の神 

 

「左手にコーラン、右手に劍」と言はれる所以

 

キリスト教國での反ユダヤ感情

 

一神教では神に対して犠牲の奉献が行はれる

 

日本伝統信仰と一神教の自然観の違ひ

 

一神教の対立を解消せしめ全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は日本傳統信仰への回歸と恢弘にある

 

千駄木庵日乗

 

畔蒜泰助氏「ウクライナ危機はロシアの東方シフトを加速化している。しかし中國のみに依存するわけではない」

 

小原凡司氏「中國はアメリカといくら対立しても、アメリカは中國に武力行使はしないという約束を取り付けたい。これが中國の言う新型大國関係・戦略的敵対関係」

 

佐々木良昭氏「アメリカはロシアが自由に使える軍港をつぶしてしまおうとしている。アメリカ軍はロシアの咽喉元に匕首を突きつける。クリミア半島を抑えたい」

 

鶴岡路人氏「中東・欧州諸國での中國のプレゼンスが拡大していることをロシアは快く思っていない」

 

丸山和也参議院議員「専制君主に歯止めをかけようというのが西洋憲法の発端。血で血を洗う流血の末に生まれたのが西洋の憲法であり、『和を以て貴しとなす』の『十七条憲法』とは全く違う」

 

この頃詠みし歌

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近代日本の矛盾克服と日本の傳統信仰の復興

村尾次郎氏は、「(日露戦争に勝利した日本は)敗戦国と同じやうに緊張のほどけたあとの弛緩と退廃に流され、これまで表に出せなかった不平や反感が露骨化して、一種の社会不安をかもし出していた」(『明治天皇のみことのり』)と論じてゐる。

 

勝者の奢りが出てきた反面、精神が弛緩し軽佻浮薄の風が風靡し、道義精神が低下した。その上、西洋の社会主義革命思想が流入してきた。安全保障上・国防上の危機は何とか打開したが、今度は内面的危機に直面したのである。

 

明治天皇は、つねに国家国民のことをご軫念あそばれてゐた。国家国民が誤りなき道を歩むことを願はれ『軍人勅諭』『教育勅語』を渙発あそばされた。そして日露戦争後の状況を憂へられた明治天皇は、明治四十一年十月十三日『戊申詔書』を渙発あそばされた。それには次のやうに示されてゐる。

 

「方今人文日に就()り月に将(すす)み、東西相倚(よ)り彼此相濟(な)し、以て其の福利を共にす。朕は爰(ここ)に益々国交を修め友義を惇(あつう)し、列国と與に永く其の慶に頼らむことを期す。」「宜しく上下心を一にし、忠実業に服し、勤倹産を治め、惟れ信惟れ義、惇厚俗を成し、華を去り實に就き、荒怠相誡め、自彊息(や)まざるべし」「朕は方今の政局に處し、我が忠良なる臣民の協翼に倚籍(いしゃ)して、維新の皇猷を恢弘し、祖宗の威徳を對揚せむことを庶幾(こいねが)ふ。」

 

この「維新の皇猷を恢弘」(明治維新における天皇の御経綸を大いにひろめること)が大切なのである。明治維新の真精神を忘却しつつあった当時の国民へのおさとしが『戊申詔書』であったと拝する。明治天皇は、『教育勅語』において、國民の道義心の発揚を促され、『戊申詔書』において國民の驕慢と奢侈・頽廃と華美とを戒められたのである。

 

明治天皇は、大御歌においても

 

「天てらす神のみいつを仰ぐかなひらけゆく世にあふにつけても」

「橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本の國をたもたむ」

「開くべき道はひらきてかみつ代の國のすがたを忘れずもがな」

 

とお詠みになり、外来文化・文明を受容しても日本伝統精神を忘却してはならないと國民に示された。

 

体制側・権力者側にとって、天皇のご存在が自己抑制・道義心発揚の鏡であった。また、反体制側にとっても、天皇のご存在が、現状変革・國體の真姿顕現の原点であったことは、明治第二維新運動・大正維新運動・昭和維新運動の歴史を見て明らかである。

 

本来であれば、国民一同この『戊申詔書』を拳拳服膺して、国民精神は改善されなければならなかった。しかし、橋川文三氏は「大正二年のある地域調査によれば、高等小学校卒業者一三四三名中、『戊申詔書の意義を略解しほゞこれを口唱しえたるもの答解者ただただ一人ありしのみ』という状態であったということこそ、この時代の危機の深さが暗示されている」(『昭和維新試論』)と論じてゐる。

 

さらに林房雄氏は次の如くに論じてゐる。「小学校では式のあるたびに、必ず君が代が奉唱され、勅語が奉読された。三大節には御真影の奉拝も行われた。…常にそれは立派な儀式であった。…たゞ、式が終わった後に、私たちの胸に燃えのこる焔がなかった。…時代は安心しきってゐたのである。日露の戦勝のあとをうけて、国運は隆昌であった。時代は安心しきって、神を求める心を忘れ、神に通ずるための儀式も単なる儀式に化しさらんとしてゐた。」(『勤皇の心』)

 

これが近代日本の最大の問題点であった。近代化・西洋化が、日本の本来的な精神即ち神への仰慕を忘却させたのである。近代日本の精神的危機は相当深刻であったといはなければならない。近代日本の根本的欠陥は、神々の喪失即ち無信仰である。それは日本傳統信仰の忘却と言ひ換へることもできる。文明開化・西洋崇拝そして日清日露戦争の勝利による国民の慢心がもたらしたものは、神々の喪失であり、傳統信仰の忘却であった。

 

日本の西洋覇道精神・欧化路線即ち近代日本の負の部分に対する反省が昭和維新運動である。昭和維新運動とは日本傳統精神の復興による「近代の超克」を目指す運動であった。近代とは欧米的近代主義である。近代日本が猛烈に勢いで輸入した「欧米近代」なるものへの痛烈な反省である。それは、明治維新の真精神即ち神武創業の精神・日本の傳統信仰の復興であった。しかし、昭和維新は未完に終わった。

 

神への回帰こそが、近代日本において必要だったのである。近代の超克・西欧模倣からの脱却は、日本に神々への回帰、日本傳統信仰の復興によって行はれなければならなかった。

 

大東亜戦争はアメリカの科学技術と物量に負けたといふ面は勿論ある。しかしそれと共に、日本自身の精神的頽廃=神の喪失・傳統精神隠蔽が大東亜戦争だけでなく近代日本の歴史に大きな影響を与へたことは事実である。

 

近代日本の矛盾の克服は、現代においても喫緊の課題である。近代の超克・西欧模倣からの脱却は今日においてこそ行はれなければならない。わが日本は、西洋覇道精神を清算し日本傳統精神を復興し日本の神々に回帰しなければならない。

西洋から発した唯物文明・強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめるものとして農耕生活から発した大自然と人間の共生の精神たる日本伝統精神がある。天皇がその祭祀主であられ体現者であられる日本伝統精神よって西洋唯物文明を克服するべきである。日本伝統精神は、現代の危機を打開し将来の日本及びアジアそして地球の救済の力となり得る。

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千駄木庵日乗二月二十一日

午前は、諸雑務。

この後、『政治文化情報』発送作業。作業完了。購読者の皆様には、週明けにお届けできると存じます。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講義の準備。

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2015年2月21日 (土)

須佐之男命・日本武尊以来のもののふの心・武士道に回帰しなければならない

 戦後日本は、「平和と民主主義」「人権尊重」「生命尊重」「個の尊重」を最高の価値として押し戴いた。「平和と民主主義」は、國のために戦うという強者の思想を否定し、武力は放棄する、軍隊は持たない、國家の独立・主権・領土・平和・歴史・傳統が侵略的意図を持った外國から蹂躙されても、「戦争は無い方が良い、人命尊重だ」と言って、戦うことを忌避する弱者の思想である。

 

 國家を守る精神は、國民の道義精神の要である。國防と道義は不離一體の関係にある。國を守る使命、言い換えれば、兵役の義務・國防の義務がない國民は、眞の國民とはいえない。運命共同體であるところの國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念があってこそ、眞の國民である。 今日の日本人の中には、崇高なる道義精神である「國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念」を喪失し、利己主義・利益至上主義に陥り、自分さえよければ他人はどうなってもいいという考え方に陥ってい人がいる。

 

 外國人参政権付与も、國民としての義務に「兵役の義務」がきちんと憲法に書かれていないから起こる問題である。税金さえ納めていれば國民であるというまさに利益至上主義的考え方が、「定住外國人も税金を納めているから参政権を付与すべきだ」という考えを生むのである。 

 

 われわれ神洲清潔の民は、強者の立場をとらなければならない。「一人立つ」の精神がなければならない。眞の独立自尊の精神がなければならない。「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、もののふの心・大和魂=日本精神の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。須佐之男命・日本武尊そして防人以来の武士道精神に回帰しなければならない。              

 

 李登輝氏は次の如くにいう。「まことに残念なことには、一九四五年(昭和二十年)以降の日本においては、……『大和魂』や『武士道』といった、日本・日本人特有の指導理念や道徳規範が、根底から否定され、足蹴にされ続けてきたのです。……いま日本を震撼させつつある學校の荒廃や少年非行、凶悪犯罪の横行、…などこれからの國家の存亡にもかかわりかねないさまざまなネガティヴな現象も、『過去を否定する』日本人の自虐的価値観と決して無縁ではない、……『日本および日本人の醇風美俗』や『敷島の大和心』、もっと単刀直入に言えば『武士道』について声を大にして大覚醒を呼びかけ、この書を世に問わねばならなかったのです。」(『「武士道」解題』)と。

 

 「武士道」とは、字義的には武士が守るべき道を意味する。中世以後発生した武士階級の間に発達した道徳律すなわち道徳的原理の規範のことといわれている。規範ではあるが、聖書やコーランや論語のように特定の人物によって書かれた教義書はない。

 

 武士道は、忠誠・名誉・尚武・勇気などを重んずる。その内容を詳しく言えば、(一)、忠孝を第一とし、(二)、廉恥(心が清らかで、名を惜しみ恥を知る心がつよいこと)を重んじ、(三)、義勇に励み、(四)、狂暴を挫いて孤弱を扶け、(五)、自己の責務を果たすということという。一言にして言えば、難に臨んで死を畏れず、一命を賭して君に仕えることである。

 

 和辻哲郎氏は、武士道の内容について、「(注・武士の)献身の道徳の中核とは…利己主義の克服、無我の実現である。…享楽を欲する自我の没却、主君への残りなき献身、それが武士たちにとっての三昧境であり、従ってそれ自身に絶対的価値を持つものであった。…『武者の習い』の確信が無我の実現にある。」(『日本倫理思想史』)と論じている。

 

 無我の心とは大和魂・そのままの心・もののあはれを感じる心と通じる。合理的な思考や判断以前の素直なる心=大和魂が武士道の奥底にある。武士道とは本来すめらみことに対する無我の献身であった。しかし、中世に至って力の強い者が弱い者を倒して獲得する地位である武士団の棟梁に対する忠誠という「私的」なものになってしまった。そこから覇道が生まれる。

 

 生死の際の覚悟のほどは、合理的な儒教論或いは仏教思想という外来思想とは全く縁のない日本民族特有の感性に依拠する。「今はこう」「今はこれまで」と悟った時、日本の武士は、まっしぐらに顧みることなく死ぬことを潔しとした。これが、日本的死生観である。

 

 武士道は中世に起こったものではない。また、儒教や仏教から発したものでもない。記紀・萬葉の歌を見ても明らかな如く、日本傳統的な中核精神(神道)から発した國及びすめらみことに対する忠誠心と名誉を重んじ恥を知る心が根幹である。

 

 倉前盛通氏は、「“もののあはれ”というか“日本的死生観”というか、混沌の中からもえいでて結ばれいのちを得たものが、解(ほど)けてふたたび混沌の中に隠れていくという生死の見定めは、儒教でも仏教でもなかった。」「武士の生死の覚悟は禅によって定まるものではない。もちろん、論理の虚構を排する禅の哲學は、『さかしらに言挙げせず』の傳統的自然観に結びつきやすかったこともあろう。しかし『今はこれまで』の意志決定は、涅槃や達磨という形而上學的で普遍的な法概念によって把えられるものではなかったであろう。原始の混沌がいまに生きている日本の精神風土、古代の神々の息吹きが残っている風土であるからこそ、論理の枠組みから外れた情動の激しい発露として、武士の死に方が生じてきたのである。…武士道が仏教から生じたものものならば、なぜ禅の盛んであった宋に武士道が生じなかったのであろうか。」(『艶の発想』)と論じている。

 

 大和魂・もののあはれ・日本的死生観が日本武士道の根底にあったのである。ゆえに、日本の武士の祖は、須佐之男命であり倭建命であり神武天皇であらせられる。

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千駄木庵日乗二月二十日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報」発送準備、書状執筆、原稿執筆など。

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2015年2月20日 (金)

現御神信仰と「今即神代」

天皇が生きたまう神であられるという信仰即ち現御神思想は、天皇が祭祀を行われることから発するのである。『昭和二十一年元旦の詔書』で、天皇は神格を否定されいわゆる『人間宣言』を行われたとされているが、天皇が大嘗祭・新嘗祭・神嘗祭などのお祭りをされておられる限り、天皇と日本の神々とは一体であるという信仰が無くなることはない。天皇が祭り主であられるということ自体が、天皇が地上において生きたまう神であられるということなのである。なぜなら、祭りとは自分を無にして神に仕え神と一体となる信仰的行事であるからである。

 

「天皇が神であられる」とは、天皇がキリスト教などの一神教の「全知全能の神」「唯一絶対神」だということではない。天皇は天神地祇の祭り主であられ、「神ながら」の御存在であられるということである。明治以後キリスト教の「ゴッド」を「神」と訳したのが大きな混乱の基なのである。支那では「ゴッド」を「天帝」と訳している。わが國も「造物主」とでも訳すべきであった。

 

今・此処が神代と思う信仰、自然を神として拝ろがむ信仰は、自然が美しく穏やかな日本國であればこそ生まれてきた信仰である。自然と対立せず、自然を征服しようとしないで、自然の中に包まれ自然と共にて生きる日本人の國土観・自然観である。

 

神話と歴史とを区別してはならない。わが國においては、神話と歴史は分かち難くつらなっている。だからこそ『記紀』という歴史書は、神話の世界から語られているのである。「今即神代」が日本傳統信仰の根幹である。「高天原を地上へ」がわが國民の信仰的理想である。

 

また、「天孫が天照大神の血統上の孫ではないことは明らかである。ではこの皇統の繋がりを何と呼ぶのか。靈統と謂っても道統としてもよい。ただ人間の世界の血統概念を当てはめて皇統は女系に始まる、とするのは實に素朴な誤謬である」「神話の論理では血統を辿ろうとしても意味をなさない。血統が意味を有つのは人間の歴史世界での話であり、日本で言へば神代を過ぎて人皇第一代となる神武天皇以降のことである。それにより遡っての皇統の継受はさきにも一言ふれたが靈統乃至道統の理念を以て解するより他はない」といふ論議がある。

 

天孫瓊瓊杵尊は肉身を持たれる御存在であられた。邇邇藝命は天照大神の血統上の御孫であらせられる。そして靈統と血統は不二一體である。

 

神話は論理ではない。古代日本神の純真なる信仰精神である。靈統と血統は不二一體であり、今即神代である。

 

神話の世界即ち神代と人間の歴史世界を切り離し、分離させてはならない。日本傳統信仰においては今が神代である。天皇は現御神即ち天照大神の地上的御顕現である。

 

天皇を現御神と申し上げるのは、地上における天照大神のご代理としての神格を持たれるからである。われわれ日本國民は太古以来天皇を天照大神と御一體の尊貴なるご存在と仰ぎ奉ってきた。

 

萩野貞樹氏はその著『歪められた日本神話』の「はじめに」おいて「今から千三百年ほども前私たちの祖先は、はるかな傳承を核として語りつつ歴史へと流れ込む大古典を作り上げた。『古事記』『日本書紀』である」「日本という國は神話の研究にとっては世界で一番恵まれている國である…日本こそ太古以来の神話が現に生きて働き、人々が『神話を生きている』という世界でたった一つ の文明國である…」と論じている。

 

「はるかな傳承」が語られた日本の神話は歴史の世界に「流れ込み」、神話と歴史は一體となっている。『記紀』は、神話と歴史が分かち難く語られた「大古典」なのである。

 

「神話」において語られているのは、「一切のものごとの生成の根源」であり「古代人の英知の結晶」であり、「神話的真實」なのである。「神話」には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られている。日本には、今日唯今も、神話の世界が生きている。そして日本人は神話の世界に生きている。

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千駄木庵日乗二月十九日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の発送準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり、有り難し。

夕刻、湯島にて、永年の同志お二人と懇談。

帰宅後も、『政治文化情報』発送準備。

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2015年2月18日 (水)

安田光敦日本武道教育新聞社編集主幹による講演の内容

十一月二十四日に行われた『三島由紀夫・森田必勝両烈士顕彰祭・記念講演会』における安田光敦日本武道教育新聞社編集主幹による記念講演の内容は次の通り。

 

「三島由紀夫氏の言葉には、現代を預言している言葉が多い。いまは、子が親を殺し、親が子を殺す時代になっている。『午後の曳航』は親殺しがそのテーマだった。三島氏は預言者。『ペット文化になる』とも言っていた。今、ペットの犬は一一五〇万、猫は九七〇万。合計すると、人間の子供の一一五〇万をはるかに上回る。

 

我々の根幹は、天皇を守るか守らないかだ。日本の稲作文化は滅びるのではないか。まさにTPPの問題。

 

三島氏は、皇居の中にある皇宮警察の武道場(注・済寧館)で居合いと剣道の練習をされた。皇居の通行証をもらった。『これで何時でも陛下をお守りすることができる』と言われた。用意周到な人。

 

三島氏は自衛隊でゲリラ訓練もした。間接侵略に対しては、民間のゲリラが必要とした。山本舜勝さんにお願いして、自衛隊調査学校調査学校で防諜と調査の訓練を『楯の会』のメンバーにさせた。山本氏の指揮で学生らのデモ隊の中に潜入し、組織リーダーが誰かなどを調査する訓練を行った。『楯の会』の会員は真剣だった。三島さんは山谷に不穏分子が潜伏しているという想定で、労務者に変装して地下鉄に乗った。変装がうまく行ったことを実感して喜んだ。

 

今回本を作ることによって、三島さんの精神を吸収することができた。若い人たちに三島・森田両氏の精神を恢弘したい。一般の人たちに広めたい。

 

北京五輪聖火訓練リレーで中国人が集まった。あの風景を見て日本はやばいと思った。三島さんが四十数年前にゲリラ訓練をしたのは、そういう事が分かっていたから。

 

森田必勝さんの精神を今の学生に分かってもらうようにしたい。文武両道の私塾を作りたい。塾にすれば後に続く人が出て来ると思う。

 

楯の会の人々にインタビューするため、古賀浩靖さん、小賀正義さんに会いたかった。古賀さんに取材を申し込むために生長の家に行ったら生長の家の人に断られた。小賀さんの和歌山の実家に行ったら取材を拒否された。小賀さんの実家のそばに神社があった。『小賀さんは幼い頃この神社で遊んだに違いない、この神社に参拝することによって小賀さんの心を偲ぶことができる』と思った。

 

森田必勝氏と同居していた田中健一氏と福井の小浜でお会いした。田中氏は、『当日の朝、森田氏から六尺褌をつけるのを手伝ったくれと言われた。何時もの森田さんではなかった。何時もは外出する前に煙草を一服したが、その日はしなかった。アパートの近くの新宿中央公園で遊んでいる子供たちのそばを森田さんが通りかかると、子供たちがパーッと寄って来て色々話しかけた。森田さんは小賢しいことができない人物。純粋無垢で素晴らしい男だと思った。今「神皇正統記」を勉強している』と語った。

 

私も学生時代に自衛隊に訓練に行った。本田宗一郎も来ていた。風呂場で背中を流し合った。ジェット機とミサイルの見学をした。今、ホンダでミサイルを作っている。大学のゼミで韓国に行って三十八度線視察に行くことになった。当時は朴正煕政権だった。その時、軍がしっかりしないとだめだと思った」と語った。

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千駄木庵日乗二月十八日

午前は、諸雑務。

午後二時より、三田の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。大行社の創立者・清水行之助氏と深い同志関係にあった大川周明氏とイスラムについて話させていただいた。

午後六時半より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。木村三浩代表がスピーチ。ジャーナリストの下村満子さんが「改めて問う 戦後処理の実質 ~アジア女性基金とわが戦争体験の教訓から~ 」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、原稿執筆など。

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萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 三月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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2015年2月17日 (火)

武士道の淵源

    日本神話は「神名」に重要なる意義がある。須佐之男命のスサは、勇み進む・荒む意とされる。 

 

 

須佐之男命の御歌

 

「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」

 

(おびただしい雲が湧く。出で立つ雲の幾重もの垣。妻ぐるみ中に籠めるやうに幾重もの垣を造る。ああその八重垣よ)                      

 

 

 

 この御歌は、高志の八俣遠呂知(八岐大蛇)を退治されて櫛名田比売を助け、ともに住まわれる須賀の宮を造られた折り、雲が立ちのぼったので詠まれた歌。須佐之男命こそ、日本の武士の祖であり無類の勇者にして無類の詩人にまします。

 

 

 

 この須佐之男命の御精神を受け継がれた方が景行天皇の皇子・日本武尊である。日本武尊をして焼津での難を乗り越えられしめた剣は、須佐之男命が八岐の大蛇から得られた神剣(草薙の劔)であった。もののふのこころ・ますらをぶりとは、清明心と表裏一體の精神であり、天皇のため國のためにわが身を捧げるという「捨身無我」の雄々しい精神でもある。その精神の体現者が日本武尊であらせられる。「たけるのみこと」とは猛々しさを表す御名である。

 

 

 

 こうした戦闘的恬澹・捨身無我の精神は後世の武士にも強く生かされる。日本武尊は、武士道精神・日本倫理思想の祖であらせられる。

 

 

 

日本武尊御歌

 

「孃女(おとめ)の 床の辺(へ)に 吾が置きし つるぎの大刀 その大刀はや」

(乙女の床のそばに私の置いてきた太刀、あの太刀よ)

 

 

 

 これは、日本武尊は天皇の命により九州の熊襲建を平定して大和に帰られるが、さらに東國平定を命令され、それを終えた帰りに、尾張で結ばれた美夜受姫(みやずひめ)に、叔母君であった倭姫命から授けられた草薙の劔を預けて出発され、熊煩野(三重県亀山市という)で急病になった時の辞世の御歌である。愛する美夜受姫に預けた守護霊たる神剣から離れていく自分の命を見つめながら歌った哀切極まりない絶唱である。慎みの欠如・傲慢さから剣を置いて素手でも勝てるといって出発したのが間違いのもとという神話傳説である。この御歌は乙女への愛と武の心が渾然一體となっている。そしてその奥に天皇への戀闕の心がある。日本武尊の悲劇の根本にあるのは、武人の悲劇である。神との同居を失い、神を畏れなくなった日、神を失って行く一時期の悲劇である。

 

 

 

 これらの歌には、恋愛詩と英雄詩が一つに結合融和して現れている。この精神こそ、戦いにも強く恋にも強い大和民族の原質的民族性で、日本武士道の本源となっている。これを「剣魂歌心」という。日本武尊は、上代日本の武人の典型であると共に詩人の典型であらせられた。日本の英雄は歌を愛した。ますらをぶりは優美さを否定するものではない。

 

 

 

 新渡戸稲造氏は、吉田松陰の「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」という歌を引用して、「武士道は一の無意識的なるかつ抵抗し難き力として、國民および個人を動かしてきた」(武士道)と論じている。新渡戸稲造氏はさらに、「(注武士道」については)精々口傳により、もしくは数人の有名なる武士や學者の筆によって傳えられたる僅かの格言があるに過ぎない。むしろそれは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録されたる立法たることが多い。不言不文であるだけ、實行によって一層強き効力が認められているのである。……道徳史上における武士道の地位は、おそらく政治史上におけるイギリス憲法の地位と同じであろう。」(『武士道』)と論じている。

 

 

 

 日本武士道の教義書はないが、新渡戸稲造氏の言う「心の肉碑」=日本人の魂の奥底の思いを表白する文藝である「和歌」によってもののふの心が傳えられてきた。萬葉歌は飛鳥奈良時代のもののふの道=武士道を傳えている。

 

 

 

 理論・理屈を好まない日本人らしい道徳律が武士道なのである。日本の傳統の根幹たる和歌も祭祀もそして武道も理論・理屈ではない。「道」であり「行い」である。そして一つの形式・「型」を大切にし「型」を學ぶことによって傳承される。學ぶとはまねぶである。理論理屈ではないがゆえに「道」(歌道・武道・茶道・華道)という。

 

 

 

 そして武士道は、道徳・倫理精神と共にあった。武士は封建時代において國民の道義の標準を立て、自己の模範によって民衆を指導した。義経記・曽我兄弟の物語・忠臣蔵などの民衆娯楽の芝居・講談・浄瑠璃(平曲・謡曲から発した音曲。語り物)小説などがその主題を武士の物語から取った。明治維新の志士たちの歌も近代日本の武士道教育の手本となった。

 

 

 

 和歌などの藝術によって武士道が継承され教育されたことは、武士道が情感・感性によって継承され實行されてきた「道」であり、理知によって継承されてきた教条や独善的観念體系(イデオロギー)ではないということを証しする。

 

 

 

 武士は、日本國民の善き理想となった。いかなる人間活動の道も、思想も、ある程度において武士道の刺激を受けた。武士は武家時代において、決して民衆を武力で支配した階級のみでなく、道義の手本でもあった。明治維新をはじめとしたわが國の変革を断行せしめた重要なる原動力の一つに武士道があった。

 

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千駄木庵日乗二月十七日

午前は、諸雑務。

この後、『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

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天香具山について

天香具山は奈良県橿原市東部にある海抜一四八㍍の小山。大和盆地は海抜百㍍だから麓からは四八㍍しかない。畝傍山・耳成山と共に大和三山の一つ。山容穏やか。この山を正面に望むところに藤原京がある。山容から見ると、畝傍山が男性の山で、香具山と耳梨山は女性の山とするべきである。

 

古代日本人には、麗しい山を神と仰ぐ信仰があった。大和地方では大和三山・三輪山・二上山など、東國地方では富士山・筑波山など、九州地方では高千穂峰・阿蘇山が尊い山として仰がれた。

 

天香具山は、高天原にあった香具山が、地上の大和と伊予の國に降って来たという伝説神話があるので、上に「天」という修飾語を置いた。「天」をアマと読むか、アメと読むか、どちらとも決定し難い。折口氏は、「アメノ」と読むべしと言う。

 

『古事記』には、高天原にある天香具山について、天照大神が天の岩戸に隠れになった時、大神に岩戸からお出ましを願おうとした八百萬の神々が相談して、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとたまのみこと)が取って来た天香具山の男鹿の肩胛骨を波波迦の木で焼いて占いを行って、天香具山に茂った賢木(さかき)に勾玉(まがたま)や鏡などを付けて捧げ持ち、天宇受売命(あめのうづめみこと)が天香具山の日影蔓(ひかげかづら)を手襁(たすき)に懸け、真拆(まさき)を鬘(かずら)として、天香具山の小竹の葉を手に持ち、岩戸の前で桶を踏み鳴らして神憑りしたと記されている。

 

地上に天降って来た大和の天香具山は、「天と地とをつなぐ山」として神聖視され大和三山の中でもとりわけ尊い山とされた。現代風に言えば、天と地とをつなぐアンテナで、神事を行う際、神の降臨を仰ぐために立てる榊である「ひもろぎ」と同じ性格を持つ山である。「鎮守の森」といわれるように神社には多くの樹木があるのは、その樹木に神が降臨すると信じたからである。わが國傳統信仰における「神代」「高天原」と「地上」とは交流していて、隔絶していない。

「香具」(かぐ)とは「輝く」を短くした言葉で、香具山は輝く山・神聖な山として信仰の対象となっている。日本最古の物語とされる『竹取物語』の「かぐや姫」とは「輝くお姫様」という意である。天香具山とは「天に通じる輝く山」という意で、高天原と直結する山と信じられた。

 

天香具山は、古来宮廷祭祀が行なわれた山であり、天上の聖地が降って来たのだから、神聖なる山と仰がれた。そしてこの山は大和全体を象徴すると見られた。

 

國土には地の靈(國魂)が籠っているという信仰がある。神武天皇が御東征を終えられ、大和に都を開かれるにあたって大和の國の靈を鎮めなければならなかった。そのためのお祭りで用いられた神具の土器は、大和の地の靈を象徴し大和の國魂が宿っていて、天と地とをつなぐ神聖なる天香具山の埴土(きめが細かくてねばりけのある黄赤色の土)で作られたと伝えられている。それによって、神武天皇は大和國を治められる靈的なお力を備えられた。これは、天香具山の土を手に入れることが大和全体を掌握することになるという信仰である。

 

折口信夫氏は、「天香具山の名は天上の山の名である。同時に地上の祭時に當って、天上と一つの聖地-天高市(アメタケチ)-と考へられた土地の中心が此山であった。だから平常にも聖なる地として天なる称號をつけて呼ぶ様になったのだ」「大和なる地名は、當然宮廷のある地を意味する。天は、宮廷の真上にあり、宮廷のある處は、天の真下である。即ち、國語に於ける天が下(アメガシタ)の確かな用語例は、宮廷及び宮廷の所在を示すことになる。だから、宮廷の存在なる狭義の大倭は、天が下であり、同時に天其物と觀じることが出来た。天香具山は、地上に於ける聖地の中心であった。即ち、大倭の中心である。この山の埴土(注・きめの細かい黄赤色の粘土)は、大倭の國魂の象徴にもなる…。」(『大倭宮廷の靱業期』)論じている。

 

天皇のおられる宮殿は「天」(高天原)であり「聖地」である。その中心が天香具山なのである。そのような神聖な所を神座(カミクラ・神のいますところ)と言う。

 

このように天香具山は、天皇の祭祀・神事即ち國家統治には欠かせない尊い山である。

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千駄木庵日乗二月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

午後六時半より、春日の文京シビックセンターにて、『國體政治研究会」開催。小生が司会。荒岩宏奨展転社編集長が「神々が定め給ひし國體と臣民の道」と題して講演。質疑応答。

帰宅後も、資料の整理、

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2015年2月16日 (月)

オピニオン雑誌『傳統と革新』第十八号 

たちばな出版発行(四宮正貴責任編集)         発売中

特集 「昭和」は遠くなったのか?―昭和天皇の御聖徳と現代日本
巻頭言 昭和天皇仰慕                   四宮正貴 ...
◇インタビュー◇
昭和天皇の御世を共に生きてこられた幸せ
  ~激動の昭和を経て平成の今、この國を憂う~      清水信次   
昭和の全時代を生きて、今思うこと~憲法、國防、皇室の弥栄~                                     小田村四郎  
「昭和天皇實録」の公開で期待される 昭和史研究の進展  昭和天皇とその時代を再考する                     伊藤 隆   
   
【論文】
「佐藤優の視点」 昭和の『危機の思想』について考えるー
           吉満義彦の近代の超克論をめぐって                                   佐藤優   
立憲君主國としての立場を、憲法で明記すべきとき                                     田久保忠衛 
昭和天皇の学ばれた帝王教育―御誕生から学習院初等学科修了まで (前篇)                           所 功

昭和天皇とその時代を見つめて明治に復古して、日本を取り戻す時が来た                            西村眞悟 

終戦の詔に込められた大御心を想う              牧義夫   
「『昭和の日』制定の意義」 ―その國体的視点       相澤宏明  
昭和天皇と宮中祭祀―『昭和天皇實録』を拝して       中澤伸弘  
昭和天皇の「みことのり」を拝して             杉本延博  
我、亡國の歴史観を廃す                 蓮坊公爾  
日本人に帰属性を感じさせない、戦後空間の根本問題     木村三浩  
「連載」第一七回 我が体験的維新運動史―「噂の真相・皇室ポルノ事件」                         犬塚英博
  
連載 石垣島便りー台湾で、「高砂義勇隊」慰霊顕彰祭に参加―
   日本の礎になられた御霊に感謝の念を捧げる      中尾秀一  
『やまと歌の心』                   千駄木庵主人                   
編集後記   
ISBN978―4―8133―2499―7 C0030 Y1000E
 定価 本體価格1000円+税。 168頁
〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル
 たちばな出版  ・代表03―5941―2341 FAX5941―2348

 
オピニオン雑誌『傳統と革新』第十八号 

たちばな出版発行(四宮正貴責任編集)         発売中
特集 「昭和」は遠くなったのか?―昭和天皇の御聖徳と現代日本
巻頭言 昭和天皇仰慕                   四宮正貴 
◇インタビュー◇
昭和天皇の御世を共に生きてこられた幸せ
  ~激動の昭和を経て平成の今、この國を憂う~      清水信次   
昭和の全時代を生きて、今思うこと~憲法、國防、皇室の弥栄~                                 小田村四郎  
「昭和天皇實録」の公開で期待される 昭和史研究の進展  昭和天皇とその時代を再考する                     伊藤 隆   
   
【論文】
「佐藤優の視点」 昭和の『危機の思想』について考えるー
           吉満義彦の近代の超克論をめぐって                                   佐藤優   
立憲君主國としての立場を、憲法で明記すべきとき                                     田久保忠衛 
昭和天皇の学ばれた帝王教育―御誕生から学習院初等学科修了まで (前篇)                           所 功

昭和天皇とその時代を見つめて明治に復古して、日本を取り戻す時が来た                            西村眞悟 

終戦の詔に込められた大御心を想う              牧義夫   
「『昭和の日』制定の意義」 ―その國体的視点       相澤宏明  
昭和天皇と宮中祭祀―『昭和天皇實録』を拝して       中澤伸弘  
昭和天皇の「みことのり」を拝して             杉本延博  
我、亡國の歴史観を廃す                 蓮坊公爾  
日本人に帰属性を感じさせない、戦後空間の根本問題     木村三浩  
「連載」第一七回 我が体験的維新運動史―「噂の真相・皇室ポルノ事件」                         犬塚英博
  
連載 石垣島便りー台湾で、「高砂義勇隊」慰霊顕彰祭に参加―
   日本の礎になられた御霊に感謝の念を捧げる      中尾秀一  
『やまと歌の心』                   千駄木庵主人                   
編集後記   
ISBN978―4―8133―2499―7 C0030 Y1000E
 定価 本體価格1000円+税。 168頁
〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル
 たちばな出版  ・代表03―5941―2341 FAX5941―2348

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この頃詠みし歌

 

思ひ出の教会学校今もあり本郷西片の静かなる町

 

死とは何かと問ふ時拝ろがむ父の遺影今日も笑顔で我を見つめる

 

父は今も吾を見守りたまふなりと深く信じて祈り捧げる

 

幼き日に我が買ひ来し木刀を昭和一新刀と父は名付けたり

 

花屋より届けられたる花束を仏前に飾るを喜びとする

 

この家のあるじの姿暫く見ず寒椿の花咲きてをれども

 

文明の進歩極まりし二十一世紀野蛮の極致の悲劇続けり

 

果物も野菜も山の如くにも並べられゐる飽食の國日本

 

客引きの若者たちの姿無し氷雨降りゐる上野広小路

 

遠くより聞こえ来るなる幻の太鼓の音は悲しかりけり

 

炭火といふものをこの頃見ずなりてなべて電気に頼る生活

 

独裁者の顔を写真で見比べて毛より蒋の方がイケメンに見ゆ

 

道で会ひし友が連れたる小さき犬わが足にじゃれつく好ましさかな

 

幼子を叱らずやさしくあやしゐる母親の姿に好ましきかな

 

一時間半待ちて漸く客が乗り来しと我に嘆けるタクシー運転手

 

新宿の西口に立ち演説す 空晴れわたる建国記念日

 

一神教の争ひ止まず血が流れこの世の地獄を現出しをり

 

イスラムのことを書きたる文章を読み返しつつ夜更けを過ごす

 

水清く緑美しき日の本に生まれ来しことを喜びとする

 

渇きたる砂漠の国に生きてゐる人々の信ずる神を思へり

 

山の上の大き巖に神ゐますと人ら信じてみ祭りをする

 

日輪の輝く下に鎮まれる大き巌に神ゐますと言ふ

 

昭和維新を目指せし人々の文章を讀みつつ現代の危機を思へり

 

命懸けて國を救はむとせし人らの強く激しき文章を讀む

 

谷中なる古き酒房であるじ殿と語らひにつつ酒酌む夕べ

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千駄木庵日乗二月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、資料の整理、原稿執筆。

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2015年2月15日 (日)

『物語絵 - <ことば>と<かたち>』 展を参観して

本日参観した『物語絵 - <ことば>と<かたち>』 展は、「物語絵とは、仏教説話や古典文学から象徴的な場面を抜き出して、それを絵にあらわしたものです。この日本の物語絵には、描かれた情景ー『かたち』とかならず原典ー『ことば』があります。物語絵において、この二つはいつも『ことば』から『かたち』へ、という一方向の関係を結ぶ訳ではなく、互いに響きあい、時には絵画の方が物語世界に新しい生命を吹き込んでいたのです。今展では、全体を6つのテーマに分け、その二つの要素が結びつき紡ぎだす物語絵の魅力にせまります」との趣旨で開催された。(案内文) 

第1章 物語絵の想像力 ―〈ことば〉の不確かさ 第2章 性愛と恋 ―源氏絵を中

心に 第3章 失恋と隠遁 ―ここではない場所へ 第4章 出世と名声 ―成功と失

敗をめぐって 第5章 荒ぶる心 ―軍記物語と仇討ち 第6章 祈りのちから ―神

仏をもとめて」という構成で展示されていた。

「扇面法華経冊子断簡 平安時代 重要文化財」 「源氏物語図屏風(部分) 岩佐

勝友 江戸時代」 「西行物語絵巻(部分) 絵/俵屋宗達 詞/烏丸光広 寛永7

1630) 重要文化財」 「宇治拾遺物語絵巻(部分) 絵/住吉具慶 詞/伝 烏丸

光雄ほか 江戸時代 重要美術品」 「平家物語 一の谷・屋島・壇ノ浦合戦図屏風(部

分) 江戸時代」 「天神縁起 尊意参内図屏風 室町時代 重要美術品」などを観

る。江戸時代の作品とくに俵屋宗達の作品が多かった。

原稿書きで疲れた私の心を癒してもらいたいと思い参観した。私は、『黒田節』が好

きなのだが、その中に、「峰の嵐か松風か 尋ぬる人の琴の音か 駒ひきとめて 立

ち寄れば 爪音高き 想夫恋」というの一節がある。今日展示されてゐた『平家物語

小督図屏風』の解説を読んで、この『黒田節』の一節は、『平家物語』に由来するこ

とはを初めて知った。

平家物語の一節の「峰の嵐か松風か 尋ぬる人の琴の音か おぼつかなくはおもへども、駒をはやめて行程に、片折戸したる内に、・・・ 」という流麗な調べがもとになっている。「平家物語」「太平記」などという日本の物語は、まさに人に語って聞かせる「語り物文藝」であるので、その調べも実に美しい。

高倉天皇の寵愛を受けていた小督局(こごうのつぼね)は、中宮が太政大臣平清盛の娘であったので、清盛の威勢を憚り、姿を隠してしまった。高倉天皇は弾正大弼仲国に小督局の行方を捜させた。仲国は、嵯峨野に隠れ暮らしていた小督の居場所を突き止める。小督局は、折からの中秋の名月に琴を弾じて心を慰めていた。その奏でる「相夫恋」の曲を聴き、仲国は小督に、高倉天皇からの文を渡し、返書を受け取った仲国は、舞を舞って小督を慰め帰って行く、という何ともゆかしい物語である。小生はこの正月、嵯峨野を訪ねたので、余計印象的であった。

 

合戦の絵などは実に緻密に描かれていた。いつも感心するのだが、出光美術館は規模は大きくはないが、価値が高いと言われる美術品を数多く所蔵している。東京では、山種美術館と並んで、小規模ながら内容が充実した美術館である。出光美術館は、とても便利なところにあるのでよく参観する。

 

 

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千駄木庵日乗二月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、丸の内の出光美術館で開催中の『物語絵―〈ことば〉と〈かたち〉』展参観。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2015年2月14日 (土)

『国見』の意義について

天皇が行い給う「國見」とはただ単に景色を眺めるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する祭祀行事である。

 

「見る」という言葉にはきわめて信仰的な深い意味があるのである。「目は口ほどにものを言い」という言葉もあるごとく、「見る」は対象物を認識する上で大切な行為である。天皇統治の事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)といふ。荒木博之氏は、「上代人にとって<見る>とは『対象物の神性に感応し、その対象物を飽かず見ることによって、その神性をその清浄さをおのれが本性にとりこむこと」(日本人の心情論理)と解した。この論を引用して大原康男氏は「<見る>は…単に空間とかかわる視覚に尽きるものではなく、そこには鎮魂儀礼の要素が含まれている…」(『現御神考試論』)と論じている。

 

感覚器官の中でもっとも発達し精密で大事なのは視覚だと言われる。人間は視覚を通して外界をとらえ、環境に適応する。視覚以外のことについても「見る」という言葉が使はれる。「味を見る」「触って見る」「匂いを嗅いで見る」「試して見る」という言葉を使う。

 

聴覚を表す言葉に視覚を表す言葉が使われる。たとへば「明るい声」「明るい音」「暗い響き」「黄色い声」である。このように、我々の感覚は常に視覚が優越している。それが言語表現にも及び、視覚の上に立った描写の言葉がよく用いられる。事物をありありと描き出すための手法として視覚の言葉が用いられる。

天皇が神聖なる天香具山に登られて「國見」をされることは、天皇が行われる國土讃嘆の農耕儀礼・祭祀であり、天から降臨された聖なる資格を持つ現御神天皇が、天香具山といふ天から降った聖地に立たれて、国土の精霊や国民を祝福し繁栄を祈られる「まつりごと」である。

 

また「国見」とは、新しい年の始まりを知らせる「春のことぶれ」(春が来たことを広く知らせること)・天地一新の行事である。祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が若々しい命を回復し豊かな稔が約束されるのである。天皇が「國見」をされることによって國土の新生と五穀豊饒が實現する。

つまり、「國見」は大嘗祭と同一の意義があり、現御神たる天皇が天の神から命じられた國土に稲穂を豊かに實らせるという最大の御使命を實現する天皇の統治にとって重大な意味を持つ祭祀なのである。

 

昭和五十四年十二月四日、先帝昭和天皇は奈良県に御行幸あらせられた。翌四日、萬葉學者・犬養孝氏の御案内で、高市郡明日香村の甘橿丘にお登りになり、大和盆地を双眼鏡で一望された。この時、犬養氏は、この舒明天皇の御製など五首を朗詠した。犬養氏が「昭和の國見ですね」と申し上げたら、先帝陛下は声を立ててお笑ひになったと承る。そして、次のような御製を詠ませられた。

 

「丘に立ち歌をききつつ遠つおやのしろしめしたる世をししのびぬ」

 

昭和五十九年十二月、再び奈良県に御行幸になり、翌昭和六十年の新年歌會始に「旅」という御題で賜った御歌が、

 

「遠つおやのしろしめしたる大和路の歴史をしのびけふも旅ゆく」

 

である。

 

稲作國家日本の國民生活は旱魃や洪水などの自然環境によって大きく支配される。したがって、集団の統率者は常に祭りを行って、自然の恵みを願い、豊作を感謝し、そして自然災害が起こらないように神に祈る祭祀を行うことが大きな使命であった。故に、祭祀は、天皇の重要な御使命であった。天皇の政治と祭祀とは一体であった。これを<祭政一致>という。

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千駄木庵日乗二月十三日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備など。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食欲あり。有り難い。

帰宅後は、原稿執筆、書状執筆など。

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「国体政治研究会 第六十八回例会」のお知らせ

 

====================

国体政治研究会 第六十八回例会

 ~連続企画「大御心と臣民の道」第四回~

====================

 謹啓 余寒厳しき折から御清勝にお過しのことと存じます。

 さて、国体政治研究会の第六十八回例会の開催日が近附いてきました。まだ空席がありますので、以下の通り再案内を致します。既に出缺の御返事を下さつてゐる方々へも確認を兼ねてお送りします。

 「大御心と臣民の道」と題する連続企画としては第四回目となるこのたびの例会に講師としてお迎へするのは荒岩宏奨氏です。

 荒岩氏は、民族派保守派の運動の重要な拠点の一つたる出版社展転社の編集長を務める傍ら、それ以前から保田與重郎の研究者、思想継承者として知られ、今日も諸々の言論活動や国民運動に献身してをられる敬神尊皇の志士です。

 なほ、これまで三回の講師と演題は次の通りです。

 第一回 茂木貞純氏 三島由紀夫と昭和二十一年元旦詔書

 第二回 玉川博己氏 三島由紀夫と国体論

 第三回 佐藤健二氏 思想家としての山鹿素行―『中朝事実』の今日的意義―

 今例会で「大御心と臣民の道」に関する問題意識や考究が更に深まることが期待されます。

是非お繰合せ御出席下されたくお待ちしてをります。敬具

 

○ ○ ○

 

【講師】

 荒岩宏奨氏(あらいは ひろまさ)(株式会社展転社編集長、新嘗を祝ふ集ひ実行委員長)

 略歴=昭和五十六年生れ。広島大学教育学部卒業。プログラマー、雑誌編集者を経て現在株式会社展転社編集長。新嘗を祝ふ集ひ実行委員長。特定非営利活動日本人権擁護協会月刊 「JINKEN」編集長。

【演題】

 神々が定め給ひし国体と臣民の道-天孫降臨時の神勅と役割-

【日時】

 2月16日(月曜)午後6時半~9時

【会場】

 文京シビックセンター 4B会議室(4階の会議室B)

 東京都文京区春日一丁目16の21、電話03-5803-1100

 直近の文京区民センターとお間違へなきやうに

【参加費】

 千円(当日申受けます)

【参加要件】

 事前申込なき出席は不可。

 参加申込は開催日前日までに。定員になり次第締切。

 初参加の場合は必ず電話番号及び職業・肩書等を附記してお申し込みを。

【連絡先】

 中村信一郎(代表幹事)

 携帯電話 090-4815-8217

 E-mail nakasin@pop11.odn.ne.jp 又は caq97080@pop11.odn.ne.jp 

 

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2015年2月13日 (金)

日本の神々の特質について

日本の神々は、今はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり霊であると言ふことである。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災ひをももらたすと古代日本人は信じた。

 

『古事記』の「身禊」の条には、「悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蠅(ばへ)なす皆満ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記され、「天の岩戸」の条には、「高天の原皆暗く、葦原の中つ国悉に闇し。これに因りて、常夜往く。萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち、萬の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記されてゐる。

 

自然の中に精霊が生きてゐるといふ信仰である。日本民族には、自然を敬ひ、愛すると共に、自然を畏れる素直な心があった。「萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち」は、文学的には擬人的表現と言はれるが、古代日本人は、嵐の音も、草木の音も、海の音も、素直に「神の声」と信じたのである。

 

近代以後、科学技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精霊として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまった。自然を征服しようとか、自然を造り替えようなどといふ文字通り神をも恐れぬ考へ方を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければならない。つまり、神々を祭る心の回復が大切である。「草木がものをいふ」古代日本の信仰精神に回帰しなければならない。荒ぶる神も祭祀によって鎮めることができるのである。

 

折口信夫氏は、「我々の古文獻に殘った文學は、しゞまの時代の俤を傳へて居る。我々の國の文學藝術は、最初神と精靈との對立の間から出發した。…神の威力ある語が、精靈の力を壓服することを信じたからである。…神代の物語として,語部(かたりべ)の傳へた詞章には、威力ある大神隱れ給ふ時、木草・岩石に到るまで、恣に發言した。さうして到る處に其聲の群り充ちたこと、譬へば五月蠅(さばへ)の様であったと言ふ。而も亦威力ある大神の御子、此國に來臨あると、今まで喚きちらした聲がぴったりと封じられてしまったとある。神威を以て妖異(およづれ)の發言を封じたのである。」(「日本文學における一つの象徴」)と論じ、『六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓』の「荒ぶる神等をば神問(かむと)はしに問はしたまひ、神掃(はら)ひに掃ひたまひて、語問ひし磐ね樹立(こだち)、草の片葉(かきは)も語止(ことや)めて、天(あめ)の磐座(いはくら)放れ、天の八重雲をいつの千別(ちわ)きに千別きて、天降(あまくだ)し依さしまつりき」といふ一節を引用してゐる。

 

日本民族は、自然に刃向ひ対決し、自然を破壊すると、自然から災ひを受けること体験から学んだ。自然を畏敬し、自然に順応して生活することが大切であることを知った。自然を畏敬し、自然に順応するといふことは、自然の神、自然の精霊たちを怖れるだけではなく、祭祀によって神や精霊たちを祓ひ清め鎮めたのである。

 

日本伝統信仰は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなほ継承されてゐる。のみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたまふ御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となってゐる。

 

科学技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても日本には古代信仰・民族信仰が脈々と生きてゐる。伊勢の皇大神宮をはじめとした全国各地の神社で毎日のようにお祭りが行はれてゐる。のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の君主であらせられる。これは世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

 

我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。

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千駄木庵日乗二月十二日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後四時過ぎより、永田町の衆議院第二議員会館にて、長島昭久衆議院議員にインタビュー。木村三浩氏も同席。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、『政治文化情報』原稿脱稿、送付。

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2015年2月12日 (木)

日本伝統信仰と一神教の自然観の違い

イスラム教徒にとって理想郷とは、川が流れ泉があり緑のある所である。エデンの園とはさういふ所である。『コーラン』には次のやうに記されてゐる。「神は、男の信者にも女の信者にも、下を河川が流れ、そこに永遠にとどまるべき楽園と、エデンの園の中のよき住まいとを約束したもうたのである」「楽園には木々が生い繁る。…流れ出る泉が共にある。…深緑に包まれている」「神を懼るる人々に供えらるるは安き場所、緑したたる果樹園とたわわに實る葡萄園」。

 

泉が涌き、川が流れ、緑滴る楽園、それはまさに「緑の日本列島」である。日本のやうな気候風土の國こそ、砂漠の宗教にとって「楽園」であり「天國」なのである。

 

穏やかな風土の緑豊かな地に生まれた多神教の神は、自然と一体であり自然の中に宿る。不毛な風土の砂漠地帯に生まれた一神教の神は、自然と対立しこれを支配し征服する神である。日本伝統信仰は、自然を「神のいのち」として拝ろがむ精神を持ってゐるが、キリスト教の自然観は、人間は神の命令により自然を征服し支配し改造する権利を与へられてゐるといふ信仰があるので、庭造りにしても、自然を改造して美しさを作り出すのである。

 

『創世記』には、「神いひ給ひけるは、『我等に象(かたど)りて、我等の像(かたち)のごとくに我等人を造り、之に海の魚と、空の鳥と、家畜と全地と地に匍ふ處の諸(すべ)ての昆蟲(はふむし)を治めしめんと。』…『生めよ殖えよ、地に滿てよ、地を從がはせよ。又海の魚と空の鳥と地に動く所の諸(すべ)ての生き物を治めよ、…』」と記されてゐる。

 

この神の命令により、神の形の如く造られた人間は、自然を征服し支配し改造し操作し利用する権利があるとされる。これが西洋における自然改造の手段としての科学技術や機械の発展の精神的基礎であると言へる。近代科学技術はこのような自然観を基礎として発達し、それによって人間は便利な生活を享受したが、反面、そのために自然を破壊しつつあることも事實である。

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千駄木庵日乗二月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、新宿駅西口駅頭にて開催された「建国記念の日奉祝街頭演説会」に参加。晴れわたる大空の下で演説を行う。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食事の介助。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2015年2月11日 (水)

我が日本は自然に生まれてきた国であって、人為的に作られた国ではない

我が日本は自然に生まれてきた国であって、人為的に作られた国ではない。「生まれる」と「作られる」とでは絶対的な違いがある。日本は古代において自然に「生まれた」国である。ところがアメリカや旧ソ連や中華人民共和国は一定の目的を持って作られた国である。「生む」は日本伝統信仰の観念であり、「作る」はキリスト教の観念である。伊耶那岐命伊耶那美命は日本国土をお生みになったのであり、キリスト教の神(ゴッド)は人間を作ったのである。キリスト教の神はなぜか国家は作らなかった。国家は神によって造られた人間が集まって文字通り人為的に作られたと言うのが西洋の考え方である。日本の国家観と西洋国家観の違いは実にここから発すると考えられる。 

 

 日本国は、数多くの個としての人間が寄り集まって人為的に契約を締結して作った権力機構・政治形態としての国(これを「国家法人説」と言い換えてもいいと思う)とはその本質が全く異なるのである。

 

「国家法人説」とは、国家を法的な主体としての法人と考える理論で、いわゆる「天皇機関説」の基礎をなす理論とされている。また「法人」とは「自然人以外で法律上の権利義務の主体となることができるもの。一定の目的の下に結合した人の集団あるいは財産についてその資格が認められている集団」といわれている。国家とは、社団法人や財団法人のように多くの人々が一定の目的のために契約を結び人為的に造られたものだというのが「国家法人説」なのである。天皇中心の信仰共同体としての日本は断じてそのような存在ではない。「国家法人説」を日本国に当て嵌めることはできない。

 

 日本人は、豊かな自然に包まれて、様々な階層の人々も、「和」「むすび」を基本として生きてきた。そして信仰共同体としての国家が生まれた。その「和」「むすび」は人と人との間柄のみならず、人と自然の関係もしかりであった。

 

 我が日本はどのような闘争や激動があっても、日本という国が分裂し破壊し尽くされてしまうということ無く、天皇を中心とする「和」「むすび」によって国家の統一は維持され、民族の伝統は一貫して継承されてきた。ここが日本という国の有難いところである。日本国家が解散するを予想し解散の手続きのある「法人」であったならばこのようなことはなかったに違いない。

  

 この「むすび」の語源は、「生()す」「生()える」である。「草が生す」「苔が生える」といわれる通りである。つまり命が生まれることである。故に母から生まれた男の子を「むすこ」といい、女の子を「むすめ」というのである。「むすび」とは命と命が一体となり緊密に結合するということである。米のご飯を固く結合させたものが「おむすび」である。そして日本伝統信仰ではその米のご飯には生命・魂が宿っていると信じてきた。

 

 「庵を結ぶ」という言葉があるが、日本家屋は様々な材木や草木を寄せ集めこれらを結び合わせて作られた。結婚も男と女の結びである。故にそのきっかけを作った人を「結びの神」という。そして男女の〈むすび〉によって新たなる生命が生まれる。日本の家庭も〈むすび〉によって成立しているのである。

 

 日本という国家も同じである。人の魂が結び合って生まれてきた生命体なのである。日本民族の農耕を中心とする伝統的生活のから培われた信仰(自然信仰と祖霊崇拝・自然と祖霊を神として拝む心)が根幹となって生まれてきた生命体が日本国なのである。そしてその〈むすび〉の中核が日本伝統信仰の祭祀主である天皇である。これが三島由紀夫氏の言う「祭祀的国家」としての日本なのである。

 

 我々はまず以て「国家観」を正しく確立しなければならない。言うまでもなく日本と欧米とは歴史・文化・宗教・社会構造・人間関係を異にしているのだから、日本国を近代西欧流の国家法人説・国家暴力装置説などの「国家観」によって論じてはならない。

 

 近代以後のいわゆる「西洋化」そして大東亜戦争以後のいわゆる「民主化」(その実態は日本伝統破壊)によって、信仰共同体としての日本の本当の姿(これを国体と言い換えてもいいと思う)が隠蔽され、麗しい祖国日本を、単に権力関係・契約関係・社会経済関係によって成り立った法人であり機構であると考えるようになってしまった。現行占領憲法は実にそういう思想によって作られているのだ。今日の日本の政治腐敗・自然破壊・教育荒廃などの様々な矛盾の根本原因は実にここにあると考える。

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千駄木庵日乗二月十日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食欲があり、元気なり。

帰宅後も、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2015年2月10日 (火)

大和魂は外来文化を包容してきた重層的な日本文化の中核である

東京裁判史観・自虐史観とは、「米英支蘇」は善人であり悪いことは何もしなかった、日本は悪人であり悪い事しかしなかったといふ史観である。別の言ひ方をすれば、欧米列強の切り取り強盗し放題は許されるが、日本がやったことは防衛の自存の為の戦ひであっても侵略と見なすといふ史観である。近代日本の歩み、とりわけ、明治維新から大東亜戦争敗戦までの歴史について、いかに考へるかが、今日の日本にとってきはめて重要な問題である。

 

現代日本の危機は単に制度・機構の問題から来てゐるのではない。むしろ、精神的な堕落と道義の頽廃がその根本原因である。祖國の歴史に対する誇りと自尊心を喪失し、謝罪を繰り返す日本の在り様がその根底にある。現代日本とりわけ若い世代の人々は、近代日本の光輝ある歴史を正しく認識してゐない。むしろ、近代日本史の負の部分・暗黒面のみしか知らない。それは大東亜戦争の敗北によって、正しい歴史教育が行はれなくなったことが原因である。

 

 われわれ日本人は、國家の危機を打開するために、近代日本の歴史に対する正しき認識を持たねばならない。東亜の解放・自存自衛の戦ひであった昭和十年から二十年までの大東亜戦争、言ひ換へると明治維新以来の「攘夷の戦ひ」の総決算であった大東亜戦争が、勝利といふ結果を得る事ができなかった原因は何処にあるのかを、我々は正しく認識しなければならないと思ふ。

 

近代日本が、國家として武力や経済力などの点で、西洋と対等の力を持つのが何よりの急務であった。日本が自立・独立の道を歩むには、欧米の文明文化を採り入れいわゆる「富國強兵」「殖産興業」の道をとらざるを得なかった。西洋に追ひつき追ひ越すのが、近代日本の急務であった。

 

近代日本における西洋の學問・藝術・産業・科學技術などの吸収は、すさまじいものであった。欧米の圧迫に対峙して、日本國の生存・自立・独立を維持し発展を實現せんとする意識即ち國民主義がその根底にあった。

 

「攘夷のための開國」「夷を以って夷を制す」とは、日本の独立維持・発展のために西欧文化・文明を學ぶといふことである。ただしその根底に「和魂」があった。否、あるべきであった。ところが和魂・日本傳統精神が「洋才」によって隠蔽されてしまった面があった。そして、西洋よりも優ってゐるもの、西洋が學ばねばならないものが日本にあることを、日本國民が自覚し、世界に発信することがおろそかになってゐた。

 

「大和魂」「日本精神」が単なる標語となりスローガンとなりイデオロギー(独善的観念大系)となってしまふことは、「日本精神」「大和魂」の本義を否定することとなる。

 

日本精神・大和魂とは、外来の文化文明を包容し摂取してきた重層的な日本文化の主體であり中核である。わが國傳統精神は、イデオロギーではないし、さういふものと同列に論じるべきではない。もっと高次元のものである。

 

日本精神とは、日本民族の實際生活の中から生まれた天皇仰慕・天神地祇崇拝(祖先と自然の靈を尊ぶ心)・父母兄弟を尊ぶ心である。そこから明朗心・清明心・武の心・慈しみの心・むすびの心などの倫理精神が生まれた。これは日本民族の稲作生活と一體である。

 

安岡正篤氏は、「日本精神そのものは、日本として真に日本たらしめてゐるあるもの、これなくば日本及び日本人が、存立できないものであって、斯くの如きものは、概念的に説明できるものでない。冷暖自知する以外にない。」と論じ、村岡典嗣氏は、「日本精神はその本来の丹き心、又は正直に徹することに於いて、苟(いやし)くも人類の創造した一切の価値を摂取し、動かして、新たな文化を建設し、以て自己を實現し得る。」と論じてゐる。

 

秩序だった理論大系はもとよりないのである。言挙げせぬ國が日本の傳統だからである。しかしこれは見方を変えれば、柔軟にして強靭である。「柳に雪折れ無し」で、良きものはどんどん採り入れ、合はないものは捨て、日本民族の自主性は失はない。これが日本精神であり、大和心である。

 

「明治維新」も「大化の改新」も、外國から具體的改革策を取り入れつつ大きな変革を行った。しかし根本には尊皇愛國・敬神崇祖・萬民和楽の日本精神があった。それを基礎としての具體的改革であった。日本精神は窮屈なイデオロギーとしての理論大系であったのではない。イデオロギーとなってしまったら、左翼の公式主義と同じになる。日本精神はもっと大らかなものである。

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千駄木庵日乗二月九日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後五時より、赤坂の日本財団ビルにて、『笹川平和財団 笹川中東イスラム基金主催講演会・中東政治変動の展望 「アラブの春」の終焉とその後』開催。ロリー・ミラー氏(ジョージタウン大学ドーハ校国際関係学科長)・サイモン・ワルドマン氏(キングスカレッジ講師)・長澤榮治氏(東京大学東洋文化研究所教授)・渡邊啓貴氏(東京外国語大学大学院総合国際研究院教授)が講演。質疑応答。

この後、赤坂にて、最近入院生活を送っておられた友人ご夫妻と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2015年2月 9日 (月)

第四十八回 日本の心を学ぶ会

昭和維新運動を考える

 

昭和維新運動とは、昭和前期に起こった軍部革新派と民間右翼を中心とした国家革新運動を言います。

 

血盟団事件、5.15事件、2.26事件などがその代表的な事件としてあげられます。

これらの事件の背景にあったのは、対外的な脅威として浮上したソビエト連邦の成立、反日活動を激化させ泥沼化する支那大陸戦線、国内問題としては世界恐慌に始まる農村の疲弊です。

 

特に東北地方の疲弊は大変に厳しく、欠食児童と身売りの増大は農村出身の兵士と接する機会の多い青年将校の脳裏に国家の危機を十分に連想させるものでした。

 

このような国内外の重大な問題に正しき対処ができない政党政治とそれを支える財閥へ敵愾心が昭和維新運動の背景にありました。

 

現在の日本も同じような問題に直面しているといえます。共産支那の脅威は日本近海に及び、竹島を占拠する韓国は世界的な規模で反日宣伝を先鋭化させております。

 

さらに国内に目を転じると貧困と格差の拡大は社会に深刻な影響を与えております。

 

これらの問題に、与野党共に正しき対処を為し得ていないし、明確なる国家百年の大計も示していません。

 

こうした意味で昭和維新の歴史そして昭和維新が目指したものを学ぶことは、現代の変革を考える上においても大切であると考えます。

 

2.26事件の当事者たる青年将校たちは自らの行動を決して「革命」とも「クーデター」とも言っておらず、あくまで「維新」であるとしております。明治の末年には「第二維新」が、大正時代には「大正維新」が叫ばれ、いずれも「失われた日本」「原始の日本」への回帰を志向するものでした。

 

つまり維新とは、明治維新で完成されたものではなく大正、昭和、そして今も継続中であると言えます。

昭和維新運動に多大な影響を与えた思想家の渥美勝は「真の維新を断行し、高天原を地上へ建設せよ」と言っております。

 

二月二十六日を前に昭和維新を振り返り、「真の維新」と、彼らを突き動かしたものについて考えてみたいと思います。

 

みなさまのご出席をお待ちしております。

 

【日 時】平 成27年2月22日(日)午後600分より

 

【場 所】文京区民センター会議室 2-B会議室

東京都文京区本郷4-15-14 

地下鉄春日駅 下車1分(大江戸線、三田線)

後楽園下車3分(丸の内線、南北線)JR(水道橋)

【講 演】

  「昭和維新運動と現代」 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

 

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

この案内文は、主催者が作成したものです。

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佐々木良昭氏(東京財団上席研究員)の講演内容

本日行われた「博友会」における佐々木良昭氏(東京財団上席研究員)の講演内容は次の通り。

              〇

「外務省に情報分析能力なし。『私は泥棒です』というマークをつけて相手国に乗り込んでいるのが外交官。ジャーナリストも公認のスパイ。相手国から追放される場合がある。ところがわが国は外交官としてのABCは全く教えていない。日本の外務省はアメリカの情報、アメリカの方針を有難がって聞いている。その代りアメリカの要求にはみんな応える。金も出す。

 

アメリカは日本を守ってくれる場合と守ってくれない場合がある。今回も何も出来なかった。

 

大東亜戦争・第二次世界大戦の後、イギリスが力を落とし、アメリカが台頭した。アメリカ国民は自分の国を『強くて正義の国』というプライドを持っていた。しかし、ベトナム戦争で大量の戦死者を出して撤退した。その後、、七・八年アメリカは卑怯で貧乏で弱い國なった。そのアメリカを正義で強い国にしようとしたのがレーガン。そしてアメリカ国民に支持された。

 

ベトナム戦争の後、アメリカのインテリは金のかからない大量の死者を出さない戦争なら良いとなった。優秀な人材がアメリカに集まった。その人々がどうすれば費用をかけずに戦争ができるかを考えた。

 

ソ連のアフガン侵攻の後、アメリカは反ソ抵抗運動を支援した。アメリカは『神を認めない国の軍がお前たちの国を支配することを許せるのか』とアフガンの人たちに言った。

 

ムスリム同胞団は、エジプトが王制の頃、イギリスがつくり上げた破壊組織。イギリスはムスリム同胞団を使って中東に大きな影響を及ぼそうとした。

 

ウサーマ・ビン・ラーディンは私財をなげうってアフガンで戦っている人を助けようとして、『ジハード(聖戦、神のために戦う事)を遂行する者』を意味する『ムジャーヒディーン』を作った。サウジはそれを良しとした。サウジは、原理主義者を国外に出して死んでもらいたかった。サウジは、労働ビザを出して人を集め、アフガンに行かせた。ウサーマ・ビン・ラーディンの活動をサウジがサポート。CIAが資金・武器の提供をした。

 

ソ連がアフガンから敗退したので、『ムジャーヒディーン』は凱旋将軍として各国に帰ることができると思ったが、帰国したら刑務所に入れられた。そこで密入国して反体制運動をした。

 

アメリカは自国民ではない人々を戦争に利用する。その最初の例がアフガン。中央アジアからインド洋に石油ら運ぶ石油利権に絡んで『ターリバーン(パキスタンとアフガニスタンで活動するイスラム主義運動)』への評価がアメリカで逆転した。

 

イラク戦争はそれまでの戦争のイメージを変えた。電子機器を使った新しい戦争のパターンが始まった。イスラエルの高度な戦争技術によって徹底的に打ちのめされた。

 

『アラブの春』はアラブの大衆が独裁者を倒した戦いというのはとんでもない間違い。アメリカの組織がアラブの若者に携帯電話を使ったらどうやって大衆動員ができるかを教えた。アメリカの工作による戦争だった。リビアは相変わらず内乱状態。重石が無くなった。アラブの社会をまとめていくには暴力は必要悪。フセインやカダフィが殺した人の数はアメリカが殺した人の数にはるかに及ばない。

 

アメリカが出て行って戦うのではなく、その国の人々同士を戦わせればいいという考え。自分の血を流さず金を使わないでどうやって国益を守るかが、アメリカが今やっていること。アメリカは戦争をやめていない。やり方を変えただけ。

 

『ISIL(いわゆるイスラム国)』はアメリカが作ったと考える。拷問集団、ブラックウォーター(アメリカの民間軍事会社)に代わるものが『ISIL』。キリスト教社会が嫌っているイスラム教の名誉を傷つけることが目的。パリのテロ事件も然り。フランスでは北アフリカから来た人々を追放しろという動きがある。アメリカ共和党のマケインが『ISIL』の人と一緒に撮った写真がある。

 

去年の秋、私は『イスラム国そう長くもたない』と書いた。私の推測では石油パイプラインを通すために、アメリカが『イスラム国』を作った。

 

日本は海に囲まれているから国境が見える。大陸の人々にとって国境はない。シリア・ヨルダン・トルコ・イラクにも国境はない。全体がアラブという事、汎アラブが消えない。日本ほど領土・国境が鮮明なイメージを持つ国はない。

 

シリアとイラクの作戦展開は終った。トルコは不安に陥っている。『イスラム国』の連中はトルコ経由で外国に行く。しかし安全な経路ではない。

 

インドの十二億の国民のうち、二億六千万人がイスラム。『ISIL』のメンバーが大量にウイグルに戻っている。新しい作戦が始まる。アメリカは中国を放置するか。中国で民族紛争を起こさせる。中国を六分割させる。これから中国は難しい時代になる。朝鮮半島と大陸の混乱により、日本に難民という人間の津波が押し寄せる危険あり。

 

日本人がどんどん小さくなってきている。内田良平・大川周明のような人物がいない。思想家・活動家がいない。内々で固まっている。世界を見る目無し。

 

『ISIL』はサダム・フセインの残党ともゆるやかな連帯をしている。『ISILは極めて厳格なイスラム集団だからフセインの残党は受け入れない』という事はない。『イスラム国』という呼称は止めてもらいたいと、日本にいるイスラム教徒は言っている。

 

イスラム教徒は欧米に対して憎しみを抱いている。日本に対してはないという保証はない。食うためには人を殺すし泥棒もする。そのためのルールがイスラム法。『人間は罪の子』という思想。永遠の生命と知性を交換した。金を奪えそうな奴をさらう。仁義なき戦い。『イスラム国』はアメリカによって作られ、その中に敬虔なイスラム教徒が入っている。アラブ人全体が、アメリカが大嫌い

             〇

「ISILはアメリカが造った」など色々衝撃的なことが語られた。一つの見方・考え方として紹介する次第である。

 

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千駄木庵日乗二月八日

午前は、諸雑務。

午後一時半より、四谷にて、博友会開催。犬塚博英氏が座長佐々木良昭氏が「日本は中東諸国と以下に付き合い、『イスラム国』にどう対処。すべきか」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気だった。有り難い。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2015年2月 8日 (日)

イスラムについて

「イスラム国」と称する集団による二人の日本人虐殺、そしてヨルダン軍兵士焼殺は、何とも言葉で表現しようがない残虐無比な事件である。これが宗教集団、神を信ずる人間のやる事だろうか。宗教は、人間に平和と安穏をもたらすことを最高の使命するのではないのか。宗教とは愛と慈悲を説き、実践するものではないのか。

 

しかしこんなことはまことに以て幼稚な疑問なのかもしれない。これまでの人類の歴史は、神を信じる人々、宗教集団による殺戮が繰り返されてきたからである。それが歴史の真実である。如何に慈悲や愛を説く宗教であっても、宗教対立の果てに殺し合いを行って来た。

 

「イスラム過激派」「イスラム原理主義」と定義される集団によるテロが近年多発している。そして、それを「文明の対立」ではなく「文明と野蛮の対立」と定義する人もいる。たしかに、「イスラム過激派」「イスラム原理主義」の起こしたテロ・虐殺は野蛮である。しかし、その「野蛮」と対立しているとされる「文明」とは何を指すのか。欧米のキリスト教文明を指すのであろうか。であるなら、私は次のことを指摘しなければならない。キリスト教国家の大国アメリカによる、わが国土への絨毯爆撃、二発の原爆投下は「野蛮」ではなかったのか。

 

私はこれまで、宗教のことは多少勉強して来た。日本伝統信仰たる神ながらの道、仏教、キリスト教に関する書物もたくさん読んだ。また、十代後半から二十代前半にかけて、生長の家の宗教活動を熱心に行った。また、いわゆる戦後の新宗教、新々宗教の本も読んだ。教団も訪ねた。しかし、イスラム教のことは殆ど勉強しなかった。近年になって、『世界の名著・コーラン』(中央公論社)、『人類の知的遺産・マホメット』(講談社)を讀んだ。

 

日本で初めて『コーラン』の全訳を刊行したのは、昭和維新運動の思想的指導者の一人である大川周明氏である。これは驚くべき事実である。わが国近代の維新運動者は、欧米列強の植民地支配に呻吟していたアジア諸国・諸民族の解放を目指した。欧米列強の植民地となっていたアジアの多くの民族と国家は、イスラム民族・イスラム国家であった。大川周明氏がイスラムと『コーラン』に深い関心を寄せたのは当然である。イスラムについてもっと勉強しなければならない。

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千駄木庵日乗二月七日

午前は、諸雑務。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。澤英武氏が司会。フリージャーナリストの福島香織さんが「香港と台湾 そして東アジアの行方」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。後日報告します。奥野誠亮先生の出席された。今年百二歳になられるはずである。一層のご長寿を祈る。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2015年2月 7日 (土)

「素直な心」「そのままの心」「無私の心」が日本民族固有の精神である

 『大和心』『大和魂』とは、儒教・仏教などが入ってくる以前からの、日本人本来のものの見方・考へ方、即ち日本民族固有の傳統精神のこととして間違ひではあるまい。その『大和心』を短歌形式で表白した歌が次の歌である。

 

 敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山櫻花

 

 近世の國學者・本居宣長の歌である。「大和心をどういふものかと人に問はれたら、朝日に美しく映える山櫻だと答へやう」といふほどの意である。

 

 「朝日ににほふ山櫻花」は何とも美しい。それが大和心なのだと宣長は言ふ。朝日に美しく映えてゐる山櫻は理屈なしに美しい。さういふ美しさを大和心に譬へてゐる。そして宣長は、日本人の中核的性格=大和心の本質をなすものは、理知ではなく、素直なる心、鋭敏な感受性を備へた純粋感情であるとした。

 

神の生みたまひし美しい國に生まれた日本人は、美しいものを見たら素直に「美しい」と感動する。その「素直な心」「そのままの心」「純真無垢の心」「無私の心」が、日本民族固有の精神即ち大和心である。

 

物事に素直に感動する心を「もののあはれ知る心」ともいふ。それは、理智・理屈・理論ではない。一切の先入観を取り除いた心である。大和心即ち日本傳統精神は、純粋な感性である。嘘の無い心即ち「真心」である。大和心即ち日本傳統精神は、誰かによって作られた思想體系や理論體系ではなく、純粋な感性である。嘘の無い心即ち「真心」である。

 

しかしながら、日本人はただ単に感覚的に美しいものを好むのではない。日本人の「真心」は一種の厳粛さ・神々しさを伴ふ。古代日本人にとって、櫻の花に限らずすべての花や草木は宗教的・神秘的存在であった。「花」(ハナ)の語源は、端(ハナ)即ち、物の突き出した所、はし(端)であると共に、幣(ハタ)・旗(ハタ)であったといふ。「幣」とは、神に祈る時に捧げ、また祓ひに使ふ、紙・麻などを切って垂らしたもので、幣帛(へいはく)・御幣(ごへい) とも言ふ。日本人は、櫻の花を素直に美しく感ずると共に、櫻の花にある神秘性・神々しさに畏敬の念を持った。

 

日本の傳統的な行事である「お花見」の起源は、生命の盛りである花の下に人間が入ることによって、花の精気が人間に移り、自分自身の生命を豊かにするといふ信仰である。

 

「朝日ににほふ山櫻花」の美しさは神々しさの典型である。宣長は、日の神の神々しさをたたへてゐるのである。そこにわが國民信仰の根幹である太陽信仰(天照大神への信仰)があり、神の命に対する畏敬の念がある。

本居宣長は、『たまかつま五の巻』において、「つひにゆく道とはかねて聞しかどきのふけふとは思はざりしを、契沖いはく、これ人のまことの心にて、をしへにもよき歌也、後々の人は、死なんとするきはにいたりて、ことごとしきうたをよみ、あるは道をさとれるよしなどよめる、まことしからずして、いとにくし、……この朝臣(註・在原業平)は、一生のまこと、此歌にあらはれ、後の人は、一生の偽りをあらはして死ぬる也といへるは、法師(註・契沖のこと)のことばにもにず、いといとたふとし、やまとだましひなる人は、法師ながら、かくこそ有けれ」(『最後には行かなくてはならない死出の道だとは、かねて聞いて知ってゐたけれど、昨日今日と差し迫ってゐやうとは思はずにいたもの』といふ歌について、契沖は言った。この歌は人の真實の心であって、教訓とするにもよい歌である。後々の世の人は、死なうとする間際になってものものしい歌を詠み、あるいは道を悟ったことなどを詠む。真實はさうではないので、大変気に入らない。……在原業平朝臣は、一生の真實がこの歌に表現され、後の世の人は一生の偽りを表現して死ぬのだと言ったのは、僧侶の言葉にも似ないで大変に尊いことだ。やまとだましひの人は、僧侶ではあっても、このやうなことがあるのだ)と論じてゐる。

 

『伊勢物語』の結びに据ゑられてゐる在原業平の「つひにゆく」の歌は、死に直面した時の心をこれ以上素直な言葉はないと思はせるくらい素直に表現してゐる。まさにそのままの心・自然な心・真心の表白である。その真心・そのままの心・素直な心が「やまとだましひ」であると宣長は言ふのである。それはまた日本人の代表的美感覚である「もののあはれ」(物事に素直に感動する心)にも通じる心なのである。

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千駄木庵日乗二月六日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。今日は、体調が良く、精神状態も安定していた。

帰宅後は、資料の整理。原稿執筆の準備。

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2015年2月 6日 (金)

やまとうたとは─その原義と本質

和歌(やまとうた)は、日本の最も純粋な最も固有な文藝である。和歌は、漢詩(からうた)に対する和歌(やまとうた)である。意識的に「やまとうた」といふ言葉を用い出した人は、紀貫之といはれてゐる。

 

紀貫之は、平安前期の歌人、歌學者。三十六歌仙の一人。仮名文日記文學の先駆とされる『土佐日記』の作者である。加賀介、土佐守などを歴任。醍醐天皇の勅命による『古今和歌集』撰進の中心となり、その「仮名序」を執筆した人。

「やまとうた」は「まつりごと」(祭祀)から発生した。日本では太古から、天地自然の奥に生きてをられる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈るまつりごとが行はれてゐた。その「まつりごと」において、祭り主が神憑りの状態で「となへごと」を発した。神憑りの状態から発せられた「となへごと」が度々繰り返される過程で、一定の形をとるやうになった。それが「やまとうた」(和歌)の起源であらう。祭祀における「となへごと」は、「やまとうた」のみならずわが國の文藝全體の起源である。

 

『うた』の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。歌をはじめとした日本文藝の起源は、神への訴へかけである。神に対してだけでなく、戀人や親や死者など他者に対する何事かの訴へかけが、日本文藝の起源である。他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。

 

高崎正秀氏は、「歌は空(ウツ)・現(ウツツ)・うつろ・うつけなどと同義で、神憑りの夢幻的な半狂乱の恍惚状態を指すことから出た語であり、同時にまた、裏・占・心(ウラ)・訴(ウタ)ふなどとも同系語で、心の中の欲求を神に愁訴するものであった。」(『伊勢物語の意義』)と論じてをられる。

 

わが國の文藝の起源は神への祭祀における舞ひ踊りと共に歌はれた「歌」であることは、出土してきてゐる土偶によって推察されるといふ。

 

日本民族は、ことばを大切にし、ことばに不可思議にして靈的な力があると信じた。ゆへにわが國は「言靈のさきはふ國」といはれる。わが國においては、歌は何よりも大切な神への捧げものとされたのである。それが「祝詞」となった。「祝詞」も声調・調べが整ってゐる。

 

日本人の言靈信仰が歌を生んだともいへる。折口信夫氏は、「(言靈信仰とは)古くから傳ってゐる言葉の持ってゐる靈力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言靈、つまり言語の精靈である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・靈魂があると考へた。それが言靈である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである。」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教において、神や仏に対して祈りを捧げたり経典を讀誦したり特定の言葉を唱へることが基本的行事となってゐる。

 

「自分の本当の心・素直な心・そのままのこころ・まごころ」は、わが國文學の基本的情緒とされる「もののあはれを知る心」と同意義と考へてよいと思ふ。見るものにつけて聞くものにつけて自分の心が感動することを「もののあはれ」といふ。それが「五・七・五・七・七」といふ形式で表白され、讀んだ人・聞いた人の魂を動かすといふのが「やまとうた」である。

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千駄木庵日乗二月五日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、原稿執筆・脱稿・送付。書状執筆。資料整理。

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2015年2月 5日 (木)

清明心は神話時代以来のわが國の重要な道徳観念

「清明心(清く明らかなこと・きよらけくあきらけき心)」は、神話時代以来わが國の重要な道徳観念である。日本人は、「あいつは悪い奴だ」といはれるよりも、「あいつは汚い奴だ」といはれる方を厭ふ。天照大神は、高天原に上ってきた須佐之男命に「しかあらば、汝が心の清く明きは何をもって知らむ」と仰せられた。須佐之男命は、ご自分の「清明」を証明するために「うけひ」をされた。

 

また、天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。日本國民は古来、「清けく明けく」(清明心)を最高の価値として来たのである。

 

 天智天皇は

 

「渡津海の豐旗雲に入り日さし今夜の月夜清明(あきらけく)こそ」

(海空に、豊かに旗の如くたな引く雲、それに入り日がさしてゐる。今夜の月夜は明らかなことであらう。)

 

と詠ませられてゐる。「清々しい」といふほどの心にこの「清明」の文字をあてた御心が大事である。「清明心(汚れなく・清く・くもりなく・明らけき心)」にあこがれ「くらき心」「きたなき心」を嫌った心が日本人の心である。神道が禊祓を大切な行事とするのもこの精神によるのである。

 

「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。日本武尊の御事績を拝すればそれは明らかである。

 

和辻哲郎氏は、「上代人は、全体性の権威を無限に深い根源から理解して、そこに神聖性を認めた。そして神聖性の担い手を現御神や皇祖神として把握した。従って全体性への順従を意味する清明心は、究極において現御神や皇祖神への無私なる帰属を意味することになる。この無私なる帰属が、権力への屈従ではなくして柔和なる心情や優しい情愛に充たされているところに、上代人の清明心の最も著しい特徴が看取せられるべきであろう。」(『日本古代文化』)と論じておられる。

 

平田篤胤は、「抑我が皇神の道の趣きは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)ひ、君親には忠孝(マメ)に事(ツカ)へ、妻子(メコ)を恵みて子孫を多く生殖(ウミフヤ)し、……家の栄えむ事を思ふぞ、神ながら御傳(ミツタ)へ坐(マ)せる真(マコト)の道なる。」(『玉襷』)と論じてゐる。

 

「清明心」は「まごころ」といはれる精神であり、中世神道においては「正直」と称せられるものである。偽善や嘘を嫌ふ心である。無私の心であり我執なき無我の心である。

 

西洋精神が自我を拡張し、自我を確立することを根本とするのとは對照的にわが國は「無我」を根本とするのである。無我・無私となられて神を祭られる天皇は、「清明心」の根源者であらせられ、体現者であらせられるのである。ゆへにこそ「現御神・現人神」と仰がれるのである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

明治天皇は

 

さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり

あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな

 

と詠ませられてゐる。この御製の大御心こそ清明心であると拝する。

 

村岡典嗣氏は「まごゝろといひ、大和心といふものには、一味もののはれと通ずるところがある。而してこれまた、現人神にます天皇を對象とすることに於いて、重なる存在をはじめに有した丹き心本来の性格であった。……正統記に、儒教的の有徳王君主の思想を少なくとも絶對的に否定しつべき積極的主張の十分でなかったことを、感ぜざるを得ざらしめる。これは國學者の立場からせば、所謂漢意を去りえなかったのである。天皇は天皇にまします故に貴く、善悪の論を離れて絶對に尊びまつるべしといふのは、合理主義以上のまた以外の至情である。丹き心の根柢にはこの情味がある。この事は、國學をまって、始めて明瞭なる自覺を以て發揮せられたところである。されば親房以後近世の日本的儒學者の間に於いては、就中、山鹿素行の如き、頗る日本精神の主張に於いて、一層の進歩を示したとはいへども、未だこの點國學ほど純粋ではなかった憾みがある。而してこは、國學の古典學を有しなかった爲である。」(『日本思想氏研究第四』)と論じてゐる。

 

わが國における「尊皇精神」「忠義」とは、現御神日本天皇に對する絶對的な仰慕の心・戀闕の心をいふのである。一切の私心なく天皇にまつろひ奉ることが最高の道義なのである。それを「清明心」といふのである。

 

「丹(あか)き心」とは、「赤心(せきしん)」であり、誠實、偽りのない心、まごころ、美しい心、きれいな心、清い心、まことの心である。すなはち日本精神の骨髄たる「清明心」である。

 

古代における「清明心」は、中古時代には『源氏物語』において「もののあはれ」と表現され、中世においては『神皇正統記』などにおいて「正直」と表現され、近世においては本居宣長などによって「やまとごころ」と表現され受け継がれた。 

 

わが國の「もののふの道」は、『古事記・萬葉』の歌々を見ても明らかな如く、日本の中核的な傳統精神から発した。上御一人・現御神に對する戀闕が根幹である。

 

大東亜戦争後、日本弱体化を目的として押し付けられ「似非平和主義」を脱却して、「ますらをの道」「もののふの道」に回帰すべきである。それこそが、共産支那や北朝鮮の軍事的政治的恫喝からわが國を守り抜き真の平和を確立する方途であると確信する。

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千駄木庵日乗二月四日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

午後四時半より、永田町の参議院議員会館にて、中山恭子参議院議員にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が聖徳太子の御歌などを講義。質疑応答。

帰途、出席者の方と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2015年2月 4日 (水)

「もののふの道」とは

 「もののふ」とは、武人・武士のことをやまとことば(和語すなはち漢語や西洋などからの外来語に對し、日本固有の語)で表現した言葉であり、雅語(上品な言葉。正しくてよい言葉。特に、和歌などに使ふ、平安時代風の言葉)的表現である。

 

 「もののふ」とは、「宮廷を守護する者」即ち「物部(もののべ)」の音韻が変化した語であるといふ。「もの」とは「もののけ」の「もの」と同じで、不思議な霊力がある存在のことである。物部氏という氏族は、もっとも有力な「もののふ」だった。

 

 「物部」の原義は、宮廷の妨げをするものを平らげ鎮める働きをする部(群れ・組。世襲的に一定の職業に従事した団体)のことである。物部氏は、古代の氏族の一つで、朝廷の軍事・刑獄のことを司った。 

 

物部氏は饒速日命の後裔にして武勇を以て聞こえた家柄で、神武天皇に奉仕し、御東征の折に大和で長髄彦を討って勲功があった。大伴氏と共に宮門を護衛し、軍事を担当した。用命天皇崩御直後(用命天皇二年・五八七)、仏教受容を唱へた蘇我氏と物部守氏が戦ひ、物部氏は滅びた。

 

霊的力即ち巫術(超自然的存在が人にのりうつり、その人を通して話し、行動するもの)を以て戦場に臨み、敵軍を守る精霊を抑圧する役目を帯びた者たちが「もののふ」(物部)であった。

 

折口信夫氏は、「(古代日本では)多くは巫術を以て戰場に臨み、敵軍を守る精靈を抑壓する者だったらう。大體、男軍其ものが既に、軍靈を使って、敵軍の守護靈を壓倒することを第一義にして居た。其爲に戰士のことを靈部(物部)と言ったのである」(『大倭朝廷の刱業期』と論じてゐる。

 

『日本書紀』の神武天皇御東征の折の長髄彦(ながすねひこと)との一戦のくだりに「…神祇(あまつやしろくにつやしろ)を禮(ゐやま)ひ祭(いは)ひて、日神の威(みいきほひ)を背(そびら)に負ひたてまつりて、影(みかげ)のままに壓躡(おそひふ)まむに若かじ。かからば則ち曽て刃に血ぬらずして、虜(あだ)必ず自らに敗れなむ」と記されてゐる。

 

古代日本における戦ひは靈力の戦ひであったのであり、それに従事する士が「もののふ(靈部)」であった。とりわけ上御一人の「みいくさ」は、日の神の御神靈を祭りその神威を背負ひて神のまにまに戦はれたのである。

 

「神武」「天武」「文武」「聖武」といふ御歴代天皇の御諡号は、文武對立の武ではなく神威と一体の武である。

 

日本の武士が戦場に於いてお互ひに名乗りをあげたのは、互ひに名乗り合ふことによって相手方の靈を圧伏する意義があったと思はれる。

 

「もののふのみち」(支那から傳来してわが國の言葉となった「漢語」でいふと「武士道」)は、物部、大伴の二氏によって明確なる史實として表現せられた。

 

 なほ、「もののふ」を漢語で「武士」(ぶし)といふのは、折口信夫氏の説では、野に伏し山に伏して主君のために仕へる者であるからといふ。

 

もののふの道(武士道)とは、古代日本(古事記・萬葉時代)においては、天皇・朝廷に忠誠を尽しお護り申し上げる精神そのものである。それが原義である。日本武尊の御生涯を拝してもそれは明らかである。

 

もののふの道(武士道)とは、「尊皇心」「祖先を崇拝する心」「父母に對する孝の心」そして「名誉心(名を惜しむ心)」などがその内容となってゐる。名誉を重んずる心は、自己の一身を忠義・戀闕の對象(天皇・祖先・親・家)に捧げることに十分なる理由を与へた。

 

かうした日本の傳統的倫理観念が、人並み優れて強い男子といふ武士(もののふ)に、節度・忍従・帰服の心を付与した。「武」によって立つ者に道徳を与へたのは尊皇精神を中核とする日本傳統倫理精神であった。

 

新渡戸稲造氏は、「仏教の与え得ざりしものを、神道が豊かに供給した。神道の教義によりて刻みこまれたる主君に對する忠誠、祖先に對する尊敬、ならびに親に對する孝行は、他のいかなる宗教によっても教えられなかったほどのものであって、これによって武士の傲慢なる性格に服従性が賦与せられた。」(『武士道』)と論じてをられる。

 

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千駄木庵日乗二月三日

午前は、諸雑務。明日の『萬葉集』講義の準備。

午後は、明日のインタビューの準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。今日は精神的にやや安定していない。

帰途、上野桜木で友人と懇談。

帰宅後も、明日のインタビューの準備など。

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2015年2月 3日 (火)

萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が明日の夜開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 二月四日 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

 

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

 

四宮正貴拝

 

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この頃詠みし歌

篤き病ひと聞きし友の電話の声明るく響けば安堵の思ひ

 

幾十年交はり来りしわが友よすこやけくあれとただ祈るなり

 

友どちが血を吐きたりと聞きし夜 命とえにしを深く思へり

 

父母の暮らせし部屋を掃除する 二人とも再び帰り来ることなし

 

何をしても母の苦しみが思はれて心乱るる生みの子われは

 

金平糖を一つづ食しその甘き味に幼き日を思ひ出す

 

白鳥となりて故郷に帰りたまひし やまとたけるの美しき最期

 

下弦の月さやかに浮かぶ下町の夜を歩めば心も冴える

 

眠らむとする時に聞こゆるサイレンは都会の生きる不安の響き

 

靖國の宮居に参る人多く冬の日照りて世は平和なり

 

日の本は神のまもらす國なれば平和なるかな今日のこの日も

 

酒呑みて心うるほふ夕暮の駅前の蕎麦屋のあるじの笑顔

 

目つき鋭き男の人と目が合ひて早く降りたくなりしバスかな

 

朝明けて山の彼方に射し昇る日の光仰ぎ手を合はすなり

 

甲斐の國山の彼方に見ゆるなる富士山頂の姿麗し

 

冬の日の甲斐の山々眺めつつ友と語らふひと時ぞ良し

 

遠き山は雪に覆はれ寒々と氷山の如くに光りゐるかも

 

年老いし母と共に過ごす時間大切にして今日も共にゐる

 

弱りたる母の手を取りなぐさめて励まして過ごす施設の小部屋

 

一日おきに母に会ふことをつとめとし今日も夕暮の町でバスを待つ

 

大ジョッキ二杯焼酎水割り二杯呑みまだ呑み続ける隣の客は

 

小ジョッキ一杯と水割り一杯呑みしのみで たらふく食して店を出る我

 

親の仇と思ふほかなし患者をば物の如くに扱ひし医師と看護師

 

心やさしき人の歌をば讀みにつつ心やすらふ我にしありけり

 

彼方なる国に旅立ちしわが友の無事祈るなり冬の朝(あした)

 

むごき事起り続けるこの世界それでも神仏に祈るほかなし

 

神の救ひ神の愛とは何なるか砂漠の大地に殺戮止まず

 

緑無く水も少なき砂漠の地 闘争の歴史とどまることなし

 

 

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千駄木庵日乗二月二日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、診察を受ける母に付き添う。内科と整形外科の医師の話を聞く。

谷中にて、地元の先輩と懇談。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。資料の整理など。

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2015年2月 2日 (月)

『萬葉集』と武と変革

 『萬葉集』の中心の時代は、天武天皇の御代から、孝謙天皇の御代にかけてである。その時代は決して太平の世ではなかった。大化改新・壬申の乱といふ大変革・大建設の時代であり支那朝鮮からの武力侵攻の危機もあった。「やまとうた・和歌」をはじめとした優れた文藝はさうした時代に生まれる。変革・建設・戦ひと「和歌」とは切っても切れない関係にある。

 

 今日のわが國も萬葉時代とまったく同じ内憂外患交々来たるといった危機的状況にある。それは逆に変革の時代でありさらなる発展の時代であるともいへる。國家的危機を乗り越へ偉大なる変革を成し遂げた萬葉時代の日本民族精神に學び回帰すべきである。

 

 保田與重郎氏は、「わが國の歴史に於いてみても、國民思想の樹立の契機となる重大な問題は、壬申の亂を峠とする時代の國の人心と人倫の歸趨にある。…萬葉集に於ては、はるかに一般國民精神の動向を臣民に道に於てあまねくうつし、しかも最もよく國の倫理の大本を護持して、當時二百年前後にわたる海外文化の影響下の日本にあって、わが固有の文化の流れを傳へた歴史の精神が如何に己を持して動かなかったかを示す點で國の精神の重きを思はせて實に感謝に耐へないものがある」(『萬葉集の精神』)と論じてをられる。

 

『萬葉集』には大変革・大建設の時代の息吹きに満ち満ちた日本民族の精神が歌はれてゐる。『萬葉集』の中核精神は、國家の危急時に、わが國民が如何にして天皇を中心とする國體を守り、國民が神と天皇に仕へ奉ったかが表白されてゐる。歌の調べの美しさも、慟哭も、みなこの一点より解さねばならない。萬葉歌のみならず和歌を學ぶとは、和歌の道に傳はった日本傳統精神に回帰しそれを踏み行ふことなのである。

 

今日の日本において特に取り戻さなければならないのは萬葉時代以来の「武の心・もののふの心・ますらをぶり」である。

 

大東亜戦争敗北以後、「武の心・もののふの心・ますらをぶり」が否定され隠蔽され続けてきた。『現行占領憲法』の三原理のひとつに「平和主義」といふのがあるが、これは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。ゆへに、日本及び日本國民は今後一切いかなることがあっても、武力・戦力・國軍は持たない、武力の行使はしない、戦争はしないことを決意する」といふ思想である。それは戦勝國による日本弱体化思想以外の何ものでもない。

 

國家を守る精神こそ、國民の道義精神の要の一つである。國防と道義は不離一体の関係にある。「國民」は、運命共同体であるところの國家を生命を賭けて守る使命感があってこそ、「國民」である。

 

崇高なる道義精神である「國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念」を喪失し、利己主義・利益至上主義に陥り、自分さへよければ他人はどうなってもいいといふ考へ方に陥ってゐる現代の青少年によって、凶悪無比なる犯罪が繰返されてゐる。軍と武を否定した「平和と民主主義の國・戦後日本」には、眞の平和も、眞の道義もなくなっているのである。 

 

 平和の前提は、國家の独立・民族の自立である。國家の独立を維持し、民族の自立を守り、平和を維持し實現するために國防力・軍事力が不可欠である。そしてその根幹として、日本國民一人一人が「武の心・もののふの心・ますらをぶり」の回復がなければならない。

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千駄木庵日乗二月一日

午前は、諸雑務。

午後は、『大吼』誌連載中の『萬葉集』解釈原稿執筆。

この後、施設に赴き母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2015年2月 1日 (日)

現御神信仰について

現御神信仰は天皇が全知全能の絶対神であるといふ信仰ではない。日本人が古代から抱いてきた現人神(あらひとがみ)思想=現御神(あきつみかみ)信仰は、天皇がイエス・キリストのやうに海の上を歩いたりする超人であるとか何の間違ひも犯されない全知全能の絶対神であるといふ信仰ではない。

 

日本物語文學の祖とされる『竹取物語』(成立年代不明・作者不明)では、かぐや姫に求婚した天皇が「天竺の宝物を持って来てくれ」などといふ難題を言ひかけられて大いに悩まれることが記されてゐる。日本人の現御神信仰が天皇は絶対無謬の御存在であり全知全能の神とする信仰であったら、このやうな物語が生まれるはずがない。 

 

和辻哲郎氏は、「(天皇が神聖な権威を担ふといふ傳統、皇統が天つ日嗣として神聖であるといふことは・註)この傳統を担っている現人をそのまま神化しようとするのではない。従ってそこには天皇の恋愛譚や、皇室内部における復讐譚などを数多く物語っている。これらは天皇の現人性を露骨に示すものと言ってよいであろう。しかしかく現人たることなしに現人神であることはできない。現人でありながらしかも現人たることを超えて民族的全体性の表現者となり、その全体性の根源から神聖な権威を得てくるということ、従ってこの権威はただ一系であり不易であるということ、それを記紀の物語は説き明かそうとしたのである。」(『日本倫理思想史』)と論じてゐる。

 

現御神あるいは現人神とは、読んで字の如く、現実に人として現れた神といふことである。人でありながら神であり、神でありながらながら人であるお方が、祭り主であられる日本天皇なのである。それを名詞で表現したことばが現人神・現御神なのである。 

 

そしてこの場合の神とは、キリスト教や回教の神のような超自然的・超人間的な神なのではない。だから現御神であらせられる天皇御自身、神仏に祈願を込められ、天皇の御名において神々に御幤を奉られるのである。

 

葦津珍彦氏は〈現御神日本天皇〉の意義について次のやうに論じてゐる。「天皇おん自らは、いつも過ちなきか、罪けがれなきかと恐れて御精進なさっている。天上の神になってしまって、謬つことなき万能の神だと宣言なさった天皇はない。…現御神とは、地上において高天原の神意を顕現なさる御方というのであって、決して無謬・無過失の神だというのではない。」「現人神というのは人間ではないというのではない。人間であらせられるからこそ、皇祖神への祭りを怠らせられないのである。天皇は、神に対して常に祭りをなさっている。そして神に接近し、皇祖神の神意に相通じ、精神的に皇祖神と一体となるべく日常不断に努力なさっている。天皇は祭りを受けられているのではなく、自ら祭りをなさっている。祭神なのではなくして祭り主なのである。その意味で人間であらせられる。けれども臣民の側からすれば、天皇は決してただの人間ではない。常に祭りによって皇祖神と相通じて、地上において皇祖神の神意を表現なさるお方であり、まさしくこの世に於ける神であらせられる。目に見ることのできる神である。だからこそ現御神(現人神)と申上げる。」(『近代民主主義の終末』)。

 

現御神(現人神)日本天皇は、天つ神・皇祖神の御子としての神聖なる権威を担って、目に見える人の姿として、現実に地上に現れられた神であらせられる。そして、皇祖天照大神の住みたまふ天上界(高天原)と地上とは隔絶した関係ではなく、常に交流してゐる関係にある。

 

日本人の傳統信仰は、皇祖神と天皇の関係ばかりでなく日本の神々と一般國民も種々の形で交流し、両者の間に超えがたい区別などはないのである。神はしばしば人の姿をとって現実世界に現れ、人の口を借りて神意を傳へんとする。

 

日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神のまつろひ奉る御方であり、神のみ心を伺ひ、それを民に示される御方である。また民の願ひを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。

 

「祭る」とは無私になって神にまつろふといふ事であり、祭る者が自分を無にして祭られる者=神に従ふといふ事である。「祭り」とは神人合一の行事である。

天皇が祭り主として「無私」であられるからこそ、神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方となられるのである。だから民から天皇を仰ぐ時には「この世に生きたまふ神」すなはち「現御神(あきつみかみ)」あるいは「現人神(あらひとがみ)」と申し上げるのである。

 

天照大神と天皇の関係は、単に、天照大神が天皇の御祖先であり天皇は天照大神の御子孫であるといふ関係だけではなく、天照大神の神霊が天皇のお体に入り、天皇が天照大神の御意志(地上に稲を実らせること)を地上(豊葦原の瑞穂の國=日本)において実現するといふ関係である。日本天皇は日本の神々の中で最高の尊貴性を持たれる天照大神の「生みの御子」として地上に現れられたお方であらせられる。

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千駄木庵日乗一月三十一日

午前は、諸雑務。

お昼、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後は、資料の整理。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。高乗正臣平成国際大学副学長が座長。村松伸治日本文化大学教授が司会。慶野義雄平成国際大学教授が「教育勅語渙発に現れた立憲政体構想」と題して研究発表。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆。

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