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2015年1月22日 (木)

「天皇」といふ御稱号の御意義

「天皇」といふ御稱号の字義は、「天」は天つ神のをられるところすなはち高天原である。「皇」は冠が架上に置かれている形の象形文字であり天の神を言ふ。(加藤常賢・山田勝美両氏著『当用漢字字源辞典』)

 

津田左右吉氏は「天皇」といふ御稱號について、「推古天皇時代にかういふ御稱號の用ゐられたことは確實であらう。これは此の天皇の丁卯の年に書かれた法隆寺金堂の藥師像の光背の銘に『池邊大宮治天下天皇』とあるからである。」「『天皇』といふ御稱号がやはりシナの成語を採ったものであることは、おのづから推知せられる。さうしてそれは、多分、神仙説もしくは道教に關係ある書物から来たのであらう」「支那に於ける天皇の稱呼は、帝王としての意義を裏面には含みながら、宗教的觀念が主になってゐるのであるが、それは恰もよく、上代人の思想に於いて政治的君主の地位に宗教的由来があり、その意味で神とも呼ばれ、そこから天つ神の御子孫として天から降られたといふことになってゐた、わが皇室の地位に適合するものであって、此の語の採られた主旨もそこにあったに違ひない」と論じてゐる。(『日本上代史の研究』)

 

肥後和男氏は、「『天皇』というのはもちろん中國語で、『三皇本紀』に『天地初めて立つ、天皇氏有り』と見え、天の支配者といった意味で、いわば最高の神格をさした名称であり、中國でも君主をば天子と称し、あえて天皇とはいわなかった。」「聖徳太子は…スメラミコトは天皇という新しい称号のもとに、絶対なる存在たらしめようとした。ここに、中國では天の支配者をさす『天皇』という大きな名を、スメラミコトの称号として採用することにふみきったものと思われる。」「聖徳太子等をして、そこまでふみきらせた歴史的根拠は…古くからの日神信仰にあったと考えられる。…日本民族は『ことば』にひとつの力を認める。それがいわゆる言霊の説であるが、スメラミコトが天皇という称号を用いることによって、その本質が一段と高められ、一種の神格的存在となった…。」「太子が隋との國交において対等の礼を用い、その國書に『東天皇つつしみて西皇帝に申す』といった用語をされたことは、日本を未開の外蕃とみなしてきた中國古来のゆきかたに正面から挑戦したもの…。」と論じてゐる。(『天皇と國のあゆみ』)

 

高森明勅氏は、「天皇号の成立は、シナ王朝を中心とする古代東アジア世界において、わが國が自尊独立の文明國家を目指すことを内外に闡明したもの」「天皇号成立の意義については、対外的には何ものにも従属しない國家の主体性と尊厳を表徴するものであって、同時に國内的には、君主大権の神聖な超越的権威と公的・普遍的統治の理念を堅持するものだったと言へるのである。」と論じてゐる。(「天皇号の濫觴」・『立正』誌皇紀二六五五年一月号)

 

「天皇」といふ御稱号は、「天の神様」を指すことばである。日本國の君主を『天皇』と申し上げるのは、天命の主体たる天つ神の地上的御顕現、言ひ換へると肉身をそなへた天つ神すなはち『現御神』もしくは『現人神』がわが國の君主であらせられるといふわが國の傳統的な「天皇信仰」に基づく御稱号である。

 

山崎闇斎を祖とする「垂加神道」の「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至ると雖も、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり。」(玉木清英『藻盬草』)といふ「絶対尊皇思想」は、「天皇」といふ御稱号の意義と一致する。

 

里見岸雄氏は、「天皇とはなにかといふことは、天皇なる概念に含まれてゐる多くの表象を分析した上で総合的に観念されなければならないのであって、憲法によって天皇の概念が定まったかの如くに思ひ、そして、軽視的に『象徴である』『象徴に過ぎない』などといふのは、全く逆である」「憲法の象徴といふ規定と関連して、天皇非君主説、換言すれば天皇國民説、乃至天皇非元首説を主張するのは、憲法の法相を無視し、天皇概念を正確に把持しない非科學的独断、イデオロギー的見解といはねばならぬ」「古来の日本人が、天皇といふ言葉によって観念してきたものは、…他國に類例のない理想的帝王であるとの誇りに充ちた観念である…もう少しくわしく言えば、天皇とは、日本國民が古来、世界に類例のない理想的帝王であると信じてきた萬世一系の君主である。と定義してよからう」「憲法が天皇といふ文字を用ゐてゐるのは、國民に対しての概念である事、及び天皇なる文字そのものが君主の意味である事を前提としたものであるのは明白であって、天皇が君主でないなら、天皇の文字を用ゐることは許されぬ。天皇は明白疑ふ余地のない君主である」と論じてをられる。(『萬世一系の天皇』)

 

ともかくわが國においては、現御神であらせられ萬世一系の神聖なる君主の御事を「天皇」と申し上げるのであり、成文憲法の規定によって「天皇」が「君主」となられるのではないのである。

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