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2015年1月31日 (土)

天皇への國民の「かしこみの心」が國家の安定が保たれて来た根源

わが國の道義精神の中核は、神を祭られる天皇の神聖なる権威である。日本國民は、天皇の神聖なる権威を通じて道義心を自覚した。故に天皇は道義の鏡といはれてきた。日本國の祭祀主として神聖なる御存在であられる天皇に対し奉り國民が清らけく明らけく仕へまつる心=清明心が道義の基本である。

 

しかし、「天皇および皇室は日本の道義精神の中核であり鏡である」といふことは、天皇に完全無欠な佛教や儒教やキリスト教でいふところの「聖人」になって頂くことではない。それは、天皇が和歌をはじめとした日本文化継承の中心者であらせられることが、天皇に柿本人麻呂や芭蕉のやうな「歌聖・俳聖」になっていただくことではないのと同じである。

 

連綿たる道統と血統に基づく天皇の神聖性・正統性と、歴代天皇お一人お一人のご人格とは別である。もちろん、祭祀主としての天皇は日本國におけるもっとも神聖にして清らかなる御存在であるけれども、道徳的に絶対無謬の御存在ではない。

 

和辻哲郎氏は、「上代人は『善悪の彼岸』にいたのである。ここに上代の道徳的評価意識の第一次の特徴がある。…スサノヲの命は親イザナギの命に対して不孝であった。夫婦喧嘩、兄弟喧嘩は神々や皇族の間に盛んに行われている。…後代の道徳思想においては最も非難すべきものとせられているにかかわらず、神聖な神々の行為として、平然と語られているのである。…神々の行為には確かに悪もある。しかし神々は善事にまれ悪事にまれ『真心』に従って行なうゆえに、すべてそのままでいいのである。神々の行為は善悪の彼岸において神聖なものである。」(『日本古代文化』)と論じてゐる。

 

道徳的政治的法律的な善悪の区別・硬直した倫理教条もしくは自己の思想信条によって、神々や御歴代の天皇のご行動を評価してはならないのである。わが國史において、後代の道徳思想政治思想から見ればあるいは「失徳の天子」といはれる天皇がをられたかもしれない。しかし、基本的に日本民族が太古以来の絶対尊皇精神を保持してきたから、禅譲放伐・易姓革命が起らず、天皇中心の國體が護持され、國家民族の安定が基本的には保たれてきたのである。

 

その根源には、祭祀主としての日本天皇の神聖性への國民の「かしこみの心」があるのである。

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