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2015年1月21日 (水)

「現行占領憲法」においても、天皇は日本國の君主であらせられる

「君が代」の「君」とは日本國の君主であらせられる天皇の御事であり、「君が代」とは「天皇の御代」といふ意である。そして日本國は天皇と國民は対立する関係ではなく、精神的に一体関係にあるから、「君が代」=天皇の御代とは「天皇及び天皇を君主と仰ぐ日本國及び日本國民」と解釈するのが正しいし、これ以外の解釈はあり得ない。

 

君主とは、「世襲により國家の最高位にある人。天子。皇帝。帝王」と定義される。この定義にあてはまる御存在はわが國においては建國以来今日に至るまで天皇以外にあり得ない。「現行占領憲法」下においても、天皇が君主であらせられることは、条文に照らしても、また、皇居における様々な行事そして國會の開會式などを見ても、あまりにも明白である。 

 

「現行占領憲法」においても、天皇が日本國の君主であらせられることについて、佐伯宣親氏は、「君主とは…『統治権の重要部分を掌握し(特に行政の主体であり)、國家の象徴的性格を持つ、世襲の独任機関』であるというのが最も一般的な定義のようである。…今日ではほとんどの君主國において君主の権限が形式的なものとなってゐることを考慮すれば、形式的ではあるが、内閣総理大臣の任命、最高裁判所長官の任命、國會の召集および解散という國家統治権の中枢的なことがらが天皇の権能とされており、さらに、皇位が象徴的性格をもつ世襲制の独任機関であるというところからして、天皇は現代的意味で日本國の君主であると解するのが妥当なところであろう」と論じてゐる。(『現代憲法學の論点』)

 

「形式」は非常に大事なのである。國家においても団体においても家庭においても重要なことであればあるほど、ある形式を踏まなければ物事が成立しない。そのことについて佐伯氏は「内閣総理大臣や最高裁判所長官は天皇の任命を得てはじめてその地位につくのであり、天皇によらない任命は無効である。また、天皇によらない國會の召集や衆議院の解散も無効である」と述べてゐる。

 

わが國は現行占領憲法体制下であっても、天皇を君主と仰ぐ立憲君主國である。そもそも日本國の君主を「天皇」と申し上げるのである。「天皇」といふ御稱号は、推古天皇の御代より用いられてきた日本國の君主に対する最も普遍的な御稱号である。(天皇の御稱号は他に「すめらみこと」「大君」「みかど」「天子」などがある)換言すると「天皇」といふ御稱号自体が「日本國の君主」といふ意義なのである。

 

ゆへに、天皇は君主か象徴かと対立させて考へることは全く誤りである。天皇は君主であらせられるがゆへに日本國の象徴及び日本國民統合の象徴としての機能を果たされるのである。したがって、「天皇は象徴であって君主ではない」などといふ議論は全く成り立たないのである。

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