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2015年1月31日 (土)

『政治文化情報』平成二十七年二月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十七年二月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
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購読料
年間 12000
半年 6000

 

平成二十七年二月号(平成二十六年一月二十五日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

日本人の神観念

日本の「かみ()」といふ言葉の語源

 

「神」にかかる枕詞「千早振る」について

 

 

「カミ」に「神」といふ漢字が当てられたのは何故か

 

「雷神」について詠まれた萬葉歌

 

源實朝の龍神への祈りの歌

 

柿本人麻呂の天皇讃歌・現御神信仰の歌

 

自然の中に神の命を観るといふ信仰精神の回復を

 

千駄木庵日乗

矢野絢也氏「大國の膨張を考えれば、平和を唱えるだけで平和になる時代は終わった」

 

西村眞悟氏「わが國の防衛ラインは敵基地の背後であり、そこを撃滅しなければわが國の安全はない」

 

頭山興助氏「お國のため、陛下のために命を捧げる。子供を育てる女性を守るために命を捨てる。それがなければ國家はもたない」

 

田久保忠衛氏「憲法九条を無くして自衛隊を國軍にすればすべてが解決する」

 

 

この頃詠みし歌

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天皇への國民の「かしこみの心」が國家の安定が保たれて来た根源

わが國の道義精神の中核は、神を祭られる天皇の神聖なる権威である。日本國民は、天皇の神聖なる権威を通じて道義心を自覚した。故に天皇は道義の鏡といはれてきた。日本國の祭祀主として神聖なる御存在であられる天皇に対し奉り國民が清らけく明らけく仕へまつる心=清明心が道義の基本である。

 

しかし、「天皇および皇室は日本の道義精神の中核であり鏡である」といふことは、天皇に完全無欠な佛教や儒教やキリスト教でいふところの「聖人」になって頂くことではない。それは、天皇が和歌をはじめとした日本文化継承の中心者であらせられることが、天皇に柿本人麻呂や芭蕉のやうな「歌聖・俳聖」になっていただくことではないのと同じである。

 

連綿たる道統と血統に基づく天皇の神聖性・正統性と、歴代天皇お一人お一人のご人格とは別である。もちろん、祭祀主としての天皇は日本國におけるもっとも神聖にして清らかなる御存在であるけれども、道徳的に絶対無謬の御存在ではない。

 

和辻哲郎氏は、「上代人は『善悪の彼岸』にいたのである。ここに上代の道徳的評価意識の第一次の特徴がある。…スサノヲの命は親イザナギの命に対して不孝であった。夫婦喧嘩、兄弟喧嘩は神々や皇族の間に盛んに行われている。…後代の道徳思想においては最も非難すべきものとせられているにかかわらず、神聖な神々の行為として、平然と語られているのである。…神々の行為には確かに悪もある。しかし神々は善事にまれ悪事にまれ『真心』に従って行なうゆえに、すべてそのままでいいのである。神々の行為は善悪の彼岸において神聖なものである。」(『日本古代文化』)と論じてゐる。

 

道徳的政治的法律的な善悪の区別・硬直した倫理教条もしくは自己の思想信条によって、神々や御歴代の天皇のご行動を評価してはならないのである。わが國史において、後代の道徳思想政治思想から見ればあるいは「失徳の天子」といはれる天皇がをられたかもしれない。しかし、基本的に日本民族が太古以来の絶対尊皇精神を保持してきたから、禅譲放伐・易姓革命が起らず、天皇中心の國體が護持され、國家民族の安定が基本的には保たれてきたのである。

 

その根源には、祭祀主としての日本天皇の神聖性への國民の「かしこみの心」があるのである。

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千駄木庵日乗一月三十日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』発送作業終了。購読者の皆様には、明日にはお届けできると思います。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆の準備。

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2015年1月30日 (金)

わが國の傳統的な尊皇精神について

日本國民が天皇を神聖なる君主と仰ぐとはいかなることであるのか、言ひ換へれば尊皇精神とはいかなることであるかを、正しく把握しなければならない。すなはちわが國の傳統的な尊皇精神を正しく継承しなければならない。

 

尊皇精神とは、日本國の祭祀主であられ神聖なる君主であられる天皇への「かしこみの心」である。そしてそれは日本人の道義精神の根本である。

 

村岡典嗣氏は、「歴史日本が創造した道徳的價値の重要なものとしては、尊皇道と武士道との二つを、擧げ得る。尊皇道徳は太古に淵源し、我が國體の完成とともに、而してまたその根柢ともなって成就したものである…そは即ち、天皇に對し奉る絶對的忠誠の道徳であって…太古人がその素朴純眞な心に有した天皇即現人神の信念こそは、實にその淵源であった」と論じて、柿本人麻呂の「大君は神にしませば天雲の雷の上にいほらせるかも」を挙げてゐる。(『日本思想史研究・第四』)

 

天皇に対する絶対忠誠の心は太古以来今日に至るまで継承されて来てゐる。『古事記』には次のやうなことが記されてゐる。

 

第二十三代・顕宗天皇はその父君市辺押磐(いちのべのおしは)皇子を殺したまふた雄略天皇をお怨みになり、その御霊に報復せんとされて御陵を毀損しやうとされ、弟君・意祁命(おけのみこと)にそれを命じられた。だが、意祁命は御陵の土を少し掘っただけであられた。天皇がその理由を尋ねられると意祁命は「大長谷の天皇(雄略天皇の御事)は、父の怨みにはあれども、還りてはわが従父(をぢ)にまし、また天の下治らしめしし天皇にますを、今単(ひとへ)に父の仇といふ志を取りて、天の下治らしめしし天皇の陵を悉に破壊りなば、後の人かならず誹謗(そし)りまつらむ」と奉答された。この意祁命のみ心に、天皇に対し奉り絶対的に従ひ奉る尊皇精神がよく表れてゐる。

 

本居宣長は、「から國にて、臣君を三度諌めて聽ざる時は去といひ、子父を三たびいさめて聽ざるときは泣てしたがふといへり、これは父のみに厚くして、君に薄き悪風俗也。…皇國の君は、神代より天地と共に動き給はぬ君にましまして、臣下たる者去べき道理もなく、まして背くべき道理もなければ、したがひ奉るより外なし。なほその君の御しわざ悪くましまして、従ふに忍びず思はば、楠主の如く、夜見の國へまかるより外はなきことと知べし、たとひ天地はくつがへるといふとも、君臣の義は違ふまじき道なり…然れば君あししといへ共、ひたふるに畏こみ敬ひて、従ひ奉るは一わたりは婦人の道に近きに似たれ共、永く君臣の義の敗るまじき正道にして、つひには其益広大なり。」(『葛花』)と論じてゐる。

 

天皇は現御神であらせられ絶対的に尊ぶべき御存在である。もしも、万が一、天皇の御心や御行動が、自分の考へや思想や理想と異なることがあっても、天皇陛下を批判する事は絶対にあってはならない。むしろ自らの祈りが足りないことを反省すべきである。天皇陛下が間違ったご命令を下されたり行動をされてゐるとたとへ思ったとしても、國民は勅命に反してはならずまして反対したり御退位を願ったりしてはならない、如何にしても従へない場合は楠正成の如く自ら死を選ぶべきであるといふのが、わが國の尊皇の道であり、勤皇の道であることを、本居宣長先生は教へられてゐるのである。

 

山崎闇斎(江戸初期の朱子學者、神道家。朱子學の純粋化・日本化に努め、門弟は数千人を数へた。また、神道を修め、垂加神道を創始し、後世の尊皇運動に大きな影響を与へた)を祖とする「垂加神道」は、「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至ると雖も、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり。」(玉木清英『藻盬草』)と説いてゐる。

 

村岡典嗣氏はこの文章を、「(絶對尊皇道徳の・註)最も代表的なものを山崎闇斎を祖とする垂加神道の所説とする。曰く、日本の天皇は、支那に比すれば天子でなくて天そのものに當る。儒教の天がわが皇室である。儒教でいへば、大君の上に天命がある。勅令の上に天命がある。しかるに我國では、大君なる天皇は即ち天帝であり、勅命はやがて天命である。されば假に君不徳にましまして、無理を行はれるといふやうなことがあっても、日本では國民たるものは決してその爲に、天皇に背き奉り、また怨み奉るべきでないことは、恰かも天災がたまたまあったとて、ために支那に於いて、天帝に背き、また天帝を恨むべきではないとされると同様である。」と解釈し、「これまさしく、わが國民精神の中核を爲した絶対對尊皇思想である。」(『日本思想史研究・第四』)と論じてゐる。

 

二・二六事件に指導的立場で参加し処刑された村中孝次氏(元陸軍大尉)は獄中において「吾人は三月事件、十月事件などのごとき『クーデター』は國體破壊なることを強調し、諤々として今日まで諫論し来たれり。いやしくも兵力を用いて大権の発動を強要し奉るごとき結果を招来せば、至尊の尊厳、國體の権威をいかんせん、…吾人同志間には兵力をもって至尊を強要し奉らんとするがごとき不敵なる意図は極微といえどもあらず、純乎として純なる殉國の赤誠至情に駆られて、國體を冒す奸賊を誅戮せんとして蹶起せるものなり。」(獄中の遺書『丹心録』)と書き遺してゐる。

 

この精神こそが真の絶対尊皇精神である。わが國道義精神の基本は「清明心(きよらけくあきらけきこころ)」である。それは「まごころ」「正直」と言ひ換へられる。まごごろをつくし、清らかにして明るい心で、大君に仕へまつる精神が古来からのわが國の尊皇精神である。

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千駄木庵日乗一月二十九日

午前は、諸雑務。

午後二時より、西麻布の猪瀬直樹氏事務所にて、猪瀬直樹氏にインタビュー。『伝統と革新』誌掲載のためなり。日本近代特に日米関係史について色々と貴重なお話を伺う。

帰宅後は、『政治文化情報』発送作業。

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2015年1月29日 (木)

七十年経過しても「戦後」が終わらないのはどうしてか?

戦後七十年を経過しても、いまだに「戦後」と言われているのは不思議に思えてならない。どうして戦後は終わらないのであろうか。ある友人は、「日本がもう一回戦争をすれば『戦後』は終る」と言った。なるほどと思った。

 

戦後が終らないという事は、日本の真の独立の回復していないという事だ。『現行占領憲法』の否定とは、「平和を望むのなら軍備を怠るな」「平和を欲せば兵を養え」という国家として当然至極の使命を果たすことである。「平和を望むのなら軍備を怠るな」という事を全否定しているのが『現行占領憲法』だからである。

 

猪瀬直樹氏は、平成二十四年(二〇一二) 九月二十四日に行われた「呉竹会アジアフォーラム」における講演で先「過去の歴史は戦争の歴史。黒船以来の百五十年は太平洋の覇権を誰が握るかの歴史だった」と述べた。今後の日本はアメリカと共産支那の狭間にあって、太平洋の覇権獲得戦にどう対処すべきか。

 

ペリーの黒船来航以後も今日唯今まで、アメリカは日本が言いなりになっている時は、大変に友好国であり「いい国」なのだが、そうでなくなると牙をむく。今後の日米関係は、どうなるか、どうすべきか、が問題である。

 

戦後の終焉とは「現行占領憲法」否定・自主防衛体制確立・歴史問題の根本解決である。しかしそれは、アメリカが許すであろうか。日本が支那韓国に対して、歴史問題で当然の反論や正当な対処を行っても、「失望した」などと政府見解を示すアメリカが許すはずがない。特に自主防衛体制の確立とは核武装である。アメリカがこれを許すはずがない。日本はそうしたアメリカには逆らえないのであろうか。そうすると七十年以上たっても戦後は終わらないと思う。

 

真の戦後レジームからの脱却、戦後体制打倒とはアメリカの軛(くびき)から脱することである。

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千駄木庵日乗一月二十八日

朝。宿舎を出発。東京へ。

昼、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、明日行われるインタビューの準備など。

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千駄木庵日乗一月二十七日

午前は、諸雑務。

午後、東京を出発。一路、山梨県石和温泉へ。

午後六時より、ホテル甲斐路にて、『大吼出版代三十三回新年総会』開催。国民儀礼、三本菅啓二会長が挨拶。村上正邦・小林節・大下英二の三氏などそして小生が祝辞を述べ、南丘喜八郎氏の発声で乾杯が行われ、盛宴に移った。

この日は石和温泉に宿泊。

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2015年1月27日 (火)

わが國はアジア各國と協力して『中華帝國主義を封じ込める東アジア共同体』を確立すべし

共産支那がわが國や台湾・インドネシア・ベトナム・フィリピンなどへの軍事的恫喝や侵略策謀を止め、一党独裁体制が打倒され、真の自由民主國家になり、中華帝國主義を放擲しないかぎり、真の意味の日支連帯などあり得ない。

 

アジアにおける最大最悪の侵略國家は、共産支那である。一九五五年の『バンドン会議』で『バンドン十原則』を結んだ後、共産支那は、一九五九年九月から六二年十一月までの三年間にわたって、インドに軍事侵略を行なった。インドネシアでは、一九六五年九月三十日、支那共産党の指令のもと、インドネシア共産党がクーデターおよび武装蜂起を行なった。共産支那がいかなる体質を持つ國家であるかは、この歴史を見れば火を見るよりも明らかである。

 

いかに平和的な条約を結んでいようとも、自國の利益のためならそれを平気で踏み躙り、武力侵略を行う國が共産支那なのである。一党独裁・中華帝國主義國家共産支那が消滅しない限り東アジアにおいて冷戦は終結しない。わが國はアジア各國と協力して『中華帝國主義を封じ込める東アジア共同体』を確立することが急務である。

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千駄木庵日乗一月二十六日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。穏やかにしているので安心する。

帰宅後は、資料の整理など。

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2015年1月26日 (月)

一神教の対立を解消せしめ闘爭戰爭の慘禍から救ふ道は日本傳統信仰への回歸にある

 日本はその傳統信仰の靈的精神の偉大なる包容力によって、よく他國の宗教・文化・文明を取り入れてそれを融和せしめ洗練して、強靱にして高度な日本文化として開花せしめる力を持ってきたのである。

 

 闘爭戰爭絶え間なき現代において、日本的思惟である〈中心歸一の原理〉〈結びの原理〉そして〈多即一・一即多の原理〉によって、分割する精神=神と人・神と被造物は絶対的に隔絶された関係にあり、人間などの被造物は神に支配され神に裁かれ神に復讐される存在であるといふ二元論を克服し、さらに唯一絶対神の排他独善性からも解放し、永遠の闘爭から人類を救済する。

 

 フランス人ポール・リシャルは『告日本國』なる文章で日本を讃へて曰く、「諸々の神に愛護せられた國よ、諸々の神もまた汝に於て互に相和せり。異なれる神の宗教は、到る處に互に相呪ふを常とするに、獨り汝の宏量なる奉仕のみは、互に他を排することを爲さずして、却って相補全せしめたり。異なれる神の宗教とは何ぞ、一は神の内在を教へ、自然の諸々の生命が躍動する空間に於て、祖先が生動する時間に於て、萬殊に通ずる一如を教ふるもの、他はすなわち神の超在を教へ、時空を超越し、永遠の寂靜裡に至上の祝福を司り、獨一の中に萬殊を藏するを説くもの是なり。而して世界に於て流血の汚れに染まず、『地に平和あれ』と宣傳するの權利を保有するものは。唯だ此等兩個の宗教のみに非ずや……嗚呼天つ日の児よ、一切の宗教は汝に相集まれり、これゆえに彼等は汝によって統合歸一の実を見、光明の祝祭を挙げられんことを待ちつゝあり。」(大川周明博士譯)と。 

 

 さらにリシャルは、『日本の兒等に』という詩では「新しき科學と舊き智慧と、歐羅巴の思想と 亜細亜の精神とを自己の衷に統一せる唯一の民! 此等二つの世界、來るべき世の此等兩部を統合するは汝の任なり 流血の跡なき宗教を有(も)てる唯一の民! 一切の神々を統一してさらに神聖なる眞理を發揮するは汝なるべし 建國以來一系の天皇、永遠に亙る一人の天皇を奉戴せる唯一の民! 汝は來るべき一切の統一に貢献せん爲に生れ 汝は地上の萬國に向って、人は皆一天の子にして、天を永遠の君主とする一個の帝國を建設すべきことを教えんが爲に生れたり」と日本を讃へてゐる。

 

 イスラム原理主義とキリスト教・ユダヤ教を基盤とするアメリカ覇権主義そして共産支那の中華帝國主義さらには北朝鮮の暴虐が渦巻く中にあって、わが日本は、日本の傳統信仰、國體精神を忘却し内部から破壊されつつある。まさに亡國の危機に瀕してゐる。ここにおいて、わが國傳統信仰を國の内外において恢弘しなければならないのである。再び言ふ。一神教の対立を解消せしめ全人類を戰爭の慘禍から救う道は、日本傳統信仰への回歸にある。

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千駄木庵日乗一月二十五日

午前は、諸雑務。

この後、施設に赴き母に付き添う。昼食の介助。食欲があるので有り難い。

午後、靖国神社に参拝。

午後二時より、靖国神社境内の啓照館にて、『第十四回先哲に学ぶ会』開催。永江太郎日本学協会常務理事が、「明治維新を彩る幕末の志士・西郷隆盛」と題して講演。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇「日本の心を学ぶ会」代表が挨拶。小生が「吉田松陰とその精神」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、資料の整理。

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2015年1月24日 (土)

中曾根康弘・後藤田正晴両氏の國體観

「天皇はわが國の君主であり、わが國は立憲君主國である」といふ明々白々たる事実、わが國建國以来の國體の否定につながる論議をする政治家は戦後教育を受けた人だけではない。大正生まれの政治家、それも政府与党の枢要な地位と役職を経験して来た政治家にも存在する。

 

内閣官房副長官といふ官僚の最高位に昇りつめ、む政治家としても内閣副総理といふ枢要な地位についた後藤田正晴氏は、國務大臣などの政治家は天皇の臣下ではないといふ意識の持ち主である。後藤田氏は平成十二年十二月五日号の『日本経済新聞』で、中央省庁の再編に関するインタビューに答へて、「まず大臣という名前を変えたらどうか。誰の臣下ですか?行政の長なんだから『長官』でいい」と述べた。これは天皇を君主と仰ぐ建國以来のわが國國體を否定し、現行占領憲法体制下においても、わが國は立憲君主制であるという自明の理を否定する発言である。

 

後藤田氏はまた、「私が役人になった戦前は天皇制であり、当時は官吏といわれていた。…統治権を構成している一員の立場にあり、一方、國民は被治者の立場にあった。…ところが現在は新しい憲法によって國民主権が確立し、役人は全体の奉仕者つまり國民に対してサービスを提供する立場にある。戦前と比較すれば、主客転倒した関係になった」と述べてゐる。(『政治とは何か』)

 

さらに、元内閣総理大臣の中曽根康弘氏は次のやうに述べた。

「中曾根康弘 私は國民投票による首相が望ましい姿だと思っています。中曾根内閣はいわゆる大統領的首相の手法でやったのです。というのは、いまの憲法上の首相の地位も、アメリカの大統領より強いですよ。最高裁裁判長も閣議で推薦するとか、自衛隊の最高司令官になっているとか、國會の多数党の首領になっていればアメリカの大統領より権限は強いのです。しかし、それをよう使いませんね。それは吉田茂さんに罪がある。あの人は戦前の総理大臣のイメージが頭から消えきれなかった。つまり、天皇を上に置いて、同輩中の首席的総理大臣というイメージですね。だから『臣茂(しん・しげる)』と言ったわけですよ。そういう戦前の古い陋習の総理大臣というイメージを、吉田さんは持っていた。天皇の権威を維持するために、臣茂が一番いいのだと思ったのではないでしょうか。しかし私に言わしめれば、それが間違いなのです。主権はいま國民に在って、天皇ではないのですからね。総理大臣はそういう意味で、そうとうな責任と権限を持っている。だから、思い切ってやればいいのです。天皇は、歴史と傳統と文化による権威を持ち、首相は政治的権力を持つ。」(JUSTICE 平成十三年三月十九日号)

 

これは後藤田氏以上に重大な発言である。中曽根氏は、「主権は天皇にはなく國民にある。総理大臣は天皇陛下の臣下ではない。総理大臣が天皇陛下の臣下だといふ思想は戦前の古い陋習である」と主張してゐるのである。

 

ところが中曽根氏は、通産大臣だった昭和四十八年六月五日、参議院内閣委員會で、「自分は過日イラン訪問の際、イラン首相に『日本はアジアの東にあって王制の國です。あなた方はアジアの西にあって同じく王制の國で、ともに古い傳統をもってゐる』と言った」と発言した。

 

一体中曽根氏の本心はどちらなのであらうか。中曽根氏がかつて言った通り日本國は「王制」(正しくは立憲君主制)であるのだから、吉田茂内閣総理大臣が『臣茂』と言ったのは当然である。國家存立の最も重要な問題で主張が正反対に変化するのはまことに遺憾である。

 

後藤田正晴氏は、大正三年八月九日生まれ。昭和十四年、東京大學法學部卒。中曽根康弘氏は、大正七年五月二十七日生まれ。昭和十六年、東京大學法學部卒。お二人とも大体同年代でしかも内務官僚であり、軍隊経験もあり、同じやうな人生経歴である。社民党・共産党・極左分子がこのやうな発言をするのならまだしも、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し、官僚・政治家の頂点に立った後藤田氏、そして、内閣総理大臣といふ権力の頂点に上り詰め大勲位まで頂いた中曽根氏といふ「保守政治家」の典型と言っていい二人の人物がこのやうな発言をしたのである。

 

真の保守とは、建國以来の日本の國體と傳統を保守することである。それを正しく自覚せず認識しない政治家が戦後七十年、現行占領体制六十八年を経過した今日、圧倒的に多くなっているのであらうか。

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千駄木庵日乗一月二十四日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、明日の講義の準備、書状執筆、資料の整理など。

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「一神教の呪縛」「金銭がすべて」という息づまるような社会から脱却するには

『日本経済新聞』平成二六年七月六日号に掲載された宮内勝典という作家の方が「シーラカンスの独り言」と題して次のように書かれている。

 

「わたしたちはいま中世的な一神教の世界、カネがすべてという一つの価値観に閉じ込められているような気がする。石油、エネルギー、金融といったことばかりが世界をおおいつくしている。それに起因する戦争、暴力。生の喜びなど実感できない。消費によってストレスを発散するぐらいの楽しみしかない。全く息づまるような社会だ。だが、わたしたちは逃げだせない。隠者にはなれない。社会生活を続ける以上、ここで生きるしかない。生の喜びを回復させるためには、どうしても文化の活性化が欠かせない。新しいルネッサンスが必要なのだ。」

 

「ルネサンスは中世の終わりごろ、イタリアで起こった。ギリシア・ローマの古典芸術を復興させようという啓蒙運動であった。だが、わたしは、千年ぐらいつつく宗教的な抑圧に対するアートの反乱ではなかったかと思っている。」「ギリシア美術を見ると、神々も人間も裸である。ミロのヴィーナスは美しい乳房を堂々とさらしている。…ギリシャは多神教の世界だった。」

 

「ルネサンスは『文芸復興』と日本語に訳されているが、『人間復興』と呼ばれることもある。わたしはこちらのほうが思想的にふさわしい訳語ではないかと思う。フィレンツェの美術館を巡っていると、中世美術の陰鬱さに気が滅入ってくる。信仰の深さや荘厳さはあるけれど、街の広場では異端者たちを火あぶりにしていたのだ。」

 

「ルネサンスの先駆者、ダンテの『神曲』を読むと、権力への怒りの激しさにたじたじとなる。かれらは闘っていた。一神教の観念大系を食いやぶって、生の息吹を回復させようとした。」と書かれている。

 

私は、西洋文化・文明史のこと、そしてルネサンスのことも知らない。しかし、宮内氏の書かれていることに共感を覚える。宮内氏の主張を日本に当てはめて考えると、「古典芸術の復興」とは、神話の世界、『萬葉集』の世界の復興であろう。日本古代の信仰精神は、記紀神話と『萬葉集』に伝えられている。そしてそれは「一神教の世界」ではなく「多神教の世界」である。一神教の呪縛から脱却し、金銭がすべてという息づまるような社会が脱却するには、記紀萬葉の世界への回帰、日本の伝統的な信仰精神の復興が大切であると考えるる。ヨーロッバにおいて「ギリシア・ローマの古典芸術」の復興が人間復興であったように、日本における人間復興は萬葉の世界・神話の世界の復興であると考える。この事は、中河与一先生が戦前に上梓された『萬葉の世界』という著書でで主張されている。

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千駄木庵日乗一月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。精神がやや高ぶっていた。

帰宅後は、明後日の「日本の心を学ぶ会」における講演の準備。資料の整理など。

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2015年1月22日 (木)

「天皇の國家統治」について

日本天皇の國家統治とは、天皇が権力や武力によって國家國民を屈従させることではないし、天皇が國民の意志を全く無視し蹂躙して恣意的に権力を行使するといふ事でもない。

 

「天皇の國家統治」とは、天皇が精神的・文化的に國家と國民を統合される事をいふのであり、天皇が日本國の元首であり統治者であるとは、天皇が日本國の傳統・文化そして歴史的永続性を体現され日本國民の統合を体現される御存在であるといふ事である。天皇が日本國及び日本國民を統合され統治される御存在であることは建國以来の道統である。

 

「統治」といふ言葉は漢語である。〈やまとことば〉で言へば「しらす」「しろしめす」である。「天皇が民の心を知りたまひ民もまた天皇の御心を知る」といふことが「統治」なのである。

 

祭祀國家・信仰共同体であった古代日本において、祭り主たる天皇が民の心を知りそれを神に申し上げ、さらに神の心を承って民に知らしめることが天皇の「しろしめす」=國家統治の本質である。このことによって「君と民とは相対立する存在ではなく、精神的に一体の関係にある信仰共同体」としての日本國が成立する。

 

明治天皇の外祖父・中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇國は天照皇大神の御國で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といへども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上したといふ。

 

日本天皇は、『朕は國家なり』と言ふような國家國民を私物化する西洋的な絶対専制君主とは全くその本質を異にする。

 

天皇統治は、天の神の御委任により天の神の地上における御代理としての天皇が天の下をお治めになるといふ雄大なる神話的発想に基づくのである。天皇による日本の祭祀的統一といふ歴史を背景として成立した日本神話には、天皇の御祖先である邇邇藝命が高天原から地上に天降られた時に、天照大神からの御命令(御神勅)が下されたと記されてゐる。

 

それには、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ生みの子よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の霊統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう、といふほどの意)と示されてゐる。

 

この御神勅は、天照大神の神霊をそのまま受け継がれた生みの子たる天皇が永遠に統治される國が日本であるといふことを端的に表現してゐる。

 

天皇の國家統治とは、人為的に権力・武力によって民と國土を治めるのではなく、あくまでも神の御心のままに宗教的権威によって國民と國土を治めるといふことである。

 

〈やまとことば〉ではまた「統治」のことを「きこす」「きこしめす」(「聞く」の尊敬語)とも言ふ。天皇が民の心を聞かれるといふ意味である。

 

日本を統治するために天の神の命令により天から天降られた天孫邇邇藝命の父にあたられ、天照大神が邇邇藝命の前に地上に天降らせようとした神を正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやひめあめのおしほみみのみこと)と申し上げる。さらに、神武天皇の御子・綏靖天皇を神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)と申し上げる。日本國の統治者・君主は「耳で聞く」ことを大事にされていたので「耳」という御名を持たれたとされる。

 

天皇の國家統治とは、権力行為ではない。力によって民を屈従せしめるといふものではない。天皇は國民の意思を広くお知りになり統合される御存在であるといふ事である。さらにいへば天皇の國家統治とは、國家と國民の統一と調和すなはち統合が天皇の宗教的権威によって保たれるといふことである。

 

ただし、天皇が日本傳統信仰の祭祀主として君臨されるといふことは、天皇が現実政治に全く関はりを持たれないといふことではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が國家の中心にゐまし、常に國家の平安と國民の幸福を神に祈る祭祀を続けられてゐることが、政治のみならず日本國のあらゆる物事の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の國家統治そのものなのである。

 

わが國建國以来の天皇を君主と仰ぐ國體は護りぬかねばならないし、正しく開顕しなければならない。

 

天皇は近代成文法以前から君臨されてきた日本國の神聖なる君主であらせられる。現行占領憲法においても、天皇は日本國の君主であり元首であり統治者であらせられる。

 

しかし、日本國の國體が隠蔽されてゐる状況を是正し、さらには國體破壊を防ぐめには、日本國は立憲君主國であることを明確に成文憲法に規定すべきである。天皇は、信仰共同体の君主・祭祀國家の祭祀主であらせられ、國家と國民を統合される神聖にして至高の御存在であるといふ、肇国以来の國體精神を正しく表現する憲法に回帰すべきである。 

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千駄木庵日乗一月二十二日

午前は、諸雑務。

午後二時より、永田町の村上正邦氏事務所にて、村上正邦氏にインタビュー。木村三浩一水会代表も同席。

この後、自民党本部にて、二階俊博自民党幹事長に面会。中東問題、対韓国外交問題について意見交換。木村三浩氏と共なり。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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「天皇」といふ御稱号の御意義

「天皇」といふ御稱号の字義は、「天」は天つ神のをられるところすなはち高天原である。「皇」は冠が架上に置かれている形の象形文字であり天の神を言ふ。(加藤常賢・山田勝美両氏著『当用漢字字源辞典』)

 

津田左右吉氏は「天皇」といふ御稱號について、「推古天皇時代にかういふ御稱號の用ゐられたことは確實であらう。これは此の天皇の丁卯の年に書かれた法隆寺金堂の藥師像の光背の銘に『池邊大宮治天下天皇』とあるからである。」「『天皇』といふ御稱号がやはりシナの成語を採ったものであることは、おのづから推知せられる。さうしてそれは、多分、神仙説もしくは道教に關係ある書物から来たのであらう」「支那に於ける天皇の稱呼は、帝王としての意義を裏面には含みながら、宗教的觀念が主になってゐるのであるが、それは恰もよく、上代人の思想に於いて政治的君主の地位に宗教的由来があり、その意味で神とも呼ばれ、そこから天つ神の御子孫として天から降られたといふことになってゐた、わが皇室の地位に適合するものであって、此の語の採られた主旨もそこにあったに違ひない」と論じてゐる。(『日本上代史の研究』)

 

肥後和男氏は、「『天皇』というのはもちろん中國語で、『三皇本紀』に『天地初めて立つ、天皇氏有り』と見え、天の支配者といった意味で、いわば最高の神格をさした名称であり、中國でも君主をば天子と称し、あえて天皇とはいわなかった。」「聖徳太子は…スメラミコトは天皇という新しい称号のもとに、絶対なる存在たらしめようとした。ここに、中國では天の支配者をさす『天皇』という大きな名を、スメラミコトの称号として採用することにふみきったものと思われる。」「聖徳太子等をして、そこまでふみきらせた歴史的根拠は…古くからの日神信仰にあったと考えられる。…日本民族は『ことば』にひとつの力を認める。それがいわゆる言霊の説であるが、スメラミコトが天皇という称号を用いることによって、その本質が一段と高められ、一種の神格的存在となった…。」「太子が隋との國交において対等の礼を用い、その國書に『東天皇つつしみて西皇帝に申す』といった用語をされたことは、日本を未開の外蕃とみなしてきた中國古来のゆきかたに正面から挑戦したもの…。」と論じてゐる。(『天皇と國のあゆみ』)

 

高森明勅氏は、「天皇号の成立は、シナ王朝を中心とする古代東アジア世界において、わが國が自尊独立の文明國家を目指すことを内外に闡明したもの」「天皇号成立の意義については、対外的には何ものにも従属しない國家の主体性と尊厳を表徴するものであって、同時に國内的には、君主大権の神聖な超越的権威と公的・普遍的統治の理念を堅持するものだったと言へるのである。」と論じてゐる。(「天皇号の濫觴」・『立正』誌皇紀二六五五年一月号)

 

「天皇」といふ御稱号は、「天の神様」を指すことばである。日本國の君主を『天皇』と申し上げるのは、天命の主体たる天つ神の地上的御顕現、言ひ換へると肉身をそなへた天つ神すなはち『現御神』もしくは『現人神』がわが國の君主であらせられるといふわが國の傳統的な「天皇信仰」に基づく御稱号である。

 

山崎闇斎を祖とする「垂加神道」の「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至ると雖も、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり。」(玉木清英『藻盬草』)といふ「絶対尊皇思想」は、「天皇」といふ御稱号の意義と一致する。

 

里見岸雄氏は、「天皇とはなにかといふことは、天皇なる概念に含まれてゐる多くの表象を分析した上で総合的に観念されなければならないのであって、憲法によって天皇の概念が定まったかの如くに思ひ、そして、軽視的に『象徴である』『象徴に過ぎない』などといふのは、全く逆である」「憲法の象徴といふ規定と関連して、天皇非君主説、換言すれば天皇國民説、乃至天皇非元首説を主張するのは、憲法の法相を無視し、天皇概念を正確に把持しない非科學的独断、イデオロギー的見解といはねばならぬ」「古来の日本人が、天皇といふ言葉によって観念してきたものは、…他國に類例のない理想的帝王であるとの誇りに充ちた観念である…もう少しくわしく言えば、天皇とは、日本國民が古来、世界に類例のない理想的帝王であると信じてきた萬世一系の君主である。と定義してよからう」「憲法が天皇といふ文字を用ゐてゐるのは、國民に対しての概念である事、及び天皇なる文字そのものが君主の意味である事を前提としたものであるのは明白であって、天皇が君主でないなら、天皇の文字を用ゐることは許されぬ。天皇は明白疑ふ余地のない君主である」と論じてをられる。(『萬世一系の天皇』)

 

ともかくわが國においては、現御神であらせられ萬世一系の神聖なる君主の御事を「天皇」と申し上げるのであり、成文憲法の規定によって「天皇」が「君主」となられるのではないのである。

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千駄木庵日乗一月二十一日

午前は、諸雑務。

午後は、明日行うインタビューの準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時より、赤坂にて、同志四氏及びある俳優の方と懇談。

帰宅後も、明日行うインタビューの準備。

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2015年1月21日 (水)

「現行占領憲法」においても、天皇は日本國の君主であらせられる

「君が代」の「君」とは日本國の君主であらせられる天皇の御事であり、「君が代」とは「天皇の御代」といふ意である。そして日本國は天皇と國民は対立する関係ではなく、精神的に一体関係にあるから、「君が代」=天皇の御代とは「天皇及び天皇を君主と仰ぐ日本國及び日本國民」と解釈するのが正しいし、これ以外の解釈はあり得ない。

 

君主とは、「世襲により國家の最高位にある人。天子。皇帝。帝王」と定義される。この定義にあてはまる御存在はわが國においては建國以来今日に至るまで天皇以外にあり得ない。「現行占領憲法」下においても、天皇が君主であらせられることは、条文に照らしても、また、皇居における様々な行事そして國會の開會式などを見ても、あまりにも明白である。 

 

「現行占領憲法」においても、天皇が日本國の君主であらせられることについて、佐伯宣親氏は、「君主とは…『統治権の重要部分を掌握し(特に行政の主体であり)、國家の象徴的性格を持つ、世襲の独任機関』であるというのが最も一般的な定義のようである。…今日ではほとんどの君主國において君主の権限が形式的なものとなってゐることを考慮すれば、形式的ではあるが、内閣総理大臣の任命、最高裁判所長官の任命、國會の召集および解散という國家統治権の中枢的なことがらが天皇の権能とされており、さらに、皇位が象徴的性格をもつ世襲制の独任機関であるというところからして、天皇は現代的意味で日本國の君主であると解するのが妥当なところであろう」と論じてゐる。(『現代憲法學の論点』)

 

「形式」は非常に大事なのである。國家においても団体においても家庭においても重要なことであればあるほど、ある形式を踏まなければ物事が成立しない。そのことについて佐伯氏は「内閣総理大臣や最高裁判所長官は天皇の任命を得てはじめてその地位につくのであり、天皇によらない任命は無効である。また、天皇によらない國會の召集や衆議院の解散も無効である」と述べてゐる。

 

わが國は現行占領憲法体制下であっても、天皇を君主と仰ぐ立憲君主國である。そもそも日本國の君主を「天皇」と申し上げるのである。「天皇」といふ御稱号は、推古天皇の御代より用いられてきた日本國の君主に対する最も普遍的な御稱号である。(天皇の御稱号は他に「すめらみこと」「大君」「みかど」「天子」などがある)換言すると「天皇」といふ御稱号自体が「日本國の君主」といふ意義なのである。

 

ゆへに、天皇は君主か象徴かと対立させて考へることは全く誤りである。天皇は君主であらせられるがゆへに日本國の象徴及び日本國民統合の象徴としての機能を果たされるのである。したがって、「天皇は象徴であって君主ではない」などといふ議論は全く成り立たないのである。

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千駄木庵日乗一月二十日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、書状執筆。そして原稿執筆の準備。

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2015年1月20日 (火)

大野健雄氏の正統なる天皇論

大正五年生まれで、京都大學法學部卒業、昭和十四年内務省採用、宮内庁総務課長、京都府県警察本部長、近畿管区警察局長を歴任された大野健雄氏の著書に『なぜ天皇を尊敬するのか─その哲學と憲法』がある。

 

大野氏はその著書野「憲法篇・第四章 天皇は君主である」において次のやうに論じてをられる。

 

「天皇は君主である。当然過ぎる位当然で題名にすること自体如何かと思われるのであるが、君主ではないなどという日本人がいるので事がややこしいのである。それも精神病院にでもいるというのなら話は分るが、一応世間的には學者という事になっている人物なのでまこと慨嘆に堪えない訳である。」と論じてゐる。

 

「世間的には學者という事になっている人物」で、天皇は君主ではあらせられないと思ってゐる人物の典型が宮沢俊義である。

 

宮沢俊義・清宮四郎両氏が「天皇が『君主に共通な標識』を持ってゐないから、天皇は君主ではなく日本國は君主制ではない」と説いてゐることについて大野氏は、「宮沢、清宮両氏の標識と称するものも…ヨーロッパ諸國の君主について、歴史上見られたと思われるものを抽き出したもので別に大した権威のあるものとは思われず…我が日本の國に適用せらるべき標識とは思われない。」と論じてをられる。

 

ちなみに、宮沢俊義氏のいふ『君主に共通な標識』とは「a独任機関であること b統治権の主要な部分、少なくとも、行政権を有すること、c対外的に國家を代表する資格を有すること d一般國民とは違った身分を有し、多くの場合その地位が世襲であること eその地位に傳統的ないしカリスマ的な威厳が伴うこと f國の象徴たる役割を有すること」であるといふ。

 

大野氏は、「天皇は立法権に対しては日本國憲法第七条の國會の召集権、衆議院の解散権をお持ちになり、六条によって行政府の長たる内閣総理大臣を任命し給い、さらに司法に対しては最高裁判所の長たる裁判官を任命し給う。これ等は統治権の最も重要な部分と言わずして何ぞや。…天皇の権威にして初めて有効になし能うのであって、天皇以外何人もなし得ないものである」

(外國大公使の接受)とは外國の代表である大使公使の信任状の奉呈を受け給うことを含む極めて重要な天皇の大権であり、単なる儀礼的なことではない」

「十九世紀のヨーロッパの覆滅常ならざる諸君主に共通すると称する標識の解釈によってはじめて君主であらせられるのではなく、天皇は太古以来『おおぎみ』にましまし、君主でない天皇など日本國民にとって夢想だにできるものではない。」

「前述の標識の如きは、本来天皇が勿論君主であらせられることを大前提としてそれに適合するような解釈を施すべきであり、もしそれが困難な標識ならば標識の方が間違っているものとして捨て去るべきである。…天皇はもとより君主にましまし、わが國は日本國憲法のもとにおいても立憲君主國であって、象徴的君主制ということができよう」と論じてゐれる。まさに正論である。

 

今日、グレートブリテン・北アイルランド連合王國(イギリス)、スウェーデン王國、オランダ王國など自由民主政治が行なわれている國の君主は、いふまでもなく専制君主ではない。また政治的実権を持っていない。しかし、國民から君主と仰がれてゐる。「政治的実権を持たないから君主ではない」などといふことはない。

 

日本天皇の「憲法上の御地位」は、独任機関であり、國事行為といふ統治権を有し、対外的に國家を代表する資格を有し、一般國民とは違った身分を有し、その地位はいはゆる世襲であり、傳統的な威厳が伴ひ、國の象徴たる役割を有してゐる。現行占領憲法上の天皇の御地位も、宮沢俊義・清宮四郎両氏がいふ『君主に共通な標識』を十分に充たしてゐる。

 

「現行憲法」においても、天皇が君主であり日本國は立憲君主國であるといふことはあまりにも明白な事実である。ただし、わが國を弱体化する事を目的として銃剣の圧力で押し付けられた「現行占領憲法」の『天皇条項』が日本國體の真姿を正しく明確に成文化してゐるとはいへない。

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千駄木庵日乗一月十九日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。資料の整理など。

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2015年1月19日 (月)

天皇の「祭祀」「無私の大御心」が日本國民の道義の規範

 國家には独自の道徳観と理念が内在する。それにしたがって國民を教育し、共同体の正義を実現する。倫理観のない國家は本当の國家ではなく、多くの人の集合体を権力で統制する機構に過ぎない。これでは國民に道義心も愛國心も湧いて来ない。今日の日本はまさにそういう國家になろうとしている。

 

 日本民族は、神聖君主日本天皇を道義の鏡として仰いできた。天皇は至高の道徳(日本人としての『道』)の体現者であらせられる。日本國民は古代以来天皇の神聖な権威を鏡として道義心を自覚した。

 

 「敬神崇祖」は日本人の道義の根幹であるが、それを身を以て実践されて来られたお方が「祭祀」を最大の使命とされる日本天皇であらせられる。日本伝統信仰の「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ということである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇の「祭祀」そして「無私の大御心」が日本國民の道義の規範なのである。人間の限り無い欲望・闘争心を抑制せしめるには、天皇の無私にして神ながらなる大御心に回帰する以外にない。

 

 日本國の生命・歴史・伝統・文化・道義の体現者たる天皇の大御心・御意志にまつろう(服従し奉仕する)ことが日本國民の道義心の根幹である。そして天皇の大御心・天皇の國家統治の基本は、天照大神の御命令である「高天原の理想を地上に実現する」ということである。神の意志を地上において実現する使命を持つお方が天皇であらせられるのである。

 

 現御神信仰の公的表現は、宣命詔勅に「現神(あきつかみ)と大八洲知ろしめす倭根子天皇(やまとねこすめらみこと)」と示されている。とりわけ『文武天皇即位の宣命』には「天津日嗣高御座の業と、現神と大八嶋知ろしめす倭根子天皇命の、授賜ひ負賜(おほせたま)ふ貴き高き廣き厚き大命受賜り恐み坐して……明き淨き直き誠の心以て、御稱(いやすす)み稱(すす)みて緩怠(たゆみおこた)る事無く」と示されている。「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の最高の実践者であらせられるのである。

 

 最近の日本は誤れる「民主主義思想・人権思想」によって人と國家の神聖性・道義性の破壊してきた。人間の尊厳性はその人間の生活する國家の尊厳性と不離一体の関係にある。國家をあしざまに罵り続け、天皇の神聖性を隠蔽し、自分さえ良ければいいという観念が横溢したところに、今日の日本の頽廃と混迷の根本原因があると考える。 

 

 今日のわが祖國日本の道義の頽廃は深刻である。これを打開することが緊急の課題である。日本民族の古代からの天皇尊崇の心・現御神信仰を回復し、人間獣化=聖なるものの喪失から脱却することなくして、日本の再生はあり得ない。

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「第四十七回日本の心を学ぶ会」のお知らせ

「第四十七回日本の心を学ぶ会」のお知らせ

 

 

テーマ 吉田松陰とその精神を学ぶ

 

 

 

平成27年を迎えました。

 

今年はNHK大河ドラマで吉田松陰が取り上げらることもあり、書店には吉田松陰に関係する本が多数並んでおります。

 

さらに山口県選出の安部首相は以前から演説の中で吉田松陰の言葉を引用して、その精神を継承していることを表明しております。

 

「晋三」という名前が高杉晋作を由来とすることもあり、長州藩と吉田松陰について強い思いいれが あるようです。このことは結構なことであると思います。

 

以上のことから、現在、吉田松陰とその精神に注目がされていると言えます。

 

そこで平成二十七年、第一回目の勉強会では、吉田松陰とその精神について学んでみたいと思います。

 

吉田松陰は約30年という短い生涯であったにもかかわらず、その思想と精神と行動は、明治維新の原動力となりました。のみならず、今日においても心ある日本国民に大きな影響を与えております。

 

吉田松陰の生涯は必ずしも成功に彩られたものではありませんでした。近代日本の偉大なる言論人・歴史家・徳富蘇峰氏は吉田松陰について

 

「彼は多くの企謀(はかりごと)を有し、一の成功あらざりき、彼の歴史は蹉跌の歴史なり。彼の一代 は失敗の一代なり。然りといえども、彼は維新革命における一個の革命的急先鋒なり」と言っております。

 

つまり吉田松陰の生涯は失敗に次ぐ失敗でありながら、その精神は人々に強い影響を与え維新へと突き動かす原動力となりました。

 

そして、松蔭の精神は時代を超えて、今を生きる我々にも強い影響を与えています。

 

吉田松陰は同志に送る手紙の中で「身、皇国に生まれて皇国の皇国たる所以を知らざれば、何を以ってか天地に立たん」と日本の根本原理を知ることの重要性を説いています。

 

今回の勉強会では「皇国の皇国たる所以」についても議論し時代を超えて語りかける吉田松陰の精神を学びたいと思います。

 

みなさんお誘い合わせの上ご参加ください。

 

 

 

【日 時】平 成27125日(日)午後600分より

 

 

 

【場 所】文京区民センター会議室 2-B会議室

 

東京都文京区本郷4-15-14 

 

地下鉄春日駅 下車1分(大江戸線、三田線、後   楽園下車3分(丸の内線、南北線)JR(水道橋)

 

 

 

【講 演】

 

      「和歌に学ぶ吉田松陰とその精神」

 

      四宮政治文化研究所代表 四宮正貴氏 

 

 

 

【司会者】林大悟

 

 

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

 

 

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

この案内文は主催者が作成しました。

 

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2015年1月18日 (日)

金田秀昭岡崎研究所理事(元護衛艦隊司令官)の講演内容

昨年十一月一日に内幸町の日本プレスセンターにて開催された『アジア問題懇話会』における岡崎研究所理事・金田秀昭(元護衛艦隊司令官)による「集団的自衛権行使で隙のない防衛を」と題する講演の内容は次の通り。

「集団的自衛権の行使は、色々な角度から見るべし。多面性がある。閣議決定の内容は本当の意味の集団的自衛権を容認したのではないのではないか。全面的に容認するには改憲が必要。しかし前進した。改憲まで行くのは難しい。今回の決定はあいまいなところがある。与党協議の結果くずれたような形にも見える。どこが限定的なのかはっきり決まっていない。

 

『国連憲章』では加盟国に原則として武力行使を禁止している。外部からの武力攻撃に集団的安全保障で対処。それまでの間、主権国家としての自衛権行使(個別的自衛権)は容認。しかし国連決定にはべらぼうな時間がかかる。個別の国がどこかの国から攻撃されたら、国連がまとまって動く。常任理事国のうち一カ国でも拒否権を発動すると国連軍を派遣できない。個別的自衛権だけでは駄目。そこで集団的自衛権という言葉が出て来た。

 

集団的自衛権は比較的新しい概念。集団安全保障措置とは全く違う。現実に攻撃されたという事実がなければ集団的自衛権は行使できない。国連安保理で国連軍がつくられたことはない。多国籍軍はボランティア。国連軍のような権限を持っていない。

 

『国際連合憲章』第51条には、『国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間、加盟国は個別的・集団的自衛権を行使できる。加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない』とある。

 

自衛権は加盟国の固有の権利とされる。地域的な取り決めを国連は承認している。それが日米安保でありNATO。

 

国連の概念では集団的自衛権は自然権であり慣習法。集団的安保は『国連憲章』に依拠。日本における集団的自衛権の解釈は日本のご都合主義。その時の日本の置かれた立場で変わっている。

 

『日本国憲法』に自衛権という文言はない。一九四九年の『憲法』発布の時、吉田茂さんは『日本には憲法上自衛権はない』と明言。一九五〇年に自衛隊発足。一九五一年に『日米安保』に署名。憲法解釈変更。『九条一項は自衛権を否定していない』と吉田さんは言った。その時その場の政治的意味合いで解釈を変えた。一九五四年に、九条一項の解釈を変更し、必要最小限の自衛権を保有するとした。一九五九年に、田中耕太郎最高裁長官が集団的自衛権を容認。一九七二年内閣法制局は『憲法の容認する自衛措置を超えている』として集団的自衛権の行使を否認。『集団的自衛権は国際法上は保有するが、憲法上行使は不可』という解釈を出した。

 

一八八〇年のイライラ戦争では自衛隊派遣を断念。一九九一年のイラクのクウェート侵攻の時、私は防衛班長として政策の取りまとめをしている。邦人救出に百三十億ドル拠出したことになっているが、どこでどう使われたか未だに不明。これがトラウマになって今日に至っている。クゥェーが解放された時、各国の国旗が掲げられ感謝されたが、そこに日本の国旗は無かった。掃海部隊派遣の責任者を私がやり、クゥェーに入航させた。クウェートの新聞の一面に堂々と報道され感謝の言葉が述べられた。クゥェートの記念切手に日の丸が入るようになった。

 

一九九七年の『日米防衛協力指針』改定でも集団的自衛権に踏み込めなかった。二〇〇一年、アフガン開戦で調査研究の名目で米機動部隊を護衛。二〇〇九年、『海賊対処法』で国際貢献できた。

 

安全保障環境の変化・軍事環境の変化・中国北朝鮮の軍事動向・軍事バランスの変化=中国の抬頭がある。中国と韓国を除けば、日本の集団的自衛権行使を容認している。

 

自公協議というのがよく分からない。自衛隊は国民に信頼されている。讀賣ギャラップ調査で『あなたの国でどこの組織を信頼するか』という質問に、アメリカは軍、日本は自衛隊が一番。

 

安保法制懇を十回やって『国の存在を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障の整備』が閣議決定。武力攻撃に至らない侵害発生時への対処、警察機関と自衛隊などの緊急な協力、命令手続きの迅速化、PKO戦闘現場以外での後方支援は「武力行使の一体化」に当らない。平和協力活動に伴う武力使用を容認。

 

『憲法九条』下で容認される。個別的自衛権行使の三要素は、①自国への急迫不正な武力攻撃が発生したこと。②国民を守るために他に有効な手段がない事、③必要最小限度の実力行使に留まるべきこと。限定的な集団的自衛権行使の要素は、わが国に対する武力攻撃が発生し、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃の発生、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、及び幸福追求の権利が根底からが覆される脅かされる明白な危険があること。

 

警察・海保・自衛隊の連携の円滑化をために『領域警備法』が必要。警察が反対。小笠原に武装集団が侵入したらどうするか。警察はピストルしか持っていない。海上警備行動や治安出動は警察よりも弱い。逮捕権がない。権限が限定。弾道ミサイル発射警戒時の米艦艇防護。『国家安全基本法』を制定すべし。

 

三年前、漁船をチャーターした香港の人間が尖閣に上陸した。あの時、海保・警察を尖閣に駐留させればよかった」。

千駄木庵主人曰く。以前、自民党などから、「皇居・国会を自衛隊によって警備させたらどうか」という意見が出た時、警察庁は反対した。戦前は、近衛師団があった。文字通り皇室・皇居をお守りする軍である。自衛隊にも近衛師団を復活させるべきと考える。

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千駄木庵日乗一月十七日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、原稿執筆。室内整理など。

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2015年1月17日 (土)

『傳統と革新』第十八号 のお知らせ

オピニオン雑誌『傳統と革新』第十八号 
たちばな出版発行(四宮正貴責任編集)           二月上旬発行

特集 「昭和」は遠くなったのか?―昭和天皇の御聖徳と現代日本

...

巻頭言 昭和天皇仰慕                  四宮正貴 

◇インタビュー◇

昭和天皇の御世を共に生きてこられた幸せ
  ~激動の昭和を経て平成の今、この國を憂う~                                                                                                  清水信次   

昭和の全時代を生きて、今思うこと
  ~憲法、國防、皇室の弥栄~                                                                                                       小田村四郎  

「昭和天皇實録」の公開で期待される 昭和史研究の進展ー昭和天皇とその時代を再考するー                                                                                                                伊藤 隆   
   

【論文】
「佐藤優の視点」 昭和の『危機の思想』について考えるー
吉満義彦の近代の超克論をめぐって                                                                                                        佐藤優   

立憲君主國としての立場を、憲法で明記すべきとき                                                                                                      田久保忠衛 

 

昭和天皇の学ばれた帝王教育―御誕生から学習院初等学科修了まで (前篇)                                                                                                                                       所 功

昭和天皇とその時代を見つめて明治に復古して、日本を取り戻す時が来た  

                                        西村眞悟                                                                                                           

 

終戦の詔に込められた大御心を想う             牧義夫   

「『昭和の日』制定の意義」 ―その國体的視点       相澤宏明  

昭和天皇と宮中祭祀―『昭和天皇實録』を拝して       中澤伸弘  

昭和天皇の「みことのり」を拝して             杉本延博  

我、亡國の歴史観を廃す                  蓮坊公爾  

日本人に帰属性を感じさせない、戦後空間の根本問題     木村三浩  

「連載」第一七回 我が体験的維新運動史―「噂の真相・皇室ポルノ事件」                                                                                           犬塚英博  

連載 石垣島便りー台湾で、「高砂義勇隊」慰霊顕彰祭に参加―
日本の礎になられた御霊に感謝の念を捧げる        中尾秀一  

『やまと歌の心』                  千駄木庵主人                   

編集後記   
ISBN978―4―8133―2499―7 C0030 Y1000E
 定価 本體価格1000円+税。 168頁
〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル
 たちばな出版  ☎代表03―5941―2341 FAX5941―2348

 
オピニオン雑誌『傳統と革新』第十八号 
たちばな出版発行(四宮正貴責任編集)           二月上旬発行

特集 「昭和」は遠くなったのか?―昭和天皇の御聖徳と現代日本

巻頭言 昭和天皇仰慕                  四宮正貴 

◇インタビュー◇

昭和天皇の御世を共に生きてこられた幸せ
  ~激動の昭和を経て平成の今、この國を憂う~                                                                                                   清水信次   

昭和の全時代を生きて、今思うこと
  ~憲法、國防、皇室の弥栄~                                                                                                        小田村四郎  

「昭和天皇實録」の公開で期待される 昭和史研究の進展                                                                                               伊藤 隆   
   昭和天皇とその時代を再考する

【論文】
「佐藤優の視点」 昭和の『危機の思想』について考えるー
吉満義彦の近代の超克論をめぐって                                                                                                         佐藤優   

立憲君主國としての立場を、憲法で明記すべきとき                                                                                                       田久保忠衛 

昭和天皇の学ばれた帝王教育―御誕生から学習院初等学科修了まで (前篇)                                                                                                  所 功

昭和天皇とその時代を見つめて明治に復古して、日本を取り戻す時が来た                                                                                                  西村眞悟 
終戦の詔に込められた大御心を想う             牧義夫   

「『昭和の日』制定の意義」 ―その國体的視点       相澤宏明  

昭和天皇と宮中祭祀―『昭和天皇實録』を拝して       中澤伸弘  

昭和天皇の「みことのり」を拝して             杉本延博  

我、亡國の歴史観を廃す                  蓮坊公爾  

日本人に帰属性を感じさせない、戦後空間の根本問題     木村三浩  

「連載」第一七回 我が体験的維新運動史―「噂の真相・皇室ポルノ事件」                                                                                           犬塚英博  

連載 石垣島便りー台湾で、「高砂義勇隊」慰霊顕彰祭に参加―
日本の礎になられた御霊に感謝の念を捧げる        中尾秀一  

『やまと歌の心』                  千駄木庵主人                   

編集後記   
ISBN978―4―8133―2499―7 C0030 Y1000E
 定価 本體価格1000円+税。 168頁
〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル
 たちばな出版  ☎代表03―5941―2341 FAX5941―2348

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天之御中主神について

天之御中主神は〈一即多・多即一〉の神であり最高の根源神であるとともに萬物・萬生包容の神

 

 〈神と人との合一〉〈罪の意識の浄化〉を最高形態としてゐる信仰は、日本傳統信仰・神ながらの道である。全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は、日本傳統信仰への回歸である。日本傳統信仰を世界に恢弘することが私たち日本民族の使命である。四季の変化が規則正しく温和な日本の自然環境は、自然を友とし自然の中に神を観る信仰を生んだ。日本民族は、天地自然を神として拝む。神は到る処に充ち満ちてゐます。自然は神の命の顕現である。

 

 日本の神とはいかなるものか。本居宣長の『古事記傳』には次のやうに書かれてゐる。「凡て迦微(カミ)とは、古御典等(イニシヘノフミドモ) に見えたる天地の諸(モロモロ)の神たちを始めて、其() を祀(マツ)れる社に坐御靈(イマスミタマ)をも申し、又人はさらにも云鳥獣(トリケモノ) 木草のたぐひ海山など、其余何(ソノホカナニニ) にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて、可畏(カシコ) き物を迦微とは云なり」と。

 

 宣長は「尋常ならずすぐれたる徳のありて可畏(かしこ)きものが神である」と定義してゐる。「可畏し」といふ言葉の意味は、おそれおおい、もったいない、貴い、はなはだしい等々であらうが、それらを総合したやうな感情において神を考へるといふことであらう。日本民族は、天地自然に素直なる感動と畏敬の念を持ち、天地自然を神として拝んだのである。また、死者の靈も神として拝んだ。そこが一神教の神観念とは大きく異なる。

 

それでは、日本民族の神観念と一神教の神観念とは全く相容れないかといふとさうではない。日本人の神観念には、「神はこんな形だ」といふ一定の相形(すがたかたち)はない。神は無限である。だから、神はありとあらゆる姿に現れる。神は無相であると共に無限の相たり得るのである。日も月も山も海も大木も風も水も神として拝まれる。神は本来が無相であり無限であり、どんな姿にでも現れ、我々を護りたまふのである。さうした神々の根源神として「造化の三神」がましますのである。日本の神は「多即一・一即多」のお姿をあらはされる。

 

 『古事記』冒頭には、「天地初發の時、高天原になりませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)になりまして、身を隠したまひき」と示され、「天地の生成の本源神」たる天之御中主神の次に高御産巣日神、神産巣日神の名が示されてゐる。そして「この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

 

「造化の三神」が「天地初發の時、高天原になりませる神」(天地宇宙の生成と共になりませる神)と仰がれてゐるのは、「造化の三神」が天地宇宙開闢以来天地宇宙と共に存在する神、天地宇宙の中心にまします根源神であるといふことである。ユダヤ神話の神のやうな被造物(つくられたもの)とは全然範疇の異なる存在・被造物と対立する存在たる「天地創造神」ではないのである。

 

天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神は、独神(ひとりがみ)すなはぢ唯一神゛であり、宇宙の根源神である。この「造化の三神」は、宇宙根源神・絶対神の「中心歸一」「多即一・一即多」「むすび」の原理を神の名として表現してをり一体の御存在である。

 

 また、「宇摩志阿斯与訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)」「天常立神(あめのとこたちのかみ)」の二柱の神も「みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されている。「國之常立神(くにのとこたちのかみ)」「豊雲野神(とよくもぬのかみ)」も「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

 

計七柱の神は、天地宇宙の萬物萬生の普遍的根源神であるから、特定の個別化されたお姿を現されることはなく御身を隠されるのである。だから、「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐるのである。七柱の「独神」がをられるのは、唯一神の多くの働き・性格を「神名」によって表現していると解釈できる。「多即一・一即多」である。

 

 影山正治氏は、「古代の日本人は萬ものを神に於て理解しようとした…神は無數であって八百萬の神である。しかし萬神一に歸すれば天之御中主神であって、決して云ふ所の低い庶物崇拝ではない…萬物を『いのち』に於て把握し『神』に於て理解する日本人の宇宙觀はまことに比類なきものと云はねばならない。日本に哲學なしなどゝ考へるのはとんでもない間違ひで、人類今後の思考の哲學はまさにこの日本神話の根源から發するものである」(『古事記要講』)と論じてをられる。

 

日本國の神社には、太陽神・皇室の祖先神であられる天照大御神や、その弟神で豊饒神であられるの須佐之男命などをお祭りした神社は多いが、天之御中主神を個別神として祭った神社は非常に少ない。これは、天之御中主神が、天地宇宙の根源神であると共に八百萬の神々の「御親神」であられるからである。

 

天之御中主神は、天地生成の根源神であられるが、「唯一絶対神」として他の神々をと対立しその存在を許さない神ではない。八百万の神と申し上げる天地の神々を包容される神である。

 

天之御中主神は、〈一即多・多即一〉の神であり、最高の根源神であるとともに萬物・萬生包容の神である。無限の可能性を有する大いなる宇宙主宰神・宇宙本源神が天之御中主神である。八百萬の神々は天之御中主神が無限の姿に現れ出られた神々である。ゆへに、天之御中主神は祭祀の対象とはならなかったのである。

 

『古事記』冒頭の五柱の「別天神」および國之常立神・豊雲野神は、形体を隠した隠身の神と仰がれた。身を隠したまふとは、隠身(かくりみ)になられることである。「かみ」とは「かくりみ」から「くり」を除いた存在であり、「神」とは「隠身(かくりみ)」のことであるといふ説もある。

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千駄木庵日乗一月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。施設長及び看護師が状況説明、相談。

帰宅後も、『伝統と革新』編集の仕事。

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2015年1月16日 (金)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

四宮正貴が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 二月四日 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

 

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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「ますらをぶり」と「たをやめぶり」

『萬葉集』とは「ますらをぶり」の歌集であると近世(江戸中期)國學者の賀茂真淵が主張した。「ますらをぶり」とは、「男らしく」「日本男児らしく」といふほどの意で、「男性的で大らかな歌風」のことをいふ。さらに、『古今和歌集』は以後の歌風を「たをやめぶり」(女性的で優雅な歌風)といった。『萬葉集』の「ますらをぶり」の歌とは、この舎人皇子の御歌や防人の歌である。

 

 そして、真淵は「ますらをぶり」とは大和の國を都とした時代(白鳳・天平時代)即ち萬葉時代の歌風であり、「たをやめぶり」は京都の文化であるとした。しかし、『萬葉集』を「ますらをぶり」だけの歌集だとすることはできない。大伴家持の歌などにはむしろ平安朝の歌風に近い歌も数多くある。

 

 それはともかく、賀茂真淵は、和歌は「すめらみくにの上つ世の姿」、つまり萬葉時代に帰らなければならないと主張した。「ますらをぶり」の精神風土を尊重しなければいけないとした。それは平安時代以来続いた「たをやめぶり」への反発であった。

 

 真淵は現在の静岡県出身であり、東國の人であった。そして、徳川吉宗の子の田安宗武の和歌の師であったので、武家の美學を昂揚させようとして、「ますらをぶり」「萬葉ぶり」を復活を唱へた。

 

 しかし、賀茂真淵の弟子の本居宣長は、『源氏物語』を高く評価し、「たをやめぶり」も日本の文化の大切な流れであるとした。

 

 儒教や仏教の影響からか、武士たるもの、戀愛を文學にしてはならないといふやうな風潮が生まれた。語ってもいけないといはれた。「男女の愛」を文や歌に表現することは武士のやることではないとされるやうになった。

 

 しかし、神話時代や古代日本においては、武士の元祖のやうな方であられる須佐之男命や日本武尊は、戦ひの歌・「ますらをぶり」の歌と共に、戀愛の歌を大いに歌はれた。天智天皇・天武天皇そして藤原鎌足も戀歌を歌った。

 

 わが國の「ますらを」は大いに戀愛をし、戀を歌った。須佐之男命が妻を娶られた時の喜びの歌である「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」(多くの雲が湧く。出で立つ雲の幾重もの垣。妻ぐるみ中に籠めるやうに幾重もの垣を作る。ああその八重垣よ、といふほどの意)は、和歌の発祥とされてゐる。

 

 古事記・萬葉の世界では、「武」「歌」「戀」の三つは一体なのである。     わが國文學は戀愛が大きな位置を占める。男女の愛情を尊んだ。『萬葉集』の戀愛歌・相聞歌を見ればそれは明らかである。  

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千駄木庵日乗一月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』原稿執筆。

午後六時半より、中野サンプラザホールにて開催された『新春 ジャズの一人祭典』鑑賞。深見東州氏が数々の歌曲を熱唱した。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。

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2015年1月15日 (木)

この頃詠みし歌

新しき注連縄張りて新しき年を迎へることの喜び

西の空に夕日燃えつつ千駄木のビルは紅に染まりゐるかな

 

風雪に揺れるマストを見つめつつ閉じ込められしホテルの小部屋

 

湖北の空雲に覆はれ雪激し

 

嵐山はだらの雪を眺めつつ友と食する湯豆腐の味

 

吹雪の中走り行くなるバスに乗る旅人たちの不安なる心

 

竹生島に渡らむとすれど長浜の港は吹雪きて船は動かず

 

雪の夜は静かに更けて長浜の港の船は白き綿かぶる

 

彼方には青空見ゆれど激しくも雪降りて来る長浜の町

 

ピリピリと刺す如き寒さに耐えにつつ長浜の町の古寺を巡る

 

初詣の京の人々の群れに交じり我も上賀茂の神を拝ろがむ

 

恥多きこと多かりし若き日を悔やむ心のいや増して来る

 

シャワー浴びわが身浄めて一日の始まりとすることのすがしさ

 

天津祝詞唱へて今日を恙なく生かしめたまへと神に祈れり

 

苦しめる母に寄り添ひなすすべのなきを悲しむ生みの子われは

 

九十四歳老いませる母よ安らかに生きたまへとぞただ祈れる

 

介護施設の不注意がかくもわが母を苦しめることを悔しみてゐる

 

靴を磨くことを大切な行持とす わが足の歩み誤りなくあれ

 

父母の暮らせし部屋を掃除する 二人とも再び帰ることなし

 

父のみの父の遺影の懐かしき笑顔に向ひ経を誦しをり

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千駄木庵日乗一月十四日

午前は、諸雑務。今夜行う『萬葉集』講義の準備。

午後二時半、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者の方と打ち合わせ。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食欲はあるが、まだまだ本調子ではない。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が大伴坂上郎女の歌などを講義。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2015年1月13日 (火)

祭政一致と現代の救済

わが國古代においては、祭祀と政治は一體であった。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。

 

祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」というのである。

 

「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からの伝統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと、具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは、分かち難く一體であった。


祭祀とは、己をむなしくして神に仕えまつる行事である。ゆえに、日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神にまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方であり、民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。天皇は神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方である。だから民から天皇を仰ぐときには、この世に生きたもう神すなわち「現御神(あきつみかみ)」あるいは「現人神(あらひとがみ)」と申し上げるのである。

 

「無私」が祭祀の本質であるから、神のみ心のままの政治、私を無くした政治、これが祭政一致であり、天皇の日本國家統治の本質である。だから、日本國はその長い歴史において、覇者同士による多くの競争が行われ戦いがあったが、「無私」の御存在であられる天皇は、唯一神聖不可侵な御存在として絶対的な御位におられ続けた。

 

武力によるいかなる覇者も、天皇の「親任」を得ることによってその地位の正統性を得ることができた。天皇を廃して自らが日本國の最高君主になることはなかった。徳川幕藩體制下では、行政権・司法権ともに幕府が掌握していたが、祭祀を根本にした日本國の君主すなわち最高の統治者としての権威は天皇にあった。

 

これは現代においても同じである。今日の日本の政治制度も、國会において多数を制した勢力の長が与党として内閣を組織するが、彼らは天皇の「親任」を得ることによってはじめて「内閣総理大臣」以下大臣としての地位につき國務を執行することができるのである。

 

天皇は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって分裂し疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。

 

日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

混迷する現代日本は、崩壊の危機にあるといわれている。よほどの変革が行われなければならない。しかし、上に天皇がいますかぎりは、この危機を見事に乗り切るための変革を断行することができる。古来日本の変革思想は、祭政一致の理想國家への回帰がその根本にあったのである。

 

今日の日本の危機を打開し救済するためには、「現代に生きる神話」すなわち<天皇の祭祀>への回帰しかないのである。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心を、道義的倫理的規範としてならい奉るということである。それが理想的な國家実現の基礎である。

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千駄木庵日乗一月十三日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆、原稿の校正など。

午後六時より、新宿にて、『一月会』新年会開催。多くの同志と懇談。小生は、「元禄名槍譜・俵星玄蕃」を熱唱。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。(次号の執筆依頼)

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萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する「萬葉古代史研究會」が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

  

 

日時 一月十四日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

  

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

 

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

  

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』。

 

 

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

 

 

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今日の危機打開と「現代に生きる神話」即ち<天皇の祭祀>への回帰

 日本においては、日本神話の「神聖な歴史の物語」は、今日ただ今も<天皇の祭祀>に生きている。神話の世界で、天照大神が行われたと同じ祭祀(新嘗祭)を、今上陛下は今日も行われている。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては、仏教やキリスト教といった世界宗教が日本に入ってきた後もそして、近代科学技術文明が入ってきた後も、<天皇の祭祀>として今も現実に生きている。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり<天皇の祭祀>は日本における「生きた神話」なのである。

 

 神話と祭祀とは、日本民族の固有の精神の在り方を示すものであり、日本という國の根底にある精神的道統・価値観・國家観・人間観を・文化観・宗教観を體現している。であるがゆえに、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎である。

 

 これまでの日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。特に、二十世紀の日本は、世界の中でめざましい変化と発展を遂げた國である。しかし、日本は進歩し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を強靭に保守し続けてきた。現実面の変化の奥にある不動の核があった。それが日本天皇であることはいうまでもない。

 

 天皇は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって分裂し疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

混迷する現代日本は、未曽有の危機にあるといわれている。よほどの変革が行われなければならない。しかし、上に天皇がいますかぎりは、この危機を見事に乗り切るための変革を断行することができる。古来日本の変革思想は、祭政一致の理想國家への回帰がその根本にあったのである。

 

 今日の日本の危機を打開し救済するためには、「現代に生きる神話」すなわち<天皇の祭祀>への回帰しかないのである。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心を、道義的倫理的規範としてならい奉るということである。それが理想的な國家実現の基礎である。

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千駄木庵日乗一月十二日

午前は、諸雑務。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食欲はあるもののまだ落ち着かない状況。心配である。

帰宅後は、原稿執筆。

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2015年1月12日 (月)

天皇の「祭祀」「無私の大御心」が日本國民の道義の規範

 それぞれの國家には独自の道徳観と理念が内在する。それにしたがって國民を教育し、共同体の正義を実現する。倫理観のない國家は本当の國家ではなく、多くの人の集合体を権力で統制する機構に過ぎない。これでは國民に道義心も愛國心も湧いて来ない。

 

 日本民族は、神聖君主日本天皇を道義の鏡として仰いできた。天皇は至高の道徳(日本人としての『道』)の体現者であらせられる。日本國民は古代以来天皇の神聖な権威を鏡として道義心を自覚した。

 

 「敬神崇祖」は日本人の道義の根幹であるが、それを身を以て実践されて来られたお方が「祭祀」を最大の使命とされる日本天皇であらせられる。

 

日本伝統信仰の「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ということである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇の「祭祀」そして「無私の大御心」が日本國民の道義の規範なのである。

 

人間の限り無い欲望・闘争心を抑制せしめるには、天皇の無私にして神ながらなる大御心に回帰する以外にない。 日本國の生命・歴史・伝統・文化・道義の体現者たる天皇の大御心・御意志にまつろう(服従し奉仕する)ことが日本國民の道義心の根幹である。そして天皇の大御心・天皇の國家統治の基本は、天照大神の御命令である「高天原の理想を地上に実現する」ということである。神の意志を地上において実現する使命を持つお方が天皇であらせられるのである。

 

 現御神信仰の公的表現は、宣命詔勅に「現神(あきつかみ)と大八洲知ろしめす倭根子天皇(やまとねこすめらみこと)」と示されている。とりわけ『文武天皇即位の宣命』には「天津日嗣高御座の業と、現神と大八嶋知ろしめす倭根子天皇命の、授賜ひ負賜(おほせたま)ふ貴き高き廣き厚き大命受賜り恐み坐して……明き淨き直き誠の心以て、御稱(いやすす)み稱(すす)みて緩怠(たゆみおこた)る事無く」と示されている。「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の最高の実践者であらせられるのである。

 

戦後日本は誤れる「民主主義思想・人権思想」によって人と國家の神聖性・道義性の破壊してきた。人間の尊厳性はその人間の生活する國家の尊厳性と不離一体の関係にある。國家をあしざまに罵り続け、天皇の神聖性を隠蔽し、自分さえ良ければいいという観念が横溢したところに、今日の日本の頽廃と混迷の根本原因があると考える。 

 

 今日のわが祖國日本の道義の頽廃はまさに末期的である。これを打開することが緊急の課題である。日本民族の古代からの天皇尊崇の心・現御神信仰を回復し、人間獣化=聖なるものの喪失から脱却することなくして、日本の再生はあり得ない。 

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千駄木庵日乗一月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き母に会う。骨折したため左腕が拘束されているので、痛がって苦しんでいる。何とかならないものか。

帰宅後も、原稿執筆。

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2015年1月11日 (日)

『雪と月と花―国宝「松雪図」と四季の草花ー』展参観

今日参観した『雪と月と花―国宝「松雪図」と四季の草花ー』展は、「四季折々に咲く草花は、私たちの日々の暮らしに潤いと癒しをもたらしてくれますが、美術作品のなかでも主要なモチーフとして様々に描かれています。例年、この時期の展覧会では、新年に相応しく当館の代表的名品である国宝『雪松図屏風』(円山応挙筆)を展示しています。今年も平成27年の新年を迎えてこの国宝の屏風を展示いたしますが、今回の展覧会では、雪月花をテーマに取り上げ、館蔵作品のなかから「雪と月と花」が描かれた絵画や工芸品、銘が付けられた作品を選び、日本美術における雪月花の世界を垣間見ていただきます。そのなかでも、四季の草花を意識的に鑑賞していただき、日本人の草花に対する愛着ぶりを楽しんでいただきます。なお、近年新しく寄贈された作品もあわせて展示いたします」(案内書)との趣旨で開催された。

 

三井記念美術館は、三井家の財力によって集められた美術品が展示されている美術館である。多数の日本・東洋の優れた美術品を収蔵するという三井文庫別館が、三井家および三井グループに縁の深い日本橋に移転して、平成17年10月に開設された。収蔵している美術品は、江戸時代以来300年に及ぶ三井家の歴史のなかで収集され、今日まで伝えられてきたものである。

 

また、三井記念美術館が設置されている三井本館の建物は、昭和初期の日本を代表する重厚な洋風建築として、国の重要文化財に指定されている。美術館が設置される前には、三井グループ企業数社の本社が入っていた。私も知人・友人が勤めていたので、何回か訪問したことがある。当時から重厚な建物であった。

 

「三井三菱」と並び称されるように、日本近代資本主義経済の中枢にを担ってきた財閥グルーブ三井の本拠地である。三菱は丸の内、三井は日本橋に本拠を構えてゐる。

 

三井家はいわゆる「近江商人」で、三井高俊が江戸初期に伊勢松阪に質屋兼酒屋を開いたのが起源という。

 

展示室は、「茶道具」「国宝の茶碗」「茶道具取り合わせ」「絵画・漆器」「浮世絵」「工芸・能装束」に分類されていた。

 

国宝「志野茶碗 銘卯花」、国宝「雪松図屏風」、「春野蒔絵棗 了々斎好」、「秋草に兎図襖」「月宮殿蒔絵水晶台」「紺繻子地雪輪松竹菊蒲公英模様縫」「春秋野蒔絵引戸」「東閣観梅・雪山楼閣図」などが展示されていた。

 

茶道具の良さは私にはまだよく分からない。しかし、「春野蒔絵棗 了々斎好」はとても美しいものであった。国宝「雪松図屏風」は丸山応挙が描いて絵画で相当年代が経過しているにもかかわらず白の色彩が鮮やかであった。丸山応挙は、江戸中期の人で、幽霊画で有名だが、三井家が応挙の主要な後援者であった。この作品は応挙の代表作とされる。大本教の出口王仁三郎氏は応挙の家系から出た人という。「月宮殿蒔絵水晶台」は贅の限りを尽くした置物。三井が経営する鉱山で掘り出された宝石がちりばめられていた。「東閣観梅・雪山楼閣図」を描いた川端玉章は、明治期の画家であるが、この人も三井家の後援を受け、三井家邸内に居を構え、ほとんど三井家お抱えの画家と言ってもいいようである。展示されている絵画はどれも美しい作品であった。

 

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千駄木庵日乗一月十日

午前は、諸雑務。

午後は、日本橋室町の三井記念美術館で開催中の『雪と月と花―国宝「松雪図」と四季の草花ー』展参観。

帰宅後は、資料の整理。

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2015年1月10日 (土)

全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は、日本傳統信仰への回歸である

 イスラム教・キリスト教・ユダヤ教といふ一神教同士の対立はとどまるところを知らない。益々激しくなってゐる。人類を救ふはずの宗教が何故、対立や戰爭の慘禍を厭ひながら、その厭ふところの慘禍を繰り返すのか。

 

 イスラム教は唯一絶対神のみを信じる<一神教>をもっと激しく純粋にした教義である。「イスラム原理主義者」「イスラム過激派」は「アラーは偉大なり」を叫びつつ、テロを繰り返してゐる。

 

 中近東の厳しい自然環境、自然と闘ひ自然の猛威に打ち勝ち自然を支配しなければ生きていけない生活が、かうした唯一絶対神への信仰を生んだのであらうか。

 

 戰爭の根本原因を取り除くためには、神は人間の罪を裁き人間を懲らしめる存在ではなく、人間は本來神と相対立し神に裁かれる存在ではなく神と一体の存在であるといふ信仰に回歸しなければならない。そして、人類の自己處罰方法たる闘争や戰爭を無用に歸せしめなければならない。

 

四季の変化が規則正しく温和な日本の自然環境は、自然を友とし自然の中に神を観る信仰を生んだ。日本民族は、天地自然を神として拝む。神は到る処に充ち満ちてゐます。自然は神の命の顕現である。〈神と人との合一〉〈罪の意識の浄化〉を最高形態としてゐる信仰は、日本傳統信仰・神ながらの道である。全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は、日本傳統信仰への回歸である。日本傳統信仰を世界に恢弘することが私たち日本民族の使命であると信ずる。

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千駄木庵日乗一月九日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。できる限り一日おきに施設に行っている。母も喜んでくれる。今日は少し元気がなかったが、特に異常はなかった。

帰宅後は、『政治文化情報』原稿執筆の準備、原稿執筆。

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2015年1月 9日 (金)

中華帝国主義を打倒しなけばならない

共産支那は、わが國に対して恫喝を行えば、わが國は震えあがり言うことを聞くと考えている。支那の対日外交はそういう姿勢に貫かれている。日本にとって、共産支那は友好國家ではなく敵性國家であることが明白となっている。

 

田中内閣による「日中國交正常化」以来、わが國は共産支那に対して土下座外交・弱腰外交を繰り返し、相手の言いなりになってきた。そして莫大な経済援助・技術援助を行った。その結果が今日の事態なのである。

 

日本の援助によって軍事的・経済的に強くなった支那によって、わが國が危険に晒されている。「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という考えは全く誤りであったことが証明された。

 

事実はその逆で、日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いているのである。これまで、「日中友好」を唱えてきたわが国内の「親中派」の責任はきわめて大きい。

 

共産支那は、わが国に対して「侵略国家だ」と非難するが、東アジア近現代史における最大の侵略国家は支那である。清帝国は、東トルキスタン(新疆ウイグル)、チベットなど周辺諸民族を侵略、征服、蹂躙した。そしてベトナム・韓国に対しても武力侵攻を行った。

 

「中華人民共和国」=共産支那は、清帝国が侵略によって獲得した領土をそのまま継承するのみならず、さらに領土拡大とアジア支配を目論んでいる。共産支那建国以来、十七回も対外戦争あるいは武力行使を行った。「朝鮮戦争」・「ベトナム戦争」・「中印戦争」・「チベット侵略」・「中ソ国境紛争」・「中越戦争」などである。

 

共産支那は、「改革開放路線」と共に、「富国強兵」路線をとり、軍拡を続けて来た。この名称は明治維新後におけるわが國の国策の猿真似である。(内実は全く違うことは言うまでもないが)

 

なぜ共産支那は、軍拡を行う必要があるのか。「富国」はともかく「強兵」を行う必要があるのか。今日、世界においてもアジアにおいても、支那を武力攻撃しようとしている国などは存在しない。支那の軍拡は、日本及び台湾への侵略を目論んでいるからである。「反国家分裂法」の制定はその準備工作である。

 

かつて共産支那は理不尽にも、「ベトナムは小覇権主義国家だから懲罰する」とか言って、武力侵攻を行った。それと同じように、状況が整えば「台湾を取り戻す」「解放する」と言って台湾を侵略し、「歴史問題で反省謝罪が足りない日本を懲罰する」とか言って、わが国に対して軍事侵攻を行う危険性がある。

 

一九九二年には、「中華人民共和国領海法及び接続水域法」とやらを制定し、東シナ海の尖閣諸島から南シナ海の島々まですべて支那の領海だと勝手に決めてしまった。日本、韓国、台湾、アセアン諸国と係争中の東シナ海、南シナ海の大陸棚、西沙諸島、南沙諸島の領有を、一方的に宣言した。とりわけ許し難いのは、わが国固有の領土たる尖閣諸島の領有をも一方的に宣言したことだ。

 

共産支那は、「大躍進政策」の経済失敗で二千万以上の餓死者を出し、文化大革命では五千万以上の自国民を殺戮した。世界中で共産支那ほど軍国主義国家はないし専制独裁国家はない。

 

これに対し、わが国は戦後ただの一回も対外戦争を行っていない。世界中で日本ほど平和国家はないし自由民主国家もない。過去数千年にわたりアジアを侵略しこれからも侵略しようとしている支那にはわが国を軍国主義国家・侵略国家呼ばわりする資格は毛筋の横幅ほどもないのである。「盗人猛々しい」とは共産支那の事である。

 

日本などの支那周辺諸国にとって、中華帝国主義は最大の脅威である。支那は絶対に自分の非をみとめない国家であり民族である。

 

共産支那は、日本の経済援助によって国家が強大化するにつれて「中華思想」を再現させている。共産支那の「四つの現代化」のスローガンは、「建設四化・振興中華」であった。この「四つの現代化」とやらに全面的に協力したのが日本である。その結果、日本は「中華帝国主義」の圧迫と脅威にさらされているのである。

 

「中華思想」とは、漢民族が世界の中心であり、他はみな野蛮人であるというとてつもない差別思想・侵略思想である。秦の始皇帝が大陸を統一して以来、絶大な権力を持った皇帝が大陸を支配してきただけでなく、周辺諸国に対しても、四千年にわたって冊封体制(さくほう)をもって律してきた。共産支那は「振興中華」を叫ぶのは、こうした差別思想・侵略思想の復活を目指しているのである。

 

「中華思想」はアジアそして世界に覇権を確立することを目的とする思想である。現段階において、アジアでの覇権確立を実行しつつあるのである。そのために最も邪魔な存在がわが日本なのである。

 

「中華帝国主義」の「帝国」という意味は、支那・漢民族の支配領域の拡大と共に、他民族多国家を傘下に収め、管理体制を敷くということである。共産支那はアジアにおいてそれを目指しているのだ。

 

かつてオーストラリアを訪れた共産支那の李鵬首相(当時)は、「日本などという國は二〇一五年頃には溶けてなくなっているはずだ。一々考慮すべき相手ではない」と述べた。

 

支那はわが国の消滅を期待しているのだ。わが国民の誤れる贖罪意識を利用して機会あるごとにわが国を打ちのめし、謝罪させ、金や技術を強奪してきたのが共産支那である。

 

中華帝国主義を打倒しなければならない。

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千駄木庵日乗一月八日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

午後四時より、西荻にて、『伝統と革新』次号の編集会議。終了後、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2015年1月 7日 (水)

『A級戦犯』といわれる方々は英霊であり殉國の御霊である

靖國神社にいわゆる「A級戦犯」が祀られていることが、共産支那・韓國そして亡國政治家・偏向マスコミ・反日勢力の攻撃材料になっているのだが、そもそもわが國には「戦争犯罪人」は一人もいない。「戦争犯罪人」といわれる人々は、平和条約締結以前に行なわれ戦争状態の継続であり戦争行為の一部である『極東國際軍事裁判』という名の戦場で戦い、斃れた方々であって、立派な戦死者であり昭和殉難者である。「英霊」「戦死者」として靖國神社に祀られるべき方々である。

『サンフランシスコ平和条約』第十一条には、「日本國は、極東國際軍事裁判所並びに日本國内及び國外の連合國戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」とある。この日本文の条文は、「判決」という意味の「judgments」を「裁判」と訳した誤訳であり、正しくは「判決を受諾し」である。その意味は、判決で禁固刑を言い渡された人で刑期を終わっていない人の刑をそのまま執行する義務を日本政府が約束したに過ぎない。 

だからこそ、昭和二十七年十二月九日の國会において、『戦争犯罪による受刑者の釈放などに関する決議』が左右社会党を含む圧倒的多数で可決された。二十八年八月には、社会党を含む全会一致で『戦傷病者戦没者遺族など援護法』が部分改正されいわゆる「戦犯遺族」に対しての遺族年金と弔慰金が支給されるようになった。同時に『戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議』が再度可決された。

わが國政府は、「極東國際軍事裁判を受け入れた」という全く誤れる判断を速やかに撤回すべきである。『極東國際軍事裁判』そのものが國際法を無視した復讐劇にすぎなかったのだから無効である。そのようなものにわが國が拘束される必要はない。『A級戦犯』といわれる方々こそ、英霊であり殉國の御霊なのである。

共産支那及び南北朝鮮といかに対峙するかが、今日及び近未来のわが國にとってもっとも重要な外交課題である。そしてそれは、國防上の重要事である。わが國が一歩でも譲れば、さらにつけこんでさらなる無理難題を吹き掛けてくるのが支那であり南北朝鮮なのだ。ユスリタカリ國家に対してわが國はいかなる問題においても、一歩も譲ってはならない。

 

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千駄木庵日乗一月七日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。顔色も良く安定している。

帰宅後は、来週の『萬葉古代史研究会』の講義準備など。

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宗教と科學技術、傳統と革新の調和は日本において達成できる

近代科學技術文明が人間生活を便利にしたことは事實である。しかし、近代科學技術文明は自然を破壊し、人間生命をむしばみ、地球を危機に陥れてゐる面がある。さらに、人間による自然への冒瀆と傲慢な姿勢を生み出した。そして今日、その自然によって日本人は大変な脅威にさらされた。

 

現代文明とは「科學の論理によって技術革新を行ふやうになった文明」と定義され、産業革命以来機械技術の発達を促し、物質的繁栄至上の社會を作り出した。ところが、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊と自然災害・人心の荒廃・経済破綻を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかってゐる。

 

今日の混迷を打開するためには<近代合理主義>を根底に置いた科學技術・物質文明に偏した考へ方を改めて、人間の精神性の復活する事が大切である。

壮大なる宇宙の神秘=無限の可能性は、人間の理性や知能によって全てが説明できるものではないといふ謙虚な姿勢を持つべきである。人間が作り出し進歩させてきた科學技術の力によって自然を支配できるなどといふ考へが根本的に間違ってゐたことは、今回の東日本大震災によって實感された。

 

生命尊重、自然保護、公害追放は、政治政策・経済政策によってそれを全面的に解決することはできない。今日の日本人には、西洋精神の影響を受けて自然への畏敬の念を失ってしまった人が多い。現代日本の混迷は、天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同體を隠蔽し、日本傳統精神を否定し、神を否定する思想が蔓延して来たことがその根本原因である。日本民族が継承してきた傳統的な正しき信仰精神を正しく継承し現代において生かす事が何よりも必要なのである。そのためには日本國民自身が『記紀』や『萬葉集』を學び、神社に参拝し、日本の自然風土に親しむことが大切である。

 

日本の傳統信仰は自然神秘思想であることは間違ひないが、全てを「神秘なるもの」の支配に任せ、科學的思考・合理的思考を拒絶するといふ考へ方ではない。むしろ日本民族は實際生活においては、きはめて合理的・科學的な生活を営んできた。宗教と科學技術の調和、傳統と革新の調和は、實に日本において真に達成できる。日本天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體國家日本は過去三千年にわたってそれを實践してきたからである。

 

近代科學技術文明による自然破壊・人間破壊の危機救済に、稲作生活を基本とした神代以来の天皇中心の祭祀國家・信仰共同體を今日まで保持しつつ、西洋文化・文明を受容し発展せしめ、もっとも発達した工業國なった日本の精神傳統が大きな役目を果たすと考へる。科學技術國家でありながら、太古からの信仰が今日においても生き続けてゐる日本が、現代の混迷を打開する役割を果たすべきである。

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千駄木庵日乗一月六日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して資料の整理、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2015年1月 6日 (火)

支那及び南北朝鮮の野蛮な体質

共産支那は、北朝鮮とその体質は全く同じ。権力闘争に敗れたら、殺されるか獄に入れられる。「毛沢東時代は過去のこと」と思ったら大間違い。二人の最高幹部が拘束された。薄熙来・周永康は、劉少奇・彭徳懐・賀龍のようになぶり殺しにされなかっただけまだましかもしれない。

 北朝鮮は、ごらんの通り、絶対的独裁者から邪魔だと思われた者は、義理の叔父であろうと容赦なく殺される。犬に食い殺させるという情報もある。

 

韓国も然り。大統領経験者の多くは、外国に亡命したり、部下に射殺されたり、自殺したり、獄に投じられる。

 

支那及び南北朝鮮は同じ体質を持っていると考えられる。

 

以前、ある支那問題専門の学者の方から、「中国の皇帝は、即位する前は、多くの人々を殺して、即位した後、『聖人・君子』になる」という話を聞いたことがある。

 

「共産支那帝国」の「初代皇帝」であった毛沢東は、どれだけの人を殺したか分からない。即位する前どころか即位した後も、文革などで数千万の人を殺したと言われる。革命の同志であった劉少奇国家主席など多数をなぶり殺しにした。習近平もまた同じことをやっているのだ。台湾でも支那人である馬英九は総統に就任すると、前総統陳水扁を獄に入れた。

 

また別の「中国問題の専門家」の方は私に「中国の権力者は、普段は聖人君子のようにふるまっているが、ある日突然極めて残虐になる」と語っていた。

 

『論語』『孟子』など支那の古典は実に立派なことが書かれている。日本思想史への影響も大きい。しかし、現実の支那の歴史は、極めて残虐なる闘争と殺戮の歴史である。また、今日の「中国人民」も道義精神を忘却している人が多い。鄧小平は、「黒い猫も白い猫も鼠を捕るネコが良い猫だ」と言った。これは、教条主義を批判した言葉だったのだが、現実には、金儲けのためなら何をしても良いというような意味に理解されている。

 

わが日本は、支那や南北朝鮮とよほど注意して付き合わねばならない。支那も朝鮮もまともな国ではないのである。前近代的な野蛮国家であると言っても決して間違いではない。すくなくとも友好関係とか互恵関係などが構築できるものではない。

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千駄木庵日乗一月五日

午前は、諸雑務。

午後は、『月刊日本』連載原稿執筆・脱稿・送付。

この後、施設に赴き、母に付き添う。施設長の方などと相談。

千駄木に戻り、友人と懇談。

帰宅後は、諸省執筆・資料整理。

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2015年1月 5日 (月)

辞世の歌に学ぶ

 この世を去るに臨み、自己の感懐を三十一文字に託して表白することは、日本古来の風儀である。これを辞世の歌という。「人の将に死せんとする、その言や善し」といわれて来た通り、人は死に臨んだ時こそ、その真心を訴え・魂の心底からの叫びを発するのである。死に望んだはそしてそれは多くの人々の共感を呼ぶ。

 

日本武尊の辞世

 

 本朝最古の辞世歌は、日本武尊の次の御歌である。

 

 嬢子(をとめ)の 床の辺(べ)に 吾( わ)が置きし その大刀はや

 

 命は東征の帰路、能煩野(のぼの・今日の三重県山中)に至って病が重くなりたまい、この歌を詠まれてお隠れになった。「乙女の床のそばに私が置いてきた太刀、その太刀よ」というほどの意。英雄にして大いなる歌人(うたびと)であられた命の辞世の歌にふさわしいロマンと勇者の世界が歌われている。文字通り「剣魂歌心」の御歌である。

 

大津皇子の辞世

 

 「萬葉集」に収められた辞世の歌でもっとも有名なのは、大津皇子の次の御歌である。

 

 百伝(ももづたふ)磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

 

 天武天皇の第三皇子であられた大津皇子が、天武天皇崩御直後の朱鳥元年(六八六)、謀反の罪に問われ、死を賜った時の御歌である。「(百伝ふは枕詞)磐余の池に鳴く鴨を今日を見納めとして自分は死んで行くことであろう」というほどの意である。死に臨んでの再び見ることのできない光景に自らの全生命を集約させた歌いぶりで、詠むものに大きな感動を与える。「雲隠り」と詠んだところに、肉体は滅びても生命は永遠であるという日本人の伝統的な信仰が表れている。この信仰が「七生報国」の精神につながるのである。

 

楠木正行の辞世

 

 かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる

 

 これは、南朝の忠臣楠木正行が足利高氏の大軍を河内の四条畷に迎え撃ち、壮烈な戦死を遂げる直前、同志と共に、後醍醐天皇の吉野の御陵に参拝し、そのふもとにある如意輪堂の壁板に矢立硯で書き留めた辞世の一首で、再び生還しないという悲壮なる決定(けつじょう)を詠んだ歌である。この時正行は鬢の髪を少し切って仏殿に投げ入れ敵陣に向かったという。湊川楠公戦死の場面と、この正行最後の参内の場面とは、『太平記』の中でも最も人の心を動かし、涙をさそう段である。

 四條畷の戦いは、正平三年(一三四八)正月五日の早朝開始され、楠木勢は北進し、高師直の軍に肉迫し、師直もあわやと思われたのであったが、遂に楠木勢は力尽き、正行と舎弟正時とは立ちながら刺し違えて、同じ枕に臥したという。

 

吉田松陰の辞世

 

 幕末勤皇の志士の辞世の歌は数多い。その代表的な歌が、吉田松陰の次の歌であろう。 

  身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

 

 安政の大獄によって幕府に捕らえられた松陰は死罪の判決を受け、安政六年(一八五九)十月二十七日、従容として斬首の刑を受けたのである。松陰先生時に歳三十。先生は獄中において「親思ふ心にまさる親心けふのおとづれ何ときくらん」「呼び出しの声まつ外に今の世に待つべきことのなかりけるかな」という歌も詠まれている。さらに松陰は、

 

 吾今国ノ為ニ死ス 死シテ君親ニ背ズ 悠々タリ天地ノ事 鑑賞明神ニアリ

 

という詩も遺した。門下生は師・松陰の死に奮い立ち、その意志を継ぐべく、覚悟も新たに激動の時代を・維新回天の聖業に邁進するのである。

 

乃木大将御夫妻の辞世

 

 明治四十五年七月三十日暁、明治天皇は、御歳六十一歳をもって崩御あそばされた。後に軍神と仰がれた乃木希典大将は、大正元年九月十二日の御大葬当日、次のような遺言を書いて殉死をとげた。「自分此度御跡ヲ追ヒ奉リ、自殺候段恐入候儀、其罪ハ不軽存候、然ル処、明治十年之役ニ於テ軍旗ヲ失ヒ、其後死処得度心掛候モ其機ヲ得ズ。皇恩ノ厚ニ浴シ今日迄過分ノ御優遇ヲ蒙追々老衰最早御役ニ立候モ無余日候折柄此度ノ御大変何共恐入候次第茲ニ覚悟相定候事ニ候」と。乃木大将は今もって西南戦争の際の軍旗喪失の責任を感じ、皇恩の厚きに感謝している。そして、次のような辞世を遺された。

 

 うつし世を神さりましし大君のみあとしたひてわれはゆくなり

 

 神あかりあかりましぬる大君のみあとはるかにおろがみまつる

 

 さらに静子夫人も、

 

 いでましてかへります日のなしときくけふの御幸に逢うふぞかなしき

 

 との辞世を遺して大将と行を共にされた。時に大将六十四歳、夫人は五十四歳であった。日本殉死史上最後の人といわれる。

 平成元年二月二十四日、昭和天皇の御大葬で、小生は二重橋前にて、轜車をお見送り申し上げたのであるが、その時乃木静子夫人の辞世の歌が思い出され、涙が溢れて止どまらなかった。轜車の御出発はまさしく「かへります日」の無い御幸の御出発であったのである。        

 

三島由紀夫・森田必勝両烈士の辞世

 

 益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾年耐へて今日の初霜

 

 散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐

 

 昭和四十五年十一月二十五日午前十一時、楯の会隊長三島由紀夫氏と、隊員森田必勝氏、小賀正義氏、小川正洋氏、古賀浩靖氏の計六名は、東京市谷の自衛隊において、東部方面総監の身柄を拘束し、「自衛隊国軍化」「憲法改正」「道義建設」などを自衛隊員に訴えた。そしてその後、三島・森田両氏は壮烈な自決を遂げた。この二首はその時の三島氏の辞世の歌である。

 さらに、森田必勝氏は、

 

 今日にかけてかねて誓ひし我が胸の思ひを知るは野分のみかは

 

 という辞世を詠んだ。戦後の自決事件でこれほど大きな衝撃をもたらしたものはない。三島氏は「散るをいとふ世にも人にもさきがけて」と詠んでおられる。戦後日本は、経済至上主義・営利至上主義の道をひたすら歩み続け、欺瞞的な平和主義にとっぷりとつかってきた。肉体生命以上の価値を認めず、誤れる「生命尊重」を標榜し、無上の価値即ち国のため・大君のため・大義のために潔く散る精神精神を忘却してしまったのである。かかる状況に耐えかねた三島・森田両氏等は「今こそ生命尊重以上の価値を諸君の目に見せてやる」(檄文)と訴えたのである。

 日本武尊・大津皇子・楠木正行・吉田松陰・乃木御夫妻・三島森田両烈士の自決の精神こそ「生命尊重以上の価値」であった。「物で栄えて心で滅びる」といった状況を呈しつつある今日こそ、そうした精神に回帰すべき時である。

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千駄木庵日乗一月四日

午前は、諸雑務。

午後は、室内整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。昨日よりは安定していたので、ホッとする。しかし食欲は以前ほどはない。

帰宅後は、書状執筆、原稿校正、資料の整理など。

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2015年1月 4日 (日)

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十七年一月号のお知らせ

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。
 

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

 

購読料
年間 12000
半年 6000

 

平成二十七年一月号(平成二十六年十二月二十日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

真庭・庄原・安藝高田の旅

中和(ちゅうか)神社に参拝

 

茅部神社に参拝

 

『今即神代』の信仰

 

日本國體と『斎庭の穂の神勅』

 

熊野神社に参拝

 

「熊野」といふ地名の意義

 

大土山の西北の丘頂上の「天の磐座」を拝す

 

日本傳統信仰と「里山資本主義」

 

真庭・庄原・安芸高田への旅の歌

 

千駄木庵日乗

藤和彦氏(世界平和研究所主任研究員)「ロシアはエネルギー依存経済。エネルギーを政治の武器にすると中長期的にはロシアの方が困る」

 

西村真悟衆議院議員「楠公は何故湊川に赴いたのか。これを解く鍵は日本人の死生観と戦闘姿勢に拠る。これを解くと、大西郷の自決、三島由紀夫の自決、大石は何故吉良を討ったのかが分かる」

 

山村明義氏「公明党の方が自民党より優位に立っている。自民党は二年三か月の野党時代の傷が癒えない。だから公明党と一緒にやりたい人が多い」

 

羽生次郎氏(笹川平和財団會長)「最近の日中戦闘機の接近はかなり危険。解決・協議・対話の糸口もない。偶発的衝突が起こる可能性あり」

 

朱鋒氏(北京大学教授)「中國と世界の関係を合理的に考える時代はまだ来ていない。中國外交はおかしな方向に飛んでいく。釣魚島問題は、中國にとって日清戦争後の歴史の一部である。日本は二千年に及ぶ隣國として中國をやさしく見てほしい」

 

中谷和弘氏(東京大学教授)「日中の見解の相違は致命的ではない。お互いの法制度・法解釈を理解することが大事」

 

飯田将史氏(防衛省防衛研究所主任研究官)「CBМの可能性は難しいが必要性はある。國家間の不確實を減少する措置」

 

干鉄軍氏(北京大学准教授)「今の中國は発展が早すぎた。自分をどう位置付けるかはっきりしていない。外國に強硬なイメージを与えてしまう。一方、國内では弱腰という批判が起る」

 

 

この頃詠みし歌

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山へのロマンの歌

 

                           

 日本人は海と共に山に対してもロマンを抱いて来た。山は日本人にとって尊く神聖な存在であった。日本神話では、天孫邇邇藝命は山の上に降臨して来たとされている。これは古代日本人が、山は天上の世界に通じる階梯であり、山には天から天降って来た神がいると信じたからである。

 

 近代日本において、漂白行乞(ぎょうこつ )の中に身を置き、自由律俳句を詠み続けた山頭火は、天孫降臨の地と伝えられる宮崎県高千穂で、

 

 分け行っても分け行っても青い山

 

 という句を詠んでいる。

 

 

 古代日本人にとって山は信仰の対象であった。三輪山・天香具山・富士山・二上山などはみな神として仰がれた。三輪山への信仰を歌った代表的な歌は、

 

三輪山をしかも隱すか雲だにも情(こころ) あらなむ隱さふべしや

 

 である。額田王(ぬかだのおおきみ)が、近江に遷都された天智天皇に従って、大和に別れを告げて近江に移られる時の歌である。美しく優雅に聳える三輪山には大和の神が鎮まりますという信仰があり、麓には三輪山を御神体とする大和国一の宮大神(みわ)神社がある。額田王にとって大和との別れは三輪山との別れであった。

 

 神として崇められる山を神奈備山(かむなびやま)と言った。大和の二上山も神奈備山と仰がれた。大和地方は三輪山から日が昇り、二上山に沈む。日の沈む二上山は死者を葬る所であった。その二上山を詠んだ歌が、大津皇子が刑死され二上山に葬られた時、姉である大来皇女(おほくのひめみこ・大伯皇女とも書く )が歌った次の歌である。

 

うつそみの人なる吾(われ)や明日よりは二上山(ふたかみやま)を兄弟(いろせ) とわが見む

 

「現世にまだ生きている私は明日からは二上山を弟と思って見ましょう」という意である。大来皇女にとって二上山は弟そのものであったのである。 大和地方に旅すると分かるが、三輪山と二上山は大和盆地の東西にある際立って美しい山である。この二つの山への深い愛着を、額田王と大来皇女という二人の萬葉女性歌人が、静かにそして切々と歌っているのである。

 

三輪山の方角から昇った太陽は二上山に沈んで行く。その美しく感動的な光景を眺めて暮らした大和人は、二上山の彼方に他界があるというロマンを抱いたのだ。それが後世の西方極楽浄土へのロマンにつながっていくのである。山は天に近い最も清浄な地であるから死者を葬る所となった。つまり山はあの世への入口であった。

 

 このように古代日本において、信仰の対象とした仰がれた山は、中古・中世になり乱世の兆しを見せ始めると、その清浄さのゆえに現実生活から逃避する場となっていった。隠者が山に籠ったというのもまた山へのロマンであるとともに現実からの逃避であったと言えよう。そうした歌の典型が次の歌である。

 

 世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

 

 名門に生まれながら不遇であった藤原俊成が二十七歳の若さで詠んだ遁世の歌である。『百人一首』の歌であり『千載集』に収められている。「この世の中には逃れていく道は無い。世を逃れようと思って入って来た山の奥にも鹿が鳴いている」という意。遁世の意を固めて入った山奥も、悲しい鹿の鳴き声がしみじみと聞こえて来て、なおさら悲しくなって憂き世のうちと感じられ、とても安穏の地ではないということを歌っている。

 

 

 現実から逃避せんとして山へ入るということは、近代歌人吉井勇も歌っている。

 

 うつし世の煩悩かなし何ごとも忘れはてむとわれ山に来ぬ

 

 日本人は、山の懐に抱かれあるいは山の高みに立ち、心身の疲れを癒し心身を浄めんとして来たのである。

 

 現代人もまた、時に現実からの逃避を夢見る。そして山に憧れる。登山は西洋から伝えられたスポーツと言ってもいいかと思うが、現実生活の労苦からたとえ一時(いっとき)でも自由にならんとして人々は山に登るのである。そのことは次の歌によく表れている。

 

 雪よ岩よ われらが宿り

 俺たちゃ町には 住めないからに

 (中略)

 朝日に輝く 新雪ふんで

 今日も行こうよ あの山越えて

 

 山よさよなら ごきげんよろしゅう

 また来る時には 笑っておくれ

 

 『雪山讃歌』(西堀栄三郎作詞)の一節である。「町に住めないから山へ行く」というのである。都会という窮屈にして汚辱にまみれたところを脱出して、清浄な山に登り自由を得んとする。フランスの詩人ボードレールは「自由なる人永遠(とわ)に海を愛さむ」と言ったというが、「自由なる人」はまた山をも愛するのである。

 

 山林に自由存す

 われこの句を吟じて

 血のわくを覚(おぼ)ゆ 

 

 これは国木田独歩の『独歩吟』という長詩の書き出しである。恋に悩んだ独歩が自由を求め、北海道の空地(そらち) 川のほとりをさまよった時の詩であるという。山林を愛した独歩の心がひしひしと伝わって来る。

 

 最近の自然破壊・山林破壊はこうした古代から伝わる山へのロマンという崇高なる精神をも喪失せしめることとなるのである。何とも悲しきことである。 

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千駄木庵日乗一月三日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食事の介助。あまり具合が良くない。たった一人の老いたる母が苦しんでいる姿を見るの本当に途につらい。施設の不注意により、肩の骨折という大けがをした母が可哀想でならない。

帰宅後は、資料の整理。

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2015年1月 2日 (金)

日本國家は天皇を祭祀主とする信仰共同體

日本國家は天皇を祭祀主とする信仰共同體である。ゆえに日本國は天皇國といわれるのである。

 

 第十代・崇神天皇の御代には、天神地祇をお祀りする社(やしろ)を定め、その神領や奉仕する神戸(かんべ・神社に付属して租税・課役を神社納めた民)を定められて、各地の産土神および各氏神を篤く祭られた。大和朝廷は、祭祀的統一とは、各氏族・部族の尊崇していた神々を抹殺して大和朝廷の尊崇する神のみを祭ることを強制したのではない。各氏族・部族が尊崇する神々をそのままお祭りすることによって、精神的信仰的統一を実現したのである。

 

大和朝廷による祭祀的統一によって、日本民族が狭い部族的あるいは地縁的な共同體の分立から、今日の日本國の原形である全體性を確立した。その中心にあったのが<天皇の祭祀>である。これが「祭」と「政」の一致なのである。かかる意味において、日本國は天皇を中心とした信仰共同體なのである。

 

『魏志倭人伝』に「一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰ふ。鬼道に事へ、能(の)く衆を惑わす」と記されている。『魏志倭人伝』とは、支那の『三國志』のうちの『魏書東夷伝』の中の倭人(日本人のこと)に関する約二千字ほどの記事のことである。ここに書かれていることが三世紀の日本の史実そのままではない。三世紀前半に日本に渡来した支那人(魏の國の人)の見聞に基づいているらしく推測される。実際に訪ねていない國のことも訪ねたかの如く書いている箇所もあるという。しかし、その頃の日本の九州(筑紫)に来た支那人が「水行十日陸行一月」の遠隔地即ち大和地方のことを伝聞したことをもととしているという。

 

『三國志』は、後漢の滅亡によって生まれた魏・呉・蜀の三國時代から西晋による華北統一までのほぼ百年ほど(一八四~二八0)の歴史である。したがって、『魏志倭人伝』に記された時期よりもはるか以前に、日本國は「日の御子」(太陽神の御子)によって祭祀的統一が成立していたのである。

 

古代日本の「祭祀」を「鬼道」などと蔑視し、「祭り主」に「卑弥呼」(いよいよ卑しいと呼ぶ)などという侮蔑的な文字が当てられているが、「ヒミコ」とは日御子であり、太陽神を祭る巫女(みこ)即ち祭祀主という意味である。そして、神を祭り、神の意志を民に伝え、民の願いを神に申し上げることのできる霊能を有する祭祀主・日の御子が、政治的統治者であるのである。「ヒミコ」は古代日本の祭祀と統治を統べる最高のお方なのである。

 

 古代祭祀共同体の「祭祀主」は太陽神を地上においてそのまま體現される御方であるから、日の御子=現御神(現実に現れた神)と仰がれたのである。これが「現御神日本天皇」の起源である。

 

大和や河内などにある天皇陵をはじめとした多くの古墳は、信仰共同體の精神的エネルギーの結晶である。祭り主天皇の神聖なる権威を崇める心が美しい前方後円墳を作り出したのである。

 

 わが國古代においては、祭祀と政治は一體であった。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」というのである。「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からの伝統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは分かちがたいものであった。

 

 祭祀とは、己をむなしくして神に仕えまつる行事である。そして、日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神にまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方であり、民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。天皇は神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方となられるのである。だから民から天皇を仰ぐときにはこの世に生きたもう神すなわち現御神(あきつみかみ)あるいは現人神(あらひとがみ)と申し上げるのである。

 

 「無私」が祭祀の本質であるから、神のみ心のままの政治、私を無くした政治、これが祭政一致であり、天皇の日本國家統治の本質である。だから、日本國はその長い歴史において、多くの闘争が行われ戦いがあったが、「無私」の御存在であられる天皇は、唯一神聖不可侵な御存在として絶対的な御位におられ続けた。

 

 武力によるいかなる覇者も、天皇の「親任」を得ることによってその地位の正当性を得ることができた。天皇を廃して自らが日本國の最高君主になることはなかった。鎌倉幕府・室町幕府・徳川幕藩體制下では、行政権・司法権ともに幕府が掌握していたが、祭祀を根本にした日本國の君主すなわち最高の統治者としての権威は天皇にあった。

 

 これは現代においても同じである。今日の日本の政治制度も、國会において多数を制した勢力の長が与党として内閣を組織するが、彼らは天皇の「親任」を得ることによってはじめて「内閣総理大臣」以下大臣としての地位につき國務を執行することができるのである。

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