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2014年12月18日 (木)

日本の國家観と西洋國家観とは根本的に異なる

日本の國家観と西洋國家観とは根本的に異なる。日本國は、「数多くの個としての人間」が寄り集まって契約を締結して人為的・人工的に作った権力機構・契約國家(これを「國家法人説」と言ひ換へてもいいと思ふ)とはその本質が全く異なる。「國家法人説」を日本國に当て嵌めることはできない。

 

「國家法人説」とは、國家を法的な主體としての法人と考へる理論である。そして「法人」とは「自然人以外で法律上の権利義務の主體となることができるもの。一定の目的の下に結合した人の集団あるいは財産についてその資格が認められてゐる集団」とされてゐる。

 

つまり、國家は人間が集まって文字通り人為的に作られたといふのが西洋の國家観である。國家とは、社団法人や財団法人のやうに多くの人々が一定の目的のために契約を結び人為的に造られたものだといふのが「契約國家論」「國家法人説」なのである。

 

天皇中心の信仰共同體たる日本は断じてそのやうな國家ではない。日本といふ國家の本質は、権力者が國民を支配するための機関すなはち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、日本國は多数の個人が契約を結んで造った國ではない。さらに、征服や革命によって人為的に成立した國家でもない。日本國は古代において自然に「生まれた」國である。日本といふ國家は、人の魂が結び合って生まれてきた生命體なのである。日本民族の農耕を中心とする傳統的生活の中から培はれた信仰(自然信仰と祖霊崇拝・自然と祖霊を神として拝む心)が根幹となって生まれてきた生命體が日本國なのである。そしてその〈むすび〉の中核が日本傳統信仰の祭祀主である天皇である。これが三島由紀夫氏の言ふ「祭祀的國家」としての日本なのである。

 

「むすび」の語源は、「生()す」である。「草が生す」「苔が生す」といわれる通りである。つまり命が生まれることである。故に母から生まれた男の子を「むすこ」(生す子)といひ、女の子を「むすめ」(生す女)といふのである。

「むすび」とは命と命が一體となり緊密に結合するといふことである。米のご飯を固く結合させたものが「おむすび」である。そして日本傳統信仰ではその米のご飯には生命・魂が宿ってゐると信じてきた。

 

「庵を結ぶ」という言葉があるが、日本家屋は様々な材木や草木を寄せ集めこれらを結び合はせて作られた。結婚も男と女の結びである。故にそのきっかけを作った人を「結びの神」という。そして男女の〈むすび〉によって新たなる生命が生まれる。日本の家庭も〈むすび〉によって成立しているのである。日本國土は、伊邪那岐命と伊邪那美命との「むすび」によって生成されたのである。

 

我々はまず以て「國家観」を正しく確立しなければならない。日本と欧米とは歴史・文化・宗教・社会構造・人間関係を異にしているのだから、日本國の憲法は近代西欧流の國家法人説・國家暴力装置説などの「國家観」を基礎にしてはならない。

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