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2014年12月 9日 (火)

現御神信仰について

小堀桂一郎氏は次のやうに論じてゐる。「天皇はもちろん生身の人間であらせられます。しかし天皇が神事を執行せられ、祭儀の司を勤められてゐる時、ご自身は皇祖神の、或いは國民の全てが齋き祀る産靈の神の生ける依代として、現人神になってをられるわけなのです」「柿本人麻呂が,持統天皇の雷丘に遊ばれた際に供奉して〈大君は神にしませば天雲の雷の上にいほらせるかも〉と詠じた作例をはじめとして、〈大君は神にしませば〉と歌出した短歌が五、六首あります。それは神々を祀る祭主としての天皇は即ちそれ故に神でもあるといふ讃仰の感情の素直な表現なのです」(『昭和天皇論』)

 

 小堀氏が引用された柿本人麻呂の歌には、わが國の伝統的な天皇信仰・現御神信仰を表白されてゐる。

 

「大君は 神にしませば  天雲の雷の上に いほら せるかも」

 

通釈は、「大君は神であられるので、天雲の雷の上に仮の廬を結んでをられることだ」といふほどの意。持統天皇が雷の丘にお出ましになった時に、人麻呂が高らかにうたひあげた歌である。

 

「雷岳」は、奈良県高市郡明日香村にある標高一〇五㍍、麓から約十㍍程のきはめて低く小さな丘と言はれてゐる。『日本書紀』の雄略天皇七年七月の条に、雄略天皇がこの丘に来られて、「この山には雷がゐると聞いた。その雷の姿を見たい」と仰せになり、小子部栖軽(ちいさこべのすがる)に雷を捕らへさせた。するとその雷は大蛇に変身しすごい光を発して目が赤く光ったといふ。恐怖を感じられた天皇はその神を元の山に帰したといふことが記されてゐる。

 

 十㍍しかない丘の上に天雲がかかり、雷様が住むわけがないから、今日の明日香村の雷丘がこの歌に歌はれてゐる「雷岳」ではなく、甘橿丘(奈良県高市郡明日香村豊浦にある丘)を中心とした一帯の丘陵地全體をこの歌に歌はれた「雷岳」といふ説もある。甘橿丘から見渡す景色は今も絶景である。

 

「いかづち」とは「厳槌」の義で、雷鳴は神が巨大な槌を転ばす音であると信じられた。「いほらせるかも」とは、直訳すれば「仮の庵を結ぶ」意であるが、この歌の場合は、天皇が祭り主として聖なる神の山・雷の丘で國見をされ祭事を齋行されることをいふ。つまり、「いほり」とは「齋」(いつき・斎戒<心身を清めて言行・飲食などの行為をつつしむこと>して神をまつること)の意味である。これは國歌『君が代』の意義にも関連する。

 

 「國見」とは、単に國土を望見されるといふのではなく、天皇が國土を眺望され國土の繁栄と五穀の豊饒を祈る祭祀儀礼であり、天皇が國見をされることにより國土は新生する。古代人にとって「見る」とは魂の結合を意味した。

 

この歌は、「聖なる山の上でまつりごとをされる天皇は、この世における神であられ、あらゆる神霊を従へたまふ御稜威(神聖なる霊的威力)輝く御存在である」といふ「現御神信仰」即ち天皇信仰を歌ってゐる。

 

この信仰は人麻呂個人のものではなく古代日本人に共通する信仰であった。前述した通り、神を祭られる天皇はこの世における神であるといふのが日本人の「現御神信仰」である。

 

また、自然を神として拝んだ古代日本人は「雷」も神として仰いだ。それが後世の天神(菅原道真の御霊を祭った神社)信仰につながる。「神」といふ漢字は、祭りの対象の意味を表す「示」(神への捧げ物を置く台の象形文字)と、音を表す「申」(稲光の象形文字)とからなる形声字であると言ふ。(加藤常賢・山田勝美著『当用漢字字源辞典』)つまり、古代支那においても、雷を天の神と考へたのである。

 「輕皇子(かるのみこ) の安騎野(あきのの)に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」の冒頭には「やすみしし わが大君 高光る 日の御子」と歌はれてゐる。「四方八方をやすらけく御統治あそばされるわが大君、高く光る日の神の御子」といふほどの意で、天皇は、天照大神の御子としての神格を持たれるといふ信仰である。

 

『萬葉集』には「現御神信仰」を歌ひあげた崇高なる柿本人麻呂の「大君は神にしませば…」の歌の次に、次の二首の歌が収められてゐる。

 

「天皇、志斐嫗(しひのおみな)に賜へる御歌一首

 

いなと言へど強()ふる志斐のが強(しひ)(がたり)このごろ聞かずて朕(われ)戀ひにけり                   (二三六) 

 

志斐嫗、和(こた)へ奉(まつ)れる歌一首

 

いなといへど語れ語れと詔()らせこそ志斐いは奏(まを)せ強(しひ)(がたり)と言()る                     (二三七)

 

持統天皇の御製と志斐嫗の歌である。持統天皇は志斐嫗と言ふ老女の語り部に「嫌だと言ふのに、強ひる志斐の老女の強ひて聞かせる物語、この頃聞かないので恋しくなったなあ」といふ御歌を贈られた。それに対して志斐嫗は「嫌です、語りません、と言っても、陛下が語りなさい語りなさいと仰せになるので、志斐はお話し申し上げるのです。それなのに強ひて聞かせられる物語などと言はれるのはあんまりです」とお答へしたのである。

 

「強語(しひがたり)」が具体的にどのやうなものであったかは明確ではない。今日の落語・講談の原型ではないかといふ。無理矢理聞かせる話といふ意味と共に、こじつけ話・とんち話といふ意味もあらう。豊臣秀吉に御伽衆として仕へユーモラスな頓知で人を笑はせた曽呂利新左衛門を連想する。

 

持統天皇と志斐嫗とはお互ひに親密なる愛情をもって接してをり、この二首は、掛け合ひ漫才のやうな応答歌になってゐる。ある日の女帝と老女官の微笑ましい交歓であり心の交流である。

 

このユーモラスな二首の歌が、「現御神信仰」を高らかに歌ひあげた柿本人麻呂の「大君は神にしませば…」の歌の次に収められてゐるところに、『萬葉集』の素晴らしさがある。それは『萬葉集』の素晴らしさであるばかりでなく、わが國の國體の素晴らしさである。つまり、天皇と臣下の関係は、権力的上下関係、支配被支配関係でなく、あたたかな心と心のむすびの関係であることを示してゐる。天皇が「現御神」であらせられるといふのは、天皇が全知全能にして無謬の絶対神であらせられるといふのではない。この二首の歌を拝しても明らかな如く、天皇は、祭司主として無上に神聖なご資格を持ってをられると共に、人としての普通の生活感覚を持ってをられるのである。

 

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