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2014年12月22日 (月)

儒教について

『論語』には確かに素晴らしい言葉が書かれてゐる。『論語』に書かれてゐる言葉を実践すれば立派な人物になることは確かである。しかし、「論語読みの論語知らず」といふ言葉があるが、『論語』が生まれた国である支那は尖閣問題などを見ても明らかな如く、今日全く『論語』に書かれてゐることを忘却してゐる。これは一体どうしたことか。

 

支那の駐日大使をしていた王毅氏は、小泉純一郎総理大臣の「靖国神社参拝」に関して、「隣の人の迷惑になることをしない』といふのが東洋道徳」だとか言って批判した。しかし、隣国の迷惑になること、嫌がることばかりしてゐる支那といふ国ではないのか。さういふ国の大使にそんなことを言う資格はない。

 

『論語』『孟子』など支那の古典は実に立派なことが書かれてゐる。日本思想史への影響も大きい。しかし、現実の支那の歴史は、極めて残虐なる闘争と殺戮の歴史であった。

 

改革開放後の「人民中国」はますます道義精神を忘却した。鄧小平は、「黒い猫も白い猫も鼠を捕るネコが良い猫だ」と言った。これは、教条主義を批判した言葉だったのだが、今の民衆には現実には、「金儲けのためなら何をしても良い」という意味に理解されてゐるといふ。

 

支那近代では儒教は専制思想であり近代化の妨げになると批判された。中華人民共和国では儒教は完全に否定された。しかし最近は、儒教は世界に誇る「中国伝統文化」とされてゐる。『論語』が現代支那で再び持ち出されたのは、今の現代支那が倫理を喪失しつつあるからであらう。

 

明治時代の漢学者林泰輔氏は「中国においては『論語』を挙業(文官選抜)の試験に用いたるがゆえに、盛は則ち盛なりと雖も、名利のためにこれを読みこれを誦し、あるいはその粗を咀(す)いて、その精を棄つるの憾みあり。我が邦人のこれを読むは、則ち然らず。その外皮を棄ててその神髄を取る、ゆえに国本培養の効を奏することを得たるなり」(『論語年譜』)と論じてゐる。

 

儒教は国家体制の中に組み込まれ、官僚採用試験である科挙の試験科目に儒教が入った。支那の官吏は科挙(隋から清の時代まで行はれた官吏登用試験)に合格した者から任用される。科挙とは、儒教の経典『四書』(「論語」「大学」「中庸」「孟子」の朱子による注釈)である『四書大全』を教科書とした暗記試験であった。科挙は、広大な地域から権力の意志を忠実な人材を集めるのに有効であった。

 

つまり、支那においては儒教そして『論語』は「君子」のための道徳律であった。一般民衆とは本来関係はなかったのであらう。わが日本では寺子屋などで子供たちも『論語』を学んだが、支那の一般庶民は『論語』を読むことはなかったのではないか。

 

日本の儒教では「君子」とは、徳の高い人といふ意味として来た。しかし、支那における「君子」の原義は、朝廷の会議に参列できる貴族たちの総称であり、「身分の高い人」「支配者」「官僚」「貴族」といふ意味が原義である。その原義が延長して「貴族のふさわしい教養・品位」のことをさすようになったといふ。

 

一方、「君子」の対義語である「小人」とは、日本儒教では、教養や道徳心に欠ける人間を意味する。しかし、支那における「小人」の原義は単に身分の低い人間、被支配者のことである。

 

『春秋左氏伝』(孔子の編纂と伝へられる歴史書) の桓公十年に、「小人罪なし、玉を抱きて罪あり」といふ言葉がある。「小人であっても最初から罪を犯すものではなく、分不相応な宝を持ったり位についたりすると、ついふらふらと魔がさして悪い事をして罪を犯すようになるものだ」といふほどの意味である。

 

さらに、『論語』には女性は基本的に出て来ない。ただ一カ所「子曰く、唯女子と小人養ひ難しと為すなり。これを近づくれば則ち不遜、これを遠ざくれば則ち怨む」(第十七陽貨篇。女子と器量の小さい者とは節度をわきまへず扱いにくい、近づければなれなれしく無礼になり、遠ざければ怨みを抱く)とあるのみである。

 

これは身分差別思想であり、男尊女卑思想である。一君万民のわが國體とは相容れない。だからわが国においては「君子」「小人」の意味を読み変えたのである。

 

儒教は、「君子」即ち貴族・官僚の身分道徳であった。貴族・官僚が政治と生活において民衆の規範になるやうに人格を磨き、倫理・礼節を守るといふ基本観念はあった。しかし基本的には巨大帝国を管理支配する思想であり、体制維持のために必要とされた思想であった。

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