« 千駄木庵日乗十二月二十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月二十八日 »

2014年12月28日 (日)

天皇のいまさない日本國はあり得ない

マスコミなどにおける皇室論議は、真に皇室の御安泰を願う議論なのであろうか。むしろ、天皇及び皇室の尊厳性を冒瀆する議論が横行しているように思える。

 

 今日の日本國の中には、天皇を中心とした國體を破壊せんとする勢力が存在する。マスコミなどの「世論調査」でいわゆる「天皇制支持」が國民の八十%に達しているところから、表向きは「天皇制打倒」を広言しないだけで、「天皇及び日本國體を何とか無化し解体しようとする策謀」が渦巻いている。『朝日新聞』の皇室に対する「敬語不使用」はその典型である。

 

 建國以来三千年の歴史を有する日本という國家は、天皇及び皇室を中心とした信仰共同体國家である。天皇のいまさない日本國はあり得ない。

 

 以前ある友人が、「我々は『天皇陛下をお護りする』とよく言うことがあるが、実は我々こそ天皇陛下にお護り頂いているのだ」と語ったことがある。私はこの言葉に感銘した。蒙古の侵略・幕末・明治初期における欧米列強による侵略の危機・大東亜戦争をはじめとして、わが日本は建國以来さまざまに國難に遭遇した。しかし、如何なる困難に直面してもわが國家・民族が滅亡しなかったのは、日本國及び日本國民が、常に國家の安泰と國民の幸福を神に祈られる天皇にお護り頂いて来たことによるのである。天皇がいましてこそ、これまでの、そして今日の、さらに将来の日本國及び日本國民があるのである。

 

 日本天皇は、日本國及び日本國民を、武力や權力によって護って来られたのではない。天皇の持ちたまえる神聖なる權威によって護って来られたのである。そしてその神聖權威は、天皇が常に日本の神を祭り神に祈られる祭祀主であらせられるところから発する。蒙古襲来の時も大東亜戦争の時も、天皇は御一身を神に捧げられる御心で神に祈られた。

 

 何故、天皇は神聖なる御存在であるのか、それは天皇が、天照大神の地上に於ける御代理であらせられるという「神話の精神」によるのである。また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは天皇が、天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられるという「神話の精神」によるのである。それ以外に理由はないのである。このことをまず以て確認しなければならない。古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変わることはないのである。

 

 したがって『現行占領憲法』第一章の「天皇の地位は日本國民の総意に基づく」という条項は天皇の御本質を正しく表現していない。

 

 「神話の精神」と言うと非科學的だとか歴史的事実ではないと主張してこれを否定する人がいる。しかし、神話は荒唐無稽な伝承ではない。「神話」において語られているのは、一切のものごとの生成の根源であり古代人の英知の結晶であり、神話的真実なのである。「神話」には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られているのである。それは、天地自然・生きとし生けるもの一切の中に、神の命を見るという信仰精神である。

 

 そうした「日本神話の精神」は、は西洋科学技術文明及び排他独善の一神教を淵源とする闘争的な西洋政治思想の行きづまりが原因となった全世界的危機を打開する力を持っている。

 

 しかも日本民族の「神話の精神」はただ単に『古事記』『日本書紀』といった文献だけでなく、「天皇の祭祀」という「生きた行事」によって今日まで継承され語られているのである。「神話」には時間を超えた永遠の価値がある。日本民族の伝統的思想精神の結晶である「神話」への回帰こそが、現代の混迷を打開する方途である。

|

« 千駄木庵日乗十二月二十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月二十八日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/60876258

この記事へのトラックバック一覧です: 天皇のいまさない日本國はあり得ない:

« 千駄木庵日乗十二月二十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗十二月二十八日 »