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2014年12月20日 (土)

日本天皇の国家統治は祭祀・歌・武がその根幹になってゐる

 『古事記』には、神武天皇の御事績について、「荒ぶる神どもを言向(ことむ)け和(やは)し、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下を治(し)らしめしき」と語られてゐる。

 

 荒ぶる神に対しては、言葉で説得して鎮魂し帰順させたが、従はない人たちに対しては武力を用いて追ひ払はれたのである。

 

 

これについて夜久正雄氏は、「これは、爾後の古代の御歴代天皇の行動原理となったのである。…地上を騒がせ民をまどわす『荒ぶる神』は、ことばのちからによって、なだめしたがえ…君徳に反抗する者どもは撃攘するほかない。前者はいうまでもなく宗教・文化であり、後者は武力・軍事である。つまり、文武両面にわたって国家の統一を押し進めたというので、これが建国であり初代天皇の御即位であったと『古事記』は記すのである」(『神話・伝説の天皇像』)と論じてゐる。

 

文武両面による国家統治が、神武天皇以来のわが国の道統である。わが国の国民の「和と統一・政治の安定・文化の継承と興隆・すべての生産の豊饒」は、上に天皇がおはしますことによって実現してきたのである。「軍事」「武」のみが、天皇・皇室と無関係であるはずがない。

 

神武天皇は、秩序も法もなく、力の強い者が長(をさ)となった集団が跳梁跋扈し、それがまたお互ひに相争ってゐた状況を、神の御命令によってまさに「神武」を以て平定し、日本国の統一と平和を達成されたのである。

 

その「神武」の御精神を歌はれた神武天皇の御製が

 

「みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 臭韮(かみら)一茎(ひともと) そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ」

 

である。

 

夜久正雄氏は、「この民謡風軍歌のゆたかなつよい表現を、初代天皇の御歌と信じた『古事記』の伝誦者たちは、この御歌のようにゆたかにしてたくましく、おおしい人格としての天皇を思い描いたにちがいないのである」(同書)と論じてゐる。

 

御歴代の天皇が継承され体現された「武の精神」は、単なる「武」ではない。それは諡号を拝して明らかな如く、「神武」であり「天武」であり「聖武」なのである。

 

 

 第四十五代・聖武天皇は、

 

「ますらをの行くとふ道ぞ凡(おほ)ろかに思ひて行くな丈夫(ますらを)の伴」(ますらおの行くべき道だ。いい加減に思って行くな。ますらをたちよ、といふ意)

 

 

と詠ませられた。

 

 天平四年に、節度使(聖武天皇の御代、天平四年および天平宝字五年の二度、東海・南海・西海道にそれぞれ設置された軍隊の訓練、軍備充実の役割を果たした職)を諸道に遣はされた時の御歌である。この時節度使となった者は、東海東山二道が藤原房前、山陰道が多治比眞人(たじひのまひと)、西海道が藤原宇合(うまかひ)である。宮中で御酒を賜った時の御製である。玉音豊かにお詠みあそばされたと御推察申し上げてよい。

 

 聖武天皇は、仏教を尊崇し、各地に国分寺・国分尼寺を建て、奈良に大仏を造立された。それとともに、丈夫の行くべき道・あるべき姿を示されてゐる。天皇の臣下を思はれ、国の礎が揺るぎなさを示される雄渾な機略を感じさせる。これは、御歴代の天皇御製に伝来する特質であり、君民一体の国柄が麗しく歌はれてゐると拝する。

 

 『萬葉集』の「皇神のいつかしき国、言霊の幸(さき)はふ国」とは、上代祖先の国民的自覚であったが、同時に天皇の御本質として理解された。日本天皇の国家御統治は祭祀・歌・武がその根幹になってゐるのである。

 

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