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2014年12月12日 (金)

日本民族の「天上の世界」と「海の彼方」への憧れ

 日本人は「常世」「妣の国」「ひなの国」は何処にあると信じたのであろうか。日本人にとっての「他界」とは、海の彼方であり、天上である。海の彼方を龍宮界と言い、海の神々の住む不老の世界として憧れた。天上の世界を高天原と言い、天の神々の住む世界として仰いだ。そして、海の神は海の彼方から来たり海の彼方に去り、天の神は天に昇ったり天から降ったりするのである。

 

古代日本の神話にそれは記されている。天津日子であられる邇邇藝命は「筑紫の日向の高千穂の霊(く)じふる峰に」天降られたのである。この神話は如何に日本人が天上の他界を憧れていたかを証明する。古代日本人は天に憧れていたがゆえに、大和地方において神聖な山と仰がれている大和三山の内最も神聖であるとされる香具山は、「天香具山」と言われわざわざ「天」の字を上に乗せている。香具山は天に通じる山であると信じられたのである。

 

天への憧れを端的に表現した歌は、平安時代の女性歌人・和泉式部の

 

「つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来むものならなくに」(ただ茫然と空を眺めている。恋い慕っている人が天から降ってくるわけでもないのに、というほどの意)

 

という歌であろう。天への憧れと恋人への思慕の情が合体した歌である。

 

 日本民族の主神であり皇室の御祖先神である天照大神は、伊耶那岐命が海辺での禊で右目を洗われた時に生まれられた神であるという神話がある。これは日本人が海を神聖なる世界として憧れていたことを証明する。

 

 日本民族は、東南アジアから海を渡って来た人々と、山の多い内陸アジアから朝鮮半島を経て渡って来た人々との混合であると言われている。海への憧れは遠い海の彼方の東南アジアから渡って来た人々の抱いた他界へのロマン精神であり、天上への憧れは内陸アジアから渡って来た人々の抱いた他界へのロマン精神であろう。

 

 日本人は、「海」と「天」に憧れ、「海」と「天」を一つのものとして把握したので、海で働く「海士・海女」を「アマ」と言い、天を「アマ」と言うのである。

 

 海の果ては空の果てと同じなのである。それは海岸に立って水平線を眺めると、天と海が分かち難く一続きに見える事からも想像される。海の彼方の理想国・永遠の世界即ち「常世」は、水平線を越えて、天空につながったのである。そして山間に住む人々の天上への憧れと一つのものとなったのである。

 

この二つの系統が日本人の他界観に流れているのである。前者を水平型思考他界観と言い、後者を垂直思考他界観と言う。日本人の他界への憧れはそれが重層的な重なっている。海の彼方への憧れが「浦島太郎の説話」などを生んだのである。天上への憧れ・ロマンが高天原神話を生んだのである。つまり日本神話及び日本人の他界観には、北方アジア的要素と南方アジア的要素が混淆しているのである。

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