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2014年12月14日 (日)

日本人の「よみがへり」の信仰

死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」である。従って人が死んだことを「他界した」と言ふ。そして死んだ人は草葉の蔭から生きている人を見守ったり祟ったりするのである。といふことは、死後の世界と現世は遮断してゐないで交流し連動してゐるといふことである。

 

日本人は、丁寧な言ひ方をする時には「死んだ」とか「死ぬ」と言はない。「身罷る」「逝く」「神去る」「隠れる」と言ふ。肉体は滅びても生命・霊魂は生き続けるといふ信仰に基づく言葉である。「亡きがら」「遺体」とは言っても「死体」とは言はない。

 

春秋二回のお彼岸は仏教行事であるが、本来的には日本人の他界信仰・祖霊信仰から生まれた日本固有行事である。春と秋の昼と夜の長さが同じ日に「あの世」から「この世」へ祖先の霊が訪ねてくると信じてきた。「彼岸」とは向かふ岸といふ意であり、日本人の他界観念とつながる。

 

日本民族が古代から抱いてきた死生観は、宗教教義として文字によって継承されてきたのではない。生活の中に生きて傳へられて来た。日本人は、常に先祖の霊を祀り感謝する行事を日常のこととして行ってきた。日本の精神風土には、古代信仰の息吹が永遠に生きてゐる。

 

日本人は、生の世界と死の世界は絶対的に隔絶してゐない。人が死んでも、その魂をこの世に呼び戻すことができると信じてゐる。「よみがへり」の信仰がそれである。

 

「よみがへり」とは、「黄泉(よみ)の國から帰って来る」ことである。黄泉の國に行かれた伊邪那美命を訪問しこの世に帰って来られた伊邪那岐命は、「よみがへられた」のである。『萬葉集』では、「よみがへり」といふ言葉に「死還生」(死の世界から生きて還るといふ意であらう)といふ文字を当ててゐる。

 

日本人が死者は必ずよみがへると信じたといふことは、日本人にとって絶対的な死は無いといふことである。人は永遠に生き通すと信じたのである。

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