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2014年12月 7日 (日)

明治維新について

わが国の天皇及び皇室は、実に三千年の歴史を有する。明治維新前夜の国家的危機に際して、日本民族は自然に、日本國家・民族としての一體感・運命共同意識中心に古代からの國家の統一者である天皇を仰ぎ國内的統一を達成して國を救はんとしたのである。

 

國民の同胞意識・連帯感、そして外敵に抗するナショナリズムの中心には天皇を仰いだ。それは決して偏狭なナショナリズムではない。言って見れば開かれたナショナリズムである。外国の優れたところをどんどん取り入れた。ただ、日本の伝統を尊び、日本の独立を守ると言う精神はきわめて強固であった。

 

明治維新後に、新政府が攘夷から一転して開國に踏み切った背景には、幕末期からこうした思想があったからである。表面的には、明治政府が徳川幕府と同じ開國政策を取るのなら、幕府を倒す必要はなかったと思えるかもしれない。しかし、決してそうではなかった。開國政策に転換するにせよしないにせよ、それを実行する主體的力量を日本という國家が持たなければならなかった。徳川幕藩体制ではそれが最早できなくなっていたのである。だから徳川幕府は打倒されねばならなかった。真の攘夷のためには海外の接触し「彼の長を取る」事も必要であるというのである。これが明治維新を目指した人々の精神である。

 

耐え難きを耐えて努力し、外國の長所を取り入れてみずからの國を強國にして、外國からの辱めを晴らして名誉を挽回しなければならないと維新を目指した人々は考えた。そしてそれにそって明治新政府の国策が作られた。維新後、外國との交際を一切行わないという頑なな攘夷論は姿を消し、外國の侵略を撃退し日本の自主独立を守るために西欧の文物を学ばなければならないという強い意志を持った。これを「開國攘夷」という。ここに日本民族の柔軟性・優秀性があると言える。

 

徳川幕藩体制から天皇中心の統一国家への転生とは、体制変革のみならず、精神の変革をともなうものであった。日本國家の発展と安定の基礎は、天皇中心の信仰共同体としての日本(日本國體)が、現実の國家運営の基盤として正しく機能していることにある。

 

歴史的に見て、近代のみならずわが国の歴史が始まって以来、日本という統一された社会・國家を象徴する<核>が天皇であった。急速な変化と激動の中で、わが國が祖先から受け継いだ伝統を守り、かつ変革とを為し遂げた<核>が、天皇のご存在であった。

 

大化改新・元寇・明治維新・大東亜戦争などのような困難な時期においても、日本國家・日本民族が常に伝統を守り、統一体としての國家民族を維持し、かつ、新しいエネルギーを結集して國家変革を行った。その<核>が天皇であった。その最も元初の変革が大化改新であった。大化改新の時にも朝鮮半島からの外圧の危機があった。

 

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性の確立が行われ、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができたのである。それは明治維新後の日本の歴史を見れば明らかである。

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