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2014年12月18日 (木)

天皇・皇室と「武の精神」

『現行占領憲法』三原理つの一つであるいはゆる「戦後平和主義」は、我が国の独立と平和と安全を根底から揺さぶり続けてきただけでなく、国民精神を堕落せしめた原因である。自分さへ安穏な生活をしていればいい、みんなのため、国家のために身を捧げるなどといふのは真っ平だといふ思考が蔓延した原因は実に「戦後平和主義」にあったと考へる。

 

戦ひの精神を忘却した国と国民は、他国から侮りを受ける。今の日本がまさにさうである。好戦的な国民になるべきだと言ふのではない。しかし、我が国を無法に攻撃し侵略し支配しやうとする外敵に対してはこれと果敢に戦ふ姿勢は絶対に必要である。その意味で『現行占領憲法』の「似非平和主義」は破棄すべきである。

 

日本伝統精神の「和」の精神・歴代天皇の仁慈の大御心を説くのは結構なのであるが、戦後の天皇・皇室論において、天皇・皇室には「武」の精神が無かったやうに誤解される論議があることを残念に思ってゐる。

 

日本國が本来的に和を尊ぶ國であり、天皇・皇室が武力を以て民を支配する御存在ではあらせられないといふことを強調するために、天皇・皇室と「武」との関係を軽視したりあるいは否定してしまふ論議がある。さういふ論議が『現行占領憲法』の誤れる「平和主義」と結びつける人もゐるやうである。

 

天皇が「武」の道統の継承者であらせられることは歴然たる事実である。「三種の神器」に「剣」があることがそれを明白に証明している。女性天皇も例外ではない。天照大神は武装されたし、斉明天皇は百済救援のために全軍を率ゐて出陣された。このことを正しく理解し認識しなければならない。天皇・皇室の「和」のご精神は戦後の似非平和主義とは無縁である。

 

皇祖天照大御神は、女性神であらせられるが、須佐之男命高天原にまゐ上りたまひし時、「背には千入(ちのり)の靭(ゆき・武具の一つ。細長い箱形をなし、中に矢をさして背に負ふたもの)を負ひ、腹には五百入りの靭を附け、また臂(ただむき・ひじから手首までの間)には稜威(いつ・勢いの激しいこと。激しい力のあること。また、尊厳な性質があること)の竹鞆(たかとも・弓を射る時、左の腕に結び付けて手首の内側を高く盛り上げる弦受けの付けもの)を取り佩ばして、弓腹振り立てて、堅庭(堅い地面)は向股(股のこと)に蹈みなづみ、沫雪なす蹶(く)ゑ散(はららか)して、稜威の男建(をたけ

び・男らしい勇ましい武勇をふるふこと)、蹈み建びて、待ち問ひたまひしく」と語られてゐるやうに、武装され戦ひの姿勢を示された。

 

「三種の神器」(やまとことばでは、みくさのかむたからと申し上げる)とは、皇位の「みしるし」として、御歴代の天皇が伝承する三つの「神器」である。「神器」とは神の依代(よりしろ・神霊が出現するときの媒体となるもの。神霊の寄りつくもの)を意味する。八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)をさす。

 

古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は、須佐之男命が、『記紀神話』では出雲國簸川上(ひのかわかみ)で八岐大蛇(やまたのおろち)を切った時に、その尾から出現したと傳へられる剣である。「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」とも称される。

 

『古今和歌集』の「仮名序」に、「人の世となりて、素盞鳴尊よりぞ三十文字あまり一文字はよみける」と書かれ、須佐之男命がお詠みになった

 

「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣つくるその八重垣を」

 

といふ御歌が、和歌(三十一文字)の起源であると説かれてゐる。この御歌は、須佐之男命が八岐大蛇を退治されたあと妻を娶られたときにお詠みになった御歌である。須佐之男命は、皇祖・天照大御神の弟神であらせられ、且つ、「武の神」であり、和歌を始めてお詠みになられた御方である。和歌は神詠であるといふ古来よりの信仰はここから生まれた。和歌と武とは一体なのである。これを「剣魂歌心」といふ。この事は、女性天皇におかせられても何の変りはない。

 

『古事記』では、天照大御神が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙(くさなぎの)剣」をお授けになる。『日本書紀』第一の一書には、「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記されてゐる。

 

つまり日本天皇は、国家統治者として、祭祀(鏡)・軍事(剣)・豊饒(玉)の三つのご権能を体現される。神代以来、天皇・皇室は「剣」に象徴される「武・軍事」の権能を保持されてきたのである。「三種の神器」は日本天皇の国家統治言ひ換へれば日本民族の指導精神の象徴である。絶対にこれを軽視したり無視してはならないと信ずる。

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